SCENE3 - 2
桜花から船を借り、港へ向かった自分達を確認し、宿の見える場所でその時を待つ。
時計は刻々と進み、このままでは自分たちが帰ってくるかもしれないという心配も出てき始めた。
「後どれくらいでくるんだろ……」
「あたし達が戻った頃にその姿がなかったから、割と早いと思うんだけど……」
――と、辺りの空気が突如塗り替えられた。
冬の空気に混じる熱気が、一気に宿を包み込む。
「はあ? ここでワーディング!?」
「馬鹿な!」
慌てて身を乗り出す司と、歯噛みするリンド。
そうしている間にも周囲の人々が倒れ、宿から白い影が溢れ出てくる。
「おい……なんだアレは」
「何って。異形だろどう見ても……」
リンドの固い声に司が答える。声こそ変わりないが、その手は後ろに回され、指先が銃に伸びている。
「そんなモノ見れば分かる。どういう事だと言っているんだ」
落ち着こうとしている声に反し、リンドの尻尾は大きく揺れている。苛立っている証拠だ。
「いや。そんなの異形に聞いてくれよ」
「オマエ……そうは言ったってな。宿にあの男が入る姿など見ていない」
「そんなの、変装でも裏口でも、目くらましなんてどうとでもなる」
まあ、と司は霧緒とみあの手に視線を走らせる。
「――石の存在に気付かれたか」
もしかしたら、こっちの行動が筒抜けで予定変更でもされたのだろうか。思わず舌打ちする。
「推測するのは自由だけど、そのくらいにしておきなさい」
みあが溜息をつくように二人の言葉を止める。
「あたし達が今すべきことは、ここで原因追及をすることじゃないわ」
そうでしょう? とみあが視線で伺う先には霧緒が居た。
「うん」
彼女は頷きながらも、真直ぐに宿から溢れる異形を見ていた。
その視線は入り口から彼女の居た部屋までの道筋を辿るように動いている。普段抱えられている傘は既に右手に握られていた。いつの間に取り出したのか、左手には刀もある。
『ワーディングの対策をしていたのに、効果がなかった』
みあの中で、あの時彼女から零れた言葉が再生された。霧緒もその事を思い出しているのだろうが、ひとりで飛び込んでいく事はしない。けれども表情の険しさから、それが本意でない事も分かる。
「どんな状況であれ、ここで桜花さんが死ぬということはあり得ないわ。――霧ちゃん」
「うん。先、行くね」
霧緒は声だけで応えてそのまま軽く地面を蹴った。
帽子から流れる白い髪が背中で跳ねる。その両手にはいつの間にか鞘から抜かれた刃と、それをそっくりに模した刀が握られていた。
彼女を見送り、みあも靴をとんとんと整える。
「ちょっと二人とも」
「うん?」
「何だ?」
警戒を解かないまま疑問を返してきた二人に、みあは口元を指で軽く押さえて告げた。
「ちょっとね。考えがあるから時間を稼いで欲しいの」
異形を切り裂きながら建物に飛び込んだ霧緒が見た物は、やはり室内を埋め尽くす異形だった。人が倒れているのが見える。息絶えているのか、ただ無力化されているのかは分からないが、自分達が最後に足を踏み入れた時に倒れていた人達が思い出された。
血に塗れたもう動かない人々。
あのような事態は避けなければならない。
霧緒は届く範囲に居る異形に刀を振り下ろす。重力を乗せた刃は見た目以上の範囲を一度に斬り裂き、圧し潰す。霧緒に気付いた者も、気付かない者も。攻撃の意志を持つ白い腕は彼女の操る重力で引き寄せられ、一刀の元に斬り伏せられる。
次々と蒸発するように消えていくが、それでも数は減った気がしない。早く、早く先へ進まないと行けないのに、と気が焦る。
「――ん、全部倒さなくても大丈夫かな」
自分の後ろにはあの三人が居る。多少残した所で彼らが不利になる事はない。
それなら少しだけ道を拓いて先に進もう。
霧緒はひとつ頷いて道順を確認する。
角にある階段。それを上って廊下を真直ぐ。突き当たりを左。その先が桜花さんの泊まっていた部屋だ。異形の数を減らしつつ、そこまで一気に駆け抜ける事ができれば良い。
先の廊下にも異形がひしめいているだろうが。
「大丈夫。問題、ありません」
両手の刀が小さく音を立てる。横に迫っていた異形を斜めに薙ぎ、先を見据えて霧緒は進む。
まずは大きく一歩。床を蹴り、刀を手放してくるりと手の甲へ回す。異形に片手をついて踏み台にし、手を離すと同時に柄を再度握る。触れた異形は数体を巻き込んで空気の抜けた風船のように圧し潰されて消えた。
壁で方向を定めて二歩、三歩。階段が見えたら壁を蹴る。異形達の頭上を飛び越えて刀を振り下ろし、階段の前へと着地する。蒸発する異形達の向こうに見える階段には思った程居ない。
これなら抜けられる。
まずは階段の前に居たものをを斥力で圧し潰し、階段の上まで数歩。鎌は勿論、刀を振り回すには狭い。一歩毎に斜めの刀と重力で異形を蒸発させながら駆け上る。最上段で一呼吸おいて振り返ると、異形は随分と減っていた。
あとは廊下。と、もう一歩踏み出した奥から、争う音が聞こえた。