表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

海賊と幻の大地

 声が聞こえた。女の、少女のような、老婆のような聲が聞こえた。

 巨大鮫の攻撃を受けてクラゲが吹き飛ばされ、内部に海水が流れ込んで来たはずみで、ラースの魔法具ヴェンデーゴのロープが掻き消えた。支えを失った僕はクラゲの中から吐き出され、海中を一人浮遊した。

 風の魔法の膜のおかげで呼吸は出来たが、勢いのついた身体は安定せず、鉄鳥が羽根を広げてくれた事でやっと上下が定まった。

 上下が定まったところで水中ではバランスが取れず、更には爆弾を使うにも着火の酸素が足りるだろうかと逡巡する間に、僕の目の前に巨大鮫の歯が迫った。鮫の額に生えた人の上半身が、ズタズタの腕をぶら下げながら、それでもニヤリと嗤う。あぁチクショウ、こんな所で死んでたまるか!

 一か八か海中で火炎水晶の爆弾の着火をしようと構えた瞬間だ。

『名を詠んで』

 断片的だが、それはしっかりと聞こえた。

『名を詠んで。セルペントフルギーノ、と』

『あるじさま!詠んでくださいませ、わたくしの、わたくしの真名を』

 鉄鳥の声と、女の聲が頭の中に響く。風の魔法の酸素を吸い込み、僕はその名を『詠んだ』。

「フェロヴリード!示せ!セルペントフルギーノ!」

「はい!」

 ハッキリと答える声を海中で聞き、僕の前に飛び出した鉄鳥の姿が強烈な光を放ちながら膨れ上がった。

 光は徐々に形を成し、鉄鳥は大きな翼を広げた首の長い海竜の姿に変わっていた。

「これが……鉄鳥の本当の姿か」

「主人さま!わたくしの背にお掴まりください!」

 広がった翼の間に見える背に手を伸ばし跨がれば、風の魔法が増幅されるような感覚と共に息が楽になった。

 突然の竜種の出現に怯んだ鮫の一瞬の隙を、鉄鳥は見逃さなかった。

「お覚悟!」

 鮫と同じくらい大きな海竜が、鮫に比べれば小さな口で牙を剥いた。小さいと言えど竜種の牙の並んだ口だ。鮫本体ではなく、その額に生えた人型を一口に咬み千切った!トドメを刺すように咀嚼し、ペッと吐き出すと、鉄鳥は悶絶する鮫との距離を取って、クラゲの方へと後退した。

「と、まあざっとこう言う事さ」

「っはぁー……」

 深い溜息を吐いて僕の話をどうにか納得したラース他仲間たちを前に、鉄鳥がいつもの様に左耳の上からチカチカと光を放って武功を訴えた。

「メーヴォ」

「なんだ?まだ信じられないか?」

「あぁ。信じられねぇ」

 言ったラースが突然手を取り、僕を抱き寄せた。何事か。

「……メーヴォ、生きてるな?大丈夫だよな?」

 震える声が耳元に響く。僕と言う生体を確かめるように、冷たくなった女と比べるように強く引き寄せられて、抵抗する気にもなれなかった。背中を軽く叩き、大丈夫だ、と伝えて、僕らは改めて無事を確認し合った。


 潜水を再開したクラゲは、程なく海底に到達した。周囲を伺うが、何も見当たらない。隆起した海底が小高い丘のようになっている。しかしその先は見通せない。

「……皆さま、彼方でござる。微かに人工物のような影が見えますぞ」

全員でクラゲの中から目を凝らすと、クラーケンのルナーが声を上げた。クラゲがゆるゆると横移動を始めるのに合わせ、僕らは座って居た床から壁へと移動した。

「横移動は揺れますから、気をつけて」

「お、ぅううわああ!」

 返事もし終わらないうちにクラゲが触手を伸び縮みさせて急速発進し、バランスを崩したラースが床を転がった。柔らかなクラゲの内部で弾け飛び、跳弾のようにあっちこっちに転がるものだから笑ってしまった。

「笑い事じゃない!」

 髪をくしゃくしゃにしたラースが怒るので、結局クラゲの壁(今は床)にヴェンデーゴを張って持ち手にし、慣れない僕やラース、アベルもそれに捕まって移動の衝撃に耐えた。

 なかなかの速度で移動したクラゲは、あっという間に海底の丘を抜けた。

「すげぇ。本当に国が一つ沈んだんだな」

 そこに広がる光景に、全員が感嘆の息を吐いた。元々島があり、そこに巨大な建築物や街があった事を伺わせる建物の残骸が、倒壊し、海底の堆積物に埋もれ、海底に廃墟として横たわっている。瓦礫と化し尚人工物であると主張する倒壊物群は、見渡す限りの海底に広がっていた。

「この中から調査するってか……気が遠くなるな。なんかこうさ、ソコ!ってピンポイントで分かったりしねぇの?」

「……分かる」

「え?」

「ルナーさん、右手、二時方向の丘に向かって下さい」

 的確に指示を出すと、ラースが目を丸めておお、と驚きの声を上げる。

「聲がまだ聞こえるんだ」

 理由を話せば、なるほどと顔を明るくする。

「お前に聞こえる声ってんだから、つまり蝕の民のなにかって事だよな」

「だろうな」

 鬼も蛇も鮫も出て来た。この際何が来ようとそう驚く事もないはずだ。

 クラゲはルナーの指示通りに海底の廃墟群の上を泳いで行った。

「空を飛んでるみてぇだな」

 海底に沈んだ人工物の上を泳いでいく巨大クラゲの中から下を眺めると、空を飛んでいるような錯覚も覚える。クラゲの外に出れば重い水に体の自由を奪われる海中である事を忘れてしまいそうだ。

『あるじさま、わたくしがいれば海の中でも自由に動けますぞ』

『そう言えば、鉄鳥に乗ってる時は息が楽に出来たな』

 それがセルペントフルギーノの能力なのだろうか。

『わたくしの真の能力は環境適応でございます。全てを思い出した今、どんな過酷な場所でもあるじさまをお守りいたします所存ですぞ!』

 心強いことだ。しかしそうやって活躍してもらう前に、その身体を隅々まで調べ尽くさせてもらうとしよう。生態と蝕の民の武器が融合する事にまず驚きだし、蝕の民の武器から『聲』がすると言う話にも繋がる案件だ。この先に待つものが何かも気になるが、この鉄鳥についても調べたくてうずうずする。

 そんな事を考えていると、苦笑したように鉄鳥は『お手柔らかに頼みますぞ』と呟いた。

 丘の上にクラゲが到達すると、そこに沈んだ巨大な建造物を発見した。しゅっと伸びた塔の天辺が見える。塔、その下に聳える城の様な建造物は何故か真っ直ぐ海底に佇んでいた。海中にありながら真っ直ぐに聳える建造物の違和感よりも、冒険心や好奇心が勝る。あの中に何が残されているのだろうか。蝕の民についての真相が分かるだろうか。いいや、そんな事は二の次だ。

 どんな遺物が残されているのだろうか。蝕の民の技術は現代の魔法道具を持ってしても再現出来ない精密さや魔力変換率を誇る。不思議な構造の小さな鉄製の密封容器があるとか、兎に角基礎技術力が高い。武器、調度品、日用品に至るまで、何でも良いから持ち帰って研究したい。技術書に書かれた意味不明の物体や物質についての手掛かりが欲しい。あとは僕がどうとでもしてやれる。新しい技術、見た事の無い技術に触れる機会と言うのは、本当に心躍る。

「アレだけ真っ直ぐここに沈んだか、それとも元々あそこにあったみてぇだな。あの中に何があると思う?」

 そう言ったラースも、僕と同様にキラキラと子供のように目を輝かせていた。金目のもの?貴重なお宝?僕が修理して海賊団の戦力増強になる武器の類?彼も新しい出会いにワクワクしているんだ。

「建造物の発見は喜ばしい限りでござるが、些か不穏な気配もしておりますぞ。海中の毒素が強くなってきております」

 渋い顔でルナーがクラゲの内部をさする。何か変化があったようには素人目には見えないが、クラゲも中々疲労が溜まっているらしい。

「鉄鳥の能力が環境適応だと言っている。此処から先、一旦僕とラースで鉄鳥に乗って遺跡を目指すのも手だ」

「ふむ。一旦海域を離脱し我々はエリザベート号へ戻り、休憩を入れるのも手ではありますな」

「アベル、お前も念のためこっちに付いて来れるか?クラゲの高速移動は骨が折れるだろ」

「お願いします。正直、ヴェンデーゴが無いときついなって思ってました……」

 海中で戦える人員は多いほうが良い。鉄鳥、フルペントセルギーノの環境適応能力が何処まで適応されるのか、簡単に実験と行こう。


 塔の手前で一旦クラゲの足を止めさせ、風の魔法を掛け直して僕らは海中に躍り出た。クラゲが足の床を解いて海水が侵入すると共に僕はその名を『詠んだ』。

「フェロヴリード、示せ。セルペントフルギーノ」

 海水で満ちる僅かな時間で、僕らは海竜の背に飛び移るようにしてクラゲの外へと出た。鉄鳥の背に掴まると、風の魔法が補強されるように息も動作も楽になる。僕とラース、更にアベルが鉄鳥の背に乗る。

「凄い、まとわり付いてた海水の違和感がなくなりました」

 そう言って顔を綻ばせたアベルに、ルナーと、すっかりクラーケンの姿に戻ったサチがどれどれ、と挙って鉄鳥に擦り寄った。クラゲの触手までも鉄鳥の背翼や尻尾を触っている始末だ。

「これは如何様な……鉄鳥殿の周りには浄化した水が流れているような、そんな気がしますぞ」

「実際そう言う事なんだろう。生態と融合している機械部分、これがセルペントフルギーノと言う武器の一部、もしくは武器そのものだ。それがフェロヴリード、鉄鳥の周りに《使用者》が最適に活動出来る環境を作り上げる、変換、浄化するのがその能力だろう」

「流石でございます、あるじさま。わたくしの在り様をこの短時間で見抜いてしまわれた。既にあるじさまは蝕の民の技術者として一流で御座いますぞ」

「うんうん、メーヴォは確かに超一流だよな」

「……鉄鳥、この姿だと喋れるんだな」

「……左様で御座いますな!」

「今更なのかよ!」

 ラースに後頭部を叩かれ、軽く笑い合って僕らは二手に分かれた。

 エリザベート号へと一時帰還するルナー親子には、先ほどの巨大鮫に対抗する為に、強い浄化の力を持つ蝕の武器の所有者であるマルトかジョンを連れて来て欲しい事も依頼した。巨大クラゲとルナー親子らと別れ、僕らは海中に聳える塔へと向かった。

 クラゲと同じくらい大きな海竜の背に直接乗って海を行くなんて聞いた事が無い。魔法技術の粋を集めても此処まで快適な海の旅は実現しないだろう。

「これだけの深度にあっても体が楽に動かせるって凄いです。それに、きっとあの塔がこの海中に漂う毒素の中心だと思います。なのにこんなに快適だ」

「待ってくれアベル。今なんて?」

「え」

「あの塔が、毒素の中心だって?」

 そうです、と答えたアベルが、アッと叫んで指を刺す。

「メーヴォさん!あれ!」

 その先で、瞬間的に塔が真っ白に煙った。海中で煙が出るはずなど無い。よく見れば、それは大量の泡だった。

「なんだありゃ」

「分からない……海底から空気が出ている?いいや、海中に住む海洋生物は酸素を必要としないし、浄化の樹が海底に堆積して沈んでいる……とか、いや、グラハナトゥエーカが沈んだのは千年前?そう、だったはず。つまり」

「っだあー!うるせぇ!わかんねぇならさっさと現地に行って調査だ!行け!鉄鳥!」

 僕が折角仮説を考えて居たと言うのに、ラースがそれを遮って鉄鳥に命令した。

「危険な何かだったらどうするんだ!」

「危険な空気だの毒素があったとして、鉄鳥がいれば平気なんだろ?面倒くせぇ事考えるより先に、まずは百聞は一見にしかずだ!」

 ……なるほどその通りだ!

「よし、行こう鉄鳥!」

「……僕ちょっと不安になってきました」

 アベルのぼやきを他所に、鉄鳥は僕らを乗せて当のすぐ近くまで移動した。


「……この塔、やばいな」

「ああ、やばいな」

「凄い、こんな魔法陣、お父様だって組めやしない」

 塔のすぐ近くまで接近してようやく海底にこの塔だけが真っ直ぐに起立して聳え立っているのかが分かった。体内魔力が殆ど無く、魔力を感知出来ない僕でさえ仄かに輝いているのが見えるのだ。強大な魔法陣が塔を覆うように幾つも張り付いている。倒壊せず、真っ直ぐに起立し、侵入者を阻む魔法陣。強大な魔力を操るとされる人魚の王を父に持つアベルすらも驚愕するレベルの方陣がそこに施されている。それは最早、人知の及ぶ域ではない。そう脳が理解すると同時に、全身に寒気が走った。

 蝕の民とは、一体何なんだ。

「いやあ、やべぇな、ワクワクするなぁ、オイ」

 僕の腹に腕を回して掴まっていたラースが、後ろから歓喜の声を上げた。僕は今の顔を見られては居ないようだ。

「おい、なあメーヴォ。すげぇって。これ絶対にお宝あるだろ。金銀財宝に千年前の調度品、武器とか色々出てくるぜ絶対だ!」

 そんな風に、何の警戒心も無く、ただ純粋に目の前にあるであろう期待に胸を膨らませている。何て能天気で、馬鹿らしく、何て頼もしい事だろう。だから僕はお前に、ラースに着いて行くんだ。

「ラース、お前そう簡単に言うけどな、この魔法陣をどうにかしないと中に入れないんだぞ?これ触ったら絶対に死ぬヤツだぞ?」

「でもお前、声が聞こえてるって言ってたじゃん。中に誰かいるんだろ」

 待ってくれ、こんな所に誰か居るもんか。居るなら絶対に人じゃないし、蝕の民だって言っても一応は人間だぞ?

「……今になって幽霊と言う可能性を思い出して帰りたくなってきた」

「やめてメーヴォさん、覚悟を決めて」

「船長!メーヴォさん!ヤツです!」

 僕らの漫才じみて来た会話を突然アベルが遮る。ヤツです、と言われれば、もうそれしか思い至らない。

 勢いよく振り返った先、巨大な鮫の額でニヤリと笑う男の顔と対面する。距離としては大分あるが、それでも男の体が半分くらい再生している事だけは分かった。右半身だけ急速再生したのか、左半身は骸骨と剥き出しの筋肉でまるっきりグールそのものだ。

「やっぱり不死身系の野郎だな」

「そもそも上の人間の部分は飾りみたいなものなんだろうな。本体の鮫をどうにかしないと、また再生する」

 薔薇十字教会、もとい、魔族シャルロットの下僕にして、人ならざるものに改造されてしまった哀れな者。今だ偽りの聖女シャルロット像を妄信する愚か者。

「次こそ完全に殺す」

「浄化の武器はまだ来ないぜ?」

「再生出来なくしてしまえば良いんだ。分かるだろ?」

「何処まで粉微塵にすれば良いと思う?それとも?」

「試せば良い事だ。いくぞ、鉄鳥!」

 僕の号令に、はい、と答えた鉄鳥が猛然と巨大鮫に向かって突き進む。

 海中で僕がやれる事は少ない。爆弾や火薬の類はその威力が発揮出来ないし、僕は魔法がからっきし使えない。それでも僕にはこの頭がある。そして、信頼する剣が居る。

 その背から振り落とされないのが不思議な勢いで猛進し、鉄鳥が巨大鮫とすれ違いざまにその機械仕掛けの尾鰭で一撃を入れる。更にラースが土の弾丸でエラ付近を狙う。

 すぐさま両者は身を翻し、巨大鮫の大きな口が僕らに迫る。

「上物だぞ!ラース!」

 やはり寸での所で身をかわす鉄鳥の動きに合わせ、僕も爆弾の導火線へ着火する。フッ!と強く導火線を吹いてやれば、僕の周りで浄化された空気が一気に燃焼を引き起こす。海中でそれをいつもの様に投擲する事は叶わず、しかし呼びかけ一つでそれを察したラースが、風の魔法弾で援護する。海中に落とした爆弾目掛け、イディアエリージェが火ならぬ風を噴出した。

「行け!」

 爆弾を内包し、空気の塊が巨大鮫を捕らえる。

「その手は喰わぬ!」

 爆弾が爆発する寸前、鮫の巨大な体が反転し、尾ヒレが空気の塊の中の爆弾をピンポイントで叩き落とした。じゅぼ、と海水で爆弾が鎮火する。

「そう来る事、分かっていたさ」

 一本だから叩き落とされる。ならば、次の手は数を増やす事だ。帽子を取り、その中に仕込んでおいた爆弾を両手いっぱいに掴み、それを鮫を中心に旋回する鉄鳥の背から次々に海の中に放る。

「お前本当に歩く武器庫だよな!何本持ってんだよ」

 もっと驚き、もっと褒めても良いぞ。僕が次々に微かな空気幕を纏わせ着火させた爆弾を、時に律儀に一本ずつ、時々まとめて三本くらい、ラースが空気弾で加速させ追撃する。

 時間差で迫る爆弾をいなすが、数の前ではそれも叶わなくなる。二発、三発と海の中で爆発が起こり、振動で海が戦慄いていた。

『う、海の中でこのオレが、不利になるなど……っ!』

「そろそろ仕上げと行こうぜ!」

 ラースが僕の右側から身を乗り出すのが分かり、その左手を取った。

『クソがぁ!』

 爆破を受け、再び人の形が半壊し、それでも巨大鮫の本体が咆哮を上げ、爆弾郡の中を猛然と突き進んでくる。鉄鳥の背翼に沿って飛んだラースが、迫る鮫の口目掛けて銃弾を打ち込む。

「これでも喰らえ!」

 小さかった弾丸が海中を進むうちに見る見るうちに巨大化し、着弾する頃には巨大な氷の塊になっていた。がぼん、とそれを口の中に突っ込まれた鮫は衝突した勢いも相まってもんどりうち、海底目掛けて沈んでいった。

 巨体が沈むその先、塔の一角にビシリと亀裂が入る。口にはまり込んだ氷の塊を驚異的な咬合力で噛み砕くと、沈みかけた巨体の体勢を立て直そうとしたその時だ。

 ぼこ、と塔の亀裂から無数の泡が吹き出し、鮫の巨体を包み込んだ。

『なんだこれは!』

 無数の泡に包まれ、鮫は何故かもがき苦しんでいるように見えた。

「たくさんの小さな泡が吹き出すようなところだと浮力を失ってしまうんです!泡の吹き出すところには近寄らない、僕ら海の民の鉄則です!」

 アベルがご丁寧に解説すると、もう僕らの間に勝利を確信した雰囲気が漂った。

「たくさんの泡、空気があるって事は……!」

 鉄鳥の背翼に掴まったラースが、さあ止めだぜ、と言う風に嗤う。

「頼むぞ、僕の剣」

 残り僅かになった爆弾の一つを、ラース目掛けて放る。

「応ともよ、これで死ね!」

 くぐもった発射音の後、空気を纏った爆弾が一直線に飛ぶ。

『シャルロット様、お力を!』

 もがく鮫に空気弾が接触した、と思った次の瞬間。

 真っ白な光が暗い海底の中でまるで太陽のように閃き、次いで壁を叩き付けられたような凄まじい衝撃波が僕らを襲った。

「うわぁ!」

 叫ぶ声が四つ。鉄鳥もろとも僕らは吹き飛ばされ、僕らは海中に放り出された。またか!と内心で自由の利かない身体でもがくと、鉄鳥がコートを啄ばんで救出してくれた。

「あるじさまっご無事ですか!」

「だ、大丈夫だ、助かった。鉄鳥、ラースたちは!」

「船長殿とアベル殿ならあちらに!」

 少し離れたところで、アベルに身体を支えられて浮遊するラースの姿が見えた。声は聞こえないがその身振り手振りから、先ほどの閃光について説明を求められているような気がする。鉄鳥の背に再び掴まり、二人を回収する。

「おい、メーヴォ!さっきの大爆発は何だよ!」

「僕だって分からないよ!強いて可能性を上げるなら、あの泡が、爆破した……可能性……爆破、したのか?火山の周辺で吹き出ているようなガス?海底にそんなものが埋没しているってのか?」

 自分で口にしてからそれに驚愕した。ではこの一帯は海底火山が存在するのか?いいや?此処はグラハナトゥエーカの跡地だ。火山が存在したと言う話は無い。が、火山国家バルツァサーラの北に当たるこの土地なら、その可能性も否定は出来ないぞ。

「アベル、グラハナ海域の周辺に海底火山があるとか、そう言う話はあるか?」

「え?海底火山?いえ、バルツァ周辺には海底火山はありますけど、この一帯では特に……」

 となると、何故可燃性のガスがこんな所から噴出して来たんだ?ああ、まさかこんな謎に直面するとは思わなかった。

 呆れ顔のラースがちらりと閃光の起こった先に視線をやる。

「武器を構えろ!」

 その切羽詰った声に背筋が凍り、楽しい思考の時間に終わりを告げられた。

 巨大な爆破の跡地、塔の一部が抉れて損壊した場所に、半分以上骨になり、それでも急速に再生をしようとする巨大鮫の姿が見て取れた。

「まだ諦めないってのか」

「……あの者は、自分の意志とは関係なく再生しているのでは無いでしょうか」

 ぽつり、とアベルの言葉が海底の闇の中に消えた。

 最早再生は自己意識とは別の所で行われている。再構築された脳が再び聖女シャルロットへの崇拝と信仰を再生する、それは生き地獄でしかない。

「アレだけの爆破で再生出来てんだ、どうしょうもねぇぞ」

「ルナーさんたちはまだ来ないか」

 正直に言うともうアレだの猛攻は出来ない。もう爆弾の手持ちがないんだ。

「船長、氷漬けにしてしまえば良いんです!氷漬けにして、ルナー師匠たちが到着したら止めを刺しましょう」

 それだ!と言うラースと僕の声が重なり、思わず僕らは少しだけ笑った。


 氷漬けにした巨大鮫の、再生途中の亡骸を見て、第一声に船医マルトは馬鹿げていると憤りを見せた。

「聖女なんてもんじゃありません、悪魔です。悪女シャルロットとでも、罵りの言葉では、到底足りません……」

 魔族の強力な魔力で変異した細胞は、強力な浄化力が無ければ死滅しない。一定の形状、思考を繰り返し、ただひたすらに刷り込まれた聖女への信仰を、悪夢のように繰り返す。それは人の魂への冒涜だ、と。

 空気の球体の中から、巨人族らしい豪腕でマルトは氷を叩き割り、珍しく怒りを露わに巨大鮫にトドメを刺した。

 命の重みや尊厳、マルトの医者としての志は僕には理解出来ないが、彼の持つ信条を否定しようとは思わない。海賊ってのは自由な存在だから、何を目標に、何を目的に定めたって自由なんだ。

「魂の尊厳を失った彼らに、せめて最期の祈りを捧げたい。ルナーさん、少しクラゲさんをお借りしても?」

「構いませんぞ」

「よし、メーヴォ。俺たちは遺跡の中を調査しに行くぞ!」

「そうだな。ルナーさんたちは、此処で待機して貰って、僕らだけで行くか」

 巨大な海竜の姿では建物の中の移動は困難だろうし、何よりこの強い毒素だ。アベルもそろそろ一時帰還した方が良いと判断し、僕とラースが遺跡に入る事にした。

 マルトの風の魔法を重ねがけし、全身に二重三重に空気の膜を作る。それをひとまずの対策にし、万が一の時は鉄鳥の能力に頼る事にした。

「お気をつけて」

「おう、行ってくるぜ。果報を供物に祈ってな」

 見送る仲間たちに成果を約束し、僕らは先ほどの爆破で塔の壁面に空いた穴から内部を目指した。爆破の影響で魔法陣にも綻びが出来ていて、空気の膜を一枚消費するに留まった。海底の底にある塔の内部は当然のように真っ暗で、鉄鳥がいつものように光を発して周囲を照らし出す。

 内部は恐ろしいと感じる程に、何の損壊も見られなかった。それが地上にあった当時のそのままのような、今しがた海水だけを注ぎいれた模型の中にいるような、そんな錯覚すら覚える程、塔の内部は綺麗だった。

「これも外にあった魔法陣のおかげかね。薄気味悪ぃな」

 ラースが苦笑しながらぼやく。

 場所はどうやら食堂のような、大きなテーブルが鎮座する縦長の部屋だった。

「でも、探索し易くて助かる。見ろよ、調度品も少し散らかってるけど、原型を留めてる。状態も悪くないだろうし、最高の骨董品だぞ」

「金目のものがたんまりだな!」

 さあ帰りはどうやってこれを持ち帰ろうか。マルトがいるし、空気のデカイ泡を作らせて浮かせようとか、鉄鳥に引き揚げさせようとか。

『あるじさま、風の魔法が切れぬうちに、奥を探索する事もお忘れなきよう……』

『はは、そうだな。せっかく此処まで辿り着いたんだ』

 何かお宝を見つけなくては、と言葉を繋げようとした矢先、僕らの会話を遮るようにその声が語りかけて来た。

『よく此処まで辿り着きましたね、供物の子ら』

 また女の声がした。誰かがいるのだ。

「おい、メーヴォ……今の」

「え?」

「今の声、聞こえたか?」

 ラースのその問い掛けに、僕が同じ言葉で問い掛け直してしまった。

「ラースにも、聞こえたのか?」

「よく辿り着いたって」

「蝕の民じゃ、ない?」

『御出でなさい』

 混乱する僕らに、再び声が語りかける。

『此処まで辿り着けたのであれば、あなたたちは間違いなく力ある者たち。そして我々の血を引く者でしょう。ならば、わたしはあなたたちに語らねばなりません。御出でなさい』

 女の声が頭の中に響いた後、食堂らしき部屋の扉の奥、恐らく廊下と思われる場所に光が灯った。

「……付いて来いってよ」

「鬼も蛇も鮫も出た。幽霊が出るのは困るけど、行くしかないだろ」

 だな、と先に泳ぎ出したラースに続き、僕らは塔の奥へと進んで行った。


三章第八話 つづく


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ