SCENE2 - 4
霧緒が開けたいくつめかのドアの先にあったのは、タイル張りのがらんとした部屋だった。
ベンチのような椅子とロッカーが並ぶその奥には、今開けたドアとは違う金属製のドアがあった。
床までタイルのせいか、廊下よりも寒く感じる。
「何の部屋だろう……」
少しだけ冷えた手をさすりながら、ロッカーを開けてみる。
長靴やモップ、レインコートのような防水具。床を注意深く見てみると、ベンチの下には排水溝のような穴もあった。
どうやら水に濡れやすい場所らしい。
そう思った瞬間。ずしん、と振動が部屋に響いた。
金属のドアの向こうに何か居る。
そっと近寄り、耳を澄ます。
水の音がする。流れるというより、ざぶり、ぴちゃん、とそれなりの量の液体が跳ねるような音には、時々何かの唸り声が混じっている。
なんだろう。
冷たいドアのノブをそっと握り、ひねる。
ドアは重い。体重をかけるようにして押すと、軋むような音を立てて少しだけ開いた。
一歩踏み出した足下はコンクリートのようだった。
その床は濡れているが、覗いた所もまた部屋だった。
部屋の中心には、水がたっぷり溜まった場所がある。先程の音はそこから発せられた物のようだ。
「室内、プール……?」
そこは巨大な室内プールに見えた。呟く声はほんのり白く染まる。
どうやら外に繋がっているようで、冷気が隙間から部屋へと入り込んでいるのだろう。
室内のように見えるのに、どうしてこんなに外のような冷気が入ってくるのかは、破壊されている天井で納得できた。
そして。視線。
「……!」
反射的にそちらを見て、無意識に見ないようにしていたモノと、目が、あった。
部屋の奥。プールの端。
爬虫類によくある目と濡れた肌。口からちろちろと伸びる赤くて細い舌。
見上げる程高い場所にある頭。プールに片足を突っ込んでも余る程の黒い巨体。背中には蝙蝠のような羽。プールサイドに伸びる長い尾は部屋をぐるりと囲むように横たわり、目の前にある端の方でも霧緒の腰まであった。
首に二カ所。脚。それから尻尾の付け根には、大きくて頑丈そうな枷があるそれは。
「……ドラゴン?」
そうとしか呼べない。西洋の物語でしか見られないようなそれが、そこに居た。
えーっと。どうしよう。
思わず思考も止まる。
「こ、こんにちは……?」
とりあえず笑ってみる。が、相手の目つきは変わらない。
唸り声と共にこちらへ一歩踏み出そうとするが、ぎっ、と重い音に動きを遮られる。
「――っ!?」
びく、と霧緒は思わず身をすくめる。
うん。リンドが喋れるからといって、島の住人が全員そうだとは限らないよね、と一人で納得して視線を上げると、大きな鎖が壁とドラゴンの間でピンと張っていた。枷が食い込むのも厭わずに、ドラゴンは鎖を鳴らして敵意を向けてくる。
壁に埋め込まれた大きな杭はびくともしないが、ドラゴンが動く度に強く引っ張られる。このままでは杭が抜けるか、鎖が壊れるか……はたまた壁が壊れるか。どれも時間の問題と感じる程の勢いと息遣い。
このまま襲ってきたら……相手の大きさから考えて、自分の戦力でどうにかなるか、なんて考えるまでもない。一人では尻尾や足を斬るのが関の山。そんなの足止めにすらならないだろう。
そもそもなんでドラゴンが繋がれているのか。研究の一環で生まれる可能性はあるだろうけども、見て回った部屋に生き物は一匹も居なかった。なのにここで一匹だけ繋がれている理由は分からない。枷で動きを封じるので精一杯だったのだろうか?
それなら尚更、一人で挑む訳には行かない。
目を合わせたまま、そんな思考がぐるぐると回る。
ちろちろと舌を覗かせる口が小さく開き、ぐるる、と喉の鳴る音がする。
水に浸かっていた脚が動くが、枷にその動きを阻まれ、ざぶりとプールの水を波立たせる。
そっと一歩後ずさると、尻尾が持ち上げられ、床へと叩き付けられる。ずしん! と響く振動に霧緒の足元が震える。
「っ!」
そのままそっとドアを閉める。
そして。
自分は何も見なかった、と言い聞かせるように部屋から逃げ出した。
繋がれていたから当然だが、後から追ってくる気配はない。
ただ、どこか残念そうな遠吠えだけが響いていた。