CLIMAX - 1
奥に居た四つの影は、開いたエレベーターの音でこちらに振り向いたようだった。
「こんにちは。時間には間に合ったのかしら?」
みあの声に答えたのは、白髪の少年だった。
「うん。色々と片付いた所だったし、ちょうどいい時間じゃないかな」
彼の答えに合わせるように、残り三人がいつでも攻撃できる体勢をとる。
彼らの周囲には死体と鉄くずが散らばっている。
紅月の言う通り、一戦交えて彼ら四人だけが生き残ったのだろう。
「そう、それは何よりね」
と、みあは頷く。
「よう弟。お疲れさん」
「お疲れさん。無事で何より残念だ」
次いで司が片手を上げてひらひらと振ってみると、相手も同じように軽い調子で答える。
その隣で、赤い目の猫がふん、と鼻を鳴らす。
「来たか。大人しく東京にでも引っ込んでいれば良いものを」
その言葉に同意するように、白髪の少女が小さく息をつく。
「全くです――本当に、貴方達がここへ来ても得る物など何もありませんよ」
「だ、そうだよお二人さん」
司の声に、リンドも霧緒も答える事なくもう一人の“自分”へと視線を向けた。
赤髪の少女と白髪の少年は、静かに向かい合う。
「……色々と言いたい事はあったんだが……いざとなるとなかなか出てこないな」
困った、と頬を掻く紅月。考えるように斜めを見上げるその目の結晶は、島に到着した時よりも輝きを増していた。
「まあ、実際そんなものよ」
ところで、とみあは彼に問う。
「この研究所で情報を集めながら思ったのだけれど。分岐点の記憶を持たない貴方達は、あたし達に成り代わってどうするつもりなのかしら?」
たとえ彼らが分岐点に行く事が出来たとしても、彼らは自分達が居た世界へ繋がる条件を知らない。それをどうやって知ろうというのか?
「そんなの知れている。分岐する瞬間をこの目で見て探すのさ」
その為に、と彼はみあに視線を戻す。
「時間渡航ができるレベルまで育った結晶が必要だった。――オリジナルを持っている君達が現れたら覚醒し出すって事は予想できたからね」
それから、と少しだけ後ろを視線で示す。
「石の持つ位置情報をリセットする結晶もね」
うん、間に合って良かったよ。と彼は自分の右目を示して笑った。
彼の後ろにあるのは、所々が結晶化したドラゴン。そこにはもう紅い輝きはなく、動く事もない。
紅月の目の輝きは、海岸で出会った時よりも深みを増している。位置情報をリセットする為の力もその身に取り込んでいる事は、明らかだった。
なるほど、彼はどれだけの数になるか知れない世界と引き換えに自分達の居た世界を手に入れようとしているのだ。
「釣り合わないわね」
一言で片付けると紅月は「そうでもないよ」と言葉を返した。
「そもそも、こことそっちだと天秤の皿の重さに違いが出ているのさ。未来の有無、というね」
紅月は、この世界に未来が無いと知っている。
みあは、あの世界の未来が無いと知っている。
だが、未来のある世界を手に入れる事は可能だ。
分岐を正す。それだけで、道は開ける。
みあに答えられるのは「そう」という一言だった。
「でも、あたしは貴方じゃないし、貴方はあたしじゃないわ」
「そうだね。俺は君じゃないし、君は俺じゃない」
「あたしはあたし自身の記録の為に、自分の意志で貴方への引き金を引く、未来へと進む。――貴方に譲ってあげる訳にはいかないわ」
「そうだな。俺には俺の記録がある。いかに間違った世界であれ、そこで生きた者達の生は本物さ」
だからこそ思うのさ、と紅月は言う。
「俺が記録してきたこの記録も、誰かが肯定してやらなきゃいけない。それはきっと、俺にしか出来ない。せめて、ここで生きた俺くらいは記録しておかないとあまりに無意味すぎる」
「それじゃあ貴方はこの世界と心中したって良い理屈にならない?」
そんなみあの言葉に、彼は「そうでもないさ」と返した。
「俺は君の歌を聴いて、君の知る百年を識った。だからこそ、俺がこの世界と心中する訳にはいかない理由にもなった。それに、俺はあの日誓ったんだ」
そっと、拳を胸元にあてる。
あの日。紅月が覚醒した時と同じ仕草で。
「“記録”を侵す者は何人たりとも赦さない。俺も、みあも。感じている怒りは等価なのさ」
「――そうね」
みあは一言だけ頷いた。
同じ怒りを糧に、お互いの“記録”を賭ける。
それだけの話。
これ以上、交わす言葉も必要なかった。
「さあ、話はこれくらいにして――はじめましょうか」
「そうだな。この間は聞かせられなかったから――今度は俺の歌を聴いてもらおう」
紅月の拳が解かれ、呼吸を整えるように添えられる。
「俺が見てきた、この世界の歌だ」
みあはそれに答えず、胸元にそっと指を添えて息を吸い込んだ。
薄暗い部屋で、紅月の瞳が更に紅く輝いた。
同時に、室内を満たす空気の変貌。
それは超高音の金属にも似た音を以て四人の身体を蝕む。
身体に響くその空気が、音が、体内のウイルスを沸き立たせ、衝動を突き動かそうとする。
通常のワーディングとは異なるこの気配は、渋谷駅で感じたものを想起させた。
身体を蝕む衝動を振り切った四人は、それぞれの武器を確かめるように“自分達”へと向かい合う。
彼らも紅月の発したワーディングをその身に受け止め、同じように向かい合う。
「――♪」
その音を掻き消すように響いたのは、みあの歌声。
自分の音を確かめるように発せられたひとつの音は、波紋のように空気を伝い、周囲のレネゲイドウイルスをみあの支配下へと置く。
「――空気としては、まあまあかしら」
紅月の目を真直ぐに見上げて、みあの唇が笑みを形作る。
「はは……なにせこの島最高の空間だからね」
気に入ってもらえたなら何よりだ、と紅月も口元だけで笑い返すが、その目に灯る感情は異なっていた。
「時 よ 止 ま れ、 お 前 は 美 し い」
「時よ止まれ 眠れぬ夜を迎える為に――」
そうして二人が同時に息を吸い、歌いだす。