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終末の時計 Armageddon Clock  作者: 著:水無月龍那/千歳ちゃんねる 原作・GM:烏山しおん
4:Riptide Laboratory
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SCENE3 - 2

 その声に振り返り――目の前の光景に、声が出なかった。


 そこには椅子から崩れ落ちるように床へと倒れた老人。

 彼へと必死に呼びかける、赤い目の猫。

「アサジマ……だと」

 全身の毛がざわりとした。


 今目の前で倒れているあの老人が。

 あの猫[リンド]が必死に呼びかけている相手が、浅島博士。

 つまりはあの時。百年前に置き去りにしたユウキだと。


 気付いた瞬間、身体は既に動いていた。

 跳躍するように駆け寄る。


「ユウキ!」

 これが過去の幻影だと。猫も、老人も、もう此処には居ないと分かっていても。

 駆け寄らずには、いられなかった。


 だが、彼らに触れられる程にまで近付く事はできなかった。

 足が、進められなかった。

 必死に老人を揺り動かす猫の後ろで、ただただ、その光景を。老人が死の淵に立つ姿を、眺める事しかできない。


「リ、ンド……」

 老人の苦しそうな吐息から、言葉が零れた。

「しっかりしろ、アサジマ。今すぐ誰かを――」

「いや……いや。いいんだ」

 彼の言葉で、ドアへ向かおうとした足も止まる。

「リンド……東、京へ」

「東京? 調査を、続けるのか?」

 その言葉に、老人は答えない。最早、聞こえてすらいないのかもしれない。

 朦朧としたその目でどこかを見つめたまま、言葉だけを零していく。

「すまない。お前は、東京で……せめて、……では、なく……彼と――」

「アサジマ……アサジマ!?」

 彼ではなく。東京に居る友人と?

 何を言っている。理解したくない、と必死に彼の言葉に首を振る背中越しに、浅島博士とリンドの目が――合った。


「あ――」

 博士の目が、焦点を結ぶ。

 少しだけ照れたように、嬉しそうに。口の端を緩めて、震える手が伸びる。

 その手は、必死に呼びかける(リンド)を僅かに通り過ぎ。その後ろに立つ自分(リンド)へ。


「ユウキ……」

 見えるはずがない。見えているはずがない。

 これは過去の幻影なのだから、とリンドの頭は必死に否定するが、老人は確かに、自分を見ている。自分へと、手を伸ばしている。


 だが、リンドは動けない。言葉も詰まっている。

 言いたい事は沢山ある。

 あの時、巻き込んでしまった事。

 置き去りにしてしまった事。

 両親の最期。

 変わってしまっていた世界の事。

 ひっそりと立ち去った夜の事。


 きっと、少年だった老人はどこかで全て気付いただろう。

 自分が、ただの喋る猫ではなかった事も。


 彼への偽りはなかった。だが、真実も伝えなかった。

 そんなリンドはただ、その手を。猫の背中を、呆然と見る事しか出来なかった。

 それでも、老人には十分だったのだろう。

 ほろり、と目から光る物が零れ落ちたのが見えた。

 それが一体、どんな感情かは分からない。

「ああ……リンド。やっと、ここまで――」

 来たのか。と、言葉が紡がれるなく。伸ばされた手はあっけなく、床へと落ちた。


『――!』

 部屋に残された二匹の声にならない声が重なる。

「アサジマ! アサジマ……っ!」

 赤い目の猫は、もう動かない博士の身体を揺すり、叫び続ける。


 その声は、しばらく続くと思っていた。

 が、すぐにそれはぴたりと止んだ。

「どうして……」

 目の前の猫は、力なく俯く。

 その背は、震えているようにも見る。尻尾の先も、小さく揺れている。

 猫の視線が、老人の伏せられた目蓋から肩、腕へと動き。

「……そうか。そう言う事か」

 噛み締めるように漏れた声に、ぎり、と歯の軋む音も混じった。


 同時に、リンドは室内の温度が下がったのを感じた。

 攻撃の意志ではなく、ただ感情に任せた力の発散。

「アサジマ……オマエは。何も。見ていなかったのだな……。この世界も。“リンド”も。何一つ……!」

 怨嗟のようなその声に、室内の冷気が荒れる。

 吹き荒れる冷気はリンドの毛をただ荒く揺らす。

「オマエは一体、一体何処を見ていた! 誰を呼んでいた……! “リンド”とは、一体誰だ!」

 一際大きな声でそう叫んだ猫は、がっくりと頭を下げた。

 冷たい空気が床に広がる。

 もう吹き荒れる事はなく、ただただ床を冷やしていく。

 猫は、もう動かない老人の前でじっとしていた。


「……俺は」

 うなだれたまま、小さな声がした。

「俺は、分からない……オマエがどうしていつも“友人”との事を気にかけるのか。あんなに喜んでいたのは嘘だったのか? 俺は、オマエの良き助手ではなかったか? 遠ざけたかったか? 俺では、駄目だったのか……?」

 猫は問いかける。

「此処は、そんなにも否定したい世界だったか……?」

 その声はどんどん小さくなり、彼らの姿も薄らいでいく。

 

 そうして、リンドはまた一人、埃だらけの部屋へと戻ってきた。

「……」

 老人の――ユウキの最期。

 彼はこの研究所で、自分を待っていたのだろうか?

 その真意は分からない。

 けれども。最期に博士が手を伸ばしたのは、確かに自分(リンド)だった。


 自分はユウキにカオスガーデンの事を話した事はない。だから、「リンド」という名の猫がこの島で生まれる事は知らなかったはずだ。

 それにユウキの事だ。“リンド”がこの世界で“浅島有樹”と出会い、友情が芽生えた事は喜ばしい事だっただろう。そして出来るならば。同じ世界に住むもの同士で、絆を深めて欲しかったのだろう。

 猫と少年の出会いが偶然か必然か。それは分からないが。

 リンドの知るユウキとは――浅島博士とは。そう言う奴だ。


 様々な思いが頭の中をぐるぐると回る。

 しばらくその考えに頭を任せていたが、ふるふると首を振った。

 今、此処で考えるのを理由に足を止めていてはいけないのだ。

 きっとユウキなら、そう言うだろう。


 最後にもう一度首を振って、この部屋で感じた冷気の残滓を追い払い。

 そっと部屋を後にした。

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