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写真

作者: 桐生史

挿絵(By みてみん)


 隠さなくてはいけない。絶対に、この写真を他人に見られてはならない。

 私は廊下に座り込んだ。ああ、すべては夫がいけないのだ。いい年をして化繊のルームソックスなんか履くから。階段の下で仰向けに倒れた夫の足先は、ふわふわとした猫柄の靴下に覆われていた。右足が不自然な角度に曲がっている。滑りやすいと注意したのに、私の話をいつも聞き流すから、いけないのだ。

 夫は階段で足を滑らせ、転げ落ちた。私は動かぬ夫の元に駆けつけ、この不幸な事故を嘆いた。私は泣きながら救急車を呼ぶだけで良かったのだ、忌々しい化繊の傍に、夫の最悪の落とし物を見つけるまでは。

「あなた、どうしてこんな事を……」

 私はもう一度写真を見つめた。右端に白い筋が入っているから、夫の書斎に置かれたプリンターで出力されたものに違いない。

 写真には茶髪の少女が写っていた。息子の孝一郎より少し年下の、高校の制服姿だ。少女は両腕を背中にまわして浴室のタイルに座り込んでいた。壁のシャワーヘッドには見覚えがある。これは夏の休暇を過ごす、軽井沢の別荘の浴室ではないか。少女の着衣は乱れ、口を粘着テープで塞がれている。血走った両目は恐怖で見開かれていた。

「女子高生連続殺人事件」

 美容室で眺めた雑誌の、煽情的な見出しが甦る。四人の被害者が出てもなお犯人は捕まっていない。今朝のワイドショーで見た行方不明の少女は、茶髪でこの制服を着ていた。

 私は夫に目を移した。夫は休日にいつも着るラガーシャツにジーンズ姿で、外出用のウエストポーチを着けていた。ルームソックスを取り換えもせず、大慌てでどこへ行こうとしていたのだろうか。

 ウエストポーチのポケットから、デジタルカメラがのぞいていた。見たことがないカメラだが、孝一郎の卒業式のときに使ったメーカーと同じだから操作はわかる。私はそっとプレビューボタンを押した。

 一枚目は林の中でカメラに向かって微笑みかける三つ編みの少女。

 二枚目はその少女が浴室で恐れ戦く姿。

 三枚目では首にロープを巻かれ死んでいる。

 四枚目は違う少女が楽しそうに微笑む……もう間違いない。夫は女子高生連続殺人事件の犯人だったのだ。思い返せば、この事件のニュースが流れると夫は妙に真剣な顔で見入っていた。

 眩暈がした。

 私の人生は輝かしいものだったはずなのに。会社役員の夫、東大生の息子、閑静な住宅街に建てた注文住宅、別荘に高級車にクルーザー。これらを手に入れるために、私は夫の両親を介護し、面倒な付き合いや汚い仕事も厭わず努力してきた。すべて失ってしまうのか。世間から後ろ指を指され、逃げ隠れながら生きていかなければならないのか。

「ううん」

 夫が呻いた。血塗れだが、まだ生きている。

 手を伸ばしかけて、自問した。夫が生きていることはいい事なのだろうか。

 どうせ死刑になるだろうし、裁判は時間がかかるものだ。その間ずっと私はマスコミに追いかけられ、孝一郎はまともな就職も結婚もできず、親戚や友人は離れていくに違いない。いっそ死んだ方が……いや、犯人がここで死んで、事件がこのまま迷宮入りすれば、孝一郎は人殺しの息子にならないし、私はただ不幸な事故で夫を失った善良な妻のままでいられるのだ。

 私は決心した。これが最善の方法だ。

 カメラと写真を廊下に置く。後で確実に処分しよう。別荘にも証拠が残っていないか確認しに行かなければならない。あの少女がもう生きていないといいのだが。

 夫の襟元を両手で掴み上体を持ち上げ、階段の角めがけて後頭部を打ちつけた。

 夫は既に瀕死で何の抵抗もしない。念のためにもう二度、三度打ちつけた。夫の死体には不自然な傷が残るだろう。だが、私は必死に蘇生させようとしただけなのだ。女の細腕で不自然な姿勢の夫を担ぎ上げようとして、手が滑っただけなのだ。誰が疑うだろう。


「救急車を呼ぼうか」

 いつの間にか孝一郎が傍にいた。

「お、お母さんが電話してくるから」

 血塗れの手のままダイヤルボタンを押し、救急車を呼んだ。これでいい。私はふらふらと夫の元へ戻った。

 孝一郎が屈んで、何かを自分の鞄に仕舞い込むのが見えた。廊下の写真とカメラがなくなっている。

 何か、大事な間違いが起きたのではないだろうか。私はこの数か月のことを思い返していた。少女たちが行方不明になったのはいつも土曜日。そういえば、孝一郎はこのところ週末はいつもサークル活動と言い車を使っている。息子は私に似て小顔で、幼いころからもてる方だ。声を掛けられれば少女は喜んで車に乗るだろう。

「どうしたの、母さん」

 孝一郎がにっこりと微笑んだ。

 私はどんどん冷たくなっていく夫の傍らに膝をつき、微笑み返そうとした。

小説2作品目です。

不気味な感じにしたかったのですが、難しいですね。己の語彙の少なさに戦慄する毎日です。

読んでくださってありがとうございます。

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