CLIMAX - 1
全員が目を開けた時。そこは静かだった。
犬の銅像。待ち合わせなのか携帯を熱心に覗き込む人。大きなビル。大きな交差点。青信号が灯るそこを行き交う人々。行き交う車。高架の上を走る電車。
賑やかで、若者がたむろする街。まだ破壊されていない渋谷駅。
ただ、そこは全てが凍り付いたようだった。
何も動かず、何の音もしない。
呼吸をして動いているのは四人だけだった。
「……渋谷、だよな」
シンボルとなっている犬の銅像を眺めながら司が言う。
「渋谷、ですね」
駅の改札を伺いながら霧緒が言う。
「だが……これはどういう事だ?」
リンドが司の肩の上に移動し、周囲を警戒する。
「うーん……時間が、止まってるような感じがする」
見たままだけど、と霧緒がヘッドホンを付けながら言うと、リンドが司から覗き込むように問う。
「俺達は失敗したって事か?」
「ううん、それならさっきまでの空間に取り残される可能性が高いと思う。強い風が吹く前の静けさ、っていうか。それに近い感覚かな。本来飛ぼうとした時間より少しだけ前に来ちゃったのかも」
「じゃあ、少し待てば動くかもしれない、と?」
司の言葉に「多分」と頷くと、「じゃ、少し待ってみるか」と返ってきた。
何一つ動かない街で彼らはその時を待ち続ける。
「それにしても」
みあがぽつりと呟いた。
「準備があるはず、って言ってたけど……どこかしらね」
「確かに。隕石を相手にするんだったらここじゃダメだな。何をしろっていうんだろ」
全員が空を見上げて、姿の見えない隕石の位置を探る。
――ざわ。
どこからか人々の喧噪が聞こえた。それは次第に大きくなり、彼らの周囲にまで広がる。
音が広がると、それを追いかけるように人々が動き始めた。
会話する口が。携帯の呼び出し音が。車のクラクション、信号の誘導音。それぞれに人々の動きが揃っていく。
そしてそれらにずれが無くなる頃。
「こんにちは」
静かに通る、鈴のような声がした。途端、周囲の空気が一変する。
ざわめきが遠くなり、街から自分達の周辺だけ切り取られたようなそれは――ワーディング。
全員がその発生源に視線を向けると、そこにはひとりの少女が立っていた。
古びた白い仮面。長い黒髪。膝を隠す程のスカートにセーター。白い厚手のストールを羽織り、その腰には一口の刀。纏う空気は静かで、ワーディングと同質のものだった。
距離はそう遠くない。たった数歩。
全員で彼女の出方を窺う。刀を抜くのか。それともエフェクトの使用か。それならば素手、影、空気。全てに警戒しなければならない。
彼女の手が動く。
警戒されたあらゆる可能性を無視するかのように、顔の仮面が外された。
「あら――驚かせてしまったようで、すみません」
仮面で隠されていた目は少しだけ照れたように細められた。声と姿は桜花にとてもよく似ていたが、仮面を後ろ手に回すその仕草は桜花よりも少しばかり子供っぽい。
彼女はにこりと笑って口を開く。
「紅月さん。河野辺さん。深堀さん。それから――リンドさん、ですね」
「そう、だけど……」
誰だ、と司の目が細められる。
「桜花さん……?」
名を挙げたものの、何か違うな、と霧緒が首を傾げる。
「うん、桜花さんじゃないな」
「はい、ご察しの通り。私、葛城菊花と申します。桜花より伝えられた言葉によって、皆様のサポートをするため待機していた、UGN葛城部隊の者です。まずは――皆様、おかえりなさい」
そう言って彼女は深々と頭を下げる。
「葛城部隊て、マジか……」
「そう……桜花さんは、ちゃんとやってくれたのね」
「はい」
菊花は頷いて仮面を胸に掲げる。
「と、言っても私は連絡役に過ぎません。ここから戦場へ向かうには私達だけの力ではどうにもなりませんから――浅島研究所より、貴方達を隕石迎撃ポイントへと連れて行ける方をお連れしました」
彼女はそっと後ろに居た人物へその場を譲る。と、そこにはみあと背丈の変わらぬ少女が居た。
上質な生地で飾られた緑のワンピース。ひとつにまとめた銀髪は服と揃いの帽子で飾られている。帽子からのぞく尖った耳。見上げる瞳は鮮やかな緑で、全てを見定めようとする強い意志が宿っていた。
威風堂々、天真爛漫。そんな言葉を体現したかのように佇むその影には、深い深い時間が垣間見えた。
「うむ。わらわは……そうじゃな。フェイと呼べ。わらわがお前達を戦場まで連れて行ってやろう! なに、宇宙くらいなら近い近い!」
司は目の前で笑う幼女を不思議そうな目で見る。そして、スカートの裾から覗いた太い尻尾を見なかった事にした。
「えーっと。初めまして……?」
「よろしくお願いしますね」
霧緒は気付かなかったのか、にこにことそんな挨拶をしている。
みあはというと、何かを信じられないような顔をしていた。
「ちょっと……どうしてこんな所にニートな竜が居るのよ。ゲームばっかりしてるって噂だったじゃない」
「カオスガーデンでニートって何」
「いやそれが、アカウント取り上げられてな」
「アカウント……ねえ、何その。何」
「大事な大事なアカウントじゃ。仕事を終えたら返してくれると」
答えのようなそうじゃないような返事にどこかげんなりとした司は空を仰いで呟いた。
「……リンド。お前の故郷は随分とハイテク化してんだな」
「研究が進んだ結果だろう」
「マジかー……。すげえな。さすがカオス」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「うん。褒めてる。ちょー褒めてる」
そんなやり取りを一通り眺めた彼女は「よし」と頷いた。
「こうして談笑するのも悪くはないが、そろそろ時間がない。さあ、戦地へ征く者はわらわの後ろに立て」
言うが早いか彼女は背を向ける。
視線を交わして彼女の後ろに並ぶと、変化はすぐに現れた。
それは辺りを巻き込むほどの風。風圧で目を閉じた次の瞬間訪れる浮遊感と耳をかすめる風の音。全てが通り過ぎた時、足元は既に地面ではなく爬虫類特有の堅い鱗になっていた。