SCENE4 - 2
紅月家の長男である彰彦は、実直で温厚そうな印象を持つ青年だった。
みあには京都で出会った少年、紅月の面影があるように見えたが、彰彦は髪も眼も黒く、彼よりもいくつか年上に見えた。
突然の訪問者である八重子も彼は穏やかに迎え入れ、客間で話を、と部屋へ通してくれた。
洋風の客間で、通されたソファに腰掛けた八重子に続いて彰彦も対面へと腰掛ける。
「それで、用件というのは――」
客間で問う彰彦に、八重子ははい、とひとつ頷く。
「葛城桜花、という女性をご存知でしょうか」
「あ、ああ……勿論。今は、旅行中で」
「彼女は。……亡くなりました」
彼の言葉を遮るように、一言、告げる。
「――!」
青年は取り乱すような事はしなかった。嘘だと、失礼な事をと激昂し、今すぐ彼女を追い出してもおかしくないのに、彼は否定の言葉すら口にしなかった。
だが、彼の顔色は明らかに変わった。
それを悟られまいとしているのか、ショックを受け止めようとしているのかは分からないが、考え込むように視線を落とし、手で口を押さえて黙り込んだ。
そして彼女も、自分の言葉に疑問を抱いていた。
観察対象となるべき相手は、ここには居ない。目の前の青年には力の片鱗を感じるが、それ以上の物はない。
少女の死を伝えて。それで影響が出るのか。出たところで何だというのだ。
――分からない。
そんな答えが、八重子の中に沈んだ頃。
「……それは、何故」
彰彦の口からようやく零れたのは、たったひとつの問いだった。
何故彼女は死んだのか。
八重子はそれに、小さく首を横に振って応える。
「そうか……」
そのまま再び黙り込んでしまった彼をじっと見つめていた八重子は、湯気が消えかかったカップにそっと視線を落とした。
「突然お邪魔してこのような話、申し訳ありません」
青年は小さく首を横に振った。
「いや、……教えてくれて、ありがとう」
彼は絞り出すような声で、なんとか答えている。
「では、私はこれで」
一礼をしてドアへと向かうと、「ひとつだけ」と声がかかった。
「ひとつだけ、聞いても良いだろうか?」
「はい」
「君は、桜花を……知っているのかい?」
「ええ。少しだけ」
欧州に向かう船で一緒だったのです、と答えると、彰彦はそうかと呟き、ソファから立ち上がる音がした。
「水無月さん、だったね。また……来てくれるかい?」
「? 何故ですか?」
振り返って首を傾げる。八重子には純粋に彼の意図がよく分からなかった。
「桜花の――旅先での彼女の話を、聞かせて欲しいんだ」
答える口元は微笑んではいたが、軽く俯いたその表情はどこか寂しげに見えた。
彼は観察対象ではない。これ以上、話をする必要はない。
だが、その声に何かを感じた八重子は、思わず返事をしていた。
「――ええ。私が知っている話でよければ、いつでも」
□ ■ □
以来。数ヶ月に一度、不定期ではあるが八重子は彰彦の元を訪れるようになっていた。
みあは流れていくその日々を半ば険しい目で見つめ続ける。
一年。八重子が彰彦に話すのは、船の上やヴェネツィアでの姿。それはみあが見てきた出来事。ただし、彼女の最期にだけは決して触れる事なく。断片的ではあるが、楽しそうに過ごす姿を話し聞かせていた。
二年。欧州で紅い石の奇病が流行り始めたという噂が話題に上るようになってきた。八重子は難しい顔をする彰彦とそれが何なのかを話し。八重子自身も調べ始め、異邦人という存在にも辿り着いた。
彼らと出会う事はなかったが、更に半年経つ頃には、日本でも奇病と同様の症状を持つ患者を見つけるに至り、八重子と彰彦は、その患者を離れに匿い始めた。
そうして、三年。その頃には客人ではなく友人に近い付き合いとなっていた八重子に、彰彦はぽつりと漏らした。
「もう、三年か……」
「そうですね」
「桜花はもう……本当に帰ってこないんだね」
「?」
首を傾げる八重子に、彰彦は「桜花はね」とどこか懐かしそうに言った。
「三年という期限付きでの旅行。そう言って旅立った。……だけど」
私はあとどれだけ待てば良いのだろうな、と呟いて小さく笑った。
苦笑いとも、自嘲ともとれるその笑みが意味する物は何か。八重子が計り兼ねていると、彰彦は「水無月くん」と呼びかけた。
「はい?」
「私は桜花が三年と言ったから、此処まで待っていられたけど」
これ以上は苦しい、と彰彦は言った。
帰ってこない彼女を、これから先もたった一人で待ち続けるのが。苦しいと。
彰彦は高い空を見上げて、穏やかな顔で言った。
「だから……」
それ以上、彼の言葉は続かなかった。
ばたばたと慌てるような足音と共に「彰彦様――失礼致します!」という声が飛び込んできた。
「どうした」
駆け込んできた女中は息を整えるように胸元を押さえ、急ぎの用を手短に伝える。
「離れで――化物が!」
離れ。それは半年前に紅い結晶の奇病を持った患者を収容した場所。
朝に様子を見た時は何の変わりもなかったはずだが。
二人は顔を見合わせて頷き合い、立ち上がった。