SCENE4 - 4
司はみあへ笑いかける霧緒を見て、心の中でうんうんと頷いた。
彼女はあの惨状の中に居たからこそ、その場で助けられなかったのをずっと悔やんでいたのだろう。その悔いが晴れるかどうかは彼女次第だが、決断できたなら良かった。ここで仲間割れなどしてしまうのもよろしくない。
「ま、大勢の人にとっては隕石落下そのものが無かった方が幸せなのは確かよね。ただ、その世界の中にあたし達の姿が無いだけ」
「……自己犠牲、か」
くだらないな、とリンドが嘆息した。
「自己犠牲ね。そうかもしれないけどリンド。有樹は隕石が落ちた時、どこに居たかしら?」
みあの問いにリンドの言葉がしばし詰まった。言葉は止まったが、尻尾はぱたぱたと落ち着きなく動いている。
「――……研究所じゃないか?」
「いや、そこは渋谷って言う所だろ?」
「そうよ。隕石が落ちた後、あの子の両親がどうなったか忘れてはいないでしょう?」
司とみあの言葉にリンドがぐうと小さく唸った。
「そういうのもなかったことにできるってことよ」
「……そうか。そうだな。だが、俺は自分を犠牲にするなんて心算はない」
「いやー、それはどうだろ」
司の言葉にリンドは詰め寄る。肩にのぼることはせず、足元から強い目で見上げる。
「何を言いたいツカサ」
「いや、何って。なんだかんだでお前さんも言葉遊びに翻弄されてんな、って――痛ぁ!?」
ばっ、と司が一歩リンドから離れる。さっきまで足のあったその場所には、光る爪があった。
「ちょっとリンドさん……何すんの」
「オマエが馬鹿な事を言うからだ」
ズボンが破けていないかを確認する司を尻目に爪をしまい、リンドはそこに姿勢良く座る。
そんなリンドを少しだけ恨めしげな目で見て、司は溜息をつきながら言う。
「いーや、リンド。ある意味お前が一番そういう犠牲とやらからは遠いんだぞ? お前は隕石が落ちなかったら……いや、落ちてもいいや。その後どこに行く? どこに居たい?」
「何処に……」
突然の質問に、リンドの目がぱちりと司を見上げる。何を問われたのか。と、その質問を視線で問い返す。
「そう。お前はどこに居たいか。研究所? 浅島家? それともFH? ――ほら、どこでも良くないか? 人間にはな、社会的立場ってのが必要だが猫はどうだ。どこだって居られるし、どこにでも行ける」
違うか? と司は問う。
「何処にだって居られて……何処にでも、行ける」
「そう」
繰り返すリンドと、それを肯定する司。リンドは考える。
「居たい場所、か……」
自分が一番居たい場所は。カオスガーデンを出て、浅島家に別れを告げ、FHへ捕らえられ。それら全てを取り上げられた時。自分は一体……何処に居たいのか?
思い出したのは、有樹だった。
寒空の下。石橋の上で。今にも泣きそうな顔をして笑っていた。
自分の居たい場所――それは。
「――考えて、おく」
ぽつりと答えたリンドは司の方を向いてはいたものの、その後ろに誰かの――少年の影を見ているようだった。司は「なるほどな?」と頷く。
「ただ、ユウキと約束をしたからな。それは。それだけは全力で守る――だから、隕石など、落とさせる心算は無い」
「ま、心が決まってるんならいいんじゃないかな」
「別に死ぬ訳でもないしね」
「そうそう。隕石落下前にそれを阻止、ついでに我々は第二の人生を謳歌すればいい。――うん、俺は願ったり叶ったりなんだけどさ」
「あたしとしても、隕石落下は無い方が良いわね」
みあはそっとスカートの裾を撫でた。長いまつげがふと、瞳に影を落とす。
「この子も、いつまでかは分からないけれどあのまま暮らしていけたでしょうから……」
うん、とみあはひとりで頷いて顔を上げる。
「皆さん決まったようですね」
話を眺めていた何仙姑が手にしていた石が小さく瞬いた。彼女はその石にちらりと視線を落とした。
「司さん」
「はい?」
突然名前を呼ばれ、反射的に背筋を伸ばして返事をした司に彼女は歩み寄り、その手を取る。
「これを」
そう言って司の手のひらに落とされたのは、弱い輝きを放つ紅い石の欠片。
「これは、とある場所でできた研究成果のひとつですが、どうにも不完全でして。このような空間への介入と、そこから送り出す程度しかできません」
「いや、それはそれで十分のような……」
輝きが弱くなったそれを握らせて彼女は空間の切れ目の前へと戻る。
「私がここに居られるのもこれまでです。では、皆さんがどのような奇跡を起こすのか、楽しみにしていますよ」
彼女は最後に笑って、空間の切れ目へと消えていった。空間の切れ目も、ぴたりとくっつくように消えて跡形すら見つけられなくなる。
「……っていうか、あんたの存在が奇跡だよ。どうやってここに来たの……?」
「その結晶使ったんでしょ?」
みあの指が司の手に握られた石を指す。自分の手を開いて石を見下ろした司は「えー……」と口を曲げる。
「――ひとつ」
「!?」
空間に突然響いた何仙姑の声に全員がびくりと肩を揺らす。
姿はない。声だけが空間にこだまする。
「未来に辿り着いたら、渋谷へ向かうと良いでしょう。その為の準備があるはずです」
「……」
そして今度こそ彼女の声はふっつりと途切れた。
しばらく全員が息を詰めてまだ何かあるかと構える。そのまま数秒。物音ひとつしない空間である事を確認して司が叫んだ。
「何あの人超怖いんだけど! ねえ! 渋谷駅で準備とか!」
「落ち着きなさい。貴方が一番関わりの深い人なんだから」
「え。えぇー……」
手にした石に視線を落とすその顔は「分かるけどなんだか認めたくない」それから「この石これ以上持っていたくない」と語っていた。
「はいはい。彼女とどう付き合うかは色々片付けてから改めて考えなさい」
「そうする……」
「それじゃあ、行きましょうか」
みあの声に全員が頷く。
「リンドと霧ちゃんは戻るタイミング間違えないようにね」
「うん」
「問題ない――行こう」
「……んじゃまあ、世界をできる限り救ってみようか」
「その意気ね。行き先は――」
「隕石落下前の渋谷駅へ!」
その声に結晶が淡く反応する。
空間を紅く照らし、彼らも同様に飲み込み。
狭間の空間も静かに消滅した。