CLIMAX - 10
「あたしは」
口を開いたみあの声は、どこか固く響いた。
「あたしは、あたしの知っている流れに戻したい。それだけよ」
前に、とみあは小さく付け足した。
「前に話したの。覚えてるわよね? この世界は、あたしの“記録”とこの世界は合致しない。あたしは、あたしの“記録”を侵したモノを許さない。だから、あたしはきっと自分の意志でこの“世界”を壊す。って」
それだけよ。と彼女は再び口を噤んだ。
末利もそれには、何も言わない。
ただ、霞んだ視線が探すように動いたのが分かった。
「俺には、世界がどうあろうと興味がない。――俺はただ、自らの平穏を守りたいだけだ」
それはお前も知ってるだろ、と小さく笑う。
「ただ、この世界は俺の希望に添うような場所じゃなかった。少なくとも、“プランナー”が俺を正しく捉えているなら、俺をこんな任務に就かせたのは俺の欲望に何かプラスになるからだと考えている。だから、今こうして戦ってる」
それだけだ。と言い切ると、彼女は少しだけ口の端を緩めた。
「はは……そっ、か」
けぷり、と血を喉に詰まらせながらも、彼女は笑った。
「やっぱり……興味、ないんだ」
「うん」
春日恭二に銃口を向けたのは、ジャームの処分という意味合いが強かったが。この世界に対して、と考えるとやっぱりそれが答えだった。
「末利は」
「――ん?」
「お前は、この世界をどう思ってたんだ?」
俺達に聞いたんだからお前のも聞かせてくれよ、と促すと、彼女は「そうね」と小さく頷いた。
「あなた達が現れて……消えた百年前。あなた達が再び現れる日に……何かが起こるのは、予想されていたわ」
「予想、されてた?」
みあが訝しむように問いかけると、末利は血の気の失せた指で、真直ぐみあを指差した。
「“書き記す者”達――ならわかる、でしょ?」
「なるほど、そう言う事ね?」
こくり、とみあはそれだけで何かを理解したらしい。
「何。みあって量産型なの?」
思わず口に出た疑問に、彼女は「違うわよ」と心外そうな顔をする。
「例えばの話だけど。百年前に一番から五番までのあたしが存在したとして。ある時突然、居るはずの無い所に三番とかがダブって存在したら、それはおかしいでしょう?」
「ははあ」
なるほど? と何となく把握する。
飛ばされた過去の中で、みあがどこからともなく持ってきていた“新聞”。あれは、他の“書き記す者”から得ていた情報なのだろう。そこで接触を図る事によって存在が認識された。だが、みあと同一個体となる“書き記す者”は他に――例えば日本とかに居た。そう言う事なのだろう。
「それから、この世界がその百年間を使って……私達を土壌として育つ、巨大な、タンポポ畑であることも」
けほ、と喉に詰まった何かに咽せつつも、彼女の話は止まらない。
「誰も知らない所で、“種”が育っている事は分かっても……どうする事も、出来ない」
けど、と彼女は弱っていく声で続ける。
「怖いのは、そんな事じゃなかった……。研究するうちに、気付い、たの。いつか。いつかあなた達が現れたら。“畑”ごと、この現象を解決してしまう。もし……解決に失敗しても、土壌として埋め尽くされた世界には、破滅しか、ない……」
分かる? と彼女は焦点の合わない目で問いかける。
「何を経験しても。誰と、話をしても。……何を、食べても。死んでも……あなた達が現れたら、私は勿論、この世界で生きて、死んでいった何もかもが……全て、なかった事に、なる」
そう知ってからは、地獄だったわ。と彼女は呟く。
「本当……地獄みたいな、毎日」
末利はぐらりと仰向けに倒れ込んだ。
顔面は蒼白で、息も随分と弱くなってきている。
「――そうね」
みあが、ぽつりと呟いた。
「末利。あたし達はこの世界を否定するわ。変わってからのこの百年を、出来る事なら分岐した事すら――全てなかった事にする」
けどね。とみあは服が汚れる事も厭わずに、末利の横に膝をつく。
「こんな事を言ったって気休めにもならないかもしれないけど……。短い時間だったけど、あたしは貴女の事を覚えているわ。あたしがこれまで知っていた“諏訪末利”ではなく、貴女を。この先、ずっとよ」
リンドも、みあに寄り添うようにして末利に歩み寄る。
「何が正解で、何が正しいのか。そんなモノは空想の世界にしかない。この世界が正解だったか過ちだったか。そんなのは無意味だ」
ただ、とリンドは首輪の携帯をかちゃりと鳴らして視線を落とす。
「信じるものはそれぞれあるだろう。俺達と信じるものが違うだけでこうして争い合わなければならなかったのは――不幸だったな。交渉の余地は無い、と言いはしたが――マツリ。出来る事なら、俺はお前とも、ユウキのように話をしてどうにか出来れば……」
良かった、と最後まで言わずにふるりと首を振った。
「悪いが、俺達の信じる世界に、戻させてもらう」
それだけ言い残してリンドはみあの元を離れ、司の足元へと寄り添った。
「……末利、お前さあ」
こんな状況だというのに、漏れたのは小さな笑いだった。
「どこに居ても真面目すぎるな、やっぱり」
友人である彼女は、どこに居てもやっぱり彼女だった。
世界の事を真面目に考えて、一生懸命に探求し。身内には意外と甘い。良く知った友人だった。
「“もし”俺達がここでお前達に負けていたら、それは今のお前とどう違うんだ? 何も無かった事になるって言うのは、死という形をとって皆に等しく訪れるはずだろ? それがどんな人生であってもだ。だから今、このクソつまらない人生を悔いがないように生きるんだろ?」
な、と屈んで末利の口元の血液を軽く拭ってやる。
「そんな事、俺に言われたら終わりだぜ?」
なあ、と後ろに立つ影を見上げる。
「わ、私は……」
霧緒が元に戻した傘と刀を両腕で抱きしめて、俯きながら言葉を探す。
「この世界もこの世界で、嫌いでは、無かったんです。ちょっと……違う事が多すぎて、私ではここに居られないって分かって……だから、この世界を、皆が言うように無かった事に、してしまうと、思います」
でも、と腕に力を込めて、末利を真直ぐ見つめる。
「霧緒も、みあちゃんと一緒です。この世界で会った人たちの事は、忘れません」
末利は何も言わなかった。
皆の言葉をどう受け止めたのかは分からない。
ただ目を閉じて、何かを噛み締めるように沈黙をしていた。