CLIMAX - 12
――。
ころん、と、単音のオルゴールのような音がした。
それは次第に余韻を残し、重なり、形をなしていく。
「貴女……が、死ぬ筈はなかった」
「私と彼女の絆を奪ったのは、壊したのは! 間違いなくアンタよ!」
「生涯のテーマだよ。目的は解答に辿り着く事ではなく、対策を立てる事なんだが――」
声が、する。
霧緒はひとり頭を抱えて蹲り、その声を聞いていた。
辺りは真っ暗で、誰も居ない。ただ、声だけが耳に痛く響く。
どうしてここに居るんだっけ。ここはどこなんだっけ。
答えはない。ただ、足元が沼のような柔らかさでひたひたと揺れている。
「この試験を無かった事にすれば、あなたのお友達は今まで通りいられるわ……なんて。そう言って欲しかった?」
「あいつ、リンドと一緒になれる、って凄く喜んでたのに」
「貴女、私と同じ顔だからって、同じ顔だからって、やって良いことと悪いことがあるでしょ!?」
苦しい声。
哀しい想い。
それは音ではなく、何とも言いようのないわだかまりとなって彼女の身体の中に染み込んでくる。
身体が沼に沈む。
「ある日、本家に手紙が届きまして」
「この名を標として、誓おう――」
「私はイフって好きじゃないんだけど」
「僕は、そんなどこにも居ないリンドの話なんて、聞きたくない」
中には希望のように見える物もあった。
だが、それが打ち砕かれた時の叫びはやはり絶望で、霧緒の喉の奥を詰まらせる。
「オマエは一体、一体何処を見ていた! 誰を呼んでいた……!」
「私の“記録”ではそのはずなのに――貴方は不思議な方ね」
「いいえ。まったく。何も。腹立たしい程になぁんにも」
「もうすぐ一人のオーヴァードが暴走する。そいつを、斃して欲しい」
耳を塞いでも、頭を押さえても、その声はその手をすり抜けてくる。
頬が濡れている。
喉が何かを叫んでいる。
どんなに泣いても、叫んでも、絶え間なく込み上げてくるどうしようもない感情に、決意に。押しつぶされてしまいそうだった。
「あなたじゃないあなたが来たわ。……あの子が、“そう”なのね」
「此処は、そんなにも否定したい世界だったか……?」
「今から僕が帰ろうと言ったら……君は一緒に、帰ってくれるかな?」
古びた黒板に書き込まれた文字。
希望の見えないレポート用紙。
目を開けているのか、閉じているのかも判らない。
「せめて自分が希望だと思う方に進むのも、面白いかもね」
「い、や……いやああぁあぁあっ」
「最期に酷い賭けだと言うかもしれないが――」
「でも、僕らはこれ以上、世界に関わってはいけないと思うんだ」
「これ……霧ちゃんが、やったの?」
ああ。そうか。と、霧緒は気付いた。
これは“歌”だ。
紅月が紡ぐ、この世界の記憶と感情。
どう頑張っても、足掻いても。こだまするばかりで、決して届くことのない声。
夢と分かっても、霧緒にはどうすることもできなかった。
ただ、泣いて、声のない悲鳴を上げて、埋もれていくことしかできない。
世界を背負うというのがどれ程重い事か。
上手くいっても、失敗しても。未来のないこの世界に響く、彼らの想いを、絶望を。希望を。
どれだけの覚悟で受け止めようとしていたのか。
霧緒には、もう分からない。
重く冷たく響く声に、飲み込まれていく。
「――私は、この世界を否定するあなた達が存在する、って事が怖くてたまらないのかも」
「でも、いつかはこれも成功する日が来る」
研究所で下された、あんまりな選択。
握りつぶした、否定の言葉。重く重く、沈む悲鳴。
それが、染み込んでくる。
「どうしたって、僕は。……なのに。君まで、どうして僕から」
「最後の意地悪、よ」
「ああ。そうだね。決して赦してはいけない」
声は出ない。でも、涙も嗚咽も止まらない。
沼のような世界で一人、泣きながら沈んでいく。
「あなた達が現れたら、私は勿論、この世界で生きて、死んでいった何もかもが……全て、なかった事に、なる」
「これを、君に返すよ」
紅く煌めく何かが転がる。
その煌めきだけはやけにはっきりとしていて――霧緒は重い頭を上げた。
そこに聞こえてきたのは、幼い歌声。
覚悟はできてるか、と問いかけたあの声だ。
紅い煌めきに反射して、霧緒にまとわりつく重圧を消していく。
霧緒は濡れた頬を拭いもせず。沼に浸った左手を、そっと伸ばす。
指先が、届きそうになったその時。
「この歌が聴けて、本当に。――本当に良かったよ」
自分の記録を。世界を愛して止まなかった少年の。心からの声がした。
そして、手の甲に埋まった紅い結晶が、煌めく紅と呼応し――。
「――お。起きた」
霧緒が目を覚ますと、そこは薄暗い地下室だった。
覗き込んでいるのは司、だろう。薄暗さと霞んだ視界では輪郭しか判らないが、声だけでなんとか判断する。
部屋に響いているのは、幼い歌声。
他の声も。音も。しない。
「……あ」
声が掠れている。頭が酷く痛む。霞んだ視界は瞬きを何度か繰り返す内にクリアになった。
覗き込んでいるのはやはり司だった。
立てる? という言葉にこくりと頷いて重たい身体を起こすと、司が肩を貸してくれた。
立ち上がってもう大丈夫だと礼を言うと、彼は何も言わずにヘッドホンを手渡してくれた。
それをそっと耳にかけ、コードを内ポケットへとしまいながら、さっきの声達を思い出す。
この世界に生きて、知らず知らずのうちに翻弄されて、運命を狂わされた人達の声。
思い出すだけで苦しくて、今にも泣き崩れたかった。
でも、そうあってはいけない。
自分はこれらを背負って、歩かなくてはいけないのだ。
それだけの覚悟をしたからこそ、今ここに立っていると言う事を、忘れてはいけない。
霧緒は漏れそうになる声を堪え、零れていた涙をそっと拭った。