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もちろん強制はしません、と霧谷は言う。
「そうねえ」
一番に答えたのはみあだった。
「身分証明くらいはあった方が多少は動きやすいでしょうけど……ここでUGNに借りを作るってのもね。あたしは別にいらないわ。どこの誰でもない、なんてよくあることだもの」
「準備ったってなあ……霧ちゃんならともかくとして俺は難しくないか?」
司は頭を掻きながら、首を傾げて問う。
FHのエージェント“砲撃手”はUGNに追われる身だ。オーヴァード――人として許容されるレネゲイドウイルスの活動限界を超えても理性を保ち、行動できる少々……いや、かなり変わった体質だ。それ故にUGNのリストではジャームであると記載され、大規模な討伐作戦なんて行われた日には真っ先に狙われる事間違いなし。FHに拾われなければどうなっていたかも知れない。正直な所、今現時点でもレネゲイドウイルスの活動は通常の限界を超えている。放っておけば正常値に戻るとはいえ、ギリギリアウトなう、みたいな状態である事には変わりない。
だというのに。霧谷は何の事だか、と言わんばかりに軽く首を傾げて言った。
「“砲撃手”はFHのエージェント。ジャームとして追うべき対象である事は変わりません――が、それはあなたではない。もし、そう在り続けたいというのであれば仕方ありませんが」
その答えに司は思わず苦笑いした。
「……知ってて言ってるだろ。霧谷さんよ」
「さあ、何のことでしょう」
「俺はFHにもUGNにも興味無いよ。さっぱりね」
霧谷は何も言わない。ただ、静かに司の言葉の続きを待つ。
「ただ居場所とか……日常って物が欲しくて生きてきた。そんだけ欲しかった物を壊すのにはうんざりだし、追っかけられるのもゴメンだ。静かに暮らしたい。それだけ。不安なら監視でも何でもつけてくれて構わない。俺は――」
少し言葉を切って、空を見た。良く晴れた、青い空だった。
「俺は、どんな形であろうと、ただ平穏な生活があればそれで良い」
「まあ、ココで世話になってたら、わざわざ“こっち”に来た意味がないものね、司は」
みあがくすくすと笑いながら言う。
「――そうですか。分かりました」
その実現に必要な物があればいつでも言ってください、と霧谷は付け足した。
「それで」
みあがリンドの方を振り向いた。
「リンドは何かお土産貰っていったら?」
「うん?」
その質問の意図を測りかねたリンドが首を傾げると、みあは「分かってるわよ」とにっこりと笑った。
「貴方は行くんでしょ? 有樹の所へ」
みあの言葉に、リンドは目を丸くした。
「……ミア」
その眼は「何故分かった?」と問うていた。
「いや、分かるだろ。俺は今すぐ過去に戻る! って顔に出てるぞ」
「な」
「リンドがどれだけ有樹くんを大事にしてたか、私達知ってるつもりだよ」
「キリまで!」
「これだけ一緒にやってきたんだもの。それくらいはねえ」
「……オマエ達には、叶わないな」
リンドは観念したように肩の力を抜いた。声に反して、顔は照れたように緩んでいる。
「ああ、許されるなら行きたい。百年も待たせてられないからな」
でも、とリンドの表情に不安が過ぎる。
「良いのか? 結晶を……そういう事に使っても」
「え。良いんじゃねえの?」
司がからっとした声で言う。寧ろダメな理由があるのか、と言葉の裏で問う。
「だってもう結晶は――」
ちら、と自分を抱える霧緒の手に視線を落とす。
「この世にひとつしか存在しない。違うか?」
このまま残しておけば研究に使えたりもするだろう。万が一何かあった時の対策にもなるだろう。それなのに。
「うん。良いんじゃないかな。大事な願い事なら」
「そうよ。こんなもの、手元に残しておく方が邪魔だわ」
「そうそう。世界を救ったおつりだと思え」
皆はそう言うが、本当に良いのか? と霧谷を見上げると、彼もまた小さく頷いた。
「そのまま残すつもりであればUGNで預かろうと思っていましたが、これで使い果たすのであれば――かつ、悪用の危険が無い使い方であるのならば、私も反対はしません」
「じゃあ決まりだな」
司がリンドをぐりぐりと撫でる。
「まあ。有樹少年もお前が居たら頑張れるだろう。行って励ましてやれ。……で、立派な猫又になってマグロを食いに来い」
リンドは視線を落とし、「皆、ありがとう」とぽつりと呟いた。そして顔を上げて司の手から逃れる。
「ツカサ。猫又は余計だ。オマエも次までに猫の扱いを心得ておけ」
「えー」
「この二人の漫才も見納めかしらね」
司とリンドのやり取りを眺めながら、みあがのんびりとそんな事を言い、霧緒を見上げた。
「それで? あとは霧ちゃんだけど……どうするの?」
「えっと。霧緒……は、そうですね……」
うーん、とリンドを抱え直して考える。
「あたし達は世話になるつもりないから、その分搾り取ってやるのも良いと思うわよ」
「搾り取るってみあ……お前な」
「ふふ。冗談よ」
みあはくすくすと笑い、「それで?」と霧緒の答えを待つ。
「私は……守る人になりたいんです。だから、このまま残るのも考えたのですが……」
ええと、と苦笑いした唇をきゅっと結んで霧谷に向かい合う。
「霧谷支部長」
「はい」
「私は。深堀霧緒はUGN所属のエージェントではなく、外部協力者としての道を選びます」
その答えに「ほー」と声をあげたのは司だった。
「まだUGN続けるんだ」
「ええ。そのつもりです」
エージェントとしての深堀霧緒はこれからも日常を守るために奔走する事だろう。それならば、同じ事をする必要は無い。そんな事を思った。自分が守れる物がどれくらいあるのか、どこまで手が届くのか。をれを考えながら、彼女も含めて一歩離れた場所から守ろう。
エージェントだった自分が見てきた物と、これまで見てきた世界。それらに比べれば、ずっと小さな物かもしれないけど。
「霧緒は器用じゃないんです。一度に多くの事はできません。だからまずは、そうですね……誰かさんの日常辺りから守っていく事にしましょう」
「なるほどな。よろしく頼むぜ」
「ええ、お任せください」
司の声に少しだけ笑い、改めて霧谷に言う。
「そういう訳でして。私は、自分の手が届く範囲で守れる物を、全力で守っていきたい。そう思っています」
そう言って霧緒は、視線だけを自分の隣に立つ人達に少しだけ向けた。
霧谷もその意図を汲み取り、「そうですか」と深く頷いた。
「それは、あなたにしかできない仕事ですね。――よろしくお願いします」
「はい! ありがとうございます」
霧緒は嬉しそうな声で、深々と頭を下げた。