海賊と古代人の末裔
雨季も終わりに差し掛かり、日暮れ後の海風が肌にひんやりと感じるようになって来た。バルツァサーラ上陸から一月。支度と移動を重ね、僕たちはバルツァサーラ北の街に居る。乾季に入るとバルツァサーラの高い山では雪が降り、麓は雪遊びの観光客で賑わう。偏東風のせいで北の地方は乾燥し、強い風に塩害も出る。
服の隙間を風が通り抜けるのが気持ち良い。昼間はまだ汗ばむ。特にこんなに着込んでいれば尚更だ。こうやって変装するのも何度目かになるが、やはり落ち着かないのが正直な感想だし、やりたくなかったと言いたくて仕方ない。方々で購入した妹の遺作であるドレスに身を包み、カツラを着けて髪を結い上げ、化粧で顔を変えて変装する。体のでこぼこは布を巻いて作る。そうやって女装までして決行しなければならない作戦があるのだ。いつもよりヒールの低いパンプスを履いて、足元の違和感と折り合いをつける。
飛んでいく使役便の影の鳥を見送りながら、僕は何度目かの溜息を吐いた。
「アトロさん、仕上げの薬です」
どうぞと後ろから声を掛けられ、振り返った先で船医マルトの顔を見上げる。にこりと笑う表情は自信すら見取れて、僕の化粧が上出来だと言いたげだ。彼とは変装の応用の模索をして来た。死化粧とか死体保存技術の応用、それの練習になると協力的だった。
「完璧ですか」
「ええ」
ならばその言葉を信じよう。差し出された薬を一息に飲み干す。
「では、行って参ります」
「はい、お嬢様。良い商談になりますよう」
言葉と共に差し出されたマスクと薬瓶を交換し、マスクで顔を隠し、僕は船を降りた。
フェルディナンドの分家、長兄クロト=フェルディナンドの営む宝石商。それを支える次男ラキスと末妹アトロの三兄妹に扮し、僕らは商談に臨む。
船を降りた先では、次男ラキスこと、ヴィカーリオ海賊団船長ラースが冒険者風の出で立ちで僕を待っていた。
「今日も綺麗だな可愛い俺の妹ちゃん」
「左の額にも傷跡が欲しいなら言ってくれ。右の奴に似たのを作ってやるぞ」
「あぁん、怖いですぅ。メーヴォ、怒るなよ」
変装完璧だって褒めてんだぜ、と苦笑するラースに冗談にしては面白く無いと、この作戦に打って出た不平不満を込めてひと睨み効かせる。
「目元隠してたってお前の眼光は分かるからな。今回も、その眼が鍵だ。頼むぜ」
「ああ、任せておけ」
信頼された分は、同等以上の信頼と働きで返すのがスジってものだ。
程なく、街中から馬車を走らせて長兄クロト役の副船長エトワールさんが到着した。その頃には僕らの後ろに使用人役の水夫が二人、今回取引に使う宝石を詰めた鞄を手に待機していた。
そしてもう一人。既に気配を消していて、僕には視認出来ないが、魔族で情報屋のレヴが同行する。その影の中には従者である吸血鬼のコールが潜んでいる。万が一の時の戦力だ。
「お待たせしました。ラースとメーヴォさんはキャリッジへ。馬の手綱は任せます」
「うっす!」
「船長、荷物をお願いします」
「おう、そいじゃあ行こうか」
使用人役の二人が馬車の前に乗って手綱を取り、僕らの三兄妹とレヴがキャリッジへと収まった。
「メーヴォさん、横を失礼します」
キャリッジに乗り込んで来た姿を捉え、ようやくレヴの顔を確認出来た。ドレスを少し纏めて席を開けると、レヴはにっこり笑って腰を落とした。
「それじゃ、行きますよ」
使用人水夫が馬を歩かせ、馬車がゆっくりと進み出す。
煉瓦で整えられた道をゴトゴトと馬車が揺れて行く。
この街は道路の舗装や建物の区画整理がかなり進んでいる。ここに暮らす住民は上流階級の貴族たちか、高給取りの役人が多いらしい。世界に名が轟くヴィカーリオ海賊団が、よくもまあこれだけ堂々と港に停泊し、馬車を借りて取引先に出向けるものだと不思議に思う。それの答えは賄賂の一言で片付くのだが。
馬車で海辺の道を揺られる事半刻ほど。椰子を防風林がわりに並べた道の先に見えて来たのは、海に面した豪邸と、高い柵で周囲が囲まれた一帯だった。
「本当に、此処?」
「だと、思います」
地図を片手に馬車の御者席に収まる使用人水夫が、半ば放心したような顔で周囲を見やる。これだけの規模の施設を作っているとなれば、やはり背後には国の影を認めざるを得ない。
「見ろ、結界が施してあるぜ」
ラースが顎で背の高い柵を指し示すが、僕にその魔法陣は見えない。潜在魔力の高い者は、結界などの特殊な魔法陣を見破る事が出来る。残念な事に僕は体内魔力が乏しすぎて、魔力の奔流でもなければ見る事は出来ない。
「僕には見えないが、魔法結界まで施してあって、一介の商人にこれだけの施設の建設と管理、出来ると思うか?」
「無理だな」
「隠蔽の魔法も重ね掛けしてあるように見えます。かなり手が込んでます」
レヴも窓の外を凝視しながら、ラースの言葉に補足する。一つ定着させた魔法の上に重ねて魔法を掛ける事の難しさは身を持って知っている。魔法銃の物体圧縮魔法式は本当に苦労させられた。自分で魔力を扱えない分、魔法の使えるクラーガ隊の仲間や、魔法を得意とする仲間に何度も試供を以来したものだ。
「木製の柵のように見えますが、魔法で包囲されている以上、柵の破壊は難儀しそうですね」
渋い顔のエトワールさんが、しかし何処か出番を待つ役者のように、右腕に着けてある腕輪を撫でる。そこに収まる金の腕輪、蝕の民の十二星座武器フールモサジターリオ。超遠距離射撃銃だが、中近距離では一転突破に秀でた大砲じみた威力を発揮出来る。彼の武器は今回の作戦の要だ。
話をする内、柵に囲まれた屋敷の入口へと馬車は到着した。
「さあて、蛇も邪も出て来る敵陣の中へ、参りましょうか」
不敵な笑みを浮かべるラースが口元に愉快さを添えて、門の奥の屋敷を臨む。
「行くぞ」
女の格好で言っても締まらないが、僕も覚悟を決めよう。
馬車は開かれた門の奥へと進んで行った。
ようこそいらっしゃいました、と僕らを出迎えたのは恰幅の良い褐色肌の中年だった。チュニックにベスト、サルエルのようなズボンと言う出で立ちは、バルツァサーラの民族衣装でもある。
使用人も使わず、館の主人だと言う男が玄関先で待ち構えていたのだから驚く。館の裏手に厩があるから馬車はそこへと促され、使用人水夫たちが館の主人と行った男へ手土産を渡し、厩の方へと行ってもらった。
通された応接間は派手さはなく質素で、しかし随所に置かれた骨董や美術品は確かに高価そうなものばかり。ソファに腰掛け、テーブルを挟んで男と対峙した。
「改めまして、ようこそおいで下さいました、フェルディナンド家のクロト様、ラキス様、そしてアトロ様。私がこの屋敷、この施設の管理を担っております、アルスブルゴです。良き商談の場になりますよう、勉強させて頂きます」
「ありがとうございます、アルスブルゴ様。ようやく父から引き継いだ屋号が馴染んで来た程度の勉強中の身です。どうぞ、ご教鞭の程を」
かしこまって、長兄クロト役のエトワールさんが挨拶を交わす。元々商家の生まれの彼は、落ち着いた商談の場ならお手の物だ。これが物騒な場になるとラースの方が話術が勝る。
「遠路遥々のご訪問、有り難い事です。早速商品を拝見しても?」
切り出した、と緊張が高まる。表に出さないように細く息を吐く。エトワールさんが傍に置いて居た鞄から、小さな宝石箱を取り出した。
「現在私どもフェルディナンド商会では、此方のダイヤを主に売買しております。あと少々ですが、珊瑚を削り出したカメオや小さな彫刻も。コレは最近彫刻家の卵と専売契約をしまして、扱い出した品です」
開けた宝石箱の中身は、小指の先ほどのダイヤと、手の平に乗る小さな珊瑚の彫刻だった。珊瑚の彫刻は、先日その手先の器用さを披露してくれた小型クラーケンのルナー氏が、折角売り出すのだからと、装飾価値もある珊瑚を材料に新たに作り上げた逸品だ。魚や人魚の姿を削り出したそれは、小さいが故に精巧さが際立った。
それを見たアルスブルゴ氏は、驚きと嬉しさ、若干の不信さを顔に滲ませて笑った。
「噂には聞いておりましたが、これが……こんな大粒のダイヤが存在し得るのですな。それに、この彫刻。この精巧さで、この小ささ。蒼林の民芸品にも引けを取らない。この大きさなら何処にでも飾れますな」
いい食い付きだ。追い討ちをかけるようにエトワールさんがそれを解説する。
「日々の生活に美術品の潤いを足せるようにと、取り回しの効く物を作りたい、もっと美術品を身近に置いて欲しいと言うのが、この作家の目指すところだそうです」
素晴らしい、と感嘆の声を上げたアルスブルゴ氏は、顔を輝かせて商談へと本腰を入れた。
「此方の商品についてはお解り頂けている事でしょう?これが一覧です」
差し出された一枚の紙には、ずらりと文字が並んでいる。
人種、性別、年齢、外見特徴、特技や特筆すべき点。それは簡易的な表にまとめられた奴隷一覧だった。
さっとそれに目を通したエトワールさんが、ふむ、と言葉を落とす。さっと横にいたラースへとそれを渡し、目配せした。
「巨人族やエルフまで扱う、流石アルスブルゴ氏、噂通りですね。ですが、これでは対価には足りません」
ぴしゃりと言ったエトワールさんの言葉に、アルスブルゴ氏の表情が当然の事ながら固まった。笑顔は消え、硬直した顔は何処か不自然で、困惑して見えた。
「ココに載ってない奴隷がいるんじゃねぇのか?」
パン、と紙を指先で叩いたのはラースだ。
「そもそもなぁ、アンタ。本人じゃねぇだろ?」
え?目を剥いたのは僕だけではなかった。
「え、あ……お兄様、どう言う事です?」
最初の感嘆符が出たところで自分の声が違う事に現状を思い出せてよかった。うっかり演技を忘れるところだった。
「だからさ、アトロ。このおっさんには覇気が足んねえって言ってるワケ。こんだけの施設、これだけの規模の奴隷取引をしてるのが、こんな塩っぱいおっさんなはず無いだろ」
それがラースお得意のブラフなのか、本当に見抜いて話をしているのか僕には判断が出来なかった。けれど、ラースの横に座るエトワールさんがそれを制止せず、静観していると言うことは、つまりそう言う事なのだろうか?僕は思わずエトワールさんの方を仰いだ。
「そこまで驚きましたかアトロ。貴女はまだまだ商人として未熟ですね」
「……わ、私は、ドレスの買い付けが、専門ではないですか。職人を見る目は確かですけど、商人さんの見分けは」
「だから、まだ甘いんだよ」
嗤う二人に動揺するのは僕だけじゃ無い。偽物だと名指されたアルスブルゴ氏の額は脂汗でいっぱいだった。
「分かり易すぎ。そんなじゃ影武者には程遠いな」
「これでは商談も続けられませんね。如何しますか?」
急き立てるように二人はアルスブルゴ氏に言葉を投げる。蛇に睨まれた蛙とはこの事だ。
「それでは困る。それだけの鑑定眼を持つ者との商談。本腰を入れよう」
何処からともなく響いて来た声に心臓が跳ね上がった。
ソファに腰掛けていたアルスブルゴ氏はそそくさと席を外し、応接間の扉を開けに走った。
開かれた扉の前に居たのは、氏と同じような服装をした壮年の男だった。同じ民族衣装だと言うのに、此方はそれが手の込んだ逸品を身に付けているのだとすぐに分かる。これが覇気の違いだろうか。
「分家とは言え、流石フェルディナンドを名乗るだけの事はある。彼は私の優秀な秘書だが、それを見抜く者は多くない」
改めて、と男は深々と頭を下げた。その一挙手一投足に重みがある。例えばそれはあの海軍提督や海軍人に感じた緊張感にも似ていた。
「私が正真正銘のダービー=アルスブルゴだ。フェルディナンド家のお三方、どうぞお見知り置きを」
「クロト=フェルディナンドです。アルスブルゴ殿、我々を試そうとしていらした。それはこの施設が本物である事の証拠であると、そう受け取っても良いという事でしょうか?」
ぱん、と一拍。それ以上の無粋な会話はやめよう、と。アルスブルゴ氏の周りに漂う空気がそう言っている。
「ダイヤや彫刻、そんな小さな物の取引に来たわけではない。この施設の噂を周到に調べて来たのであれば、当然の話です。取引の話を、しましょう」
改めて氏はソファに腰を下ろした。向かい合って初めて気付いたが、彼の目は深く暗い。人を信じず、人を陥れようとする者の目をしている。ラースやジェイソン氏の目と同じ『商人』の目だ。
「そうおっしゃるなら、単刀直入に言いましょう。我々は蝕の瞳を持つ者たちの集落を探しています。それはこの地で管理されていると伺っております。彼らとの面会、そして対話を希望します」
本当に単刀直入に言った。エトワールさんの肝の座り方も尋常じゃない。忘れてはいけないんだ。この人がヴィカーリオ海賊団の財務管理人であり、ラース以上の、生粋の商人である事を。
「その対価に先ほどのダイヤと彫刻を?此処に蝕の民を囲っているとして、昨今噂の希少種との面会に、それで事足りると?」
なるほど、自分が優位に立っていると信じ切ってる者の強気な態度は癪に触る。が、それを瓦解させるだけの物を持っていれば、滑稽でしかない。
「此処に蝕の民がいると、認められた。今の発言はそう言う事でよろしいですか?」
「そちらの奥の手とやらは、何処に?」
食いついて来た。商人たちの言葉の上での戦いは、物理的な戦いと紙一重で緊張するし、正直まどろっこしい。
「アトロ」
名を呼ばれ、僕はそっとエトワールさんとラースへ視線を投げる。頷くエトワールさんと、口元だけで笑ってみせたラースに僕も僅かに頷いた。
着けていたマスクをそっと外す。ぱちりと見開いた瞳で、アルスブルゴ氏を直視すれば、彼は目を見開き息を飲んだ。
「……真円の、金環日蝕の、光」
「我々三兄弟は皆腹違い。末の妹の母には、片目に不思議な光が宿っていたと聞いています」
「この眼のおかげてコイツは昔から気味悪がられてた。俺たちはその眼の謎を解明すべく、商人として世界中を回ってる。そうしてようやくアンタの情報を掴んだ」
「此方で分かる情報はお渡しします。此方にいる蝕の民と、会わせて頂けますか?」
真剣に話をしている二人には悪いが、化粧は大丈夫か、この変装がバレていないか、正直僕の心臓は爆発寸前だ。
「両目に真円の瞳。本当に実在したのだな……!素晴らしい。なんて美しさだ!」
この瞳を美しいと呼ぶ者、不吉だと呼ぶ者。様々な呼び方をされるが、こんな風に一際感動されるのは初めてだ。
「その目に秘められた力について、是非とも伺いたい」
「であれば、我々の要望も叶えて頂けますか?」
「蝕の民との面会だな。いいとも、案内しよう」
変装がバレずに第一関門を突破した安堵に、僕ら三人はほっと息を吐いた。
此方です、と案内された屋敷の外。例の魔法障壁を施した柵の内側へ僕らは足を踏み入れた。
「この一帯に蝕の瞳を持つ民の集落があったと、そう聞いています」
「で、それの保護に国も動いてこうなってるって噂だぜ」
「おおよそそれで間違いありません。我々はバルツァサーラからこの施設の運営費を補助してもらっています。蝕の瞳を持つ者は、特別な力を持つとされています。その研究も兼ねた施設が此処です」
『あるじさま……コレは、この声たちは、いったい』
ラースとエトワールさんがアルスブルゴ氏と話す間、屋敷の外に出た辺りから『声』が聞こえ始めた。僕と鉄鳥が会話する際に使う念波の声だ。
『蝕の民の末裔が集まる施設……つまり、そう言う事なんじゃないか?』
『そう言う事、でございますか』
僕のように蝕の瞳を持つ者、それも血の濃い先祖返りした者がいてもおかしくない。元々この周辺に存在していた集落を、丸ごと保護して隔離していると言うなら、口伝されている事もあるはず。今回抑えたいのはそれだ。此処にこうして隔離施設がある事を調べるのにもかなりの時間を要した。レヴに奴隷商と交渉する手を回してもらい、ラースとエトワールさんに交渉に動いてもらった。虎鯨の骨ダイヤも大量生産しなければならなかったし、大きさを確保するのにも、それを磨いて装飾品に仕上げるのにもクラーガ隊はフル稼働だった。
今は遠くのざわめきとしてしか聞こえないが、近くに行けば鉄鳥と話すように念波で話せるだろうか。アルスブルゴ氏にこの念波の事が知られていなければ、重要事項でも聞かれずに済む。いや、その瞬間だけでも聞かれなければコッチのもんだ。人の口に戸が立てられないように、話を聞きだしたところで、僕らの脱出は止められないだろう。
整えられた庭園を抜けると、こじんまりとした小屋の立ち並ぶ広場の様な場所に出た。僅かに行き交う人々は奴隷と言うには小綺麗だが、草臥れた服に身を包んでいる。人々の姿が見えると、ざわめきだった人々の念波が少しずつ声として認識出来るようになって来た。
「此処にいる蝕の民はおよそ三十名ほどです。女たちには織物や染物を仕事にさせています」
「男性の方々は?あまり姿が見えないようですが」
「この集落の裏手に畑があります。そこで綿花などの栽培をさせています。後は蚕を少し」
「絹織物っすか。そいつの取引もお願いしたいもんだなぁ」
「ラキス、目的を忘れないで下さい」
へいへい、と相槌を打ったラースの手を取る。不思議そうに見返して来たラースに目配せする。周囲に聞こえる声の出所を探るために、マスクの下で視線を巡らせる。
アルスブルゴ氏が三十と言った集落の人間の数だが、聞こえてくる声の数は精々五つ。やはり、血の濃く出た者でなければ念波の会話は出来ないのだ。
『あるじさま……』
『静かに』
『……長老、声が聞こえます』
『そのようだな』
はっきりと、その会話が聞こえた。居た、何処だ?声の主を探り当てる前に、アルスブルゴ氏が一つの建物の前で足を止めた。
「此方に集落の者が長老と呼ぶ最高齢の蝕の民がいます。彼は片目に真円の光を宿している。彼になら、色々話を聞ける事でしょう」
「ありがとうございます。少し彼らと話をしても?」
「ええ、私も勿論立ち会いますが」
「それは承知の上です」
確認を終えて氏が扉を開くと、そこにはソファで本を読みふける老人の姿があった。禿げ上がった頭皮には大きな傷痕が見える、鋭い眼光の老人だった。本を閉じた老人はじろりとアルスブルゴ氏を睨んだ。
「何用ですかな、今月のノルマは既にお渡ししたはずじゃが?」
「お客人です、老氏」
姫君のご帰還です、とアルスブルゴ氏が僕に向き直った。
「……アトロ=フェルディナンドと申します。蝕の瞳を持つ母の元に生まれました。お話を伺いに来たのです」
「ほう、お嬢さんも光持つ者かね」
ジロリと此方を見る左目に、鏡の中でよく見た光が煌めいた。真円の蝕の光。老人の濃い茶色の瞳の中に輝く光はまさに金環日蝕の光を思わせた。
僕は再びマスクを外して顔を、その瞳を老人に見せた。
「なんと!両目に、真円の光……!」
驚愕の表情をした老人が、しかし真意を確かめるように眉根を寄せた。
『殿方のように聞こえたが、貴殿間違い無いのか?』
『訳あって女の姿を借りている。目の前の女が僕だ。この声が聞こえるのだろう?』
「……アルスよ、この場を外す気はないのかね?」
「ありません。彼女と、ご兄弟たちから新たな情報が聞けるかも知れないのです。この機会は逃すわけにはいかんよ」
「そうじゃな、狗めに遠慮などと言う言葉は通じぬな。お嬢さん、それにご兄弟方。狭い家じゃが座っておくれ」
口の達者な爺だ、と言わんばかりに渋い顔をしたアルスブルゴ氏を横に放って、茶も出せぬ無作法を許しておくれな、と老人は少しだけその眼差しを緩めた。勧められたソファに腰を下ろす。アルスブルゴ氏はソファの後ろに立った。改めて向き合ったところで、老人は口を開いた。
「ワシの名はミカと言う。お前さんたちはフェルディナンドのご兄弟かね」
「申し遅れました、私はクロト=フェルディナンド。此方は次男のラキス、そして末の妹アトロです。私たちは腹違いの兄妹で、末の妹にだけその蝕の瞳があります。この瞳が持つ意味を、ご教授に伺いました」
「ふむ。少し待ちなさい。助手を呼ぼう。ワシは長く話すには喉が悪いのでな」
言ってミカ老は席を立ち、家の裏手へと声を上げた。
「喉が悪いんじゃなかったのか?元気な爺さんだな」
「たくさんお話するには体力がいりますわ。ご老体に鞭は打てませんよ、ラキス兄さん」
お優しい事で、と苦笑するラースに笑って見せる。代理人を寄越すと言う事は、つまり僕との念波会話に集中したいと言う事だ。
ミカ老は青年を一人連れ立って戻って来た。青年の片目には三日月に似た蝕の光が宿っていた。
「ヤンと言います、長老に代わってお話しさせていただきます」
「これはワシの孫じゃ。ワシの知る蝕の民の知識はこれも持っておる。なんでも話しなさい」
「では、まず……」
『さて、アトロと言ったな。本当の名前はなんと言うのじゃ?』
エトワールさんが話し出したのとほぼ同時に、ミカ老が念波で僕に話しかけて来た。
『本当の名はまだ明かせない。今はアトロとお呼びください。後ほど、必ず名をお伝えします』
『ふむ。仕方ないの。で、お前さんと話しておったのは、兄上方のどちらかね?』
『あれは兄たちではありません。この髪飾りです』
『なんと?』
『ご長老、私めはアトロ様にお仕え致します魔法生物、鉄鳥と申します。今は髪飾りとして擬態しております』
鉄鳥の念波に、ミカ老はぴくりと頬を引きつらせた。
『……もしやお主、クラーガの血統の者か!』
『その名が他者から聞けるとは思いませんでした。その名に所縁ある者で間違いありませんが、何分両親もこの瞳の血を毛嫌いしておりました。私は何も知らずに育ちました』
ミカ老は驚きを隠すように隣に座り語るヤン氏を見た後、茶を淹れよう、と言って席を立った。丁度エトワールさんが「蝕の民とは一体なんなのか?」と言う根本の質問をしたところだった。ヤン氏はこう答えた。
「蝕の民とは、バルツァサーラの北にかつて存在した国家、グラハナトゥエーカに繁栄を齎した移民だと私たちは聞き及んでいます」
「確かにあの辺りはグラハナ海域って言うよな。潮の流れが複雑で、海難事故が多発するもんで、大体あの辺りは避けて行くところだ」
「あれはかつて存在した小大陸が沈んだ為に、潮の流れが変わったからと言われています」
『グラハナトゥエーカはおよそ一千年前に存在したとされる幻の大陸じゃ。当時あり得んほどに進んだ技術により、一世を風靡したと言われとる』
小大陸が沈むほどの天変地異があったのではないかと言われているが、その真意は定かではないそうだ。
ミカ老が蒼林産の緑茶を淹れて振舞ってくれた。このお茶は癖があるが、ジョンも好きで時々飲ませてくれる。
お茶で喉を潤し、ヤン氏は続ける。
「とは言え、私たちも言い伝えを知るだけで、この瞳の真意は知りません」
『一部の者がこの魔道波の会話が出来る事を知るだけじゃ』
『この事は、アルスブルゴ氏には悟られていませんね?』
『勿論じゃ。我々も好きで囲われておる訳ではないのでな』
彼らはこの土地の先住民に当たり、アルスブルゴ氏に言いくるめられて、保護下に下ったそうだ。
「此方に口伝を纏めた書物などは現存しないのですか?」
「書物の類はそこの狗に『厳重保管』するとかで、没収されちまった。残念じゃが、ワシが言った所で聞く耳は持たんじゃろう」
その交渉はそちらでやっとくれ、と投げやりにミカ老は渋い顔をする。
『残念じゃが、アルスの持つ書は改められんぞ。恐らく国が既に持ち出しておろう』
『ご心配には及びません。仲間が今頃、氏の書庫を捜索中です。それに、書物が目的ではありません』
兄弟たちの会話に耳を傾けるような素振りをしつつ、時折ミカ老に視線を投げれば、片目だけ蝕の光を灯した老人は不敵に笑い返した。
『お主らは何者なんじゃ?そろそろ本当の名とやら、明かしても良い頃ではないのか?』
さてどう出る?そう不敵さを湛えた老人の顔に、さてと少し思案する。そろそろ時間だろうか。そう思った瞬間、周囲の空気が変わった。湿気を無くしたひんやりとした空気。それでいて、体にまとわりついて離れないような錯覚を覚える、異様な空気。来た。
『であれば、此方も手の内を明かしましょう。その代わり、我々に手を貸してもらいます、良いですね?』
『手を貸すと言われてものう。我々は此処に囲われる身。なにが出来るものかの?』
『この土地への未練を捨てて下さい。これから貴方たち蝕の民の末裔を、まとめて拉致します』
ごふん、とミカ老が啜りかけた茶を吹き出した。
ヤン氏が「爺ちゃん、熱い茶は冷まして飲めって言ってるだろ」とフォローしたおかげて、僕らの会話が悟られる事はなかったが、彼も上手い具合にフォローしてくれたと言う事は、話せはしないが聞こえてはいるのだろう。
『突拍子も無い事を言いよる……そんな事がどうやって出来ようか。魔法障壁を施した柵で囲われとるし、それを突破しても周囲は海。街へ至る道は一本で、何処にも逃げようがないわ』
『海へ逃げればいいのです。我々は海賊ですから』
問い返そうとしたミカ老の声を遮るように、突然家の扉が開いた。一斉に視線が集まる扉の先にはなにもなく、アルスブルゴ氏が舌打ちと「ボロ屋が」と悪態を吐き視線を戻す。瞬間、その鼻先に銃口が差し出され、彼は目を丸めた。
「時間もそろそろって所か?」
「間も無く、定刻です」
エトワールさんも手元の懐中時計を確認して時を告げる。右手に構えた魔法銃イディアエリージェをアルスブルゴ氏に向けたまま、はぁーっとラースが深く息を吐いた。
「堅苦しい作戦は性に合わねぇな。此処からはドーンと派手に行こうぜ」
「……ら、ラキス=フェルディナンド殿、これは、どう言うことかな?」
「どうも何も、俺たちはアンタをぶっ殺して此処で囲われてる蝕の民の奴隷を掻っ攫いに来た海賊ってワケよ」
「我々は貴方たち蝕の民を頂戴したく此処へ潜入しました。三十名ほどと伺っておりますが、全て我々海賊団に下って頂きます」
ふざけた事を、と吠えかけたアルスブルゴ氏が、額に銃口を押し付けられて閉口した。
「こ、此処で銃声がすれば、私兵たちが押し寄せるぞ」
「ほぉー。なら、音のしない方法でいくか」
左手の指をパチンとラースが鳴せば、アルスブルゴ氏の足元の影がさざめいた。
「商人相手だろうと言う気の緩み、真円の瞳を見て浮かれた頭では、身辺警護も疎かになりましたね」
影が盛り上がり流れ、真っ白な長い髪の隙間から窪んだ眼孔が覗く。ミカ老、ヤン氏もヒイッと声を上げて目の前で起こっている惨状から目を背けた。
額には銃口、背後には得体の知れない化け物。アルスブルゴ氏は完全に硬直し、しかし気丈にも震える声を上げた。
「貴様らは……なんだ?なんの恨みがあって、こんな事を」
「恨みぃ?ねぇよそんなもん。俺たちのやりたい事の前にてめぇが陣取ってただけだよ。だから排除する。そんだけさ」
それが当然だと言うようにラースが嗤う。そうだ。邪魔者は排除する。それだけの事だ。
「そうね、強いて恨み……いえ、貴方の罪をあげるなら、蝕の民を隔離し、その情報を世界的に独り占めしたこと、かしらね?」
お淑やかな女の演技は此処までだ。薔薇の女海賊の出番だ、チクショウめ。
「なん……?」
突然の豹変にアルスブルゴ氏が更に困惑の表情に歪む。無口で大人しそうだったアトロはもう居ない。此処にいるのは、残虐非道な女海賊パセーロ=ローゼスだ。
「地獄の門番にパセーロ=ローゼスの名と、ヴィカーリオ海賊団の名を伝えることね。先に逝った人たちによろしく伝えて」
マスクを外し、髪を止めていた髪飾りを取れば、淡い緑の髪が背に踊る。優美さ、美しさの果てに垣間見える深淵の暗さ。こんな変装一つで、人を恐怖に叩き落とす事が出来る。それだけこの瞳は強く語る。
「さあ、時間だぜ。コール、召し上がれ」
「では、いただきます」
ニコリとミイラが笑い、その鋭い牙をアルスブルゴ氏の肩へと突き立てた。
「ぐあっ……こんな事をして……許されるとでも、思っているのか!」
「悪いけど神なんて信じてねぇし、許されたいとも思ってねぇんだわ。とっとと供物の元に還りな」
吸血鬼コールに血を吸われ、アルスブルゴ氏は程なくミイラのように干からびて絶命した。ご馳走様でした、と小さく呟いて、コールが影の中に再び姿を消した。
「アンタらの旧支配者は死んだ。これからは俺たちヴィカーリオ海賊団が、身柄を保証してやるぜ」
「なんと言う事を……」
真っ青な顔で老人と青年は肩を震わせているが、強硬手段を取らない限り、奴隷は奴隷のままだ。
「ここで囲われて居たい者は残りなさい。クラーガの名を聞き、奮起する者は新たな地へと導きましょう」
立ち上がり、まるで託宣をする宣教師のように言い放つ。強く印象付けしたほうが良いし、此処で尻込みするなら連れ帰るだけ邪魔になる。
「選びなさい、此処で奴隷として暮らすのか、一人の人間として立つのかを。皆に告げなさい。この地から発つ為の船はもうすぐそこまで来ているわ」
見開いた真円の蝕の瞳の力強さは僕が、同じ瞳を持つ者たちが一番分かっている。二人の顔が変わるのが手に取るように分かる。この人たちは愚かではない。自分たちの未来を切り開く選択が出来る。
「ヤン、皆に告げるのじゃ。今すぐ!」
「……は、はい!」
ドタドタと足音を高らかに、ヤン氏が家の裏手へと姿を消した。
「……で、この海域は商船も多ければ治安維持の自衛船も多い場所じゃ。そんなところへ、どうやって船を着けるというのじゃ?所属不明船がそう易々と接岸など出来んぞ」
「船着場は要りません。私たちが道を作ります。船は誰にも見られず、誰にも聞かれずにこの海域へ、間も無く到達する頃です」
「そんな船がありえるものか」
あり得るのよ、と言って僕は小屋の外へ出た。と同時に、アルスブルゴ氏の整えられた庭園から魔法陣が輝く光が天に向かって伸びた。ピューンと音を立てて信号弾も撃ちあがる。黒と赤の煙が混じった信号弾が、不気味な直線を描いて空を切り裂く。
「来たわ」
「おっしゃ、海岸に急げ!」
「ミカ老氏、走れますか?」
何が起こっているのかと困惑する老人の手を取り、エトワールさんとラースも走り出す。いつの間にか走る僕らの輪に従者役をして厩に言っていた仲間二人も合流していた。彼らには庭園の中に足止め用の魔法障壁を生成する魔法陣の設置と、海上の友軍への合図を任せていた。程なく走った先、海岸の見える集落の端では、魔法障壁に遮られた柵の手前に人だかりが出来ていた。
「クロト、ラキス、障壁を破壊するわよ」
「おうよ!イディアエリージェ!」
「フールモサジターリオ!」
「レヴ、防御の影壁!」
「皆の衆!退くんじゃ!そこを開けろ!」
ミカ長老の声に、一斉に人だかりが割れ、更に人々の前に影の防御壁が出現する。ドレスの中に隠し持っていた爆弾をサイドスローで障壁目掛け投げる。
「ど真ん中!」
それをラースが魔法弾で打ち抜けば、腹に響く轟音と共に魔法障壁にヒビが入る。
「仕上げです!」
叫んだエトワールさんが膝を着いて構えたフールモサジターリオに魔力を注ぎこんで、ヒビの入った障壁に強力な魔法弾を打ち込んだ。
ガシャンと巨大な硝子が割れるように甲高い音が響き、魔力の残滓が日の光を反射してキラキラと輝いて砕け散った。
「もういっちょ!」
風の魔法弾を三角を描くように撃ち込んだラースの攻撃で、組まれていた木の柵が局地的な竜巻にあったように渦を巻いて木っ端微塵に吹き飛んだ。その先にはバルツァサーラの青い海が広がっていた。
「居ました、ベルサーヌです」
広がる青い海原に黒っぽい船が一隻。まるでその周囲だけ世界が違うように、静かに航行してくる船があった。
「幽霊商船ベルサーヌ号、あの船でこの海域を脱します。着いて来なさい!」
先陣を切るように僕が柵の外へ出ると、それを追い抜かして集落の若者や子供たちが砂浜を一気に翔けて行った。
「みんな、貴方たちに着いて行くそうです!」
後ろからはヤン氏が何処か嬉しそうな顔で結果を報告してくれた。
『ワシも、もう一度外が見たくなったのぅ』
エトワールさんに連れられてようやく柵を越えたミカ老も、念波で僕に、聞こえる蝕の民たちに自分の心の内を明かした。
『此処からどうやって船へ渡るのか、見せてもらおうかの』
「レヴ、行くぞ」
ならば見るが良い。その目に焼き付けろ。これがお前たちの旅立ちの時だ。
手品よろしく早着替えの要領で着ていたドレスを脱ぎ捨て、ブラウスに七分丈ズボンの服装へと着替え、余った布をマントのように後ろへ流す。日の光はほぼ真後ろでやや斜陽。さあ、上手い事やってくれよ。
「てぇい!」
レヴの気合の一言と共に、僕は空中へと足をかけた。背後でレヴが、僕の影にヴィーゴオンブロを突立てた。僕の影はぶわっと膨れ上がり、僕の足元、空中に影の床を作り上げた。二歩、三歩と翔ける足元に影の床が広がっていく。
「彼女に続け!」
ラースの声を合図に、集落の若者が手に手を取って、影の地面を踏みしめて駆け出した。海の上に、真っ黒な影の道が浮かび上がる。足の弱い者、遅い者の手を取り、担ぎ上げ、徐々に上がっていく影の坂道を人々が翔けた。列の最後尾にはエトワールさんとラース、レヴが殿に着いて走っている。
程なく、沿岸まで接近した幽霊商船ベルサーヌの船縁に、僕は足を掛けた。
「噂には聞いていたけど、その格好も素敵ね。ようこそ、ベルサーヌへ」
「厄介になる」
この姿で顔を合わせるのは嫌だが、致し方ない。ベルサーヌのリーダー的存在の不死者の少女アナベルに出迎えられ、僕らはベルサーヌの甲板へと順次降り立った。
「あぁー!こんな!ちっーっとも金にも実りにもならない仕事!オラァーいやだーぁあー!」
「……めんど」
「良いから口と足を動かせ。乗ってきた者を船室に振り分けろ」
顔色の悪い少女に出迎えられ、大柄な狼の獣人に、長い嘴のマスクをつけた男に、冒険者風の無口に男たちに船室に案内されると言う、これまた不可思議な体験の末、蝕の民たちはみな無事にベルサーヌへと搭乗する事が出来た。
砂浜には異変に気付いたアルスブルゴ邸の使用人や警備の者たちが大慌てで群がり、罵声とも怒号とも着かない声を海へ響かせていた。
「今夜は街で号外が出るな」
「黒い魔女が奴隷を強奪した、とでも?」
「二人とも、新しい傷が欲しいなら付けてあげるわよ」
こそこそと話をするラースとエトワールさんに釘を指し、全員の搭乗を確認し、アナベルへと出航を依頼した。
「夜色の魔女が日蝕の民を奪って太陽を殺した。素敵な見出しになりそうね」
「君まで言うのかい?止めてくれないか」
「ふふ、冗談よ。早いところエリザベート号へ合流しましょう。報酬の唐辛子が楽しみだわ」
出航よ、と告げたアナベルの声に合わせて、幽霊船員たちが一斉に船を反転させ、幽霊商船ベルサーヌは海域を脱して行った。
第六話 おわり