CLIMAX - 2
歌声と同時にヒゲに触れた冷気に、リンドは反射的に自分が有利な領域を作り出した。
冷気を纏う赤い目の“リンド”は、自身を見つめるその目に何かを感じたらしい。がり、と爪が床を削る音がした。
「そう言う眼を……アサジマと同じ眼をするな!」
激昂する“リンド”に対して、リンドは冷静だった。
「……そうか。オマエには同じ眼に見えるんだな」
ふ、と視線を少しだけずらし、すぐに戻す。
「俺にはユウキがお前と同じ眼をしてたように見えたよ」
隣に在りたいと、居場所を望むその目。
ユウキもまた、“リンド”の隣に在りたくてオーヴァードになる事を望んでいた。
なんと言うすれ違いだろう。
「――片をつけなくてはいけないのだな」
「ああそうだ。その通りだ。貴様が此処に来てしまったのなら仕方ない」
“リンド”の刃が音も無く滑り、リンドの耳を掠めた。急所を狙う刃は、リンドの発する冷気で凍り付き、砕け散る。
きらきらと光り地面に転がる氷と、それが蒸発して生み出される白いもやの中。“リンド”の冷気が強くなった。
そうして“リンド”は確固たる意志を赤い目に灯らせる。
「自らの手で貴様を排し――俺がオマエになる」
歌声が始まるのを見計らうように、司は紅月達の間合いへと飛び込んだ。
着地すると同時に相手の配置を把握し、銃口を定めようとする――が、その銃口がぶれた。
最も銃口に近いのは“司”。だが、彼らが自分達と同程度の戦力を持っているとしたならば、最も早く倒すべきは“霧緒”だった。
あの力、鋭利な刃。放っておく訳にはいかないと、ある意味身を持って知っている。
その迷いは一瞬。
されど、一瞬。
“司”がその隙を見逃すはずなど無い。司が隙を突かれるには、十分な時間。
向けられた銃口に気付いたのと、その引き金が引かれたのはほぼ同時。
「っ!? 危な……っ」
ギリギリの所で避けたが、硝煙の匂いと共に前髪が数本散ったのが見えた。
「ったく。兄弟喧嘩で先に手を出していいのは兄だろう――が!」
舌打ちをして、銃口を“司”に定める。
相殺される
相殺する。
避けて。
避けられて。
マガジンリロードの音が重なる。
避ける。
避けられる。
お互いの銃弾を弾き合い。
相殺する。
お互いがお互いの手を読み尽くしている。
嫌な事に、タイミングまでばっちりだ。
このままじゃあ弾が尽きて殴り合いになるのも時間の問題……と言う所でふと思い出した。
「――あ。ところでさ、そこの“弟”」
引き金を引いて問う。
突然の問いに一瞬の動揺が見えた。が、“司”は反射的に銃弾を当てて弾道を逸らす。
「なんで俺を殺そうとしたの?」
不意打ちはやっぱり無理か、と再度引き金を引くが、それもあっさりと相殺される。
「ん? そりゃあ、あんたの立ち位置が欲しかったからさ」
そこの不貞腐れた猫と大して変わんない。と、今度は“司”が続けて銃弾を放つ。
司はその銃弾を避ける。銃口を向けると“司”は射線からずれるように身体を捻る。が、敢えて引き金を引く事はしない。相殺するつもりで放たれた“司”の銃弾をあっさりと避けて「ふーん」と相槌を打った。
「あの時はたまたま銃口の先に無防備そうな頭があったから、これはいいチャンスだと思ったんだけどさ」
肝心な時にちゃっかり起きるんだもんな、と“司”は溜息をつく。
「なるほどなあ。で。俺の立ち位置手に入れたいのは解ったけどその後は? やる事変わんなくね?」
その問いに彼は「いいや、違うさ」と距離を詰めて銃口を司の額に押し当てる。
「そうなのか?」
しゃがみ込んで銃口を避けると「ああ」と彼は頷く。
この世界でしばらく任務にあたっていたが、正直何が違うのか解らなかった。
そのまま“司”の脇腹に銃口を押し当てて引き金を引く。
脇腹を貫通した銃弾にくぐもった声が上がるが、その傷口はすぐに塞がっていく。
「あんたに、解るか。ああ、解んないだろうな。世界を牛耳ったFHの陰険さ、陰湿さ、その恐ろしさ……!」
“司”は忌々しげに吐き捨てて距離をとる。
リロードされるマガジンの音が、響く。
「オーヴァードの存在が世界に知られてから好転した事なんてひとつもない。力で捩じ伏せ、服従させ、邪魔者は消す。そんな事に駆けずり回る毎日だ」
言葉と同じ位降り注ぐ銃弾を、司は躱し続ける。
司は銃口を定めたまま、“司”が吐き出す言葉を聞く。
「ああ、はっきりと言ってやるよ。あんたの世界の方がずっと余裕だ。これならUGNと戦っていた方が万倍マシだったね!」
「――は」
司はそんな彼を、鼻で笑った。
“司”はその反応に鼻白む。
引き金を引くその指も、止まった。
表情が不快そうに歪むが、司はそんなの構わずに言葉を続ける。
「まったく、“砲撃手”が聞いて呆れる。お前は自分のコードネームの意味も忘れたか? そんなもの俺はとっくの昔に理解していたはずだ。UGNが勝利した未来、FHが勝利した未来。そんなの俺にとって等価だったはずだろうが」
「な」
「やっぱりお前は“弟”だよ。“俺”ではない。“砲撃手”は照準を定め、安全装置を外し、引き金を引く。だけどな、その標的を命ずるのは司令だ。上司だ。決めるのは俺じゃない」
わかるか? と首を傾げて笑う。
「……何を、言っている?」
「うん? 何って」
敵意に満ちた目で問いかけられたその言葉に、司は引き金を引いて笑った。
「そのまんまの意味だけど?」
歌声、冷気。それから銃声。そんな中で白髪の少女は二人、鎌を手にして静かに向かい合っていた。
跳弾も、水の刃も。重力の壁に阻まれて二人には届かない。
彼女がどのように出るか。霧緒がそれを測っていると、「それで」と彼女は冷たい声で問いかけてきた。
「何故来たのです? 得るものは無いと言ったじゃないですか」
声だけではない。視線も冷えきっている彼女に、霧緒は首を横に振った。
「確かにそう言われたけど。それでも……霧緒には、ここに来るだけの理由があったから」
射抜かれそうな視線を受け止めて負けじと視線を返すと、彼女は小さく溜息をついた。
「……聞きましょう。その理由とは?」
答え次第では容赦しない。黒い鎌を手にした手の僅かな動きが、そう言っている。
理由。
ここに来て自分が得られるもの。手にする事が出来るもの。
それは、元居た世界への道標。そこに残してきたもの。
「元の場所に帰って、任務を終える。その為に」
「任務、ですって?」
“霧緒”はその言葉を呆れたように笑い捨てた。
「任務ならここにもあります。好きなだけ働いて、UGNを盛り立てればいいでしょう?」
「――それはちょっと乗れないお話だね。そもそも私の任務はUGNをどうにかするとか、そんな話じゃないの」
「……では。どういう話だというのです?」
真直ぐに彼女の目を見る。
今なら、胸を張って言える気がした。
「深堀霧緒の任務は、『守る事』だから」
ぎり、と音がした。
同時に、“霧緒”の姿が見えなくなり――次の瞬間、脳を灼くような殺気が迫る。
直感に任せて鎌を斜めに持ち直すと同時に、がきん! という音と、柄を支えるその両手に痺れが走る。
お互いの手元に意識が集中したからか、銃弾と水の刃が二人にも飛んでくる。
身体に傷を受けながらも力任せに振り下ろされた黒い鎌。それを受け止めた霧緒に、彼女の視線が刺さる。
「全て、私が守って差し上げます! 私が……UGNも、水原さんも、姉さんも! この手で!」
その意志を示すように、獲物の大きさからは想像付かない程の勢いで断続的に鎌を奮い、打ち付けてくる。
違えた時間はたったの一年。それならば――この攻撃は、読めるはず。
そう感じた霧緒は、攻撃を鏡のような動きで受け止め、流し、弾く。
だから! と“霧緒”が声を上げて大きく振りかぶった隙に、重力を乗せて鎌を大きく弾く。その弾みで、“霧緒”との距離が開く。
はあ、と“霧緒”が息をつきながら、霧緒を睨みつける。
「私に、その場所を替わりなさい!」
「――お断りします」
彼女の声を跳ね退けた自分の声も、とても冷たかったのが解った。