CLIMAX - 3
「己 が 記 し た 世 界 の 傷 痕 は 滅 ぶ 事 無 く 、 永 劫 に 刻 ま れ る だ ろ う」
紅月の歌が響く中、リンドは後ろへと距離をとった。
足音なく着地する足元はひやりと冷たい。
――リンドに成り代わる。
その言葉に、リンドは首を振る。
「もう……ユウキは。博士は居ないんだぞ」
「ああそうさ。そんな事は分かっている。アサジマは居ない――この世界にはな」
「この世界……」
リンドが繰り返すその声は、響く金属音と銃声に埋もれた。
「そうか。オマエはそんなにも」
アサジマに見てもらいたかったのか、と言うより先に、“リンド”が声を上げた。
「知ったような口を利くな!」
“リンド”の声で生まれた刃がリンドめがけて飛んでくる。
だが、リンドは動かない。ただ空気の流れを操作して、傷を最小限に抑える。身体に小さな傷を付けて滴る水に、ただ小さく首を振った。
「いいや。言わせてもらう。これだけは、言わなくてはならない」
リンドも身に纏った冷気から水分を生み出し、刃と為す。
みあの声に耳を集中させて冷気を乗せる。自分の刃を届かせるに有利な空間を作り出すと、刃は滑るように次々に“リンド達”へと襲いかかる。
だが、その刃は紅月の歌声で水飛沫となり。“霧緒”の斥力で、“司”の銃弾で打ち砕かれ、数を減らす。それでも、刃の数をゼロにする事は出来ず、残った刃は彼らの身体を切り刻む。
そして――リンドはそれに紛れるように、“リンド”へと飛びかかる。
常に有利な領域内から戦う自分が相手の領域へ自ら飛び込むという、決して取らない攻撃手段に、“リンド”が怯んだのが見えた。
その身体を押さえ付け。爪を立てて、リンドは叫ぶ。
「オマエはどうして、ユウキを東京に置いてきた! ユウキはずっとオマエを見ていた。俺ではない。オマエをだ! オマエは同じ過ちを繰り返していると、何故気付かない!」
「五月蝿い! オマエに……オマエなどに、何が解る!」
“リンド”が声を荒らげ、リンドを水の刃で弾き飛ばす。
横から殴りつけるようなそれは、猫の身体を軽々と吹き飛ばすが、リンドは受け身をとって衝撃を最小限に抑える。
滴る水を払う事もせず、リンドは刃を繰り出す。
届くかと思ったその刃は、床を抉って水溜まりを作っただけだった。
「――ち」
思わず舌打ちをする。
リンドの目は、刃が当たる直前に“リンド”の姿がぶれるように掻き消えたのを捉えていた。
「――それでこの空間を手に入れた心算か?」
“リンド”の影が離れた所に着地する姿を形作った時、リンドが生み出した数を上回る冷気の刃が襲いかかる。
それらがリンドの身体を切り裂き、地面を抉る音の中、声が響く。
「アサジマはこの世界すら見ていなかった! 研究は全て、この世界を否定する為の物だった!」
水の刃が途切れ、白いもやの中には荒く肩で息をする猫が居た。
“リンド”は叫ぶ。
「嗚呼、解られて堪るものか! 俺が、俺が一人残されたアサジマの隣に居れば――オマエではなく、今度こそは俺を――!」
リンドは視線を外し、ただ悲しげに首を振る。
「ああ、そうか……オマエはどうしようもなく気付かないのだな」
アサジマも。ユウキも。両方が手に入るなど、あり得ないという事に。
やはり俺は負けられないな、とリンドは赤い目とは違った意志をその瞳に宿らせた。
「照準を定めるのは上司、だと?」
司の言葉に返されたのは、憤りの声だった。
その声を示すように飛んできた水の刃を撃ち抜いて彼は言う。
「“砲撃手”とは、常に忠実で正確な武器であるべきだ。標的は上司が決める? そんな上の言う事を聞いていれば良いだけの存在がお前か?」
「……はあ。そうだけど?」
司が溜息のような返事をすると、彼の表情が更に不快そうな物になる。
その頬を水の刃が掠め、小さな傷を作る。
「――傀儡が」
掃き捨てるようなその言葉に、司の口の端が思わず吊り上がった。
「……傀儡ねえ。面白いけどイラつくな。それ」
そうして、先程以上の精度で急所を狙って引き金を引く。
引き金を引いて、引いて。引いて。リロードして。更に引く。
最早、弾幕とも呼べそうなそれを“司”は全て見切り、相殺し、躱す。
「俺は上司が持つ最上の武器だ。100%の性能を誇り、一度の失敗もあり得ない。そう、例えば――」
と、向かい合う霧緒を視線で示して。
「標的のUGNエージェントを逃がすなんて失態、許される訳ねえんだよ!」
お前の方こそ気楽じゃないか。と、距離を詰めた司の銃口が“司”の心臓に押し当てられる。
「いいか? それが解んないならお前は――まだまだ大丈夫だ。もっと素直に東京でプランナーの言う事きいてれば良かったんじゃないの? “弟”クン」
「……何?」
「うん?」
きょとん、と言葉を零した“司”に、引き金を引く指が止まった。
その隙に”司”に距離を取られる。が、彼も攻撃をしてはこない。
怪訝そうな顔で、問いかける。
「“プランナー”、だと……? 何を言っている?」
「あん? まさかこの世界に俺の上司は居ないのか」
「上司はあの悪魔の事だろう? 奴以上に悪辣な男が居て堪るか」
「……はあ? 男って、何」
何、とは言ったものの、心当たりなど一人しか居なかった。
「えっと……まさか。“ディアボロス”?」
“司”はその答えを頷き肯定する。
「え。じゃあ“プランナー”は?」
確かにこの世界で、彼女には一度も出会っていない。が、彼女の事だからどこかに居ると思っていた。
“司”の答えは「知るか」の一言だった。
きっと彼は、彼女の事すら知らないのだろう。
「そっかー……春日恭二は正真正銘“俺”の上司だったのか……」
思わず天井を仰ぐ。
確かに彼は支部長室に居た。思い返せば末利ともそんな話をした気がする。
あれはてっきり、一時的に任されているだけだと思っていたが。まさかの事実だ。
そして彼に向き直る。
「えーと。ごめん。俺は全力でお前に同情せざるを得ない」
と妙に沈痛な面持ちで告げた。
少しの沈黙。
「――は」
今度は“司”が吐き捨てるように笑った。
「は、ははは、はははははははは!」
そしてそれは哄笑へと変わる。
「あ。壊れた」
「はは――興味が出た。“兄貴”。是非ともあんたの世界が欲しくなった」
「嫌だね。譲らん」
「いーや、奪ってやるよ」
「知ってるか? “兄より優秀な弟”ってのは居ないんだぜ?」
「知ってるか? 弟ってのは兄を超えようとするものだぜ? それを――」
と、“司”の銃口が持ち上がる。
引き金に指をかけ、彼は笑った。
「試そうじゃないか」
「いいぜ。乗ってやろう」
司も同じように引き金に指をかける。
「でも俺が勝つよ」
我らが上司の命令は成功率100%。それを遂行するお人形さんは、達成出来ないと命が無いからね、と司はにやりと笑う。
誰にも見えないその背中に走るのは、いつも通り――任務時に感じる、至っていつも通りのスリルだった。