SCENE3 - 5
異形も居なくなり、男も倒れた今。全員の意識はその奥に倒れている着物の少女にあった。
心臓を打ち抜かれ、氷が張り付いた少女。刀はその手から転がり落ち、顔に血の色はない。
「――キリ」
「うん」
「さっき大丈夫だと言った。その説明をしてもらおうか」
こくん、と霧緒が頷く。
「あのね。葛の葉がここに在る意味を、教えてもらったの」
桜花の心臓が貫かれた時。自分に何があったのかはよく分からない。
自分の意志が右手からずるりと飲み込まれた。
葛の葉の意識だ。と気付くのは早かったが、どうしようもなかった。様々な物質の情報を読み取り、変形させてきた霧緒だったが、逆に飲み込まれるのは初めてだ。
葛の葉は雄弁に語る。持ちうる全ての情報で溺れさせるように。
己と葛城の歴史。かつての使い手達とその経験。片割れとなる刀――土蜘蛛の存在。
葛城という血にまつわる秘密と、己の関係。その力で彼女が助かる方法。
全てを飲み込まされ、解放されたその一瞬を思い出しながら、桜花の手から転がった刀を拾い上げる。葛の葉とよく似ているが、少しだけ反りが高く見える刀には、桜花の血が僅かに散っていた。
「葛城の家宝は元々二つでひとつ。対になるのは……これ。土蜘蛛って言うんだって」
「その二つが揃うと桜花さんは助かる、って事か?」
向けられた視線に霧緒はこくりと頷く。
「なるほど? じゃあ……しばらく隠れてても問題ないか?」
「は? 何を言っているんだツカサ。オウカを助けるのが先だろう」
「いや、それはそうなんだけど、気になってた事があってさ」
リンドは怪訝な表情で司を見上げる。
「よし、少し思い出話をしよう。かつてこの場に居合わせた俺達が、歴史が変わるという確信を持った時、どうなった?」
「……石が光って、未来に」
リンドはそこでハッと気付いたように顔を上げる。
歴史が変わったと認識させるために、桜花は死んでいなくてはならない。
歴史を変えないために、桜花は生きていなくてはならない。
「な。酷い矛盾があるよな? でも今なら?」
「……可能、だろうな」
「うん。それができるって事だよね? 霧ちゃん」
確認するかのような司に、霧緒はこくりと頷いた。
「成程――ならば、急いで隠れろ」
「なに。新手が来たの?」
首を傾げるみあにリンドは「いや。敵ではない」と首を振って告げる。
「この足音は――キリだ」
「!」
その言葉の意味する所を、全員が理解した。
行動は早かった。
みあが手近なドアを開け。リンドは司の肩にするりとのぼり。司は桜花の傍らで刀を掴んだ霧緒の首元を引っ張り。
次の瞬間には全員が室内で壁に張り付き息を潜めていた。
近付いてくる足音。それは息を潜めるドアの近くでぴたりと止まった。
続く足音はさっきの物より軽い。みあだろうか。
『――』
何か言っているのが聞こえる。桜花の死体を見つけたのだろう。
全員の息が一層詰まる。気配を察知されてはいけないと、全員が微動だにせずドアの外に耳を傾ける。
『何で……? ここで――が、――筈は』
『歴史が、――?』
どういうことだ、という声もした。
「……記憶だと、こっからも結構長かった気がするけど」
ぼそ、と呟いた司の頬にリンドの尻尾がぽすんと当たる。
黙ってろという事だろう。司は「はいはいすいません」と言う代わりに頷いた。
ドアの向こうでは会話が続いている。
どうして霧緒が真っ先に駆けつける事ができたのか。
『ワーディングの対策をしていたのに、効果がなかった、という話は――』
渋谷駅で体験した事。
『今の話からすると……俺らの相手はやっぱり――』
自分達がこれから対峙するであろう相手と、その目的。
ドアの向こうで、彼らは語り合う。
『彼らの目的は、歴史を改変すること』
『この状況もきっと――そうすると……』
『もしもの話、ですけど』
『――そうなったら、それこそ相手の思うツボだ』
今自分達が目の当たりにしているこの状況。それは果たして回避できた事だったのか。
『兎も角……弔ってやろう』
リンドの声。それを止めるみあ。続く司。
『そもそも……情報が……、――それは……だって――』
そんな言葉と共に足音がドアを通り過ぎていく。
――どくん。
鼓動のような何かが響いた。
ドアの向こうで結晶が発動した気配だと察知した四人に緊張が走る。
『今度は俺か!』
司の苛立たしげな声。紅い光は漏れてこないが、次第に増していく光の力強さは伝わってくる。
『早く捕まって!』
『え――あ、うんっ』
『とにかく離れるなよ!』
『ユウキ!』
リンドの叫び声がした。耳を澄ましていたリンドの尻尾がぴくりと動き、爪が司の肩へ僅かに刺さりそうになる。
『ユウキ、ユウキも――!』
そんな叫びを残して。時空を歪ませた力は収束し。静寂が戻ってきた。
もう少しだけ耳を澄まし、物音ひとつしない事を確認して、四人は一気に息をついた。
「良かった……これで俺らも巻き込まれて飛ばされたらどうしようかと思った」
「本当ね」
ふー、とみあは息をついてドアをそっと開く。隙間から覗いて彼らが居ない事を確認して外に出た。
隠れる前と全く同じ光景がそこにあった。
攻撃の跡が残る廊下。幾人もの死体の中で唯一の女性。
胸と腕を貫かれて凍り付いた少女。
ここで自分達があの石の影響を受けなかったのは、きっとこれを打開する手段があるからだ。そしてその鍵は霧緒が持っている。
「霧ちゃん」
声をかけると彼女は「うん」と頷き、二口の刀を抱いて桜花の傍らに膝をついた。
葛の葉が霧緒を急かす。土蜘蛛と、葛城と会わせろと。
百年の時を超えて沈黙していた己の意味をここで示させろと。
急かす刀に落ち着いてと諭すように、冷たい桜花の腕に抱かせる。
それだけ。
霧緒がそのまま桜花の元を一歩離れると、変化はすぐに現れた。
ぱき、と小さな音がして氷の欠片が落ちた。
桜花の指先が僅かに動き、刀の鞘に触れる。
溶け始めた氷にじわりと血が混ざる。身体に空いた穴が。肉が。骨が。内臓が。細い糸で埋められるように繋がっていく。げほ、と口から黒ずんだ血が零れたが、すぐに呼吸に変わる。身体の穴が塞がる頃には出血も止まり。着物は水で薄められた血液で濡れていたが、傷は全て塞がっていた。
「――あ、れ」
小さな声が零れ。まつげが揺れて、目が開いた。