SCENE1 - 3
目を覚ましたリンドは、ここが自分の故郷である事にすぐ気がついた。
だが、目の前に広がる光景は懐かしき故郷――と思うには荒れ果てすぎていた。見覚えがあるのは最早地形だけのように感じる。
岩は崩れて辺りに転がり、砂浜は何かが大勢で走り回った跡のようなものがあったりと、あれほど綺麗だった景色は残っていなかった。
「……なんだ、この荒れっぷりは……」
身体についた砂と塩を振るい落として、改めて見渡す。
転がる岩。乱れた砂浜。
まるで何か大きな争いがあったかのように感じる。
「……嫌な予感がする」
そうやって見渡していて、ハッと気付く。
この砂浜に居るのは、自分だけだった。
ツカサも。ミアも。キリも。
誰の影も。持ち物すらも見当たらない。
「みんな……居ないのか……」
だが、不思議と全員が死んでしまったような気はしない。動物の直感……かは分からない。
「少なくとも全員この程度で死ぬとは思えんが……さて」
どうしたものか。と小さく息をつく。
この砂浜をうろうろしていても、状況が何か動く訳ではなさそうだった。
折角戻ってきた懐かしい――随分と荒れ果ててしまっているが、懐かしい故郷だ。自分の知っている物が、どこかにあるかもしれない。
「とりあえず、“家”に行ってみるか……」
それはリンドが暮らしていた、島の中央に位置する人工建物群。
リンドが島に居た頃、既に人は住んでいなかったが、そこにはかつて人が住んでいた形跡はあった。
解放されている部屋は少なく、中央に位置する一際大きな建物には許可なく立ち入る事すら出来なかったが、周辺の建物を住処にする者達は残された文字を読み。音を聞き。言葉を覚えて、知識を手に入れた。どうしてそれだけの事が出来たのかは、誰にも分からない。
EXと冠されるレネゲイドウイルスの成せる技かもしれないし、他の理由かもしれない。
それこそが、この島一番の謎であり――答えは混沌の中だ。
その“家”は、この島にも残っているらしい。砂浜からもその影を見て取る事が出来た。
だが。ここはすっかり変わってしまった世界である。
人間社会とは全く異なる動物の楽園だったこの島にも、何らかの影響があるかもしれない。
それはこの砂浜の荒れ具合からも推測できる事だった。
「一体どのような事になっているのか……」
見当もつかないが、と首を振って内陸へと足を進める。
砂浜に残っていた争いのような跡は、内陸へ進む程酷くなっていた。
これは酷い、と眉をひそめながら進んでいると、耳が音を捉えた。
ぴくり、と反応したその耳に届くのは、地響きに似た音。
それは次第に大きくなり、何かの大群がこちらへ向かっているのだと分かる。
辛うじて道の形を留めているこの場所は、その通り道になるのだろう。と、リンドは道の脇に避けて、身を潜めるようにその音を待つ。
どどどどど……と大きな音を響かせてやってきたのは、動物の大集団だった。
「……な」
リンドはそれらを見て、思わず声を漏らした。
それは、もう動物とは呼べない者達だった。角や翼が。鱗が。或いは複数の動物が。ランダムに混ざり合った何か。それはもう動物ではなく、獣でもなく。ジャーム……もしくは化物と呼ぶべき者達だった。
リンドにとって不幸なのは、その化物達の中にいくらか知り合いの面影が見える事。
彼らはリンドに気付く事もないのか見向きもせず、島の中心――“家”へ向かって走り抜けていく。
その光景を、リンドはただただ呆然と見送るしかなかった。
そして後ろに。一層懐かしい顔をリンドは見つけた。
老いた犬。
それはかつて、ひっそりと筏を作っていた――陸が見たいと言っていたあの顔。
「グラン……」
ぽつりと、その名が零れた。
だが、懐かしいのはその顔だけで、表情も姿も、リンドのよく知るものではなかった。
少なくとも彼はあんなに巨大ではない。
あんなに、ぎらついた眼ではない。
そんなに――首の数は多くない。
三つの首を持つ巨大な犬型のジャーム。
言葉が見つからないままかつての仲間を見ていたリンドは、その背にもう一つ。小さな影を見つけた。
それは、一匹の猫。
他の動物達と違い、それはどう見ても猫で。
どう見ても、リンドそのものだった。
「――!」
思わず道へと飛び出ると、巨大なジャームが眼前に迫る。
止まる気配のないその脚をなんとか躱す。地面と共にリンドの毛も震わせたそれが持ち上げられるより先に、リンドは脚へと飛びついた。
ジャームは脚の猫など気にかける事なく走る。
振り落とされないように爪を立て、リンドは声を上げる。
「オマエは……!?」
その声に、上に居た猫も、ちら、と視線を落とした。
どこまでも鏡写しのように見えるその猫は自分と異なり、冷ややかな赤い瞳をしていた。
思わずあの紅い石を連想する――が、その眼にあの石のような輝きも気配もない。ただ赤いだけの眼だった。
そんな彼の口が小さく動く。
その声は届かなかったが、「意外に行動が早い。マツリの入れ知恵か」という言葉を形作っていた。
「オマエ……名は、何だ」
威嚇するリンドに、赤い眼の“リンド”はようやく声をリンドへ向けた。
「リンド。――“無知なるリンド”」
それだけを告げ、これ以上用はないと示すように視線をリンドから外して前へと戻す。
「さあ急げ! もうここに時間は残されていないぞ!」
指示を飛ばされたジャームは、それに従うかのようにスピードを上げる。
「時間が無いだと……何を言っている!」
だが、その声に答えはない。
檄を飛ばす“リンド”を乗せたジャームの脚からリンドは振り落とされる。
地面に転がったリンドに目もくれず、彼らは先程のジャーム達を追いかけるように走り去る。
その先は、島の中心部。
人工的な建物が残る、あの場所だ。
リンドはくそ、と言葉を吐き捨てて首を振る。
「一体何があったというんだ……」
それに答える者は居ない。だが、走り去った“リンド”が飛ばしていた台詞の中から「浅島研究所へ急げ」という言葉だけは拾い上げられた。
「浅島研究所、だと……あれが? 不味い……不味い、気がする」
先程のショックか。対峙した時の名残か。
ぴりぴりするヒゲを少しだけ拭い、リンドもまた、足跡を追って走り出した。