CLIMAX - 6
“霧緒”の鎌で吹き飛ばされた司をくぐるようにして、間合いに飛び込んだ霧緒は、響く歌と飛び交う冷気の中で、冷えた手に力を込める。
司を斥力で弾き飛ばした“霧緒”と、その後ろに居る“司”。それから――と、周囲を確認し、彼らが全て間合いに入っている事を確認すると同時に鎌を振り上げる。
傷は全て塞がっている。大丈夫。と言い聞かせるように柄に指を沿わせると、その柄がぴたりと手に馴染むような感覚がした。
すい、と滑らせるように空気に乗ったその刃は、霧緒の力で硬度を増し、形を変える。
彼ら全てを切り裂く程に巨大な鎌となったそれは、“霧緒”の冷たい瞳が逃がさなかった。
同じように振り上げられた黒い鎌に、霧緒の鎌が受け止められる。
金属の甲高い音を立ててお互いの鎌ががっちりと噛み合い、重力を打ち消し合う。
白い髪を散らせて首に触れそうな刃に怯む事なく、白い髪の隙間から覗く目が、霧緒を真直ぐに射抜く。
「――させは、しません」
「そうですか」
では、と霧緒もその手に力を込める。
「貴女も、守る事ができると証明してくれますか?」
その言葉に、彼女の力が緩んだ。
霧緒の刃が、彼女の首へ音も無く埋まる。“霧緒”は反射的に致命傷を避けるように距離をとるが、間合いの大きなその刃と刃先の返しは彼女の首元から胸までをざっくりと切り裂いた。
だが、鎌を片手に持ち替えた“霧緒”は、空いた手でその首筋を、崩れ落ちそうだった上半身と共に押さえる――と、その傷はみるみるうちに塞がっていく。致命傷だったその傷を修復する程の能力。己の命を錬成するに等しい程の力を使い、彼女は大きく肩で息をする。
瞳に灯る色は変わらない。彼女は荒い息と共に、なんとか元の形を取り戻した身体から手を離し、獲物を構えた。
「貴女に。そのような事、言われる……までもないっ!」
「そ れ は 想 像 し う る 至 上 の 幸 福 今 、 己 は 最 高 の 刹 那 を こ の 身 に 記 す の だ ――」
紅月の声が、一際大きく響く。
この部屋の空気を全て飲み込むように。
優しく、冷たく。包み込むように。
すう、と紅月が軽く息を吸った瞬間。静寂が部屋を支配した。
ピンと張った空気の異変に、真っ先に気付いたのは司だった。
この後の音を。最も力を持つであろうその詩を。
聞いてはいけない。
だが、彼の詩を止める事は出来ない。
司は咄嗟に銃を構える。
記憶していた限りの、跳弾、銃声、声の反射。そこから空気の流れを。波を算出する。
発せられる言葉は。それが持つ力は。広がる時間は。その影響は。
それを最小限に抑えるに必要な。音は。波は。崩すに最適な、方向は。歪ませ、粉々に打ち砕くタイミングは。
――。
全てを瞬時に計算し終えた司は銃口を向けて、引き金に指をかける。
「――時 よ 止 ま れ、 お 前 は 美 し い」
どこまでも通るその声が発せられる。
予想通りの詩とフレーズ。そしてコンマ数秒。間を空けて引き金を引く。
ピンと張りつめた空気に伝わる声は、紅月の持つ“記録[おもい]”を乗せて広がる。
まずは発砲音。
それで、リンドの刃を水飛沫と変え、波を乱す。
それから、跳弾音。
反射的に音を阻もうと発せられた霧緒の重力波と共鳴して空気を歪ませ、声を歪ませる。
最後に、着弾音と空のマガジンが落ちる音。
かしゃん、と響いたそれで、紅月の声はノイズを混ぜ込まれ、粉砕された。
リンドも、霧緒も。勿論自分も。
その音を正しく受け取る事はなく、声は空気の中に溶け去った。
マガジンリロードを終えた司は、どこか退屈そうな仕草で小さなあくびをしてみせた。
「なあ、もっと面白い詩を聞かせてくれよ」
司は紅月に向け、諳んじる。
「お 前 の 実 感 、 魂 の 底 か ら 生 ま れ た 物 で 無 け れ ば、聞 く 者 を 心 か ら 動 か す 事 な ど 決 し て 出 来 な い――違うか?」
司の言葉に、紅月は何も言わない。
ただ、一心に歌い続ける。
ひとり、歌いながらも彼の声を受け止める者へ。
その声はみあの歌声を蝕み、彼女の身体の中まで染み込む。
身体の中のウイルスが沸き立ち、衝動が喉から零れそうになる。
それも、彼の“記録”。想い。絶望であり、怨嗟であり。どうしようもない悲しみ。等価である怒り。
だが。みあはそれを受け止めはするが、認める事はしない。
記されなかった“記録”は空白なのだ。道も無しに結果だけを手に入れても、それは“記録”を埋める事になりはしない。
赦さないという約束を込めて、みあは歌う。
「記されざるその傷痕は唯の空白 まやかしにすら成りはしない――」