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海賊と水夫

 コスタペンニーネで翠鳥海賊団のバラキア船長と情報交換し、更にメーヴォが解読中のアジトの地下室で見つけた手記と照らし合わせる。アジトの建築に関わった蝕の民は、どうやら完成と共に海に出たらしかった。入手したギルベルト老の手記から、コスタペンニーネ、更に西のバルツァサーラにも蝕の民が居たのではないかと言う記述が見つかった。

「なら次はバルツァサーラだな!」

「コスタペンニーネでもう少し情報を探しても良いと思うが、いいのか?」

 アジトの完成後、南へ行ったとなれば少なからずまだ手掛かりがあるのではないか、と言うメーヴォの意見ももっともだ。しかし、俺にとってこの地はあまり長居したくない場所でもあるのだ。

「コスタは俺の故郷、こんな所に長居したらツキが落ちちまう。ついでに此処で『フェルディナンド』の名で暗躍するのはあんまり良くないんだ」

 飛ぶ鳥を落とす勢いのラースタチカ様の名は、コスタでは地元すぎて足が付きやすい、と言えば、メーヴォは得心の言った顔でなるほどな、と苦笑した。

「そう言う事ですので、出来れば早々にバルツァサーラへ航路を取りたいと思います。物資の補給には、点在する離れ小島の港を利用する予定です」

 エトワールの提案に、料理長ジョンも納得し、航路検討会は無事に終了した。

 俺たちヴィカーリオ海賊団は『蝕の民の痕跡』を追って南のコスタペンニーネへ立ち寄った。次は西の大陸の単一国家バルツァサーラへと航路を決めた。『蝕の民』の情報を追えば、自ずと蝕の民の遺物に当たる。それは俺たちに強力な力を与えてくれる。そうしてこの海賊団は大きくなった。大きな手がかりを得た俺たちは次なる目的地へと旅を続ける訳だ。いやぁ、遠くまで来たもんだってな!


 島から島へと短いスパンで停泊をするのは目撃情報が点在する事になり、あまり得策では無いのだが、今回ばかりは仕方ない。その場で補給出来る物資を上限まで買い占め、それでも足りない物を次の港で補給しながら、俺たちは西を目指した。

 雨季の洋上は直射日光と、水面からの照り返しでじったりと暑い。甲板整備をするクラーガ隊の足取りも若干鈍い。潮の流れは西に向かい、風は微風。暑さはともかく、穏やかな航海もたまには悪くない。

 クラーガ隊が撤収するのに合わせ、入れ替わりで若い水夫たちがぞろぞろと甲板に集まり始めた。何を始めるつもりだろうか。暇な俺は船尾楼にある船長室からそれを眺める。

 いや、暇じゃねぇんだけどな。机の上に積まれた会計書類にサインをすると言う、お役所然とした仕事が詰まっている。何で天下のヴィカーリオ海賊団がこんな面倒な事を律儀にしているかと言うと。

「ラース、追加の書類が出来ました」

 つーんと綺麗な顔を誇示するように、副船長エトワールが新たな仕事を持って船長室を訪れた。此奴がこの仕事を作る張本人だ。

「まだ全然終わってないじゃないですか。短い間に港を転々としてるんですから、万が一の為に書類の偽造も大切な防衛策ですよ?」

 エトワールが言うのは、俺たち海賊団が普段は宝石商の貿易船を装っている事についてだ。つまり、この書類作成は貿易商人として取引をした事を書面に残す為の偽装工作。食料品の購入、売り払ったダイヤの売買履歴などなど。

 特殊な書面は魔族レヴに偽装してもらったりするが、日常的な会計書類はキチンと自作している。筆跡も変えないと怪しまれると言う誰かさんの意見で、船長として俺は偽名をサインしなくてはいけない訳だ。

「デスクワークは俺の性分じゃないんですけどー」

「つべこべ言わない。次の港辺りは警戒されているかも知れませんよ」

「大丈夫だろぉ」

「気の緩みは油断を呼びま」

 ガァン!

 エトワールが言葉を閉め終えるかどうかと言うタイミングで、船尾楼の窓に何かが激突した。

「うわっ」

「なんだ!」

 敵襲か?こんな洋上で、もしかしてコスタの辺境海賊か何かか?見張りは何をしてやがんだ!

 椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、船長室の扉を開けて外を伺う。と、先程から船尾楼の窓から見えていた風景となんら変わりない、平和な洋上が広がっていた。

「……なんだぁ?」

「せ、船長殿ぉ!申し訳ありませんぞ!」

 平和な空気を一変させる固苦しく、しかし動揺の色が濃い男の声が俺に向けて投げかけられる。

 甲板に目を向けると、すっかり擬態が解け、触手の生えた頭を晒している小型クラーケン種のルナーが、全身で慌てる様を表現していた。

「うわっ、何ですこれ」

 俺に続いて船長室を出たエトワールが、先程何かが当たった窓を見て困惑の声を上げる。視線を移せば、白い矢のような物が僅かに窓に刺さっていた。

「……おいおい、そいつはいつだか手に入れた水晶板を切り出してはめ込んだ窓水晶だぜ。そこに刺さるって、なんだそれ」

 どうやら事の張本人、ルナーに話を聞く必要がありそうだ。


「ほんっとうに!なんと詫びればよいものか!」

 甲板に額を擦り付け土下座するルナーに一先ず顔を上げるように言って、事の次第を説明させる。ルナーの後ろに若い水夫の連中が並んで正座して、その手には皆同じような弓を持っていた。

「クラーケンの使う武器なら、あの窓水晶に傷が付くことが分かったってもんだが……で、お前らはナニをしてたワケ?」

 ルナーに説明を促す視線を送る。

「全ては某の責でございます。某の海皇流弓術を、若い水夫たちへ教授しておりました。先日入りました海の者が、弓術に興味があると申し出まして……同じ海の者、その希望に沿いたいと、この数日弓術の指導をしておりました」

 なるほどな。俺は実際に見てないけど、ルナーの弓の腕前は相当だったらしい。

「はぁーで、さっきの矢は暴投した一矢ってワケか」

「左様でござります。某の作る弓の絃が硬く、若人には少々扱いが難しかったようで……これは某の失態、どの様に詫びればよいか……!」

「あ、あー詫びとかそう言うのは良いわ。ってか、この弓も矢も自作なのか?」

 水夫たちの大多数は奴隷上がりで上の者には相当気を使う奴らばかりだし、ルナーも海賊団に加わったと言うよりは居候や同盟関係に近い。それ故にこうして此方の動向には敏感だ。正直本当にブチ切れる案件じゃなきゃ、懲罰だの何だのは面倒だからとやかく言いたくはないんだ。

 お咎めなしと分かったのか、ルナーも若い水夫たちもほっと肩を落とした。

「某が皆の分をお作り申した」

「材料は?この白いやつ、なんだ?」

 窓水晶に刺さった矢をクルクルと回しつつ聞けば、ルナーはぱぁっと表情を明るくして、饒舌に語り出した。

「それは船で獲った虎鯨の骨でござります。骨を加工して色々作るのが某の趣味でございましてな!弓矢に、倅の玩具なども作りますぞ!」

 饒舌に語る様の自信たっぷりな口調から、相当に思う所のある物なのだろう。そして子供の玩具、と聞いて興味が湧いた。

 虎鯨の骨は人工ダイヤの材料としてメーヴォ率いるクラーガ隊が管理していた筈だが、こんな所で別の使い道をされていたとは。

「メーヴォ殿に切断前の骨を幾らか分けて頂いて、それから色々と削り出す事をしております」

「ちょっと興味深い話だな」

 若い水夫たちから手製の弓を見せて貰う。シンプルで無骨な弓ながら、その強度は確かだ。

 虎鯨の骨は確かに硬く、研げば鋭利な武器として、また油を絞ったりと活用法は多いが、クラーガ隊の活躍のお陰で最近は人工ダイヤの素材一択だった。

「そう言えば俺、あんたの事ロクに知らなかったな。例のオバケクラゲの乗り心地も覚えちゃいねぇんだ。一度案内してくれよ」

 言えば、ルナーは承知致した、と快諾した。


 メインマストの滑車に、予備の帆布で作った袋状のプールを吊るし、西に向かう船の左舷側、南側へ降ろす。照り返しもきつかった洋上で、布製プールが着水して海水に膝上まで浸かれば恰好の海水浴日和になる。集まった皆はパンツ一枚でじゃぶじゃぶと体を濡らして涼を得ている。

 下から見上げるエリザベート号は、甲板から眺めるよりずっと美しく、そして早い。微風とは言え潮の流れに乗っているのだ。上から見る以上に船は早く進んでいる。船は急に止まれず、水夫が落ちた所で迅速な対応が出来ない事、この目印もないだだっ広い海原の波間から人ひとりを探すのが恐ろしく困難であると言う困った話だ。

 そんな海の藻屑にならないように、ルナー率いる若き弓術隊が、帆布のプールに揃った。その中のリーダー格、水色の髪が美しい美少年アベルが目を輝かせて海の底を覗き込んでいる。

 先日襲撃した奴隷船に、何故か人魚の国の関係者が居合わせ、それも以前商船襲撃の際に偶々救出した人魚のお姫さんの身内だと言う。特別扱いはしないまでも、それなりに注視すべき少年水夫アベル=サッフィールス。彼はヴィカーリオ海賊団にクラーケン種のルナーが乗り合わせていると聞いて、海の者同士交友を深めたいと常々口にしていた。その結果がこの若い水夫たちによる弓術隊の結成だ。戦力として活躍出来るか否かはともかく、やる気のあるのはよろしい。

 で、その弓術隊が、ルナーが船尾底で普段どんな生活をしているか気になる、と俺の訪問に追従した訳である。好奇心旺盛なのは良いが、万が一の時は救出されない覚悟で来いよ?

 弓術隊と言っても若い奴らが五人程度。某一人でも皆を安全に船に戻せますぞ!と豪語するルナーを信じ、こうして帆布プールで降りた訳だ。

 ルナーが先に船尾方向へ向けて海に入る。波紋はすぐに後方へ流れて消えた。程なく、海底の中をゆらりと泳ぐ影が船に並走する。ぽこりと大きな気泡と共に上がって来た巨大なクラゲの化け物の中では、ルナーの息子である少年クラーケンのサチが手を振っていた。クラゲはその長い触手をプールの外側に這わせ、更に一本を中に通した。

「お待たせ致しましたぞ」

 ザパッと今度は船首方向からルナーが顔を出した。

「その触手を手繰ってクラゲの内部に行けます。中は空気袋を用意させました。少し潜水が必要ですが、苦手な者は某が運びましょう」

 複眼をパシパシと微笑ませ、ルナーはクラゲの中へと俺たちを誘った。

「気を付けて行けよ」

 甲板の上から声が降って来て見上げれば、非番の水夫たちが見物に船縁に並び、その中にクラーガ隊の隊長、技術者であり俺の相棒メーヴォがいた。その横には、やはり先日の奴隷船襲撃で仲間になった彫金師見習いの少年が居た。

「お気を付けて!」

「おう、行ってくるぜ」

 俺はクラゲの触手を手に、その本体へと向かって潜水した。

 ざぶんと潜った水の中は程よく冷たく心地良い。しかし船の速度から引き剥がされた体はそのまま後方へ勢い良く流されてしまう。掴んでいたクラゲの触手がきゅうと手に吸い付かなければ、うっかり流されていたかもしれない。

 若干流されかけた体を立て直し、息の続く内にクラゲの中に居る少年の元へ向かう。口だけで「此方です」と誘うサチの指示に従って、クラゲの腹の中に入り込むと、確かにそこには空気を有した空間が広がっていた。

「いらっしゃいませ、ラース船長」

「おう、邪魔するぜ」

 掴んでいたクラゲの触手がその体内でとぐろを撒くように纏っていて、俺はそこに腰掛け、濡れてずっしり重たくなった髪を絞った。

「なるほどなぁ、こうやって風船みてぇに空気を溜め込んでるわけか」

「正確にはこの子が少しずつですが呼吸するように外気を取り込んで循環させています」

 便利なもんだと見上げながら、次々にクラゲの中に入ってくる弓術隊の面々を迎えた。中でも一番泳ぎが上手く、腰にそこそこの大きさの剣を下げたまま、触手に捕まりもせずにすいすいと泳いで来たのは、やはりアベルだった。最後にルナーが中に入って、クラゲは触手を丸めて空間に蓋をした。二十センチばかりの水を床に有して、そこは海中にありながら空気を有する摩訶不思議空間へと変貌したのだ。

 先日はこの中に巨人族の船医マルト、そのマルトよりも大きな体のルナーと、他に大の大人が十人近く入って移動をした訳で。クラゲの内部は下手をしたら船内の一個室よりも広く快適だ。

「魔法でも無くて、巨大なクラゲの魔物がこんな便利な使い方が出来るとはなぁ」

「このクラゲは我らの眷属の様なもので、クラーケン種が陸上生活をするための擬態と、呼吸の仕方を学ぶための空間として使うのござります」

 クラーケンも海中で一生を過ごす者が大半だが、時折陸上、または半陸生を強いられる事があり、鰓呼吸だの肺呼吸だの、擬態した体表に水分を蓄えて呼吸するとか。それぞれではあるが、陸で過ごすための練習場としてこの空間を使用するのだそうだ。

「ぼくは人間へ変身する魔法を覚えて、肺で呼吸しています。お父さんは擬態した体表に水を蓄えて、空気中の水分を通して呼吸しています」

「ちなみに僕も人間に変身しているので肺呼吸です」

 手を挙げてまでアベルが一緒になって主張する。水色の髪を持つ美少年は、人間となんら変わりなく船で過ごしているが、これでも立派な人魚の王国の王子だと言う。俺の持つ人魚の国の紋章入りペンダントを見て『それ』と分かる反応をしていたのが何よりの証拠だったワケだが、正直信じるかどうかで言えば半信半疑だ。

「いつかアベルの言う人魚の国にも行って見たいもんだな。このクラゲに乗ってれば海の底まで行けるんじゃないか?」

 陸地の廃坑の地底湖と繋がる海底トンネルを往復したのだから、それなりに海底への耐性もあると言うことだろう。俺はその帰り道瀕死で意識がなかったから覚えてないけど。

「あ、そうだ。例の虎鯨の骨から作ったって言う玩具?見せてみろよ」

 すっかり忘れるところだった。言えばその複眼をニコニコと笑わせながら、ルナーがクラゲの触手の中から透明な袋状の何かに入ったそれをゴソゴソと取り出した。海の中には不思議なものがいっぱいだな。

 広げられたのは船の模型や魚の形を模した人形など。ドレもコレもかなり精巧な彫刻だ。若い水夫たちからも感嘆の声が上がる。

「へぇー……すげぇな。これぜんぶアンタが作ってんのか?」

「その通りで。某も腕を上げたものと自画自賛しておりますぞ」

「……コレ、売り出さねぇか?」

 にんまりと笑ってルナーに打診する。その言葉の意味が分からなかったのか、ルナーはその表情を白黒と変えた。

「何をおっしゃっておられるので!」

「だからよ、コイツを新進気鋭の彫刻家の作品だっつって売ろうぜ!これ絶対良い値が付くぜ!」

 メーヴォが此処にいたら「またお前は金の話か」と呆れられそうだ。

「な、何をおっしゃいますか!某のこれは不便をさせる倅の為に作ったものであって、決して彫刻家などとおこがましい真似は出来かねますぞ!」

「硬い事言うなぁ。俺たちが宝石商として扱う物に彫刻が増えたって、誰も何も思わないぜ?それで稼いだ分は、何ならきっちりルナーの旦那に支払うからよ。それで陸の物を買ってやるのも手だぜ」

 前にレヴがサチと情報の取引をした際に南北共通貨幣を持っていたとは聞いていたが、どうせそれも海で魚なりを獲って来て街で売って得た金か、それとも沈没船から拝借した物だろう。堂々と自分の作った物で稼ぐのは良いぞ。俺は大体盗品だけどな!

「そ、それは……中々、魅力的な話ではありますが……いや、何せこんな素人の物に値が付くのかどうか」

「バッカだなぁ、どんな彫刻家だって最初は素人だったろうが。そこに価値をつけるのは買う側の判断だぜ?俺は買う側としてコレに価値があるって言ってんだ。俺の鑑定眼を信じろよ」

 そうさ、だから此処まで団を大きく出来たんだ。宝の鍵を手に入れた俺の判断に間違いは無い。

「良いんじゃないかな、お父さん。ぼくだってそろそろ玩具から卒業する時期なんだし、お父さんの作ってくれた人形、ぼく好きだよ」

 これが広まったら素敵だと思うよ、と言う最愛の息子からの後押しで、ルナーは重い腰を僅かに浮かせた。

「……サチがそこまで言うのなら、一度試してみるのも手かもしれんなぁ」

「決まりだな!コレからは商船に虎鯨に、獲る物が増えるし、ルナーの旦那にも今後活躍してもらわねぇとな!」

「ですってよ、師匠」

 俺の言葉に相槌を打つように、アベルがルナーの事を『師』と仰いだ。

「いや、だから師と呼ばれるほどのものではござらんと何度も言っておろう!」

「じゃあ隊長だな。弓術隊隊長ルナー=クルートゥルー殿!」

 囃し立てれば、鮮やかな緑の体表を白黒と変えて、ルナーは動揺と共に照れくさそうに笑った。



 バシュウ、と頭上で微かに音がして、クラゲの中に居た者たちが一斉に空を仰いだ。視線の先では、赤色の煙が尾を引いて真っ青な空を二つに割っている。メーヴォの特製信号弾だ。しかもあれは緊急の知らせだ。特に危険度の高いヤツ!

 見上げた先で、メーヴォが何かを叫んでいるように見えるが、クラゲの中にその声は届かない。思わず手をバッテンにして見せると、メーヴォは船の進行方向を指差して、なにやら手を振っている。お前身振り手振り下手くそだな!

「くっそ、わかんねぇよ!敵襲か?」

「であれば、尚更此処に留まり下され。下手に海へ出ては的にされますぞ」

「ならプールを上げさせろ。あんなもん引き摺ってたら速度どころの話じゃねぇ」

 クラゲの触手を引っ込めてやれば、メーヴォも何か察したのだろう。船縁からその顔が消え、するすると帆布のプールが上がっていく。

「船の進行方向だ。何か見えるか?」

 クラゲの壁越しに海の先を見るが、船影の様なものはまだ見えない。上では何が見えたってんだ。

「某が」

 言ってルナーが前方へ移動し、クラゲの半透明の壁越しにその複眼をギョロつかせる。

「船が、沈んでいく……?あれは?」

 なんだって?もしかして偏狭海賊の襲撃現場に出くわしたのか?

「……せ、せんちょ、ラース船長。僕の目は確かだと思ってたんですが……」

 ルナーと同じようにクラゲの中の弓術隊全員が前方に目を見張っているのだが、その中でアベルが震える声で俺を呼んだ。何が見えたってんだ。

「鮫がおります」

「鮫です」

 緊張した声のルナーと同時に、アベルも同じように報告を述べる。鮫だぁ?

「鮫だってこの辺りの海域に居るだろうが。船が沈んでるってのと何の関係があるんだ」

 エリザベート号と並走するクラゲが、徐々に現場へと近付く。次第にそれが鮮明になる。

 船の残骸が波間に漂い、水に飲まれた船体が海の底へと沈んでいく。水の濁り具合から言って搭載していた火薬でも爆発したのだろう。恐らく人の残骸も浮き沈みしている。その中で、目の錯覚でも起こしたように不自然に見えるものがあった。

「……鮫、か?本当に」

 それが視認出来た途端、背中にゾワッと悪寒が走った。マジかよ。

「オイオイ、本当に目がおかしくなっちまったみてぇだな」

「ですよね?ラース船長も見えますよね!」

「某、長く海で生きておると自負致しますが、これは真か」

 絶句する少年水夫たちを他所に、俺たちは口を揃えて目の前に発見したそれについて口にする。

「……でけぇ」

 巨大な、とんでもなく巨大な鮫だ!此方も巨大なクラゲの中に入っている訳だが、それでもその大きさに目を疑う。海の中なのと、クラゲの壁越しだから大きく見えるって事はねぇよな?だったらあの船の残骸だって大きく見えるはずだ。沈む船の残骸と見比べても、それが十メートルはありそうな巨大鮫である事が見て取れた。

 あんなのが船体に当たってみろ。此方の被害だって少なくは済まないぞ。

「このまま行ったら鉢合わせだぞ。進路変更だ!上に伝えろ!」

「どうやって!」

「ルナーかサチか、アベルでも、クラゲからピャッと出て上に行けねぇのか?」

「無茶をおっしゃる!」

 あぁーもう!どうすんだよ!

 アレが大人しく横を通り抜けさせてくれると思うか?上じゃあ商船が煙を上げて沈んで行く所しか確認出来てないだろう。このままだとかち合う事必須だ。

「某が応戦致しましょう」

 クラゲの触手の隙間から巨大な弓矢を持ったルナーが立ち上がる。サチが少しだけ不安そうな面持ちを父に向ける。

「案ずるでない。某を誰だと思っておる、サチよ」

「行けるか?アンタも一応海の魔物だしな……エリザベート号に損害が出ないように気を付けてくれよ」

「承知」

 ぶわっと触手の床の一部が解けて、ルナーが海中にその姿を躍らせた。途端、ルナーの足があった場所に無数の触手が生え変わり、驚くほどのスピードで海中をかっ飛んで行った。

「すげっ……アレが本当の姿……の一部か」

 こうなってしまっては俺たち陸の生物には何も出来ない。海の者にその領分を任せるしかない。

 弾丸のように泳ぎながら、ルナーがその巨大な弓を構える。それが海中で放たれたとは思えないほどのスピードで巨大鮫に迫る。その殺気、気配に気付いたのか、鮫がやはり水中である事を忘れたように軽やかに身を翻し矢を避けた。

 対峙する両者の体格差に頭痛がしそうだ。二メートル強のルナーに対し、鮫は十メートルはあろうかと言う巨大さ。海獣同士の戦いと言えど、その体格差は不利だろうと脳裏を過ぎる物がある。

「海皇流弓術、乱花!」

 矢筒から一掴みした複数本の矢をつがえ、それを一斉に撃ち放つ。放射状に拡散した矢弾が鮫を襲う。幾本もの矢が鮫の皮膚を掠めて切り裂き、数本が軟そうな腹の付近に刺さった。身を捩って悶えたが、その一瞬だけだった。鮫はルナーを獲物として補足し、その巨体からは想像も出来ない速さでルナーに迫った。鋭い牙の並ぶ鮫の口から、ルナーがひらりと身をかわす。

 両者が接近して、改めて鮫の巨大さに胃が竦み上がる。俺なんかじゃあ一飲みで終わりだ。

「船長、今のウチに船に戻りましょう!」

「戻ってどうする。海の上からじゃ何の援護も出来ねぇぞ」

 エリザベート号の装備は洋上戦の為の装備だ。海中に居る敵なんてのは想定外だし、メーヴォに言ったところで新しい武器が都合よく出て来るはずが無い。

 かと言って、このままルナーに任せっきりなのは心臓に悪いし、尻が落ち着かねぇ。ルナーがエリザベート号から鮫を引き離すように誘導してくれているが、あの鮫がいつ船か、はたまた此方に的を変えるか分かったものじゃない。あのスピードで迫られたら、俺たち人間じゃあかわす事は不可能だ。

「頼むぜ、ルナーのおっさん……」

 神頼みなんてのはしたくは無いが、今は海の供物に祈るしかない。

 しかし海の供物は海賊がお嫌いのようだ。

 ルナーが鮫の攻撃を避けて身を翻し、追撃の矢を放ったその先で、鮫が周囲を伺う様に上下左右を見渡した。まるで人間のように、だ。

「あの鮫、何かおかしいです。ラース船長、あの鮫の額のところ、何か見えませんか?」

 ルナーの戦いぶりを食い入るように見ていたアベルが低く声をあげる。額の所だって?

 それを確認しようとクラゲの壁越しに鮫を睨みつけたところで、その鮫と目が合った。

 ゾワッと胃が竦み、頭からスァッと血の気が引く。ヤバイ。一瞬置いて心臓が飛び跳ねた。

「気付かれた!」

 俺が叫んだ瞬間、少年水夫たちが一斉に壁際から離れて触手の床に転がった。

「皆さん衝撃に備えて!この子は丈夫だから、落ち着いて!」

 サチが叫んで、俺たちは伏せるようにクラゲ部屋の中央に集まった。そのほんの数秒後、クラゲの壁がぶわわっと震えるようにして鮫の一撃を吸収した。ぶしゅ、と一瞬クラゲの身が引き裂かれ、しかしそれは大して浸水もしないままに再生して塞がった。

「海の魔物スゲェな!」

「急速再生には限度があります……!何とか奴を撃退しないと」

 突進して来た鮫は遥か後方で方向転換し、再び此方に向かって来ている。もう海の中で上下左右分からなくなりそうだ。ただこのクラゲの檻の中で死ぬのは絶対に避けたい。

 クラゲの背後から鮫の真正面に向かって水を切り裂いて矢が飛ぶ。

「無事でござるか!」

「なんとかな!頼むぜ!」

 承知、と再びルナーが海中を飛ぶように翔ける。その体がほぼ人の形を保っていなくてギョッとした。顔には触手がくっ付いていて、頭、肩、腕にヒレが生え、腹部にはエラだろうか、複数の切れ込みが見える。下半身はタコだのイカだのと同じ触手の足が海中でバランスを取ったりしている。ちょっと所か、かなり衝撃的な絵面だ。

 だがそれが味方である事の心強さよ。頼む、と内心で強く念じた。なあ、そう言えば俺の幸運のアイテムを船に全部置いてきちまったんじゃないか?

 巨体を相手に、小回りを効かせて視線を翻弄していたルナーだったが、一瞬何かに気を取られた。

 次の瞬間、大きな鮫の尾が足を掠め、大きな水の流れを持ってルナーの体ごと押しやった。ぐるん、と回転したルナーがクラゲとの距離を離された。水中を漂うひやつく殺気に肌がぴりりと乾いた。

「サチさん、クラゲの足を開けて!」

 言った途端に少年水夫アベルが履いていたズボンを脱ぎ捨てた。

「ヴィジョン、デリート」

 アベルが自分の右手首に口を付けながら何か呪文を説いた。魔素が燃焼する光と音がクラゲの中に響き渡る。

「ラース船長、土か、砂の弾丸を」

 そう口にしたアベルは人の姿をしておらず、随分前に見た覚えのある尾鰭を持った人魚の姿をしていた。帯刀していた剣を構え、クラゲの触手の間から海中へと躍り出た。

 土か、砂。頭の中で反芻すると同時に、俺は右手の人差し指につけてある金の指輪を、イディアエリージェを『詠んだ』。

「サチ、クラゲの足を開けろ!お前ら、海に投げ出されるなよ!」

 はっとそれを察したサチが、自らも魔法を解いて親と似たクラーケンの姿に戻り、四人の少年水夫たちの腕をその触手で繋いだ。

「開けて!」

 合図と共にクラゲが触手の床を解き、鮫に向かって足を伸ばした。

 ザバッと海水が押し寄せる中、俺は右手に握った白銀の銃に魔力とイメージを注ぎ込み、引き金を引いた。ドゥン、と低い音と共に弾丸が海中を進み、アベルの進む先、鮫の目の前でぶわっと拡散して砂の煙幕を海中にばら撒いた。

 ザラザラとした砂状の魔力の粒子が鮫の目を多い、口の中から水分を吸い上げ、エラに絡んで呼吸を妨げる。まるで陸に打ち上げられたかのように、鮫が悶えたその瞬間、海中で確かに雄叫びが聞こえた。

「うおぉぉぉ!」

 砂の煙幕を脱いだズボンを盾に掻い潜り、剣を振り上げたアベルが雄叫びと共に鮫の額に剣を突き立てた。

「なん、だ、こいつ……っ!」

 突き立てた剣の先を見て、アベルがたじろいだ。剣を抜き、クラゲの傍へと身を寄せる。

 クラゲが水を排出しながら体勢を整え、再び触手で床を形成する。その間近で鮫が動きを止めた事で、異様なデカさと共に額の違和感の正体を見る事が叶った。

「なんだありゃ」

 鮫の額には、人が埋め込まれていた。人間だ。人間が巨大鮫の額に同化して、此方を睨んでいたのだ。

『おぼえていろ』

 確かにその口がそう言った。

 額に埋め込まれた人型の、ちょうど腹の辺りから血を流しながら、鮫は身を翻して海域を脱して行った。

「……はぁ」

 ばしゃん、と。溜息と共にクラゲ部屋の床に腰を下ろした俺を、クラゲの外からアベルとルナーが揃って手を振って見せた。

「お疲れさん!」

 言うと同時に、サチと少年水夫たちが気が抜けたように水の張った床へと転がった。


 巨大鮫を退けた後、イディアエリージェで信号弾を打ち上げて、帆布のプールを下ろさせてから俺たちは船に上がった。

 やはり船上からは、煙を上げて沈む船が見えただけで、海中に巨大な鮫がいた事など知る由も無かったそうだ。

「アベル!お前、そんな格好になっちまって、どうすんだよこれからぁ!」

「悪かったよカイン。でも仕方なかったんだって。僕はルナー師匠のクラゲに居候するからさ。時々プールを下げてもらって、顔合わせりゃ良いだろう?」

「なんで戻れないのに、戻っちまうんだよぉ。馬鹿ぁー!」

 アベルとはその名の通り兄弟のように仲の良い、同じ奴隷船から引き上げた彫金師見習いの少年水夫カインが、人魚の姿に戻ってしまったアベルを見てしょんぼりと肩を落としていた。寝食共に過ごしていた仲間とひと時でも離れたくないと言う様に、カインは拗ねて文句を口にしている。なんやかんやと、アベルはサチに変身の魔法を習う事を兄弟と約束してどうにか納得させたようだ。

 自分では人間に変身出来ないと言うのに、あのピンチを打破するために人魚の姿に戻った勇敢な少年水夫を責められるのは、辛い奴隷船時代を共にした相棒だけだろう。

「そんな事になってたのか」

 事情を話したところ、驚いたメーヴォの目から目玉が転がり落ちそうだった。

 カインが所属するクラーガ隊の隊長であり、相棒であるメーヴォには、もう一つ伝えなければならない話があった。

「もう一つな、あんまり良い話じゃないが」

 巨大鮫の額に人間が埋まっていた事。そして。

「そいつの胸の辺りに、十字の剣と薔薇の紋章が見えた」

「それって、まさか薔薇十字教会……!」

「ああ、まさかこんな所まで来て俺たちの邪魔をする存在になるとはな」

 仲間水夫、高位吸血鬼コールがかつて戦った敵『薔薇十字教会』。それらを殲滅するために作られた隠れ家は、現在ヴィカーリオ海賊団のアジトになっている。先日その関係性が明らかになった途端に、こうして相対したとなれば、何やら面白くない因縁すら感じる。

「覚えてろって言ってやがったぜ。近い将来、また殺り合う事になりそうだ」

「……海中でも威力を発揮出来る爆弾や、武器の開発を急いだほうが良いな」

「頼むぜ、相棒」

 そう言ってやれば、金冠日蝕の光を湛えた瞳がドロリと殺戮を楽しむ闇を湛えて微笑んだ。

「任せておけ、取って置きのヤツを作ってやるさ」

 ああ、なんて心強い技術者様だ事。安堵と期待を胸に、俺は濡れた髪を乾かすためにタオルを被った。



三章四話 おわり


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