SCENE3 - 4
そのまま朝のホームルーム、午前と午後の授業と何事もなくこなし。放課後になった。
ターゲットの少女は特定の曜日、部活へ行く前に一人で校舎裏へと姿を消す。
彼女は校舎裏でひっそり猫の世話をしていた。捨て猫か迷い猫かは分からないが、飼い手が見つからない為、数人で世話をしているらしい。
そして今日が、彼女が当番の日だった。
「待たせてごめんね。今ご飯あげるよ」
にーにーと鳴く猫に彼女は笑いかけながら世話をする。
彼女との距離を少しずつ詰める。
しばらく前の自分だったら、教室ごと全滅させて姿をくらませる位していただろう。
けれども、今は違う。
ターゲットは彼女一人。処分は最小限に留めてしまおう。
一体いつからそんな考えに至ったのかは忘れた。
きっと、“テロリスト”だった頃の自分をどこか昔に置き去りにしていきたいのかもしれない。
ああなんて夢のある話だろう。
そんな事を考えながら、彼女の後ろに立つ。
と、猫を抱きかかえた彼女が振り返った。
「あれ、河野くん」
どうしたのー? と彼女はふわりと笑いながら問いかける。
「うん、ちょっとね」
彼女と視線を合わせるように見下ろす。
「今ね。この子の世話をしてるんだけど……なかなか飼い主が見つからなくって」
そう言いながら掲げる猫は、整えられた白い毛並みをしていた。
「そう」
司の答えは、それだけだった。
学ランの下に隠し持っていた銃を取り出し、瞬時に照準を合わせる。
ミリ単位のずれもなく。彼女が自身を狙う銃口に気がつく前に。
ぱしゅ、と小さな音がした。
たったそれだけの音で、彼女の額に穴が開き。後頭部から血が噴き出す。
仰向けに倒れていく彼女の目は驚いたように見開かれ、自分と空をくっきりと映す。猫が彼女の両手からするりと飛び出し、どこかへ逃げていった。
みるみるうちに、地面に広がる血が、彼女の制服を濡らしていく。二人きりの校舎裏で、彼女の制服は赤く、赤く染まっていく。
「――?」
そんな彼女に、違和感を感じた。
決して浅い傷ではなかったが、少しも《リザレクト》の気配がなかった。
即死。
どさり、と彼女が倒れた音がした。
「……もしかして」
そしてそれは、すぐさま一つの回答をはじき出す。
直感が確信に変わったその時。さあ、っと血の気が引いたような気がした。
彼女はUGNではない。それどころか、オーヴァードですらない、一般人――?
「河野くん」
突然後ろからかけられた声に、反射的に銃をしまって振り返る。
そこに立っていたのは、一人の女子生徒。
背中まで流れるストレートの髪とカチューシャが、校舎の隙間から入る光に反射する。
相沢恭子だ。
彼女は目の前に広がるこの状況で悲鳴を上げる事もなく、ただ真直ぐにこちらを見てくる。
「河野くんが、FHだったんだね?」
司は答えない。
「あのね、情報があったの。“UGNを狙ってる人が居る”って」
「……なんのことだか」
動揺を隠すように答えると、周囲の空気がふわりと浮いたような軽さを持った気がした。
《ワーディング》。それが意味する所はただひとつ。
彼女こそがオーヴァード。討伐すべき対象だった。
情報がどこかから漏れていたか、と心の中で小さく舌打ちをする。
「でも、そこにちょっとしたウソを混ぜて攪乱してもらったの。春菜はただ、UGNの在り方に、活動内容に同調してくれただけ。オーヴァードという存在を受け止めてくれてた、それだけ。それだけ……なのに」
ふる、と彼女の肩が、髪が。震えたように見た。
「なのに。何の関係もなかった春菜を――!」
彼女の髪が、その声に同調してざざざざっと地面を蛇のように這う。
その軌道を算出し、全て避けて距離をとると、彼女は血塗れで動かない道園に駆け寄り、抱きしめた。
「ごめん、ごめん。春菜……」
彼女の顔を汚していた血液を拭って、彼女はごめんねと繰り返す。
「……謝る資格なんて、あんの?」
ぽつりと漏れた言葉に。彼女が少しだけ息を飲んだのが分かった。
「なんでよ。良いじゃない……」
「いや、良くねえよ。俺の中じゃ正義の組織ってのはオーヴァードの存在を秘匿し、日常を守る事が大事、なんじゃなかったっけ?」
「そうよ……私は、この世界の。学校の。春菜の。日常を守る為に」
「じゃあなんで道園[そいつ]は巻き込まれた? オーヴァードの存在が明らかになったから? 誰かが俺にウソの情報を流したから? ま、要因としてはあるかもしれないけど。そんなことより」
震える彼女の背中に言葉を投げる。
「道園がUGNの在り方に同意を示したって事は――」
誰かが、彼女にUGNの存在を教えたからだ。
それが誰なのか、なんて考えるまでもない愚問だった。
女子にはよくある「内緒の話」の類だったのかもしれないが、どうでも良かった。
「……る、さい」
彼女の髪が、ざわりと持ち上がった。
「?」
「うるさいうるさいうるさい! 私だって偽の情報の対象が春菜だって知らなかったわよ!」
「へえ。“お友達”は知らない間に利用されて、見事に使い捨てられたって訳だ」
「……っ!」
彼女が言葉を詰まらせる。が、それも一瞬の事。
「でも!」
彼女を抱いたまま、赤く濡れた頬を拭う事もせず、彼女は睨み付けるように振り返って叫ぶ。
「春菜を殺したのは。私と彼女の絆を奪ったのは、壊したのは! 間違いなくアンタよ!」
その言葉に、今度は司の喉が詰まった。
彼女の言い分は勝手だ。巻き込んだ一端は自身にあるはずだ。
そんな言葉を返すより先に、ずぶりと、足下が沼に深く沈んだような感覚がした。
辺りを包む匂いが濃くなる。同時に、彼女の髪が一気にこちらへ襲いかかってくる。
反射的にそれらを斬り捨て、避けようとして気付いた。
身体が、上手く動かない。
そして鋭利に尖った錐のような髪が目の前に迫り――。
唐突に目が覚めた。
ノブを手にしたまま、がくりと膝の力が抜けた。
「えー……なにあの間一髪」
怪我もないのに違和感を訴える目を押さえて、今見た光景を思い出す。何一つ記憶に引っかかる物はない。
それなら、これは“司”の体験だろう。と何となく予想はついた。
あの後どうなったのかは分からないが、きっと一戦交えて。
勝ちはしたのだろう。そうでなければ自称弟は意味もなく化けて出てきてくれた事になる。
それはその、かなり迷惑すぎる。と思わず遠い目をしたくなった。
はあ、と胸にわだかまる、気分が悪くなりそうな何かを吐き出す。
後悔か。罪悪感か。どっちでも良い。任務で出来上がった関係なんて、与えられた期間限定仮初めのごっこ遊びに等しいものだ。それを壊した所でどうなる。ましてや他人の物。
そんな物に対する感情なんて今更持つべきではないし、何より自分が持ってやる義理など毛頭ない。
いいや。と司は小さく息をついた。その後は知らないし、知るつもりもない。
「……あいつも大変そうっていうか、なかなか余裕ある人生してるな」
感想はそれだけだった。
それ以上の何も、なかった。
「――で。だよ」
弟の事はそれまでにして、それ以上に、気になる事へ意識を向けた。
こうして考えてる今も、どこかでどかんがしゃんと何かが暴れているような音がしている。
正直、そっちの方が気になった。
「誰かが誰かとこんにちはでもしたか……?」
呟いて部屋を後にする。
最後にちょっと振り向いてみたその部屋は、やっぱり何の変哲もない、何一つ残ってない研究室跡だった。