CLIMAX - 8
「全 て の 楽 は 飽 き も せ ず 、 案 ず る 暇 無 き 福 が――」
「時よ止まれ 眠れぬ夜を迎える為に――」
紅月とみあの歌声が混ざり合い、空間の空気を変容させる。
二人とも、お互いの感情を音に変え、ウイルスの活性化が伝播していく。
互いの歌声は、互いを打ち消すように、取り込むように混ざり合って音と空気を作り上げていく。
銃声も、空気中を斬り裂き奔る水の音も、響く重力と、鎌の音も。全てを織り込み、紡ぎ上げていく。
そこに。
みあの歌詞が途切れた一瞬、リンドは“リンド”の目が光ったのを見た。
それは誰よりも強く獲物を狙い、射貫く色。
「――!」
危ない、伏せろ。と叫ぼうとした声を、“リンド”の視線が封じる。
その瞳が作り出すのは、歌声も、銃声も。全ての音が消えたような、静寂の世界。
断続的に生み出し、放たれる刃が“リンド”の作り出した世界を埋め尽くす――が、その中でふわりと動いたのは、白く長い髪だった。
がり、と、鎌が地面を削る音が静寂の世界に響く。
“リンド”の世界が崩れるのは、それだけで十分だった。
腹部を押さえたままの霧緒が、片手で鎌を振りかざすと、空間を飛び交う水の刃が全て彼女へと軌道を変える。
「キリ!」
叫ぶ声に、彼女の視線が髪から垣間見えた。
穏やかに見えたそれに言葉はなく、すぐに迫る水の刃を鎌で切り裂き、重力で弾き、水滴へと変えていく。それでも対処しきれない刃は彼女の身体を容赦なく抉る。
彼女を濡らす水滴に、血液が混じる。頬を切った水は白い髪を赤く濡らす。
水なのか、血液なのか分からなくなりそうな液体をぽたぽたと垂らしても。彼女はその場に崩れる事はしない。
足下に広がる血の量は、水で薄められてるとは言え、少なくはない。それなのに彼女はふらつく足で立ち続けていた。
守る、という彼女の言葉がその背中に見えた。
出血が酷いと訴えるように、霧緒の身体が頭を眩ませる。
暗転しかけたその意識を、痛みを思い出す事で取り戻すと、その目の前には水の刃と共に懐へ飛び込んできた白い髪があった。
髪から覗くその目は、身体を斬り裂く水のように冷たく、何の言葉も持ちはしなかった。
視線が絡む。
同時に感じる風圧と、視界のに迫る刃。
「――っ!」
咄嗟に柄の強度を高めてその鎌を受け止める。が、鎌の勢いは殺せても乗せられた斥力までは受け止められない。
あっけなく吹っ飛ばされた霧緒は、咄嗟にその勢いを重力操作で相殺し、壁間際になんとか着地をする。
「……随分と、離れてしまいましたが」
ぐい、と汚れた口元を袖で拭い、両手で鎌の柄を握る。
「黙って飛ばされたりなど――いたしません!」
着地したその勢いを利用して、力を反対側へ作用させ。さっきまで自分が居た場所に立つ“霧緒”の元へ数歩で迫る。
あと一歩。
鎌を振り抜いた“霧緒”の目が、霧緒を捉える。
鎌を振り上げた霧緒を見ても、その瞳に焦りはない。
そこに違和感を覚えた瞬間。
銃声と同時にきぃん! と刃を銃弾が弾く音がした。
思わぬ方向からの力に、手元が僅かに揺らぐ。
「!?」
焦ったその隙に、白い髪の少女二人の間へと割り込んで来る背中。
ぶつかりそうになったその足を慌ててて止めると、肩越しに目が合った。
その瞳は――違う!
そう認識するも、もう遅い。
“司”の口が残念でした、と吊り上がる。
「――さて。こっから先は、遠慮してもらおう」
そう言いながらくるりと振り返った“司”の銃口は、霧緒とは大きく外れた方向へと向けられる。
その動きに、思わず視線をとられる。
引かれた引き金の先に居たのは、歌い続けるみあ。
「針よ動け 落ちる砂が生み出す刹那を記す為に――」
フレーズが途切れたその隙間を狙うように、みあの身体に銃弾が撃ち込まれる。
「みあちゃ――」
霧緒の声より早く。銃弾を撃ち込まれた小さく軽いその身体は、受け身をとることすらできずにあっけなく転がされる。
みあに視線すら投げることなく、的確に打ち込まれる銃弾。
霧緒から目を離さないのは、警戒の現れか。
ぐっと口を結び、“司”の目をもう一度だけ見て、霧緒は口を開いた。
「――貴方、お兄さんを放っておいて良いんですか?」
“司”が答えようとしたのか、引き金を引いて止まった一瞬、リンドの放った水の刃が“司”の腕を掠めた。
傷は浅い。だが、隙を作るには十分。
霧緒はそのまま獲物を横に薙ぐ。
刃は“司”の脇腹に軽々と埋まり、そこから斜め上へと斬り上げられる。だが、その刃は傷を付けるのが目的ではない。
彼の視線が、腹部に迫る刃を向く。そして瞬時に、直後に自分の身体がどうなるかを知る。その一瞬を見逃す事なく、斥力で思いっきり殴りつける。
「――な……っ」
殴り飛ばされる彼の背中が刃にある返しで斬り裂かれ、地面を滑るように転がされる――が、彼はそのまま受け身をとり、膝をつくにとどまった。
「私は貴方のお兄さんではありませんが。――相手、間違ってますよ?」
「いいや」
僅かなふらつきを見せながらも立ち上がる。傷口は見えないが、その出血量から見るに、思った以上に浅いようだった。
「今は……あんたの足を止めるのが最良手……だったんだけどねえ」
「そうですか。それは残念でしたね。ではお兄さん、相手をお願いします」
「おーけい」
その背にマガジンリロードの音を聞き、霧緒は改めて獲物を構えた。
「あのツカサは……」
今の霧緒の攻撃は、確かに彼の胴体を切り離したかに見えた。
だが、前に立つ彼の傷は浅い。
それは避けたからに他ならないのだが――問題はその避けた手段だ。
リンドの目には、鎌が当たる瞬間、“司”の姿がぶれたように見えた。それは気のせいなどではない。彼は咄嗟の判断で、残像だけを残して致命傷を避けたのだろう。
先程の“霧緒”もそうだった。
自分の力に制限などかけず、使える限りの能力を使っている。
それがどれだけの消耗をきたし、己にとって危険な事なのかを知ってか知らずか。
もしくは――それだけの覚悟を持った上での事か。
だが、とリンドは身体を取り巻く冷気を強める。
「その覚悟以上のものが、こちらにもある」
言い聞かせるように爪で床を軽く引っ掻くと、次々と水の刃が生み出される。
それはこれまでにない数と鋭利さをもって、仲間達の隙間を縫い、敵と見なした“自分達”へと襲いかかる。
「――これに、耐えられるか?」
それをいち早く察知した紅月の歌声が、一際力強く響く。
「移 り 変 わ る 姿 を 記 し 、 刻 み 歩 ん だ こ の 内 に――」
その一声に込められた力を示すように。リンドの放った刃は紅月へと届く前に、次々にただの水飛沫へと変わる。
だが、それは全てではない。
次々に落とされ、作られる水溜まりの中で、ずしゃり、と崩れ落ちる音がした。