SCENE3 - 4
「桜花さん!」
霧緒は桜花を貫かんとした槍と男へ、天井近くから飛びかかる。
両手の刀は確かに、桜花の目前へ迫っていた槍を砕き、男の腕へ深々と刺さった。
刀を受け止めた勢いで膝をついた男に――動揺は見えなかった。
そこに抱いた違和感を抱くと同時に、男のもう一方の手が、桜花の胸元へ差し出された。
「――!」
桜花の心臓が氷の槍に貫かれ、凍り付いた。
気付いた時には遅かった。
また守れなかったのかと、酷い絶望感が襲う。
どうすれば。どうすれば良い。
それに応えたのは、右手の刀だった。
小さく音を立てた葛の葉は霧緒の意識をずるりと飲み込み。
霧緒は自分が何をすべきかを悟った。
司の肩から飛び降り、真っ先に辿り着いたリンドが見たのは心臓を氷の槍に貫かれた桜花の姿だった。
その手前にはあの時逃げられた男。それから霧緒。
桜花の身体が廊下に崩れ落ちる。
「オウカ!?」
リンドの声に、霧緒の視線が少しだけこちらを向いた。
――感情が見えない。
まるで無機質のようなそれに、リンドの足が僅かに止まる。その隙にとでも思ったのだろうか。男の手から生み出された槍が霧緒へと飛ぶが、それは無言のまま刀で弾かれ、刃が届かないものは粉々に粉砕された。
彼女はそのまま軽々と飛び、距離を取る。リンドの目の前で彼女のブーツが床を踏む音がした。
「……リンド、下は?」
彼女の声で我に返る。その目はさっきとは違う、いつも通りのものだった。
「ああ、問題ない。だが……」
「え。何この状況」
リンドの疑問がそのまま司の声となった。みあの足音も近付いてくる。
「キリ。この状況は」
「うん、あとでちゃんと説明する。桜花さんの事は……大丈夫」
だけど、と霧緒の目が目の前に立つ男に向けられる。
「悠長にはしていられないから。あの方には――早々に退場していただかなくては」
彼女が静かに、そう告げた。
「ここが私の標的だと思ったが……」
いや、と男は何かに気付いた様子で言葉を切り、霧緒とみあ――二人が持つ結晶に視線を向けて口元を歪めた。
「お前達、我々の同胞でないな?」
一歩。男が足を踏み出すと同時に、空気が熱を持った。男の周囲で燻っていた炎が風に吹かれるように巻き上がる。その影から起き上がるように現れたのは白い異形だった。
「それならばお前達は不要。ここで歴史の礎となるがいい!」
「はいはい、なってやる気なんて微塵も無いんで」
司も一歩を踏み出す。炎が広がるより先に男との距離を一気に詰める。
先手必勝。腹部に銃を押し当てて引き金を引く。が、銃口に違和感を感じてすぐさま腕を引く。薬莢が落ちる音はしたが、弾が当たった様子がない。身を引きながら視線を落とすと、銃口の先にあったのは手袋をした男の掌。その表面は熱でも持っているのか、陽炎のように空気が揺らめいている。
溶かされた。音もなく蒸発する程の熱量で。
ならば確実に消せる方に専念しよう。舌打ちひとつで照準を変える。引き金を一度引くと数体の異形が蒸発するように消え、からからからんっと薬莢が散らばる小気味いい音が響いた。
リンドは頬に熱気を受けて小さく鳴いた。霧緒の言った「大丈夫」の真意は分からない。桜花は確かに息絶えている。このままでは同じ未来を繰り返すのではないか。――いや、今はそのような事を考えている場合ではない。
まだ冷たい床にぴたりと触れて、そこから己に有利な領域を一気に広げていく。相手の持つ熱量に対して不利な状況にも見えるが。
「この程度なら、雑作も無い!」
廊下の温度はどんどん下がり、リンドの周囲で水の刃が形成される。そのまま滑るように飛んだ刃は炎と異形達を次々切り裂いていく。が、やはり男には届かない。とびきり冷たい一撃も、男の手がかざされた瞬間に消え失せた。
男の前に現れた異形は司とリンドが消し去ったが、感情の動きは見られない。一歩進むと後ろに炎が沸き立つ。その中から異形が起き上がるのが見えた。
その異形の姿を認めたみあは、その場から動く事はせず。仮面で隠れた男の目を見て小さく笑った。
「笑わせるわね」
そこで初めて、男の視線が動いたのが分かった。仮面の奥で、紅い瞳が光を弾いたのが見えた。
「人の未来にお前達の“記録”など必要ないの。ここで消え失せなさい!」
みあが小さく息を吸い、音を響かせる。声に混じるのは、この異物を消し去るという確固たる決意。みあの持つ記録と、その先に別れた記録。その根元に存在する異物を。未来を繋ぐ者達への冒涜を許さない。
――感じている怒りは等価なのさ。
そんな声が聞こえた気がした。
身体だけでなく精神までもを容赦なく蝕むその音に、男が黙って曝される訳もなかった。手の平から氷の槍を放つ。しかし、銃弾が、水の刃が、二口の刀が。全てを打ち落とし、遮る。その幼い歌声を止める事は叶わなかった。
「馬鹿な……貴様、ら。なにも――」
男の声は、最後まで紡がれる事はなく。そのまま胸を掻きむしろうとしたのだろうが、それすらもできずに崩れ落ちた。