SCENE2 - 2
司が開けたその部屋は、研究室のようだった。
木の机に本棚。奥には今開けたものとよく似たドアがもう一つ。
そのドアの向こうは同じような廊下だった。左右を見ると、先程の入り口が見えたので、そのまま引き返して部屋をぐるりと見渡す。
「さて。何か残ってるかねえ……」
と、埃の積もった本棚を眺め、がたついた机の引き出しを開ける。
埃だらけの部屋だったが、床には既に足跡があった。きっと同じように情報がないか訪れた誰かが居たのだろう。とはいえ元から物が少ない部屋らしく、見つかるのは何かの実験や観察の記録、古びたパソコンに筆記用具くらいだった。
とりあえずパソコンの電源を押してみると、その機械は小さいながらも唸りを上げ、ディスプレイの光度に変化があった。
「おお、動いた」
謎の感動が漏れる。
そうしているうちに順調に画面は切り替わり、ログインを求める画面まで辿り着いた。
「えーっと……ユーザー名は入ってる。パスワード……えー……」
知るかよ。とぼやきながら携帯を取り出す。
手際よくアプリを立ち上げ、鞄から取り出したケーブルをパソコンと繋ぐ。
そのまま放置することしばらく。
パスワード入力画面に十数文字のアスタリスクがずらりと並んだ。
「よしよし、突破……っと」
表示されたデスクトップから有益な情報がないかを探る。
「お」
見つかったのはいくつかのファイル。
そこに記されていたのは、研究所の概要だった。
「建てられたのは……七十年前。へえ、結構古いんだな」
そのままファイルを読み進める。
ここは公的機関などではなく、私立の研究所だった。
「創立者は浅島。浅島って……あの浅島、だよな」
研究所の名前もそうだしな、と、リンドを抱えた少年の姿を思い出す。
「で、研究対象は……人や動物に感染し、超常的な能力を持たせる未知の因子……レトロウイルス、ってかレネゲイドウイルスか。これ」
当時は名前なかったからか、と司は資料を読み進める。
彼はかつては無人島だったこの島で動物を飼い始め、ウイルスに関する研究を続けていたらしい。その結果、動物がEXレネゲイドに感染する事とその影響を確認している。
設立当初の研究員は二十名程。名簿もあったが、生年月日の欄は一人残らず空欄だった。
「生年月日は……書けなかった、ってとこか」
浅島という名前。建てられた年代と研究内容の差異。
ここが建てられた時代に「レネゲイドウイルス」などという言葉は存在しないし、そもそも確認すらされていない。それなのにウイルスの研究機関を作るという事は。つまり、レネゲイドウイルスの存在を知っていた。それは、彼らがヴェネツィアに残った「異邦人」達なのだという可能性を物語っていた。
携帯でちょっとしたオカルト話を纏めたサイトを見ると、およそ百年前にイタリア周辺で突如人が現れる事件があったという話も見つけた。彼らは同じ境遇の人達を探しながら欧州を旅していたが、その後の消息は不明とある。大方、この島を見つけて安住の地としたのだろう。
そしてこの研究所は数年前からFHの出資を受け、共同で「人に埋め込まれたとある“因子”の研究」をしていたらしい。
「共同研究の相手は覚醒技術研究所、と」
その名前を見て少しだけ苦い顔をする。
あそこの研究データ残ってるかなあ、と小さくぼやきながら携帯を操作する。
研究所は完全に瓦礫の山と化した。きっとサーバーなども念入りに破壊されているだろうな、と思いながらアクセスを試みる。
待つまでもなく、研究所のアドレスから返ってきたのは予想通りのエラーだった。
「ですよねー……。くそ、あの時根こそぎコピーしとけばよかった」
ぼやいてみるが、そんなの今更だというのは分かっている。
「あとは……」
思いつく限りの情報を打ち込みながら、FHの情報網を辿る。と。そんなに時間をかける事なく、研究者情報のデータベースに浅島の名前を見つけた。
「浅島、有樹。生年月日……なし」
これはビンゴだ、と情報を取得する。
研究所を設立してから研究一本でやってきたらしい彼は、FHと共同で研究を始めた頃にはレネゲイドウイルスの研究者として十分な知識と経験を持っていたらしい。
まるで「はじめからそれが分かる事を知っていて、なぞるように研究をしている」「未来が見えているのではないか」などという話もあったが、それを抜きにしても起業家として天才的な才能を持っていたようだった。
「未来が見えてるのは……ま、そりゃそうだろうね」
浅島という名前がこの研究所に冠されている所から、彼が時間渡航に巻き込まれた人達の代表であったのだろう。そして彼は、様々な経歴を持つ仲間達を纏め上げるだけのリーダーシップを持っていた。そういう事だろう。
そして彼の研究内容についての情報へと進む。
彼が研究していたという「とある因子」は、およそ百年前から欧州を中心にして確認されており、その範囲は次第に広がっていると言われている。
しかし、研究はあまり進んでいないようだった。
「症例数は少ないが――なになに。初期症状は紅い結晶のようなできもの。病状が進行すると錯乱状態や理性の喪失が顕著になり、肌が蝋のように白くなり異形化……ふむふむそれで原因は? 患者の近くに居ると発症率が高い傾向が見られるものの、直接的な原因は不明。なるほど。それで研究が進んでないと言う訳か」
因子はきっと、自分達が運んでしまったあの結晶だろう。
バルトを倒すだけでは足りなかったという事か。と、携帯の画面から少しだけ目を離して天井を見上げる。
「……ああ」
ふと、思い出した。
渋谷駅で自分達が最後に見た光景。
輝くリンドの結晶と。天から見つめる巨大な“眼”。
アイゼンオルカと、桜花を襲った何か。
「二重の、策」
巨大な“眼”もあの時代へ渡っていた――結晶に取り憑かれたものが他に居た可能性。
それが一体誰か……そもそも人なのかすら分からないが、それが桜花の居た宿を襲い、彼女を殺した。
そしてそのまま、この世界に留まり、感染を広げているのだろう。
「可能性は高そうだな」
一人で頷いて、携帯画面に視線を戻す。
彼の研究内容の最後には、以下のような記述があった。
「近いうち……って、これ今年か。に、この紅い結晶と異形の発生は急激に進行するだろう……なんか末利も似たような事言ってたっけか」
自分達との接触が、石を持つ人達の暴走を誘発する可能性に対する指摘。
なるほどこの一文がその「指摘する声」というやつらしい。
「末利が実際に見たのはあの時が初めてなんだろうけど……」
なるほどねえ、と頷きつつ、パソコンにあったデータを携帯へとコピーする。
終わった所でケーブルを抜き、パソコンもシャットダウンさせる。
この部屋にこれ以上用はない。とさっき覗いた方のドアを開けた。
最後にちょっとだけ振り返り、小さく息をつく。
「しかし……浅島博士の研究か。リンド、どう思うかね……」