SCENE3 - 3
そうして始めた移動だが、道に多くの選択肢がある訳ではなかった。
落ちてきた瓦礫の山が迷路のように道を塞いでいる。
猫一匹ならうまく通れるかもしれないが、人が通るには遠回りが必要だったりする事も多々あった。
「やはり俺一人で行った方が良くないか?」
幾度かリンドが心配そうにそう言い、その度に全員で大丈夫だと言いながら瓦礫を登る。
そうしてあれこれ道を探しながら歩き回って分かってきたのは構内の大まかな状況と、ワーディングの発生源がある方向。
「――上の方、だよね」
「そうですね」
上空に見える光を見上げてぽつりと呟く司に、隣で足を止めた霧緒が傘を抱きながら同意した。
目の前にある瓦礫は階段のようになっていて、上への道はそう難しくなさそう――と、司が足場を確認していると、「ね」という小さな声と共に服の裾が引かれた。
みあだ。後ろへ隠れようとするその動作で服が更に引っ張られる。
「……どうした?」
みあに視線を向けると、その視界の中で霧緒のブーツも小さく音を立てる。
二人は行く先に何かを見つけたらしい。
怯えながらも外せていない視線を辿ると、これまで見てきたコンクリートと死体。――とは少しだけ様相が異なったモノが見えた。
それは男女の二人組。
大きく切り裂かれて絶命したその顔には、苦悶の表情が残っている。
その顔を見た瞬間。リンドは頭が真っ白になるのを感じた。
一瞬目の前の光景を疑ったが、見間違い等ではない。彼ら二人は、よく知った顔。
それは飼い主たる少年の。両親だ。
「――チチ! ハハ!」
思わず叫んで、まっすぐに駆け寄る。
人間には小さなその手で身体を押すと、固くて冷たい感触だけが返ってきた。
死んでいる。
そんな馬鹿な。どうして彼らが此処に居る。どうして彼らは死んでいる?
冷たくなった身体はそんな疑問にも答えてくれない。
「さっきの陥没で落ちてきたのか」
いつの間にか隣に立った司が、彼らを見下ろしていた。
夫妻に視線を向けたまま膝を付き、「知り合いか?」と問いかける。
「――元同居人の、両親だ」
どうしてこんな事に、と思わず立てた爪が、少しだけ身体に沈み、覚えている以上にぎこちない柔らかさを返してきた。
「斬殺みたいだけど……何故だ?」
衝突の衝撃または瓦礫での圧死、怪我に因る失血死。それから、火に巻かれての焼死、窒息死。
どれも斬殺と判断できる死に方にはならないはずだ。と彼は冷静に状況を口にする。
「斬殺、という事は」
と、控えめに口を出したのは霧緒だ。
「誰かに殺された、という解釈でいいのですか?」
――そうだ。と背筋がひやりとする。
司が今挙げた、本来の死因に分類されないその言葉。「殺」というのは、誰かが刃を振るってこその結果。
この二人は、誰かに殺されたというのか。
そんな馬鹿な、と首を振ったリンドは、この場所に居るべき人物が居ない事に気づいた。
「ユウキ……」
この一家がどこかへ出かける時は、渋谷駅まで車で来て、そこから電車に乗るのが常だった。この駅構内に居るという事は、一家揃っての外出だ。
それならば。間違いなくあの少年も此処に。この駅に居たはずだ。
なのにどうして彼は此処に居ない。
チチも、ハハも。こうして此処に倒れているのに。
どうして、ユウキは此処に居ないのだ。
「ユウキ……。ユウキはどこだ!」
疑問に駆られるまま手近な死体に飛びつくが、どれもこれも見知らぬ顔。
飛びついて、顔を見て。瓦礫の下を覗いて。少年の姿を求める。
見つけたらそこから動けなくなるだろう、というのは感じている。しかし、ここに居ないという事実――どこか他の所で。たった一人で。同じ目に遭っているのかもしれないという可能性の方が、リンドには尚更恐ろしかった。
そうして何体の死体を覗き込んだだろう。もしかしたら人間の指で足りる程度なのかもしれないが。
「リンド。少し待て」
遠くからそんな声が聞こえた。
「そんな場合じゃない! ユウキが何処かに居るかもしれないんだぞ!」
そうだ。落ち着いている場合などではない。一刻も早く彼を見つけなければ。
募る苛立に声を上げるが、司は何処までも冷静だった。
「まぁ、気持ちは分かる。が、一つ聞きたい事がある」
「……何だ」
しぶしぶ止めた足に、彼は「協力感謝」と一言置き。
「何、簡単な質問だ。お前の飼い主。それからその家族はオーヴァードだったのか?」
不可解な事を言った。
「お前、それはどういう事だ……?」
意図を理解し難いその質問の意を訊ねても、司は「どうも何も」と肩をすくめる。
「言葉通りの意味だよ。で。リンド。どうなの?」
ユウキが。あの一家が。オーヴァードだったか?
確かにユウキには俺がこうして人語を解する事は教えた。
だが。それ以外に何もなかった。
「知らない」
リンドは首を振る。
一緒に過ごした期間はそう長い物ではなかったが。
「少なくとも俺は、彼らがオーヴァードだったとは気付かなかった」
その答えに司は満足したのか「そうか」とだけ頷いた。
「じゃぁ、次はそこの二人」
話を振られた二人は、揃って疑問そうな表情で彼の問いかけを待つ。
「見ての通りだけど、この夫妻は“斬殺”されている。さっき深堀も言ってたけど、何者かに殺された、と見ていいと思う。と、言う事は俺達の他に誰かが居るはずだ」
「誰か……ですか」
霧緒の呟きに司は「そう」と答える。
「鋭い刃物を持った、誰かだ」
僅かに強調されたキーワード。それに反応した霧緒の手に力が入るのを、リンドは見逃さなかった。
先の先頭で彼女が使ったのは、大きな鎌。
一振りで複数の首を落とす程のそれは、司の言う「鋭い刃物」に十分値するだろう。
そして、彼女はその事実に。自分が疑われる対象となり得る事に気付いたのだ。
そうだ。
「刃物を持った誰か」は今ここに、目の前にも居る。
無意識に力を込めたリンドの爪が、コンクリートに当たる。
――と、そこに小さく溜息を混ぜた声がかけられた。