SCENE2 - 6
あの日、僕は電車を待っていた。
駅には人が多く居て、いつも通りだった。
何が起きたのかは分からない。
電車が来るアナウンスで顔を上げた時、轟音と共に視界が真っ暗になった。
痛む身体と白い化物。龍のように変形した電車。それに立ち向かう人々。
それから、空から見つめる紅い眼。
全てが一瞬の出来事のようで、夢を見ているのだと何度も言い聞かせた。
だが、僕達が今居るこの時代は、紛れも無い現実だ。
信じたくなどないが、今はただ信じるしかない。
この島で、共にやってきた仲間から世界の真実を教えられたが。
レネゲイドウイルス。オーヴァード。そのような物、信じがたい話だった。
電車を待っていたあの日既に、それらによって世界が変貌していたなど、知りもしなかった。
何の力も持たない僕達が、世界や自分達の状況を受け入れたとしても、それを深く知る為の手がかりは少ない。
だから、僕は少しでも世界を。あの日見た物を知る為に、研究を始める事にする。
あの日から三十年余りが経ったが。
願わくば。懐かしいあの場所に戻れるよう。
「……あの日に巻き込まれた一般人、か」
司の呟く声で、ページがめくられる。
この島で僕達は研究を始める事にした。
僕達がこの時代へときてしまった原因。それが一体何なのか。
あの隕石が全ての原因だと仮定をするならば。
紅い結晶や白い化物――異形と博士は呼んでいた――も地球のものではない。宇宙人や地球外生命体と言い換えてもいいだろう。
なぜなら、レネゲイドウイルスやオーヴァードの話を聞く限り、僕達が見たものとは異なる点が多すぎるからだ。
あの日渋谷に落ちたという隕石と、現れた白い異形。
戦闘時に使用する能力は通常のオーヴァードと変わらないが、ワーディングや時間跳躍の幅から、彼らが桁違いの能力を持っているのは確かだ。
「うん?」
突然、霧緒が首を傾げた。
「キリ、どうした?」
「……博士、って言うのは」
「研究所の名前からして、ユウキだろうな」
リンドが頷くと、霧緒は「そっか」と小さく頷いた。
「うん、先に進めて」
みあは頷く事なく、そのままページをめくる。
異形の本体は高濃度のレネゲイドウイルスが作り出した結晶で、紅い結晶のようにも見える。しかし、このウイルスは一般的に知られているレネゲイドウイルスとは異なる性質を持っている。
旅をしている間、「紅い石の病」というものを何度も耳にした。それは僕達と同時期に現れた物だろう。理性の喪失や異形化が、呪いか病かと恐れられていたが、あれは石の結晶化が進行した結果引き起こされる症状だと考えられる。
「異形は結晶化に適合しなかった結果、って事か」
司が興味無さそうに呟く。
「きっと、普通の人……下手したらオーヴァードでも耐えられないのかもね」
「ぞっとしない話だな」
そんなやり取りを残して、みあは続きに視線を走らせる。
紅い結晶には「時間渡航」と「付着」の能力がある事を確認している。
そして、付着された物は二種類の反応を示す事も確認された。
ひとつは異形化。もうひとつは侵蝕。発症者の多くは異形化してしまうが、ごく稀に侵蝕の症状が出る者が居る。確率としては1%未満と少ない。
侵蝕の症状が出た場合、外見に大きな変化は見られない。だが、体内では細胞レベルでの変化が起きており、断面は水飴のような、紅く高粘度の物質が確認できる。
侵蝕の症状が出る者が少ないのは先程述べた通りだが、その中でも自我を保っていられる者は更に少なく、ここでの確認例は殆ど無い。大半が自我の崩壊を起こし、自身の形状も保つ事が出来ないまま死へと至る。後にはただ紅い液体が残るが、それもすぐに蒸発する。
それは異形化同様、身体が結晶の成長に耐えられない為だと推測される。
もし、その結晶化に耐えられた場合どうなるのか。
ここから先は、僕達の体験から導きだした推論でしかないが。
彼らはとあるタイミングで時間を渡り、何らかの事件を起こすのだろう。
例を挙げるとすれば――。
「歴史的に重要な人物の殺害。存在し得ないモノの存在……桜花さんが死んだ事とか、バルトとか。異邦人が良い例、ってとこかしら」
みあが難しい顔で文面を見つめて呟く。
「そういやさっきの部屋で見つけたんだけど」
と、司はデータをコピーした携帯端末から必要な情報を掻い摘んで伝える。
「あの時……あー。ヴェネチアからこっちに飛ばされる直前辺りで俺、二重の策って言ったけどさ。全くその通りだ。バルトのおっさんと桜花さんの件はどっちを残しても結晶は残るし、正しい歴史からは外れる。――ったく」
迷惑な話だ、と溜息をつく。
そんな中リンドは、異邦人という単語に視線を落とした。その中に有樹も居るのだな、と考える。
寂しくはなかっただろうか。
待ってろと言ったきり姿を消した自分を、恨んではいなかっただろうか。
そこまで考えて、ふるりと首を振った。
そもそも自分は、彼の元から一度は去った身。
だから、別れの決意はついていたはずだ。少年からどう思われようと、関係ないと。そう覚悟をした上で、彼の前から姿を消した。
だが。
彼をあの時代へ置いてきてしまった事。
それは予想外であり、気がかりだった。
だからこそ、この世界で満足に過ごすユウキに出会った時、安堵したのだ。
島に居た頃、あれだけ求めていた外の世界。そこで出会った少年の存在がいかに大きかったのか、今更気がついた。
「――リンド?」
名前を呼ばれてハッと顔を上げると、司が不思議そうな顔で覗き込んでいた。
「なんか気になる事あった?」
「……いや、なんでもない」
首を振って答えると、司は「そう」とだけ呟いてめくられていく本のページへと視線を戻した。
「それにしても……この侵蝕ってのは春日恭二みたいなやつか」
アレって超レアケースだったんだなあ、と司は感心したように呟く。
「あたし達はその中でも更に珍しいケース、なのかもしれないわよ」
「どういう事だ?」
首を傾げたリンドに、みあは自分の結晶がある場所を示してみせる。
「あたし達にも結晶はある。だけど、身体までそうなっている訳ではないでしょ?」
「あー。確かにな……一体何が違うんだ」
「順番、とか……?」
自信なさげに口を開いたのは霧緒だった。
「順番?」
司が問い返すと、霧緒は頷いて答える。
「付着してから結晶化するか、結晶化した物が付着するか……とか、ではないか、と」
「なるほど。結晶化が終わってたらそれ以上成長する必要は無いってことか。霧ちゃんそれはアリだな。研究者でもいけるんじゃね?」
そんな軽口に、彼女はなんと答えていいのか困ったような顔をした。
「ま、どっちにしても。結晶が出来上がると時間を渡って、何らかの事件を起こして……」
どうなるのかしら、と呟いて、みあはぱらぱらとその記述を探す。