海賊と奴隷商人
海洋国家ゴーンブールと森林国家フレイスブレイユの二国を中心として刷られる地図で見て、南西に位置する大陸があります。火山が噴火して出来た大陸は各地で温泉が湧き出し、湯治に人が足を運び、やがて観光を主体とした産業と共に国が出来上がりました。
その国の名を、観光国家バルツァサーラ。
山脈には雪が降り、雪遊びにいそしむ若者たちや、雪景色を楽しむ湯治客で賑わいます。海岸線には砂浜や岩場が多く、海水浴客が一年を通して水遊びを楽しんでいきます。娯楽施設を国内に多数有した単一国家は、表向きは何処の国よりも健全で平和に見えるのが特徴です。
バルツァサーラの真の姿は、観光客と言う人の出入りの多さを逆手に取った奴隷商たちの温床です。出入国の多い国内はぼくでも驚くほどに偽装証明書で溢れ返り、金さえ積めば出国の際に家族が増えようが減ろうが役人すら見て見ぬ振り。国の奥深くに奴隷商の手が入り込んでいます。国王すら奴隷制度やその売買を影で推奨していると噂は尽きません。
そんな世界の裏を知る者は世界人口の中ではごく僅か。今日もまた、何も知らない裕福な家族たちが観光にとバルツァサーラを訪れています。
良く晴れた乾季真っ只中の空の下、ぼくらヴィカーリオ海賊団は、フェルディナンド家の三兄妹が持つ商船と身分を偽り、バルツァサーラの東の玄関口になる大きな港街へと入港しました。
「そいじゃあ、情報収集は専門家に任せて、俺たちは色々と飽きねぇ話をしてくるとするぜ」
「はい。いってらっしゃい」
商人に変装したラース船長とエトワール副船長が、お供に数人の水夫を引き連れて船を降りて行くのを見送り、専門職と太鼓判を押された情報収集に、ぼくも船を降りる支度をします。
情報屋、と言う至極曖昧な職を名乗るには、それなりの人脈や実力が問われます。魔族で人に感知され難い体質のぼくは、人の居る要所でも好きに入り込む事が出来、そこから影(や平面状の黒い物)を自在に操って情報をかき集める事が出来ます。
情報屋レヴニードの名は『影踏み坊主』と揶揄されながら、情報屋たちの情報網に着実に根を張っているのです。
「さ、ぼくらも行こうか」
足元の影の中に潜んでいる友人でもあり(兄の様なと言ったら本人は困るかもしれないけれど)、従者である高位吸血鬼コルネリオスに声をかけて、ぼくらは船を降りた。今日はこのバルツァサーラである人たちと会う約束をしているんです。
情報と言う至極曖昧な物を取り扱う者がいる一方、最も具体的な物の売買をする商人たちがいます。
意思を持った人を売買する、奴隷商人です。
港街の表通りは明るく開放的で、土産屋や飲食店も軒を連ね、如何にも観光地と言う体を装って居ますが、一歩路地裏に足を踏み入れればそこは治外法権。
奴隷商人が幼い子供奴隷を列に並べて歩き、着飾らせた少女の奴隷を何処へなりと歩かせて行く。バルツァサーラでは人すらも売買の対象品。奴隷側の意思は無いものとされ、人であったはずのそれらは物として、商品として売買される。それが同じ人種であろうと、他種属であろうと、畏怖し崇拝するべき高位種であろうと、奴隷商人は等しく商品として浪費していきます。
商業国家の闇は深く、人の業の深さをまざまざと見せ付けられます。
そんな裏路地を、気配を消して駆け抜けます。人々にぼくの存在は知覚されず、一陣の風が吹き抜けるように、一目散に約束の秘密の酒場を目指します。
酒場は路地裏から更に奥へと足を入れた先。浮浪者や奴隷商人の行き交う薄暗い路地、その一角の建物の地下にありました。埃の積もった階段に、真新しい足跡がいくつか。
『レヴ様、本当に此方で?』
不安そうに確認するコールを内心で笑い、そうだよ、と返事をしてぼくは階段を降りました。階段下の扉を開けると、やはり薄暗い部屋へと続きます。その中に人の気配が僅かにあるのを確認する。
「来たかい?」
部屋の奥から声がかかります。
「こんにちは、お待たせしましたか?」
「いいや、ちょうど良い時間だ」
少しだけ存在感を張るように声を投げれば、落ち着いた男性の声がぼくを迎えてくれました。
「お久しぶりです、シリウスさん」
「此方こそ、いつぶりかな。三年かそこらは会ってなかったと思うけど」
黒髪を片方だけ肩まで伸ばした男、シリウスと通称で呼んでいる彼は、ヴィカーリオ海賊団の発展に大きく貢献した奴隷商人です。
「お会いするのは五年ぶりだと思いますよ。使役便でやり取りしていたので、そんな感じはしませんけど」
部屋の奥へと手招きしたシリウスさんが、テーブルの上のランプに火を灯します。そこに並べられた銀食器が仄かに炎の色を反射して辺りを照らしました。
「トラソル号は今も健在?」
「今はエリザベート号です。今もぼくらヴィカーリオ海賊団の主力船ですよ」
それは良かった、と破顔したシリウスさんは、慣れた手付きで茶缶を開けて紅茶を淹れ始めました。茶葉をポットに入れ、少し冷ました湯を注ぐ。
「此方に来ると聞いてね、折角だから良い茶葉を用意したよ。そちらの彼にも淹れるから、レヴくんの隣へどうぞ」
ことん、と砂時計を返してポットに布をかぶせ、目を細めるように微笑んだシリウスさんに、一番驚いたのは誘われたコール自身でしょう。
『この方は、お分かりになられるので?』
『ああ。ぼくの存在も一番最初に勘付かれたんだ』
闇の者の気配に聡い。闇に近い者は闇の者と同調し易いと言う事なのだろう。影に生き、時間と空間の管理を担うぼくらヴィンツェンツ家の血統に近い人種と、自然と交友して行くものなのだ。
「お言葉に甘えて、ご同席失礼します」
部屋の闇と同化したぼくの影の中から、黒い塊がドロリと滑らかに盛り上がり、それが白く変色し、長い白髪を割って吸血鬼コールがそのミイラの様な顔を覗かせた。
「……噂には聞いて居たけど、薄闇で初見するのは肝が冷えるね。失礼、コルネリオス殿。私はシリウス。奴隷商を営んでいる。よろしく」
「わたくしはレヴ様にお仕えしております、吸血鬼コルネリオス=フォン=ドラクロアと申します。以後、お見知り置きを」
握手を交わした二人を見ながら、ぼくは流れ落ちる砂時計の最後の一粒を見送った。
シリウスさんは奴隷商人ですが、彼が扱うのは戦争孤児など、身寄りを亡くした人々専門です。彼はどちらかと言うと『身元引受け及び斡旋業』を生業にしています。けれどバルツァサーラはでは『人』と『金』をやり取りする者を総じて奴隷商人と呼ぶのですが、瑣末な事と彼は笑うのです。
銀食器とは別に陶器の白いカップを一つ用意し、シリウスさんが紅茶を注ぎます。その数四つ。それがテーブルに配膳されるのを待っていたように、最後の役者が外の階段を降りて来ました。軋む戸が開けられ、燃える炎が姿を見せました。
「茶菓子の配達だ、間に合ったか?」
「ちょうど良いタイミングだ、レガルド」
燃える炎を形作ったような赤い髪を逆立てた青年が、にんまりと笑って部屋に入って来ました。その手に持った麻の袋を持ち上げて、上物を仕入れたぞ、と笑うのです。
レガルド=ガラージュ。シリウスさんと共に奴隷商を営む青年です。長い耳と、ダークエルフ族と思われる褐色肌が目を引きます。エルフらしい華のある顔立ちをしています。
ラース船長と似た雰囲気を持つレガルドさんは、落ち着いた雰囲気のシリウスさんと対極的で良く色々な情報を(勝手に)話してくれる気さくな方です。
「うわー、噂には聞いていたけど、迫力の顔だね……よろしく、ドラクロア卿。レガルド=ガラージュだ」
大股に部屋を横切り、レガルドさんはシリウスさんの横に並んで座ると、向かいに座っていたコールと挨拶と握手を交わしました。
「今日はゆっくりお話し出来るそうなので、思い出話も一緒にお茶にしましょうか」
和かに場を取り仕切るシリウスさんの合図で、レガルドさんが袋から茶菓子と言って『かすてら』を出してくれました。
「わぁ、蒼林のかすてらだ」
「かすてら、ですか」
「バルツァで食べられる四角いパンケーキが蒼林に渡って独自に進化した菓子だと言われてるね。小麦と砂糖や花の蜜をたくさん使うから、高級品ですよ」
感嘆の声と共に目を輝かせるコールに少し笑って、ぼくらはお茶の時間を楽しみます。ふわふわのかすてらは少ししっとりとしていて、口の中に入れるとじゅわっと唾液を吸って、替わりに口いっぱいの甘みが広がりました。
「美味しい」
紅茶の香りも相まって、少しだけ贅沢な体験です。料理人ジョンにお願いして今度作ってもらいたいです。
「表通りの高級菓子屋の看板商品さ。金持ちがわんさと並んでたぜ」
「馳走をご用意頂けて、感激です」
レヴくんは大事な上客だからね、と紅茶を飲むシリウスさんへの信頼は確かに厚いです。
「さて、何処から話そうか。トラソル号も健在だそうで、思い出話も尽きなさそうだ」
「あの船まだ使ってんのか。もう大分ガタが来てるんじゃないか?」
船舶と言うのは財産であり、消耗品とも言われています。彼方此方の海を渡り歩き、時には砲弾の飛び交う戦闘を繰り返す、そんな船の寿命はとても短いものです。
「ウチの船大工は優秀ですし、この二年程までは、戦闘は避けて来ましたからね。浄化の樹のおかげもあって、痛みは軽微ですよ」
それに、あの浄化の樹の無い船にはもう乗れそうもありません。浄化の樹から真水を採取出来るからこそ、ジョンの美味しいご飯が食べられるのです。
「そっか、そっかー。あの時一緒にくれてやった働き手はどうよ。海賊も様になったか?」
当時を知る二人は、まるで親戚の子の成長を訪ねるように話を積み上げて来ます。
「女性と船酔いしてしまう男の人の一部はアジトで働いてもらいました。船も平気な人たちは、今じゃあ立派な海賊船員ですよ」
「半分近くは陸地で生活か」
「ですね。でも奴隷を扱う術を得られたのは大きかったです」
「アレもデカいヤマだったなぁ。王家第三皇子の不祥事の始末だったっけ?」
そうでしたね、と相槌を返したシリウスさんが懐かしむように口を開きます。
かつてトラソル号と呼ばれた、現在のエリザベート号に奴隷を乗せ、アジトまでの護衛を頼むとお二人がラース船長と、商船船長ジェイソンさんに依頼したのがもう八年程前の事になります。ぼくはまだその当時海賊団には居らず、全て人伝に聞いた話ではあります。シリウスさんとレガルドさんは、お互いの思い出話も織り交ぜつつ、当時の話をしてくれました。
王家にも繋がりを持つお二人は、その当時第三皇子による不祥事の隠蔽に大量の奴隷を始末しろと仰せ使ったそうです。まず王家への伝があると言う話からしてぼくには想像も出来ない人脈の深さです。
「大金積んで、奴隷を船ごと沈めて来いって話だったんだぜ!王家の船が移民の斡旋をしたが、航路の途中で不運にも船が沈んだように工作しろってさ」
ひでぇ話だろ?とレガルドさんが茶菓子のかすてらをぱくつきながら口調を荒げていきます。
「バルツァ王家が奴隷売買を推奨しているのは国内だけで、一応表向きは移民の護送を理由にしてる。各地の移民をバルツァに集め、そこから他国への渡航を約束する。慈善事業のように見せて置き、その実、裏で大金と労働力として人の命が動く。深い闇さ」
自らも奴隷商を名乗りながら、お二人は誠実な孤児の斡旋をしている。万が一の時に自分の身を守る為の口実であれ、その信念には敬意を表さなければいけません。
「で、見す見す良い船に労働力だ。何処かで有効活用して貰おうって話になって、船長たちのところへ話を通したってワケさ」
そうしてヴィカーリオ海賊団へ斡旋された奴隷たちは海賊になり、そして一部は団を離れたりもしている。
「先日、アジトに戻った時に、団員の数名が陸に上がりましたよ」
「おや……海の生活は合わなかった者が?」
「いえ、逆です」
先日、アジトへ寄港した際、ラース船長の元へ離団の申し出を行なった者が居ました。いずれも初期に団へと加盟した者で、トラソル号の奴隷たちでした。
「彼らは立派な働き手になり、島の発展に大きく貢献しました。今度は、自分の農地が欲しいと、独り立ちして行ったんです」
他にも機織の腕を上げた女の方、妻の妊娠と共に離団した夫婦も少なからずいました。
「他にも、ぼくが情報を探して実家へ戻った誘拐奴隷の人もいました。人手不足は奴隷船の襲撃で補って、新旧の奴隷同士、水夫の皆さん馴染むのは早いです」
同じ境遇にあった者たちが、海賊団へ加わった事で笑顔を振りまいている。それ以上の勧誘方法はありません。ラース船長の言葉以上に、元奴隷水夫たちが奴隷を救おうと、過去の自分を救おうと、彼らを手助けするのです。
「そうか、みんなそれぞれの道に旅立ってるのか」
「それなら、オレたちもお前らに任せた甲斐があるってもんさ」
バルツァサーラで奴隷を扱う闇はあれど、その闇から少しでも光ある生活へ移って貰いたい。ただ使い捨てられる労働力などで、人の命を捨ててはいけないのだと、彼らは自分たちの仕事に誇りを持っているのです。
「さて、昔話に花を咲かせてしまったけど、今日は取引の話だったんだよね。良い知らせになるか、悪い知らせになるか、吟味願うよ」
ランプの光のみの薄暗い室内にゴトリと重い音が響きます。綺麗な白い布に包まれた十五センチほどの包みをシリウスさんがテーブルに置き、それを開きます。
出て来たのは柄。持ち手のみで、筒状のそれは薄闇の中に小さな闇の穴を広げて居ます。
「これが……」
「ヴィーゴオンブロ。乙女座の名を冠する蝕の民の短刀……と聞いていたんだがね」
我々が手にした時には既にこの状態だったんだ、とシリウスさんが申し訳なさそうに眉を下げました。
バルツァサーラに渡航が決まった頃、アジトで蝕の民が大陸を超えて居たと知ってから、お二人に使役便で蝕の民の遺物についての調査を依頼していたのです。その結果として、今回この武器を見つけたと聞いていたのですが、いざ現物を見ると落胆とも安堵とも付かない感情を覚えました。
柄は質素と言っても良いほど装飾が少なく、実用性を重視した作りになっています。しかし石突には濃い黒緑色の石が嵌っていて、ランプの光を僅かに反射します。中子の刺さっていたであろう小さな穴は、錆なのか汚れなのか、闇を湛えています。
これは、本当に柄本から先に、刃を持っていたのでしょうか?これは、この形が完成系なのではないのでしょうか?
見れば見るほど、そんな考えがふつふつと胸の中に湧き上がって来ました。
「手にしても?」
「どうぞ」
「蝕の民の遺物ってのは、使う人間を選ぶって言う噂だったな。オレたちじゃ単なる不良品かゴミ状態だったが……」
口元に弧を描いて、蛇が出るか蛇が出るか、とレガルドさんは興味深げに此方を観察しています。
手に取ると、柄だけなのにずっしりと重いような、しかし手にしっくりと収まり、肌に馴染むようにも感じます。これが、と小さく感嘆符だけが声も無くぼくの口から零れ落ちます。
「どうだい?」
「……レヴ様?」
跳ね飛んで行きそうだった心臓が静かにその鼓動を収め、細く吐き出した息がやがて言葉として音を持った。エトワールさんや、蝕の民の末裔メーヴォさんの造った武器を使う時に、ラース船長が口にするように。
椅子から立ち上がり、何もない壁に向かって、ぼくはそれを『詠んだ』。
「イベリーゴ、ヴィーゴオンブロ」
フィィンと空気の振動する音、手の平から魔力が吸い上げられる恐怖感、振動する柄を抑える様に握り込む拳の強さの少し後。はぁっと息を整えた先で、柄の先にランプの光を反射する漆黒の、短くも鋭い切っ先が形を成していました。
おぉ、と感嘆の声が三人分。
「出の良いところの坊ちゃんは持ってるねぇ」
「流石で御座います、レヴ様」
「黒い魔力を固めた刃と言うところか?」
「……いえ、これは、ぼくの影です」
スタンピタ、と。やはり蝕の言葉でそう『詠び』かければ、ヴィーゴオンブロはその刃を仕舞ってまた柄だけの状態に戻りました。
「ぼくの魔力を吸い上げ、そしてぼくの影を刃に変えてくれました。彼女がぼくに力を貸してくれるみたいです」
椅子に戻り、一度テーブルの布の上にヴィーゴオンブロを戻します。
「彼女?乙女座の名前から?」
「あ、いえ……そう言う訳じゃなくて、何となく、と言うか」
ただぼくは漠然とこの短剣が女性的であると思えたのです。
「レヴ様は、この武器に選ばれたのですね」
「もしかしたら、おばあ様もこれを手にしていた何て事があったりするのかも知れないね」
「さて、わたくしにその記憶は御座いませんが、蝕の民とヴィンツェンツ家の綱がりは運命的な物を感じざるを得ません」
四百年も時を経て、ぼくを取り巻いていた世界が急速に繋がっていく。用意されたような流れだけれど、それはとても有難くて、嬉しい事なんだと思います。
「では、報酬を頂こうか」
シリウスさんの言葉と、空のカップをテーブルに置く音が緊張感を伴って響きました。大丈夫。キチンと此方も用意して来ています。
ランプの光で伸び、闇に溶けたぼくの影に手を差し出し、見えない持ち手を引き上げるように影の中に仕舞いこんで来たそれを取り出します。
運送用のチェストが影の中から姿を現し、そのまま影を操ってその錠前を外すと、中から改造された魔法銃が薄闇の中に浮かび上がりました。
「ヴィカーリオ海賊団自慢の技術者集団が手掛けた魔法銃、合計二十丁です」
その内の一丁を影に運ばせ、テーブルの上に置きます。グリップや銃床の周辺に装飾の施された魔法銃は、見た目にも美しい逸品です。
「試し撃ちをしても?」
「もちろんです」
言ってぼくはチェストを閉じて一旦影の中に仕舞い、席を立ったお二人について、更に奥の部屋へと移動しました。
シリウスさんの魔法で灯された明かりの下に広がっていたのは、土壁に的の丸を描いただけの質素な射撃場でした。秘密の酒場に隣接しており、地下にあるこの場所ではどれだけ銃声を響かせても外には聞こえない仕組みです。既に何度も武器の試し撃ちがされたのでしょう。土壁は抉れ、的の丸もすり鉢上になっているところに更に上書きしてあります。
構えたシリウスさんが僅かに魔力を銃に注ぐと、グリップの底にはめ込まれた骨ダイヤが僅かに光ります。真っ直ぐに構えて撃った魔法の弾丸は的のど真ん中を再び抉りました。一撃、二撃と弾丸を撃ち込み、数発の試し撃ちの後、シリウスさんは満足そうに銃を見返しました。
「良いね。少ない魔力でそれなりの威力が出る。弾道の走りも申し分ない」
きっと此処にメーヴォさんが居れば「当然だ、僕が手を入れて作った物だからな」とでも言うでしょう。
「クラーガの名は世界的に今後価値を上げて行く名となりましょう」
失礼しても?と一歩前に出たコールが、背中のホルスターに挿しておいた、メーヴォさんが一から作り上げた魔法銃カノーノロヤレッソをこれ見よがしに取り出します。
「彼の本領は、やがて世界を変えるでしょう。その一端を手にされた事、十分にご留意下さいませ」
ダン、と撃ち出された魔法弾が、的の中心に当たって炸裂し、表面の赤い塗料を根こそぎ剥がしてしまいました。
「……あぁーあ、また塗り直さなきゃなんねぇな」
「ははは、純正は格が違うね」
「失礼しました。クラーガ製の銃の扱いには、十分にご注意下さい」
言ってコールはフフ、と笑ってぼくの後ろに戻って来ました。まったく、この人たちはそうやって脅さなくても良い相手なのに。
ただ、コール自身もメーヴォさんの持つ力を敬っているからこそ、粗末に扱うなと警告をして置きたいのでしょう。
やがてこの世界を変えてしまうかも知れない強大な力の一端。それは確かにヴィカーリオ海賊団に集まりつつあるのです。
「さて、彼方の部屋に戻ろうか。紅茶のおかわりはいかが?」
「頂きます。かすてらももう一切れ良いですか?」
「どうぞどうぞ」
酒場に戻ったぼくらは、互いの物品を取引し、残った時間をゆっくり情報交換に費やしたのでした。
「ただいま帰りました!」
エリザベート号に戻ったぼくらは、早速ラース船長に今回の取引や情報交換の成果を伝えに行きます。
と言っても、ラース船長とエトワールさんが商談からまだ帰って来ていないので、新たに入手した蝕の民の武器『ヴィーゴオンブロ』を専門家へと見せに行きます。
元武器庫の小さな部屋で読書中だったメーヴォさんを訪れると、成果が上がったと察したようで、嬉しそうに迎えてくれました。
「これがヴィーゴオンブロか」
柄だけの短剣を矯めつ眇めつ観察するメーヴォさんは、キラキラと目を輝かせています。
「魔力を一定の形状に留めて道具にする方法は、ラースのヴェンデーゴを作った時に習得済みだが、此奴の魔力増幅と出力回路はどうなっているんだ……」
ブツブツと独りごちながら、メーヴォさんは蝕の民の技術書も見ながら、小さな筒をつぶさに観察していました。
「発動させてもらえるか?」
言って、メーヴォさんがぼくに柄の石突側を差し出しました。はい、と答えて、ぼくはその名を『詠び』ました。
「イベリーゴ、ヴィーゴオンブロ」
柄自体が周囲の空気と共に振動し、ぼくの魔力と影を刃の形にして切っ先を作り上げます。
「そのまま、その刃の部分が伸びるイメージを描けるか?カトラス……いや、レイピアのような形状のイメージだ」
好奇心に溢れるキラキラした蝕の瞳が、一転して研究者の目付きへと変わります。
レイピアのイメージと言われ、ぼくは柄の先にカッコいい剣士が構えているような剣をイメージします。昔おばあ様に読み聞かせて貰った、悪魔剣士の持っていた剣はどんな形だったっけ。
黒い影の切っ先は、一瞬乱れるように波打ち、しかし螺旋を描いて細く伸び、波が打ち寄せた後のようにピンと長い剣の切っ先へと姿を変えました。
「やはり、蝕の民の武器は強くイメージする事に結び付いているようだな。念じる力の具現化を補助する魔法道具か……」
とは言え魔力が前提の話だからな、とメーヴォさんは何処か寂しげに苦笑しました。
メーヴォさんには体内魔力がほとんど無く、魔法への抵抗力も、魔法を使う事も出来ない体質なのです。蝕の民は多くが魔力を持たないと言われていますが、ではどうして魔力を使い、念じる力を具現化する道具を作ったのでしょう?謎は深まるばかりです。
「スタンピタ、ありがとう、ヴィーゴオンブロ」
「もうすっかり使いこなしてるな。やっぱり聞こえたのか?武器の声が」
「直接聞こえたわけじゃありませんが、なんと無く、感じるんです」
メーヴォさんの頭の上を旋回する魔法生物鉄鳥さんが、ピカピカと羽根を光らせています。きっと新しい武器の発見を喜んでいるに違いありません。
「それと、メーヴォさん。例のバルツァで奴隷売買が盛んになったきっかけの件ですが」
「出たか?」
「はい。バルツァサーラ建国の頃には無かったのですが、三百年程前『人を集める』名目も含め、各地から身寄りのない者の受け入れをしています」
バルツァサーラにはかつて姉妹国がありました。リッツァサーラと言う、現在の魔道大陸にあった巨大国家です。
リッツァサーラはおよそ六百年前に、王位継承権を持った双子の兄弟の対立によるお国騒動で分裂し、鉱石と技術の国ヴェルリッツと、魔法の国アウリッツになりました。その際に姉妹国としての関係もなくなり、バルツァサーラは独立国としてその地位を固めて来ました。
「恐らく四百年前の薔薇十字教会との紛争の後、蝕の民がバルツァサーラに多くの影響と異物を残した。それ故に、バルツァの子孫たちは蝕の民を探しているのだと思います」
「だろうな。聖歌教会に『フントハールポ』を収蔵しているだけの事はある」
その名前を口にした途端、メーヴォさんは表情を曇らせました。フントハールポと言う天秤座の名を冠した竪琴を、危険を犯して海軍提督の晩餐会に忍び込んだ末に手に入れたと思ったら、それが精巧に作られたレプリカであると、港を離れて後日に発見したのです。
「外見は全くそれと同じで、ただ内部機構が何もない抜け殻。ガワだけの偽物だ」
そう渋い顔でラース船長に報告していたメーヴォさんを思い出します。本当に悔しかったのでしょう。暫くは塞ぎ込んでいたのを覚えています。それでも精巧に作られた竪琴とティアラには十分な宝石や魔法石が使われていて、美術品としての価値は高そうでした。
此処で二転三転しても好転しなかったのは、ではレプリカを売ろうとすると、必然的に足が付くので売れない、とラース船長が判断したからです。結局レプリカの竪琴は楽師エドガー老へ、ティアラはアリスくんがおめかし用に所持しています。
「バルツァサーラがゴーンブールの海軍提督相手だからと教会所蔵の遺物を譲るわけかなかったんだ。バルツァは水面下で蝕の民の何かを探っている」
メーヴォさんが以前からそれとなく主張して来た仮説が、今回シリウスさんとレガルドさんへ依頼した調査結果で立証されたのです。
「バルツァサーラの北、蒼林国との貿易が盛んな地域の街に、蝕の民の奴隷を各地から集めている施設があります。と言うよりは、蝕の民の末裔がかつては集落を作り住んでいたそうです。そこにバルツァ国家からの手が入り、管理されるようになったとか」
「……次の目的地は北だな」
「ラース船長が、作戦通りに商談を成功させて来てくれれば、決定ですね」
ぼくの言葉を耳に、メーヴォさんが部屋の一角に置いてあるチェストをちらりと見やりました。
「……はぁ、別の作戦が立てられれば良かったんだがな」
「その、えーと。頑張ってくださいね。ぼくも護衛に着きますし」
気乗りしない顔のメーヴォさんを薄っぺらな言葉で励まし、返された苦笑をやはり苦笑で返して、ぼくらは少し笑い合いました。
おわり