SCENE2 - 7
成長しきった結晶は、その宿主、時には周囲を巻き込んで「時間渡航」をする。
過去へ遡ると宿主を変え、そこで歴史を変える事で「元とは違う世界」を作り出す。
歴史を塗り替えたその世界で増殖し、様々な物に「付着」して結晶化する。
そして、それを幾度も繰り返す事で、いずれは世界を埋め尽くすのだろう。
付着の症状が見られるもの、異形化したものは、殺害する事で結晶の成長を止める事は可能だ。
だが、発症の範囲など予測が困難な事もあり、発見前に時間渡航される可能性は高い。
「その場合、追う事は不可能。か。これは何回かやられたら地球全体が覆い尽くされる日も遠くない、って訳だ」
面倒な話だな、と司が天井を仰いで溜息をつく。
「覆い尽くされたら……どうなるのでしょう」
「さあ。とりあえず異形のパラダイスが出来上がるんじゃない?」
どこか投げやりにも聞こえる答えに、霧緒の表情が渋くなる。
そんなやり取りを耳にしながら、みあはぱらぱらとページをめくって情報を拾い上げる。
「紅い結晶は時間を飛んで歴史を変える。それを繰り返して広がるって事は、それを辿っていけばどこかでひとつに集約されるはず」
それはどこかしら? と問いかける。
「そりゃまあ。あの隕石じゃないか?」
司の答えに、みあは「そうね」と満足そうに頷いてページのメモを指差す。
「ここ。“博士は最初の種になる「女王」がどこかの時点で存在すると確信している。最初の種を消す事ができれば、世界への侵蝕を防ぐ事が出来るのではないか”――きっと司の言う通り、あの隕石がそうでしょうね」
そこから無造作に引っ張られた線を辿り、別のメモ書きへと指を移動させる。
「“女王の発見方法とは?”」
読み上げて、別のメモ書きへ。
「“異形の現れた時期について考える必要性”。あたし達の知る、異形が発生した時期は?」
「この世界だと……百年前のヴェネツィア、か?」
「私達が居た現代は、隕石が落ちるまで居なかった……の、かな」
リンドと霧緒が確かめるように答える。
「現代はどうだろうな。“書き記す者”」
司の問いに、みあは少しだけ考えるような仕草をして。
「現代には、居なかったと思うわ。ただ……影響については何とも」
と答えた。
「あたしの“記録”には、紅い結晶も異形も無いわ」
首を振った彼女の言葉に、沈黙が落ちた。
誰もがその影響を考えるような沈黙。だが、それは長くはなかった。
「……なあ」
リンドの声が、ぽつりと漏れる。
「俺達は本当に、世界を元に戻せるのか?」
その声に混じるのは、不安。
「そもそもだ。俺達の居た世界は、正しい世界だったのか?」
その問いかけに対するみあの答えは一言だった。
「さあ」
きっぱりと言い切った。
簡潔な答えに、リンドは言葉を詰まらせる。
「さあ、だと? ミア……何故だ。何故そう言い切れる」
自分が今立っているこの世界が何度改変されたのかも分からない。元の世界へ、手を伸ばしても届かないどころか、見つからないかもしれない。
それが怖くないのか。哀しくないのかと。リンドの目が、揺れる。
霧緒も考えるような顔で、視線を落とし。
司は、リンドの結論を待つような顔をしていた。
対して、みあの目と言葉は、どこまでもまっすぐだった。
「まず、元の世界が正しいかどうか。それについては前にリンドが言ったんじゃない。この世界が正解だったか過ちだったかなんて無意味だ、って。自分の信じる世界に戻るって。その“自分が信じてる世界”を否定したら、貴方はどこの世界を信じるの?」
「……」
「少なくともあたしは、あたしの“記録”に限りなく近い世界を信じるわ」
それから、と彼女の言葉は続く。
「世界は戻せるか、じゃなくて。戻すの。その為にできる限りの事をする。だから、今ここに居るんでしょう?」
「……そう、だな」
ふるりと首を振って、すまない、と呟く。
「まったくリンドはすぐ考えすぎるんだから」
ふー、とみあは溜息をついて肩をすくめる。
「さて。リンドが落ち着いた所で考えましょうか」
そう言いながら、他のページにあるメモを辿る。
「“時間渡航にわざと乗り、歴史を変え返す事は可能か?” さて、どうかしら」
「そこに辿り着けたら、出来るだろうけど……。百年前でミスったら隕石には遭遇できない、と」
難しくないかそれ、と司が頭を掻く。
「そうね。百年前に戻って正しい歴史――この場合は“隕石が落ちる現代”ね。それを構築できるだけの材料を用意する必要がある」
そして、みあの指が止まる。
「“何が起きた結果この世界に至ったのかは不明。三十年前に何かが起きたのは確かだが、詳細を知る者は既に居らず、研究は進まない”。――彼らはあの時船の中だったから、何があったかなんて知る由もなかったし、桜花さんの事も知らないから当然ね」
でも、と言葉が続く。
「それはあたし達が知ってる。あの時、あたし達はバルトを倒すだけでは、ダメだった。桜花さんも助けないといけなかった」
少なくとも、とみあは言葉を繋ぐ。
「あたしの“記録”だと、彼女はあそこで死ぬべき人じゃなかった。無事に日本へ帰って、結婚して。オーヴァードの知識と警戒心を日本政府に根付かせておく必要があった」
きっと、みあの為にも。と心の中で付け足す。
そうしてめくったページに書かれていた一文に、みあは思わず口を結んだ。
「みあ? どうした?」
覗き込むようにメモを見た司が「はあ?」と小さく声を上げる。
「“結晶は記録にある起点へ戻れない”……? なんだよそれ」
「言葉通りの意味、でしょうね」
みあの奥歯がぎり、と鳴る。
「あたし達の持ってる結晶には、行った時代が記録されてる。結晶の目的は歴史の改竄だから……遡って同じ歴史をなぞることだけはしない」
「それじゃあ、この世界の過去には戻れない、ってこと?」
霧緒の声に「でしょうね」と小さく答える。
ここまで情報が揃い、何が必要かも分かったというのに。
百年前へ戻る事が出来ない。
四人の間に沈黙が落ちる。
ここまできて手詰まりだというのか。
そんな感情が、部屋の空気を支配する。
「――いや。まだある」
そう言ったのは司だった。
「末利が言っていただろ? 浅島博士はこの百年間の間、世界を正す為の研究をしていた、って」
それなら、と彼の言葉は続く。
「その為の手がかりが残っているはずだ。というか、この研究所は末利の所と共同研究をしている。って事はだ。末利は手がかりがある事を知った上で探せと言ったんじゃないか? あいつの事だからきっと、俺達がこの情報に辿り着く事も織り込み済みだ」
まったく最悪だ。と、どこか苦そうにくつくつと笑う。
みあはぱちりと瞬きをして、ふ、と笑った。
「……そうね、末利ならきっとその位気付いてるでしょうね」
そうしてめくったページは真っ白で、それ以上何も書いてなかった。
ぱらぱらとめくっても、白紙のページが続くばかり。
それが示すのは、この記述を行っていた人物がそれ以上何も書き記す事が出来なくなったという事だろう。
これ以上の情報は、この本から得られない。
多少の歯痒さを覚えたまま、本を閉じて棚に戻す。
他の本を手にしてみても、あるのは結晶の実験記録が殆どだった。
表紙やページに記されている日付の間隔が大きくなる。
更に一冊、棚に戻してみあは小さく息をついた。
「途中で終わってる。きっと、寿命が保たなかったのね……」