CLIMAX - 7
従竜の数が減り、女王は一層大きく吼える。
己から零れ、貼り付く雫と、取り巻きだった欠片を翼と重力で吹き飛ばし、リンドの立つ場所へと叩き付けてくる。
「こちらばかりを狙ってくるとは……しかし」
数が減った今、その攻撃を見切るのは容易。とリンドは自分の支配下にある空間に入ってきた破片全てを凍り付かせ、自分に届く前に威力を殺す。
ひらりと全てを避けきり、振り返る。
「ミア」
「何かしら」
何事もないように答える彼女だが、明らかに傷が増えているのが分かった。頭に傷はないが、頭と喉を庇ったのだろう。腕と腹部がごっそりと抉られていた。コートの袖で隠れて見えないが、骨まで達する傷だというのは容易に想像がついた。
「傷は、平気か」
「そうね……まだ、なんとかなるかしら」
降ろした腕を振ると、袖から落ちた小さな結晶がぱちゃぱちゃと足元の水溜りで音を立てた。
「しかし、その傷では」
「リンドが心配する程ではないわ。すぐ治るから専念なさい、大事な戦力さん」
「――分かった」
みあの声に混じっていた感情は、聞かなかった事にした。
彼女がそうであれと言うのだ。ならばそうするのが今の最善だ。
女王の首に刃を入れた事で、取り巻きの視線が霧緒の方を向いたのが分かった。
「あら……やはり女王様の首に刃を当てると臣下は彼女を助けようとするのですか」
そうですよね、と彼女は頷いて柄を握り直す。
左手はもう弾かれない。右手の結晶も殆どが剥がれ落ちた。呼吸がまだ少し整わないが、支障はない。
「さあ、受けて立ちましょう」
紅く濡れた刃を構え、女王の背中で飛び交う従竜を迎え撃つ。刃で爪を弾き、柄の先で突いて斥力で飛ばす。大きく口を開けて襲いかかってきた従竜は、牙に鎌を引っ掛けてくるりと身を翻す事で回避する。
霧緒は傷ひとつ負う事なく、群れを躱しきった。
「これで全て、ですか」
刃こぼれひとつない刃に頷いた霧緒は、ふと女王の首元に視線を向けた。
「え……」
そこにあった変化に思わず動きが止まる。切れ目から紅い結晶が盛り上がり、固まる。それが弾けるように裂け、更に盛り上がる。
これを放っていてはいけない、と霧緒の直感が告げると同時に鎌を振り下ろす。
がきん! と音を立てて、紅い結晶が弾け飛ぶ。が、それだけだ。
「そん、な……」
その刃は、噛み付かれるように遮られた。紅く輝く牙はその衝撃で折れ飛びはしたが、鎌の一撃を耐えるには十分な代償。そして、その首も、牙も、飴のような液体で覆われ、体積を増やし、成長する。
もう一つの頭。
霧緒の頭がようやくそれを理解したと同時に、刃に紅い液体がとろりと流れ落ちた。
女王が紅く発光し、その形に変化が現れたのはリンドにも見て取れた。
「あれは……なんだ」
「女王第二形態とかな? あれ多分もう一つくらい変身残してんぞ。さっさと潰すに限る――が」
その前に、と撃鉄を上げる音がした。
「猫や。さっさと周りを片付けるのが良いと思わねえ?」
「そうだな」
「と、いう訳で。あいつらにとびきりの夢を見せてやろうや」
「ツカサ」
「んー?」
「オマエ今、気分最悪だろう」
「愚問だな、悪夢見えてるに決まってんじゃん」
「そうか。ならよろしく頼む」
「おーけー。じゃあ、とりあえず全力で。ありったけをぶっ放せ」
「方向は?」
「てきとうに」
了解した、とリンドは紅い水溜りにぴたりと前足を浸ける。
一瞬だけ紅い霧がリンドを取り巻き、それはすぐに結晶を凍り付かせた刃と化す。
方向はランダムに。この足元にある紅い液体全てを使い切る程の刃を解き放つ。紅い軌跡を描いて飛ぶそれらは、時折不自然に方向を変えて一点に集中するように突き進む。
司はリンドから放たれた紅い刃の軌道をじっと見つめる。
コンマ五秒。
全ての刃の数と軌道を把握。当たらない刃の数と方向の修正値。
算出と同時に引き金を引く。
リロードの合間に再計算。並列で計算され、セットされていく照準に寸分の狂いもなく銃口を合わせる。計算の回転がいつもより早い。瞬きのひとつもいらない程の速度で全ての答えが閃き、身体が動く。気分は吐きそうな程に最高だ。
計算結果に何一つ間違いはなく、寸分の狂いもない。
もう何を見ているのかも分からない。目から入る情報が遅すぎて話にならない。
脳内で計算された観測値に銃弾での補正値を使って再計算、その解を観測値として扱う。繰り返せばそれは、未来予知にも等しい速度となる。
ともすれば焼き切れそうなその計算は止まる事を知らないように、脳内で次々と解を導きだしては身体に指示を出す。指先はその通りに銃弾を放つ。正確を通り越して気が狂いそうな程に精密な計算で形作られたリンドの刃と司の銃弾の一撃は、女王と取り巻き、全てを囲んで襲う。
彼らにそれを避けきる術はなかった。
取り巻きは一匹残らず砕け散り、女王も片翼をもぎ取られた――が女王の翼はすぐさま紅く透き通った結晶で再生される。
「これであとは本体だけ……! しかし、アイツの身体はどれだけ再生するというんだ……」
リンドが零すと、司のマガジンがリロードされる音が聞こえた。
「さあ、でも限界は近そうだ――ほら見てみろよ」
そこにあったのは、悲鳴をあげるかのように大きく吼える女王の姿。
あちこちが紅い結晶で形作られ、首元でも何かが蠢いている。盛り上がり伸びるそれは、もう一つの首のように見えた。
女王の背に立つ霧緒は、暴れ狂う紅い首を避けるように少しだけ後ろへと下がった。
下がったとはいえ、まだまだ攻撃が届く距離。霧緒は鎌をしっかりと持ち直し、紅く流動する首の根元に注視する。
さっきの一撃を思い出す。牙を折る事はできたが、それはすっかり再生している。刃に纏わり付いて固まった結晶は、切れ味を落とす。下手すればそのまま自分の持つ結晶と同調してしまうかもしれない。
「それが制御できれば良いのですが……」
間違いなく物量で負ける、と霧緒の感覚が告げる。最悪自分が紅い結晶に取り憑かれて暴走する可能性が高い。
と、いう事はこの紅い首を狙うのは得策ではない。
「ならば。やはりこちらの首を――刈り取ってしまいましょう」
鎌に残った結晶に意識を集中させる。鎌から振るい落とす訳ではなく、それを自分の力に変えるために。仄かに輝いたその石が鎌の一部だと指先に伝わるのを確認して、霧緒は獲物を大きく振り上げる。
綺麗な弧を描いた鎌は、岩肌で固められた首の根元に埋まる。
ぴし、と女王の首にヒビが入った。それは首筋を駆け上がるように広がり、紅い輝きが隙間から漏れる。
「G,AAA――――AHAYAAAAAAAA!!」
苦しむような声が、骨を伝って頭の中にがんがんと響く。女王の首にある岩がばらばらと剥がれ落ちる。紅く艶やかな肌が露出し、体中を溶けた結晶が滴り落ちた。
内面から蝕み震わせるその音に、意識が遠のきそうになる。奥歯を噛み締め、倒れるのだけは堪えた、が。降り注ぐ岩の欠片と紅い液体に気付くのが遅れた。
霧緒自身を立たせるために使われていた重力に引かれ、それらは次々と降り注ぐ。
「――!」
重力で岩を弾こうとするが間に合わない。右腕を岩が貫通する。頭に飴のような塊が纏わり付き、目に入ったそれが視界を灼く。
「あ……ああああああ!」
思わず鎌を取り落とした手で、焼けるような目を押さえて踞る。目から血液に染み込み、心の奥まで灼くような痛みに声をあげた。