SCENE3 - 7
司が物音のしていた研究室を覗いた時、そこにあったのは大量とも言える何かの死体だった。
ふむ? と部屋に一歩踏み入り、手近な死体を覗き込む。
壊れたゲージや切れた鎖が散乱する所から、実験動物かジャームだろうと判断する。どれもが鋭利な刃物で切り裂かれて絶命していた。傷はいくつか真新しい物もあったが、殆どは古いものだった。研究室に散らばる血液の跡も、すっかり酸化して黒ずんでいた。
――と、動く影を視界に捉えた。
大きな鎌を手にして、部屋の中に座り込んでいたのは霧緒だった。
「……って、霧ちゃんじゃん。どうしたのそんな所で」
と、近付こうとしてその様子がおかしい事に気付く。
彼女の目の前には壊れた書架と潰された何かがあった。
震えている彼女の頬は涙でぐしゃぐしゃに濡れていて。呼吸は荒い。
手には鎌。握っている手は、力を入れすぎているのか、カタカタと小さな音がしそうだった。
何かに怯えているようにも見える。
そんな彼女は焦点の合わない視線で、ぶつぶつと何かを呟いている。
「――んで、なんで」
「?」
上手く聞き取れなくて、一歩を踏み出す。
その足音に、霧緒の声がぴたりと止まった。
ゆっくりと。まるでぎこちなく動く人形のように首だけでこっちを向き――焦点が定まる。
そして、彼女はその表情を怯えから絶望に変えた。
「――ん、で」
「え?」
「なんで、まだ動くの――!」
その叫びと共に、霧緒は司めがけて一気に距離を詰め、周囲にある物をなぎ倒しながら鎌を大きく振り上げる。
「ちょ、ちょっと待っ……霧ちゃん!?」
左手で手近な所にあったゲージを引っ掴んで、鎌の柄をなんとか受け止める。威力は落とせても、鎌の勢いは止められない。そこは上手くしゃがみ込んで躱すと、壁に刃が刺さった。
「霧緒は何も知らないよ! 姉さんが怒るような事なんて何も……! なのに。なんで、なんで……!」
泣きながら彼女は叫ぶ。
様子を見るに、これはどうやらウイルスによる暴走ではないらしい。と司は判断する。彼女が何を見ているのか知らないが、恐怖に突き動かされた彼女はただ目の前の動く存在を止める為だけに鎌を振るっている。
暴走というより、錯乱だ。
「よく分かんないけど……」
ここは彼女の目を覚まさせないとヤバい。主に俺が!
そう判断した司は肩にかけていたグレネードを手に取り、霧緒の鎌に備える。
壊れた壁から引き抜いた刃を器用に反転させて、さっきとは逆方向から刃が迫る。
だが、この動きは隙だらけ。
鎌をただ振り回してるのも同然。軌道など、計算するまでもなく読めた。
銃口は天井に向けて、柄と刃の境目が来る位置にスタンバイする。直後、がきん、と大きな音を立てて、鎌を銃身が受け止める。しかし、その勢いはそれだけで相殺されてはくれない。床を滑る靴が、床に積もった埃を舞い上げる。
げほ、と埃を咳払いで追いやりながら、上手い事テーブルに背中をぶつける事でしっかりと彼女の獲物を封じる。
そしてそのまま。
横から彼女の腹部を力一杯蹴り飛ばした。
「――っ!」
鎌から手を離した霧緒はそのまま壁にぶつかり、ずるずると床にへたり込んだ。
「……っとに、危ないなこの人は」
はあ、と溜息をついて銃を持ったまま霧緒に近付くと、彼女は気を失っていた。
そんな彼女から数歩分だけ距離を残して立ち止まる。
「おーい、霧ちゃーん」
呼びかけると、彼女は小さなうめき声を上げた。
うっすらと目を開け、ぱちぱちと瞬きをする。
「う。うぅ……あ、あれ?」
どこかぼやっとした目で見上げられる。
「河野辺、さん……どうしたんですか?」
「うん。それ、俺の台詞な? どうしたの?」
「どう、と言われましても……この部屋に入ったら……」
うん、と頷くと同時に霧緒の顔色がみるみる青くなる。
「――ぅ」
同時に、両手で口元を押さえる。
でも、吐く事はせず。代わりのようにぼろぼろと涙が零れた。
「あ、あの……えっと……。あれはやっぱり、私、でした」
「やっぱりあの“事故”は、霧ちゃんが関わってた?」
こくん、と頷くと、口元を押さえていた手が首へと降りた。
自分の首を確かめるように押さえて、「でも」と呟く霧緒の声は震えていた。
「でも?」
聞き返してみると、霧緒はふるふると力なく首を横に振った。
涙を拭いながら息をつく霧緒の中で、当時の記憶が蘇る。
黒い髪。シルバーのヘッドホン。帰りが遅かった姉とのやり取り。そうして絞められた、首。
途中までは自分の身にも覚えがあった。
ただ、霧緒の記憶だと、姉の手によって為す術なく首を折られたはずだった。
目を覚ました時、廊下には誰も居なくて。首にヘッドホンのコードが巻かれていて。
そのまま、お気に入りの傘だけを持って家を飛び出したはずだった。
「私は……あんな姉さん、知らない……あんな事。した覚えもありません……」
「あー」
なるほど。と司は何となく察して頷く。
自分と同じように「この世界の自分が持つ過去」の追体験をしたのだろう。
それがあの事故に関わる一部始終だった、と。そういうことらしい。
「そ。――とりあえず立てる?」
「……はい」
銃を仕舞いながら問いかけると、彼女はこくりと小さく頷いた。
壁を支えに立ち上がりながら、少しだけ首を傾げて腹部をさする。
「なんか、身体が痛い……」
「あーうん。そんな事もあるある」
「……」
彼女の視線が厳しくなったが、一瞬の事。はあ、と溜息をついて服についた埃を払う。
「……河野辺さんの事です。きっとそうせざるを得ない状態だったのでしょう」
司は答えず、廊下に出る。霧緒の足音も後ろに続く。
「その、ご迷惑おかけしました。すみません」
司が答えずに廊下へと出ると、霧緒が「それから」と口を再度開いた。
「ありがとう、ございます」
「いーえ」
それで会話をさっさと切り上げ、二人は部屋を後にした。
□ ■ □
みあが扉に触れた時、指先にぴりっとした物を感じた。
「……?」
静電気ではない。手の平を見ても、何も変化は無い。
もう一度触れてみるが、今度は何も起きず。開いた扉はすんなりと彼女を受け入れた。
だが、そこにあったのは、大量ともいえる“記録”。
そうとしか言えない情報の波が、みあを飲み込んだ。