CLIMAX - 2
ドラゴンみたいだ。
それは直感だったが、例えではなく本物であると気付いた司は声をあげた。
「おおう!?」
周囲に建物はなかった。視界にあるのは霞のような雲。その下に駅が、街が。まるで航空写真のように遠くあった。
認識する間にも、自分達は地上からぐんぐんと離れている。比例するように気温が下がっていくのを感じる。きっと外は凍り付くほどの寒さだろうが、自分達の身にその影響は見られない。
肩に乗っかったリンドが飛ばされたりしていないか心配になったが、コートを通り越して肩にしっかりと立てられている爪の痛みと首に引っかかっている尻尾が、その心配を払拭してくれた。
「……おいリンド。お前の故郷はドラゴンも……ああ、居たっけ」
「勿論だ。何を言っている。人間が思い描くようなモノは何だって居るぞ?」
「わーさっすがー」
すげーなあ、と思わず水平線へと目を逸らした。
「私も彼女を迎えにあがる時少しだけ見せていただきましたが、すごい所でしたよ」
司の隣でにこにこと答える菊花は、風景をどこか楽しんでいるようにも見える。
「へー……。え?」
どうして彼女がここに居るのか。
思わず彼女の声に振り向いた司と菊花の目が合う。彼女はその疑問を表情から読み取ったのか、「ああ」と笑いかける。
「空気や重力についてならご心配なく! 私と彼女の二人でサポートをいたします」
心強さを出そうとしたのか、彼女はぐっと親指まで立ててくれて。司は「ああ、はい」と曖昧に頷くしかできなかった。
「……それで、あの。今の答え聞いてから訊くのもなんですが。俺達どこまで行くんでしょうかドラゴンさん」
「宇宙に決まってるじゃろう! 女王を迎え撃つのだろう?」
「このまま……宇宙まで行けるんですか?」
帽子を押さえた霧緒の問いに返ってきたのは、肯定のような羽ばたき。それでぐんと速度を増す。
「無論だ。連れて行ってみせるとも。古き友の頼みでもあるからな」
「友……?」
「もしかして……ユウキ、か?」
リンドが司の肩から身を乗り出すように問う。
「そうじゃ。有樹達だ」
真直ぐに前を見据えたままの答えに、リンドは「そうか」と、司にしか聞こえないほど小さい声で鳴いた。
「ユウキは元気に、しているか?」
「はは……年が年じゃからな。元気と言うにはちと、な」
リンドはその答えで察したのだろう。「そうか」と寂しげに笑った。
「寂しい思いを、させただろうか」
「さて、な」
「でも、ここまで技術を使いこなして、あたし達の手助けまでしてくれるなんて……」
すごいじゃない、とみあは言う。
歴史を知っているからこそできた芸当かもしれないが、それ以上にカオスガーデンでの研究、葛城家との連携、UGNへの根回し。有樹はこのチャンスにどれだけの手間と時間をかけたのか。知っていたって間に合わない事もあるというのに、彼は「隕石が落ちる」という事実がないにも関わらず女王迎撃の段取りをここまでやってのけた。
落下当時も、直前までその存在は認知されていなかったはずだ。それなのに。なんて恐るべき手腕だろう。
そうしているうちに、周囲にはちらほらと流れる光が見え始めた。地球に降り注ぐ小さな塵の輝き。地表に届かない光も尾を引いて消えていく。
「……そうか。いやしかし、こりゃ滅多にできない経験だな。見ろリンド。地球が蒼いぞ」
思わず遠い目をした司が現実逃避じみた感想を零す。
「あら本当。そういえばあたし、宇宙まで行くのは初めてね」
「あ、私も初めて」
「いや、普通初めてだろ!?」
「実は私も同じく。――と、そうだ。今は私と彼女、二人分のエフェクトで空気や重力を維持しています。標的が確認でき次第エフェクトも展開して補助いたします。が、もしこれが途切れたり、範囲外に吹き飛ばされてしまったら大変なので覚悟しておいてくださいね」
「急に怖い事言わないでもらえます?」
「あはは。それでですね」
と、彼女は懐からごそごそと紐に繋がれた小さな袋を四つ、目の前にぶら下げた。白い布で作られた袋には、狐の意匠が施されている。
それは、ヴェネツィアで見た葛城のお守りととてもよく似ていた。
「これを。持っていれば、私達から離れてもある程度なら大丈夫です。声も届きますから安心してください、ちゃんと拾って帰ります」
「そんな車みたいな気軽な表現でいいの……?」
司のぼやきにはにこりと微笑みひとつ返し、彼女はリンドの首に結びつけ、霧緒とみあ、それから司にそれぞれ渡す。身につけている間に流星は姿を消していた。
地図のようだった街はとうに見えなくなり、海岸は島を形作る。蒼い水平線も曲線が分かるほどに高く、遠く離れたその時。
「来るぞ」
どこかフェイの緊張した声がした。
視線の先にあるのは、紅い光。煌々と輝くそれは、遠目にも巨大な隕石だと分かる。
「あれが――元凶か」
よいしょ、と司が立ち上がる。リンドは肩から飛び降りて足元に寄り添う。
「そうね。間違いないわ。――あたし達を敵に回したこと、後悔させてあげましょう」
みあもスカートの裾を整え、首に貼り付いた髪を掻き上げて笑う。
そして、目を細めて隕石を見遣りながら呟いた。
「そして、貴女の未来を作ってあげる。だから、魅せて頂戴ね。紅月みあの記録を」
既に死したこの身体と、これから生きるであろう彼女へ向けて。みあは誓うように言葉を口にした。
「しかし、あの大きさ……。これまでの相手とは桁違いじゃないか。楽観視して良いものでは」
「でも」
リンドの声を止めたのは、霧緒だった。ヘッドホンの位置を調整し、傘を持つ手に力を込める。
「ここで止めなきゃいけないんだよ。できるかどうか、じゃなくて。やらなきゃいけない。違う?」
「そうそう」
司が霧緒の言葉に頷いてにやりと笑う。
「楽観視なんてしねえよ。ただ、今までのツケを全力で払わせるだけだ」
「ああ……そう、だな」
リンドはその言葉を飲み込むように頷いた。
「まさか猫をやっていてこんな事になるとは思わなかったな……」
「リンドは化け猫……もとい、レネゲイド猫なんだから仕方ない」
「よし、ツカサはこのまま宇宙に置いていってもらおう」
「えっ。勘弁してよ。俺宇宙人になりたくない」
「猫から見れば、宇宙人も地球人も変わらない」
リンドの素っ気ない言葉に司は「えー」と不満げな声をあげて、ふと、何かを思い出したような顔をした。
「……そうだ、リンドよ」
「何だ」
「俺、お前にひとつ謝る事があったわ」
「どうした薮から棒に」
「お前がうちに来た時の伝票だけどさ。クール宅急便の」
「ああ」
「あれ、書いたの俺だ」
「オマエか」
「うん」
真面目な顔で頷く司に、リンドは思わず笑った。
「……分かった。帰ったら、マグロをたっぷり奢ってもらおう。駅で逃げなかった分に上乗せだ」
「はいはい。財布がスッカラカンになるまで奢ってやる」
胃袋覚悟しとけよ? と司がにやりと笑い返す。
「本当、二人は緊張感ないわね」
「まあ、二人らしいといえばらしいし。いいんじゃないかな」
「そうね」
みあと霧緒も顔を見合わせてくすくすと笑う。
「――それじゃあ、さっさと済ませて地球へ帰るとしよう。我がマグロの為に」
「うん、実に現金で宜しい」
「ではいくぞ! わらわがまずあの勢いを止めてやる。その隙にかかるが良い!」