海賊と蝕の瞳の民
廊下に灯ったのは魔法による球体光源で、真っ白く煌々と光り浮いていた。近付くとそれは先を案内するように海水の中を進んでいく。それに従って塔の中、恐らく城の様なその内部を進んだ。
高く海中に伸びていたのは城の上部に当たる塔の様な形状の場所で、徐々に下へと、深部へと光は俺たちを誘う。コレが罠だったとか言ったらぞっとするぜ。こんな海中の底で、魔法が切れたら息が出来ないよりも前に、水圧で身動きが取れなくなるだろう。そこからの溺死なんて、考えたくも無い。鉄鳥の環境適応だって本当の姿にならないと能力が発揮出来ない訳だし、もし狭いところに閉じ込められでもしたら……おお、怖い怖い。
そんな俺の胸中の不安を知ってか知らないでか、メーヴォは随分と暢気に城の中に気を散らしている。
「あ、あの部屋。何だあの機械。大きい!」
と、言ったかと思えばふわーっとその部屋へと吸い込まれていくし、部屋に入ってしまったら中々その場を動こうとしない。
「これは、どうやって動かすものなんだ?何に使うんだろう……此処に付いてるのは煤……この小さな釜の中で火を起こすのか?この上は、水を溜めておくものか。もしかして湯を沸かすのか?こんな小さな釜で?全然火力が足りないはずなのに、どうやって……」
水中なのを良い事に、メーヴォは大きな機械を上から下から観察して、すっかり本来の目的を忘れちまう。
「おい、メーヴォ!行くぞ!」
そうやって何度呼び急かしたのだろう。いくつもの部屋を行き過ぎるも、機械や武器、調度品まで、保存状態の良い物を見れば足を止めるメーヴォをどうにかせっついて、俺たちは更に下へと続く螺旋階段に辿り着いた。ふわりと漂う光の球体が真っ直ぐに螺旋階段の中心を降下していく。
「何処まで降りるんだろうな」
当然のように下は見えない。漆黒の闇が口を開けている。おっかねぇこった。
「城の地下に続いているんだろうな。さっき城の入口らしい大広間が見えた。城の地下となれば、例の火山性ガスに類似した気体が眠ってる可能性があるって事だ。どうやってあのガスを持ち帰るかが難題だな」
「そう言う話なのかよ」
「ん?違ったか?」
本当に、いつだってコイツは自分の興味の方しか向いていない。その興味が、ゆくゆくは俺や団に還元されて来るんだから、良い方向を向いてるって事だ。
「……違いねぇや。風の魔法で上手い事運び出させるかどうか、考えながら行こうぜ」
ほら見ろ。すっかり怖気づいてたのがどっか行っちまった。メーヴォは知らず知らずに俺の恐怖を紛らわせてくれるし、気持ちを上げてくれる。
お前がいたから此処まで来れた。古代人の謎を知り、解き明かそうと冒険して来た。そうしてやっとその謎の核心に近付いている。
「やっと此処まで来たな」
暗闇を見下ろしながら、やっぱりこう言う時に言う台詞だよなぁと芝居じみて口にした言葉を、相棒は低く笑い飛ばした。
「何言ってるんだ。此処もまだ通過点だ。そうだろう?第二の海賊王、ラースタチカ」
お前さ、そう言うの興味ねぇって言ったじゃん。ずりぃよなぁ、それココで言うか?言っちゃうんだよなぁ、お前ってヤツは。
「なら頼むぜ、俺の宝の鍵、海賊王の技術者様よ」
「お前の頼みなら、泥船だって戦艦に変えてやるさ」
心強いねぇと笑えば、同じように笑い返してくる相棒を見て、そして俺は闇の広がる螺旋階段の下を見た。緩やかに降下する光が大分小さくなっていた。
「行きますかね」
「ああ」
俺たちは揃って床を蹴り、光を追って螺旋階段を降下し始めた。
微かに遠くで光が壁を照らす。螺旋階段は途中で溶け落ちてしまったようになくなり、暗闇に消えた。やがて細い筒状の洞窟に続き、枯れた井戸を降りていくようだった。何処までどのくらい降りたのか感覚が鈍る。光源は足元のずっと下で仄かに輝き、そしてふっと消えた。
「やべぇぞ、光が消えた」
「違う、横に移動したんだ」
マジか。光が消えた辺りまで降下すると、筒状の洞窟がぱっと開け、広い空間に出た。水中に居るとは言え、自由に浮遊していられる訳ではない。底の見えない縦穴に背筋が途端に冷え込む。少しだけ横に逸れた光源が白い柱のある広場のような場所を微かに照らす。が、床のような物はまだ見えない。
「ラース、手を」
呼ばれて差し出した手をメーヴォが取り、その名を『詠んだ』。
「顕現せよ、セルペントフルギーノ!」
呼びかけと同時に鉄鳥が光り、それがあっと言う間に大きな海竜の姿をとる。メーヴォに手を引かれるまま、俺たちは鉄鳥の背に乗った。ふわっと息が軽くなり、僅かに増していた水圧も感じなくなった。
光を追って鉄鳥が白い柱の広場に向かう。柱に違和感を感じたのは程なくだ。傾いでいるようにも見えるが、そうじゃない。アーチ状の柱だ。
「……なあ、さっきの松明みてぇなの、もうないのか?鉄鳥がこっちの格好になると光が足りねぇや」
「あるぞ、待ってろ」
やっぱり何処からその大きな松明を持ち出したのか分からないまま、メーヴォが便利な松明に火を付けた。程なく燃え上がった火炎水晶が、白い柱を橙色に色付ける。海水が温かくなり、風の魔法だけでは防ぎ切れない海水の冷たさを和らげた。松明を受け取り、メーヴォの腹に掴まりながら、彼方此方に光を向ける。メーヴォもやはり気になったのか、光を追いながらも鉄鳥に柱の方へ寄るように指示を出した。横幅が二メートルはあろうと言う柱を横目に光を追う。全体像は見えず、そこに何が鎮座しているのか分からないが、光を追いながら点在する白い柱を観察する。大きな柱の様なそれは、およそ底の見えない海中の暗闇から生えており、弓なりにあちらへ曲がり、そして平行してもう一本あるように見える。
「……何か、これ、柱じゃなくないか?」
「柱じゃなかったらなんだってんだよ」
そう口にした瞬間だった。
「お二方!しっかりお掴まりください!」
鉄鳥が突然ごぼこぼと空気を吐き出しながら喋ると、ぎゅわっと泳ぐ速度を上げ、少し遠ざかっていた光の球体へと並んだ。吹き飛ばされそうになりながら、何とかメーヴォにしがみ付いて事なきを得たのだが。
「なんだってんだ」
「ラース、アレだ、あの泡だ」
振り返った先で、白く煙る泡の集合体が下から昇って来るのが見えた。
「この下に、やっぱり発生源があるんだ」
確信と共にメーヴォが歓喜の声を上げる。ああやって定期的に吹き出した泡が城の中、塔の中で溜まり、そして何らかの衝撃で海上に上がっていく。そうしてこの海域では毒が蔓延するのだろう、とメーヴォが丁寧に解説してくれた。
「でも何で、あのガスが発生しているのかが解らない。この一帯に海底火山があるわけでもないし、何が元で発生しているのか……それが突き止められれば、持ち帰るのだって容易なんだけど」
お前やっぱりそれなのな。苦笑の様な溜息の様な、笑い飛ばすようなそれをハッと吐き出し、横に並んだ光の球体を改めて眺めた。
並んでいたと思った光の球体がふいに進路を変えた。斜め左下に曲がった先に、五本の柱に囲まれた舞台の様な場所に、光は吸い込まれて、消えた。
「そこか」
短くメーヴォが呟いたのがやけに耳に響いた。けれど、海底に降り立った程度で、その柱の中心に何かがあるようには思えなかった。
『良く、辿り着きました』
聲が、俺にも聞こえた。
『もう少し近くへ着てくれますか?顔を良く見せて欲しいの』
女の聲だ。若い、いや、老婆の様な、小鳥の鳴く様な可憐な少女の聲にも聞こえる、不思議な聲だ。
声に従い、メーヴォが鉄鳥の背を押す。水中を緩やかに降下し、鉄鳥は五本柱の中心に近いところに降り立った。ぶわ、と。胴体を着けた足元で泥が舞って視界を濁した。それが僅かな潮の流れに乗って晴れる頃、俺たちの目の前、五本柱の中心に一人の女が姿を現した。
金髪の様な、赤毛の様な。橙色の髪をした女はローブに身を包んでいた。年の頃は分からない。若くも見えるし、壮年のようにも見える。しかし何より驚いたのは、その女の瞳だった。
「蝕の瞳……真円の、蝕の瞳だって」
メーヴォが驚きの声を上げて鉄鳥から降りた。鉄鳥の前脚に手を付いたまま、メーヴォは女に近付いた。おいおい、待て待て!
橙色の髪の女は、メーヴォと同じ大きな瞳を持っていて、茶色の瞳に金色に光る真円の蝕の瞳をしていた。
『やはり、私たちの血を引く者でしたね。彼の目に輝いていた光を、もう一度見る事が叶った事、嬉しく思うわ』
その声を聞いて、メーヴォは振り返って俺へと目配せした。
「……何処から、何から話して良いか、分からなくなるもんだな」
「は、ハハ。レディと話す時は、まず名乗り、名前を聞くところからだぜ、メーヴォ」
茶化してやれば、短く苦笑してメーヴォは女に向き直った。俺もその横に並んで降りる。
「僕はメーヴォ。メーヴォ=クラーガだ。見ての通り、貴方と同じ蝕の瞳を持つ蝕の民の末裔、技術者だ。この目に付いて、蝕の民について、話を聞きたい」
『勇敢なるカモメ、その血筋が此処に続いていた事に感謝するわ。そちらは?』
「俺はヴィカーリオ海賊団の船長、次期海賊王になるラースタチカだ」
『ツバメの友と共に、カモメがこの海に降り立った。長く待った甲斐があったわ。私の名前はエルフィ。エルフィリア=リープトン=サンエンブレム。太陽の民にして、竜の民の巫女です』
太陽の民、竜の民と聞いてもピンと来ない。けれどメーヴォは訝しげに、しかし何処か確信を持って言葉を返した。
「この瞳を持つ古代人がいたと聞いている。それは、蝕の瞳ではなく、太陽の瞳を持つ者として存在していたのだな?」
『そうですね、私たちの話を、貴方に続く私たちの話をしなければいけませんね。彼と、私たちの世界の話と、貴方たちに繋がる旅の話を、順に話しましょう』
ふふ、と笑った女、巫女エルフィはやっとお話出来るわ、と俺たちに微笑んだ。
『私は、ご覧の通り既に肉体の死を迎え、記憶の残滓が今の私を形作っています』
何がご覧の通りだ、見た所普通の人間と変わりなく見えるけど、幽霊って事か。
『何処から話しましょうか。沢山、話さなければならないわ』
「蝕の民、貴方が言う太陽の民とは何だ?移民だと伝承が残るが、何処からの移民なんだ」
少女のようなふわふわとした移り気で悩むエルフィに、メーヴォが単刀直入に質問を切り出す。
『そうね。太陽の民は、蝕の瞳の民と呼ばれたわ、このグラハナトゥエーカの地で。私たちは竜の創り上げた世界、ドラゴノアからの流者、多次元に平行する一世界から渡来したのよ』
は?なんだって?話が飛躍してないか?
「やはり、外世界からの流者だったのか」
「え?何だよメーヴォ、そのアテが付いてたのか?」
そうだが?とケロリとメーヴォは驚く俺を見返した。マジかよ!割と重要な話だぜそれ!
「いつから!いつから分かってたんだよ!」
「予想出来てたのは海洋学者ギルベルトと会った時からだ。確定的だと思ったのは氏の手記を読んでからだ」
そんな早くから?マジかよ!
「氏は蝕の民の事を『侵略者』と言っていた。マルトから聞いたけど、幽霊船で薔薇十字教会の幽霊退治をした時に、奴も蝕の民の事を『異界の住人』と呼んでいたそうだ。聞いてなかったのか?」
「んんーそんな事言ってたか?あの時はもうお前を助ける事で頭ん中一杯で、話なんかろくに聞いてなかったわ」
仕方ない奴だな、と呆れるメーヴォは、ギルベルトの手記から、蝕の民は極稀に異界から流れ着く異世界人であると踏んでいたらしい。
「ただ解せないのは、流者は極稀に、単一で流れ着くものだ。蝕の民の伝承では、船で流れ着いたと聞いている。それは、神でもなければ成せないと、そう言う話だ」
メーヴォの解説を静かに聞いていたエルフィは、再度の質問に感動の言葉で答えた。
『凄いわ!勇敢な上に頭も良いのね。まるでサシャみたい。その通り、伝承と貴方の推測は間違いないわ』
「と言う事は」
『私は神の妻。私の夫は、ドラゴノアと言う世界を創った神竜ホールド=サンエンブレムよ』
デカイ、とんでもなくデカい話になって来たぞ!
「じゃ何かい、神様が民を纏めてそっちの世界からのコッチの世界に渡って来たってのかい?神話の話か?」
思わず口に出してしまったが、エルフィはにっこりと笑って『その通りよ』と答えた。
『私たちの世界は飽和状態にあったの。神への信仰は薄れ、人々は神の手を離れ自立し出した。信仰の力を失ったホールドは人に堕ち、私を選び、世界を旅して半身を見つけ、そして神を強く信仰する竜の民を連れて、自ら創り上げた世界から旅立ったのよ』
素っ頓狂過ぎて神話の勉強をしている気分だ。
「世界を創造せし神が、世界の次元を超える船で旅立ち、この世界に辿り着いた。そしてこの世界の神と供物に組みした。そういう事で良いんだな?」
それで納得出来るメーヴォが凄いって。そう言う顔をしていたんだろう。メーヴォが溜息と共に俺に補足する。
「供物の伝承を知っているだろう?神は数多の世界を創り、そこに礎となる者たちを造り上げた。それが供物だ。世界は多次元に渡って平行存在する。供物信仰の基礎だぞ?」
「俺は供物も神も信じてねぇの!」
「言う割りに、良く供物に祈れって言うじゃないか」
「それは言葉のあや!」
「兎に角、別次元からの神がかり的な移民でも無い限り、蝕の民の技術は説明が付かないんだ。僕らの世界の文明よりずっとずっと進んだ文明圏からの介入が無ければ説明が付かない」
だからってそんな、世界を創ったカミサマがほいほいと作った世界を捨てて来ちゃうってどうなんだよ!
『神竜は、ホールドは世界を見捨てたのではありません。人々に託したのです。これからは人々の時代だと。人々は自らの力で世界を変えて行く力を得た。だから、神の出番はもう終わったのだと、そう判断したのよ』
言ってエルフィは五本の柱の一つをそっと撫でた。それを見て、ぞわりと背筋に冷たい感覚が走る。まさか。
「……彼は、此処に居るのか」
ぽつり、とメーヴォが、確信的なものを持った声で呟く。微笑むエルフィに、その答えは知れた。
『そうよ、神竜ホールド=サンエンブレムは此処に眠ったの』
それ、は、手だ。その五指で愛しい妻を最期まで護ろうとする手の平だ。
あれ、は、翼だ。曲がった柱だと思っていたあれは、海底深くに沈んだ、巨大な竜の背に生えた翼の骨だ。
「……何てデカさだ」
「流石、神を名乗る竜なだけある」
『ふふ、色々信じてもらえたかしら。あとは何をお話しする?ドラゴノアのお話も聞いてくれる?』
「そうだな。その前に、貴方たちの辿り着いた地、かつて此処にあったグラハナトゥエーカについて聞きたい」
どうぞ、とエルフィは微笑む。それは母が子に与える無限の愛のように大らかで、かつ得体の知れなさを伴っていた。
「グラハナトゥエーカと呼ばれた国に、ドラゴノアから旅立った神の船が次元を超えて辿り着いた。そしてこの地に進んだ技術で繁栄を齎した。そこから何故グラハナは滅亡したんだ」
お前良くそんだけの質問を次から次へと投げ掛けられるよな。俺もう頭の中パンパンなんだけど?
『進んだ技術は一時的な繁栄を齎すけれど、それだけでは駄目なのよ。一極に集中した繁栄は、他を蹴落とすか、置き去りにするわ。それは嫉妬や羨望を生み、やがて憎しみへと変わるの』
「そしてグラハナは戦火に包まれる」
悲しげな表情へと変わったエルフィの言葉をメーヴォが続けた。流石だよ海賊王の技術者様。お前は自分で調べて、答えを模索したい派だもんな。
頷くエルフィに、事の次第は知れた。続けてエルフィはグラハナトゥエーカと呼ばれる国に辿り着いてからの事を語った。
ドラゴノアと呼ばれる世界を創造した神が次元を渡り、高い技術力と共にこの世界の小国グラハナトゥエーカに流れ着いた。グラハナ王は全ての民に平等に情報、技術共有を徹底する変わり者で、国中に優れた技術が広まり、国は百年ほどの繁栄を得た。
しかし急成長を遂げた小国に周辺諸国が黙っていなかった。ある国は同盟を求め、ある国はグラハナトゥエーカを敵視し出した。
およそ一千年前。
グラハナの東、今で言う魔道大陸には、リッツァサーラと言う一つの国家があった。南には現在も国が続くバルツァサーラが、西には蒼林国があった。三国は小国グラハナトゥエーカをどうにか自国領にしようと動き出した。
しかし、グラハナ王はどの国の申し出も受けず、やがて戦火が起こる事も予見していた。
『グラハナ王は、ドラゴノアの技術はこの世界の人々が手にするには早過ぎると仰られた。私たちはその判断に従い、民を国外へ秘密裏に逃がし、戦火の上がった国を、国王自らの判断で、国と共に海の底へと沈めました』
私たち、と彼女の繰り返す言葉は、つまり神の竜ホールドの事を指しているのだろう。
「神様竜とその嫁さんじゃ、百年くらい生きるって話か」
『ええ、そうね。でも共に来た竜の民はその頃には代替わりしていたわ。彼らは人の身のままだったから。交わりを繰り返し、薄れ、けれど此処にその子孫は確実に根付いた。メーヴォ、貴方がその結実よ』
「グラハナ国の事は大体伝承通りだ。ありがとう。あとはその太陽の民だの竜の民だの、それは一体どう言う分類なんだ?」
またお前矢継ぎ早に。
『その知りたがりは星の民のようだわ。ドラゴノアの民の血は此処に流れ着いた。では、貴方の血族の話をしましょう』
微笑むエルフィは簡単に話すわ、と言いながら、割と長々と話をした。俺が覚えてるのは大体こんな感じだ。
神竜ホールドは闇の中に発生した巨大な生命体で、彼は発生した自らの体と、四つの息吹、三つの光から竜の眷属を創った。そして七つの竜は七つの人を創り、それを統べる事で世界を創った。
その七つの人々を、それぞれ火、水、風、土、太陽、月、星の民と呼んだそうだ。
『蝕の瞳とこの世界で呼ばれるその瞳は、太陽の民が持っていた光の瞳です。太陽の民は神竜信仰に厚い民でした。現に、私も太陽の民の巫女として、信仰の代償に神に捧げられた贄でした』
「その贄を、神は、人に堕ちた神は選んだと」
それは偶然だったと話す彼女は『女』の顔をしていた。
『彼と共に在れて私は幸せだった。私たちの魂は既にこの神の元に還ったわ。私たちの魂は、きっと欠けた供物を補って次の世界になるのでしょうね』
「では、僕から最後の質問だ。今貴方の立っている下、此処に彼が埋まっている。それは間違いないんだな?」
『ええ。彼の亡骸は海底に埋没しているわ』
それがどうしたったんだ?満足そうになるほど、と呟いて、メーヴォは不敵に笑っている。
「なあ、この下に竜の死骸がある?それの何が必要な情報なんだよ」
何気ない質問のつもりで口にした途端、メーヴォはにんまりと笑って俺に向き直った。
「ラース、僕の推測が間違っていないなら、この下に大量のお宝が眠っている」
はぁ?
「さっき吹き出して来た泡は覚えているな?アレがこの下に埋まっているんだ」
『ああ、そう言う事ね』
エルフィまで何かを理解したようにふふっと笑っている。俺だけが事の次第を理解出来ずに置いてきぼりだ。
「この下に巨大な竜の死骸が埋まっている。既に肉体は土に還っている。死体が生み出すのは何だ?竜と言えどその身体は有機物だ。有機物が海底の土の中で分解されれば、そこにメタンが発生する」
めたん?なにそれ。ん?あの泡?泡に包まれた鮫野郎が爆発したあれ?
「蝕の民の技術書に書かれていた、無色無臭の燃える空気だ。僕が捜し求めた、燃える水や爆破する水の精製が可能になるかも知れないお宝さ!」
「スゲェじゃん!それすっげぇじゃん!」
『確かに、彼の肉体が朽ちる内に、此処に堆積したのは間違いないわ』
ふわ、とエルフィの体が土の中に消えた。え?と思って驚いて程なく、エルフィは消えた時と同じようにすうっと土の中から浮き上がって来た。その手に椰子の実大の白い塊を持っていた。
『これはメタンハイドレート。メタンガスが固まった物よ。常温では気化してしまうから、水に漬けておくか凍らせるのが良いと思うわ』
海水の中をふうわりと投げ渡されたそれを、どう受け取ろうかとお手玉するメーヴォは随分間抜けだった。
「メーヴォ、それ上手い事投げろよ」
少しだけメーヴォと距離を置き、鉄鳥の頭の上に登る。トスを上げたそれをイディアエリージェで一回り大きく氷漬けにしてやった。
「冷たっ」
しかめっ面で受け取ったメーヴォが自分のコートを脱いで氷付けのメタンハイドレートを包んで鉄鳥の背に乗せた。
「穴も掘らずに取り出してきて頂けて光栄です。今後、僕らが此処を訪れて神竜の身体を掘り起こすと思いますが、その許可は頂けますか?」
『ふふ、私のこの記憶の残滓も、貴方たちに出会えて役目を終えたわ。その瞳を持つ貴方たちなら、彼も喜んで受け入れるでしょう。ガスの発生にだけは気をつけてね』
常に微笑む顔を崩さない巫女エルフィは、自らの役目を終えたと言った。千年もの間、自分らの子孫かも知れない誰かが此処を訪れるまで、ずっと待ち続けた彼女は、今ようやく自身の元に、愛する男の下に還るのだ。
『会えて良かった。沢山お話出来てよかったわ。そして楽しかった。ありがとう、勇敢なカモメとツバメたち』
私から、最後に貴方たちに贈り物よ、と。エルフィは竜の手の中から俺たちの方へと近付いて来た。
『この記憶の残滓を司る、神竜ホールドと、闇竜ホールズの双子神の加護を、貴方たちに託します』
おいおい、此処に来て新情報じゃない?カミサマ二体居たの?そんな俺の疑問を無視して、巫女エルフィは片手に、この世の全てを照らそうと言う程の真っ白な光を。もう片手に、全ての光を飲み込もうとする程の漆黒の光を持って俺たちに微笑む。
『この世界の魔と、ドラゴノアの魔は勝手が少し異なるわ。メーヴォ、貴方の体内にこの世界の魔力は相容れない。勇敢なる光の民の末裔、太陽の瞳を持つメーヴォ=クラーガ。貴方に、神竜ホールド=サンエンブレムの加護を与えましょう』
言って、白い光を湛えた右手をメーヴォの額へと触れる。光はメーヴォの額の中に消えた。触れる瞬間目を閉じたメーヴォが目を開くと、視認出来るほど強くその蝕の光が瞬いた。
『少しですが、貴方の体内に神竜の魔力を注ぎました。やはり貴方は太陽の民の血を強く引いている。ホールドの魔力がもう定着したわ』
何が変わったのだろう。見た目では蝕の光……いや、太陽の光ってのか。それが輝いたくらいしか変化は見られなかった。が、本人にとっては驚きの変化だったようだ。ぱっと此方を見たメーヴォがその目を見開いた。
「……これが、魔力を持つ者の視界なのか?なあ、ラース。お前もこう見えているのか?」
きょろきょろと彼方此方を見ているメーヴォに驚いた。見え方が変わった?
「漂う魔素が見える」
「えっ?お前見えてなかったの?」
「見えてなかった!凄く強い奴なら見えたけど、こんな風に漂っているの何て知らなかった!」
魔素ってのは空気や水の中にも存在する小さな小さな光の粒子の事を言うんだけど、普段から視界に写る物だから全然気にした事が無かった。その光を掻き集めて魔法を使うのがこの世界の常識だ。確かにメーヴォは魔法が使えなくて、時々「僕でも見えるくらい強い魔力」みたいな事は言ってたけど、本当に見えてなかったんだ!
「これ、凄い気になるな……」
『ふふ。なら、目を閉じて力を抜いて。体内魔力を鎮めれば、それは見えなくなるわ』
私も最初気になって仕方なかったのよ、と苦笑する先輩の助言に、メーヴォは目を閉じて深呼吸した。肩を回して力を抜く為の諸動作をした後、ゆっくりと目を開けると、もうその瞳の光は収まっていた。
「……本当だ、見えなくなった」
『慣れるまで少し訓練が必要になるでしょう。でも、すぐに慣れるわ』
貴方は優秀だから、と良く分からない根拠を挙げてエルフィは微笑む。
『では、勇敢なカモメを支えた船長殿に、平穏を愛した闇竜ホールズの加護を授けましょう』
言って今度は俺に向かってエルフィは黒い光を向けた。貰える物なら貰っておいてやるか、と言う気持ちと、得体の知れ無い物をくれてやるなと言う気持ちが、メーヴォが黙って受け取った事とその変化に欲望的な物で負けた。
目を閉じれば海水の中とは思えぬ、逆に恐ろしくなるほど穏やかな人肌が額に触れた。空気の塊を押し付けられたような感覚の後に、俺の中に魔力の奔流が流れ込むのを感じた。不快感はなく、むしろ心地良かった。晴れた日の甲板で昼寝して寝入る時のような心地よさだ。手のひらが離れ、気持ちよく眠りから覚めるように目を開ける。
「うわっ」
メーヴォの上げた声にこっちが驚いた。何だよ脅かすな!
「ラース、目が」
「は?」
『あら、ラースタチカ船長は闇の魔力と相性が良かったのね。闇の民のその特性が出るとは思わなかったわ』
何が起こってるんだ?さっきメーヴォの太陽の光が瞬いたように俺の目にも変化が起きたってのか。
「白目が黒くなってる」
「は?何それ!」
メーヴォが言うには、俺の白目が黒く染まっているらしい。
『闇竜ホールズは、神竜ホールドが一度は離別した半身。その闇竜が創り出したのが闇の民です。彼らの特徴として、魔力を使うとその目に闇の力が宿り、目が黒くなるの。そこまでその闇の魔力が定着するとは思わなかったわ……』
予想外の展開に戸惑うエルフィにこっちも戸惑う。
「でも迫力あるな。凄いカッコいいぞ」
「まじかよ……鏡とかねぇの?」
「それであれば、わたくしの尾をご覧下さい」
鉄鳥が言うので、大きな水晶板で出来た尾へと移動する。微かに写り込んだ顔を覗くと、確かに目が黒く見える。ヤバっ。
「何これヤッバ!カッコよくね?」
「だから言ったじゃないか、カッコいいって」
盛り上がる俺たちを他所に、良かったわ、と安堵の溜息をエルフィが落とした。
体内魔力の奔流が収まると、俺の目はまた元通りに戻った。赤い瞳と相まって、黒の目は迫力が出る。死弾の名が更に冴えるってもんだ。
「ありがとよ、巫女サマ!金銀財宝よりもよっぽどすげぇお宝だぜ」
『喜んでもらえれば冥利に尽きるわ。海の上への帰路、どうか気を付けてね』
「ありがとうございます、巫女エルフィ。貴方の旅路に加護を」
『此方こそ、ありがとう。これで、私もやっと……』
呟いた声が掠れ、まるで炎が最後に燃え尽きるようにひときわその身体が発光した。
「おやすみなさいませ、巫女様」
鉄鳥の声に微笑みを残し、巫女エルフィは光と共にその姿を消した。残ったのは火炎水晶の橙色の光に反射する竜の手の骨だけ。
「消えちまった」
「還ったんだ、新たな神を、古き神が迎え入れた」
お前そんな風に信心深かったっけ?まあいいや。
「じゃ、俺たちも帰りますか。俺たちの船によ」
「ああ。帰ったらこのメタンを使って新しい武器を作らないと行けないし、此処まで掘りに来る安全なルート確保に、風の魔法や浄化の樹でより安全に潜水出来る方法の実験も必要だ。やる事は山積みだぞ!」
おうおう。やる気があるのはいい事だ。
「帰り道も頼むぜ、鉄鳥!」
「お任せ下さい!」
鉄鳥の背に乗り、俺たちは一路船への帰路に着いた。
そうして俺たちの海底探索は幕を閉じた、ように思えた。
しかし、海上に巨大クラゲと共に上がって来た俺たちを出迎えたのは思いもよらぬ人物だった。
エリザベート号に並んだ、黒い船体のフリゲート艦アンフィトリーテ号と、その主人灰燼ニコラスが俺たちを出迎えた。
「待っていたぞ、魔弾のラース、蝕眼のメーヴォ。話がある」
第九話 おわり