もしチョコレートを異世界の人(王様)が食べたら
「なに。ラクトアからまたしてもオチュウゲンが届いたとな?」
王は瞳を輝かせ玉座から身を乗り出した。うやうやしくカードを捧げ持っていた侍従長は、それを王の側近の男に手渡した。国内の貴族を束ね、また王の側近として長年仕えている男は、そのカードに目を走らせると、片方の眉を上げた。
「いえ、同封されておりました書簡によりますと、『ばれんたいんでぇちょこれぃと』というものだそうでございます」
「ふむ。オチュウゲンではないのか。まあよい、そのばれんたいんでぇちょこれぃととやらの箱をさっそく開けてみよ」
「お待ち下さい」
「なんじゃ」
「これを開けますと大変な災いがふりかかるやもしれませぬぞ」
顔をしかめてカードを読んでいた側近の男は重々しく進言したが、王はそれを鼻で笑った。
「これまではそちらの言うとおり慎重に開封し、毒見に毒見を重ねてきたが、前回のめりぃくりすますのラクトアの行動を見聞きし、やつにわしとわが国にふたごころのないことは充分すぎるほど伝わったではないか。もうそれほどラクトアを警戒せずともよい」
「しかし」
「いまや悪名ばかりが知れ渡り、わしもラクトアをそのような目で見ていたが、史実の通りであればラクトアは創世の魔女のひとり。王国史を紐解いてみてもラクトアに被害を受けたことはない。さらに今回は盗賊団を捕縛しただけでなく、貴賤を問わず国内の家々を明るく照らし、内陸部では貴重な食糧まで届けてくれた。これ以上ラクトアを警戒し続けることは、かえってラクトアに失礼ではないかと思う」
「はぁ、しかし王の口に入るものについては我々は慎重にならざるを得ません。大臣の代わりはいても王の代わりはおられないのです。ラクトアが『美味なるもの』を王に届けてくださっていると言え、いつも食べ方も分からぬ異界の食べものばかりではありませんか。それにラクトアがなぜ度々『異界の美味なるもの』を贈って寄越すのか、その狙いも分かっておりません。我々も簡単には納得できません」
「それもそうじゃが……いつも美味なるものばかりであるぞ」
「一度は『美味ではないもの』であったではありませんか。むしろ食べ物でさえございませんでした。ラクトアを信用し、調べもせずに召し上がられることだけは王妃様の為にも王子様方の為にも我ら臣下の為にも国民の為にも! ……お控えください」
「むぅ……そちの言うことも一理ある。しかし、ちとわしの口に入る分が少ないのではないかと思ってな」
「王宮で召し抱えている料理人が王宮の厨房で作ったものを召し上がっていただくのと、ラクトアがどこぞから持ち込んだものとでは、警戒度が端から違いますゆえ、致し方ございません」
「むむむ。まあよいわ。そういうことにしておいてやる。ラクトアが寄越したものを開けてみよ」
「……かしこまりました」
侍従がしずしずと運びこんできたのは、白い紙製の箱に焦げ茶色のリボンがかけられた箱だった。
王をはじめ、王妃、王子、姫、大臣、貴族たちが固唾の飲んで遠巻きに見つめる。その内側には魔法使いが配置され、箱に一番近い場所で甲冑に身を包んだ厳戒態勢の騎士がリボンに手をかけようとしていた。
しゅるりとリボンがほどかれる。とくに爆発したり、呪いが発動したりもしないようだ。
さらに白い紙箱の蓋が持ち上げられる。
中にはやや茶色みがかり、艶々とした泥だんごのようなものが八つばかり並んでいる。
その泥だんごのようなものの形は、酒瓶のようにも見えなくもない。
泥だんごのようなものからは、見た目からは想像できない甘い芳香が放たれていた。
ゴクリ、と誰かの生唾を飲む声がやけに大きく聞こえた。
(ばれんたいんでぇちょこれいととやらは八つしかないようじゃ。この調子だとよくて一つ、もしかしたらひとかけらしか口にできぬかもしれん)
王は皆をへいげいし重々しく口を開いた。
「よいか、調査、毒見してよいのは四つまでじゃ。期限は夕方、陽が落ちるまで」
「はっ!」
無作為に選んだ四つのバレンタインチョコレートを手に、緊張の面持ちで退出していった王立科学捜査班の後ろ姿を、王は上機嫌で見送った。
***
「王!」
「何か分かったか」
「はい。このばれんたいんでぇちょこれいととやらの主成分は、油脂、砂糖、酪乳、そして酒精と何かの木の実をすりつぶしたもののようです」
「驚くべきことが分かりました!!」
「なんじゃ!」
「このばれんたいんでぇちょこれいとですが……」
報告書を手にした研究者は、チラチラと王妃と王を見比べ、言いにくそうにモジモジした。
「サンプルが少なく、はっきりとしたことは申し上げられませんが、どうやら血の道の病の予防、整腸にもよく、また腹持ちも良いので兵糧にも良さそうです。さらにイライラを鎮め、集中力や記憶力の維持にも効果的であり、これを試した魔術師の魔法の錬成度が上がりました。さらに……その……」
「なんじゃ、はっきり申せ」
「興奮作用もあるらしく……その……夜の方の、」
「夜?」
「持続作用もあるかと」
「ほう?」
貴族たちがざわめいた。
王妃は顔を赤らめ、王は身を乗り出した。
年若い王子と王女は、乳母に連れられて退席していった。
「中には苦い液体が入っておりますが、主成分は葡萄を主原料とした酒精だと思われます。召し上がって頂いて問題はございません」
「そうか、そうか」
王は上機嫌になった。王妃を横抱きにし、早くも奥へ引っ込もうとしている。
ちょこれいとの箱を持った侍従が後に続いた。
丸い月が夜空にぽかりと浮かんで、城を静かに見下ろしていた。
***
「次の満月が楽しみだよ」
「お言葉のわりに楽しそうには見えませんが……ラクトア様何かあったんですか? 次の満月って何かありましたっけ?」
ルーが羽冠を揺らしてラクトアを振り返った。
ラクトアは、遠く離れた王宮のとある部屋が映し出されている水晶を、紅く塗った長い爪でコツコツと突っついた。もう片方の手にはフォークが握られ、小さな丸テーブルの上には金の縁取りのついた白磁の皿に大きなケーキが乗っていた。半分ほど食べられたケーキの上には異世界の犬を象ったクッキーが飾られており、ケーキ全体からひんやりと冷気が漂っている。
「バレンタインチョコレートを受け取った者は、次の満月に三倍の価値の贈り物を返す掟になっているのさ。王ちゃんは何を返してくれるかしらね」
「あー! アイスケーキボクの分も残しておいてくださいよ! それにしてもちょっと見ていられないな」
ルーは水晶を覗きこんだ。うっかりそれを見てしまったために開いた嘴が塞がらない。
「そんなにハッスルしてるかい」
「ええ……まあ、でも皆さまにはお見せできませんね。ここ全年齢ですし」
「ウィスキーボンボンってそんなにアルコール強かったかしらね」
「まあ、異界のお酒ですし。飲み慣れない方には強いんじゃないですか? こちらのお酒って度数低いですからね。で、三倍返しですか。ちゃんとあちらにお伝えしたんです? あの方たち、そんな慣習ご存知ないと思うんですけど」
「もちろんじゃないか。『次の満月の夜に返礼の贈り物を用意しておくこと。できなければ次に生まれた女の子を頂く』と伝えておいたからね」
「え、赤ちゃんさらっちゃうんですか? 止めましょうよ。そんなのもらってどうするんですか。そんなことしたらせっかくクリスマスに植え付けたクリーンなイメージが台無しですよ」
「そうなんだけどさ、魔女学会でクリーンなイメージの魔女は異端だって揶揄されたんだよ。きっと今回のも『ラクトアを信頼しすぎて泥だんごと間違えて右往左往する人間が見られなくてつまらない』とかなんとか言うに決まってるよ」
「前の新月の晩に若づくりしてお出掛けになったアレですね。ふーん、そんなことが。でも、本当に王女を拐ってきてしまったあとどうするんですか。結局私がお世話するんですよね。おしめとか、ミルクとか、離乳食とか!! ラクトア様責任取って母乳出してくださいよ?」
「おバカなこと言ってるのはどこの鳥かしらね」
「うわわわっ! 属性無視して炎出さないでっ! 焼き鳥反対! ぎゃーー」