海賊と料理人
球体世界の下半分。多くが海に覆われ、大小無数の島々で国を成す国家コスタペンニーネ。
球体の南半分にあるコスタペンニーネは温暖から熱帯気候で、世界の食事情の三分の二を賄っていると言って過言はなかった。島国と言う逆境など物ともせず、平和な国として治安も物価も安定している。
「その実、コスタを根城に暗躍する悪どい商人とか小規模海賊も多いワケ」
「我々はその中から名を上げることが出来た、奇跡的ですよ」
コスタペンニーネ出身の船長ラースと、その従兄弟の副船長エトワールさんが、大きくなって来た島影に視線を送りながら肩を竦めた。
コスタペンニーネ西側諸島群のそこそこに大きな島。その商業港に寄港予定の僕らは、変装して商船を装い航行している。宝石商の肩書きを一新した結果、大きな港に立ち寄る際は変装が必須になった。それだけ僕らも有名になったと言う事だ。
「で、メーヴォのその眼鏡が新しい発明品って事か」
「ああ。中々良いだろう?」
「お宝は宝箱の中に隠さねぇといけないって感じで、悪くないと思うぜ?」
以前から開発、研究を続けて来た、一定範囲に幻を投影することが出来る幻術石。その実用化に伴って試作した、僕専用の変装眼鏡。
失われた古代の民『蝕の民』の血を引く僕の、金環日蝕を宿した特徴的な瞳は特に目を引く。そこでこの変装眼鏡。
レンズ部分に幻術石を使用し、目元だけ変哲もない赤の瞳に見える様に幻を投影している。眼鏡を外せばいつもの僕の目に戻る。普段から伊達眼鏡を掛けているから違和感もほぼない。僕自身は魔力を持ち合わせていないが、左耳に耳飾りの振りをして止まっている魔法生物である鉄鳥が眼鏡の弦に触れていれば、魔力が伝導して幻術が発動すると言う仕組みだ。
「僕の目が特徴的で目立つのがいけないんだ。これから港ではこの変装眼鏡で過ごそうと思うよ」
「俺は別に商人三兄弟やっても良いんだぜ?なあ、可愛い妹のクロ」
「僕が持っている一番強力な爆弾でお前の虫歯を吹き飛ばしてやろうか?」
「……悪かったって……」
ギロリと視線を飛ばし、腰に下げていた武器に手をかければ、苦笑いで顔を歪めたラースが素直に口を閉じたので良しとした。
『それ』が嫌だからこうして別の労力を掛けているんだ。まったく……。
静かに笑いを堪えるエトワールさんを横目に、僕も改めて船首の先に見えてきた港を見やった。
背の低い家や建物が群を成す港街。南半球は突然の雨や突風が多いために、建物は低く建てられる。街の背後には小高い丘が見える。高い山も無く、何にしろ見通しが良い。
北半球のやや南寄りにある海洋国家ゴーンブールの白い壁の建物や、寒い北国ヴェルリッツの重い石造りの建物に比べると、小さく明るい色調の建物たちが僕らを出迎えてくれた。
先日、あわや開戦となりかけた金獅子海賊団から、獲物を横取りしかけた詫びにと貰った情報の裏を取り、島国コスタペンニーネへと翠鳥海賊団の後を追う形で入国しようとしていた。アジトで補給と休息を取り、その間に情報屋レヴに翠鳥の足取りを追ってもらった。
「金獅子の副船長が言っていたとおり、翠鳥海賊団がコスタ入りしている事は確かなようです。コスタ本国の鴉から、西へ向かったと言う情報を貰いました」
得意げに集めた情報を披露するレヴにジョンから特別おやつが支給され、僕らはアジトを発つ支度へと移行したのだった。
コスタペンニーネは東側に大きな島を抱え、西側に尾のように連なる諸島郡から形成されている。一番東の大きな島を『本国』と通称で呼んでいる。実際に首都が置かれ、主要な機関はその島に揃っている。それも端々の島で商人たちが暗躍しやすい環境を作り上げている一因だ。本国以外に派遣された国軍兵士は、あっと言う間に堕落する。本国の目の届かない場所で、闇に住む者たちが暗躍するのだ。
「鬼の目届かない場所へ闇が移動するのは至極当然だな。ま、その点俺たちはエリーの船を追っかけるって目的があったから、この一帯じゃろくに活動しなかったな」
「ゴーンブール海域の方がずっと海軍の活動が活発なのに、本当に良く無事だったなと、今となっては笑い話ですませられますけどね」
エトワールさんが苦笑を残して、甲板長と共に入港の手続きに席を外した。船首楼手前の船縁に並んで、僕とラースが港の中へと視線を巡らす。
港に泊まる船はどれもこれも宝船に見える。物資は時々でその価格が変わるが、そこに乗船する水夫そのものが資源であり宝の資材だ。人骨を集め、炭素の塊であるそれを蝕の民の技術を持って人工ダイヤへと変える。
そうして作り上げた人骨ダイヤをアクセサリーに加工して売り出す事もしたし、武器の材料にもした。技術班の面々に練習がてらにと作らせた(若干粗悪品な)武器も売って資金にしている。そうして得た資金を元に他に必要な物を揃える。襲った船に乗っている物は無駄にしない。ある種、究極の消費だと言えるだろう。資金を得た海賊団はその強さを増すばかりだ。ヴィカーリオ海賊団の噂は今や世界中に『死神の船』として知れ渡っている。
「なあ、メーヴォ見ろよあの船」
呼ばれて振り返れば、その先にシュッと細くスマートな縦帆の船が停泊しているのが目に入った。
「ビンゴ、翠鳥のタイタニア号だぜ」
除草剤入りの緑色の塗料で塗られた船体、横に走るラインは黒で、何処か高貴さが漂う船は、アウリッツの私掠船と言われて納得出来る。整然と並ぶマストとヤードがその帆を張られるのを待つように佇む。砲門は少なく、その分積載する砲台がない分、速さで言えば世界で一、二を争う快速船だ。
「いるな。お前いつだったかみたいに単身乗り込んだりしないのか?」
「ハハハ、あん時みたいな火事場力は今はねぇなぁ。もう少し穏便に、まずはお手紙でも届けてご挨拶としようや」
ズンと船体が前後し、船首が港岸壁の緩衝材に落ち着いたようだ。
さぁて、とラースが橋板が掛けられた港の桟橋へと足を向け、それに僕も続いたその矢先だった。
「船長!」
渋い顔のエトワールさんが船縁で足を止めている。ラースの事を『船長』と呼んだその一言と横顔が、待てと告げていた。商人風の格好をしているにも関わらずその足を止めたとなれば事態は険悪だ。
「……何事だね副船長殿」
台本染みた台詞でラースがエトワールさんに事態の説明を求める間も無く、エトワールさんがその足を一歩引いた。渋い顔だが、何かその場を譲らなければいけない、圧倒されている様子が伺えた。
睨みつけるようなエトワールさんの視線の先へ目をやれば、淡い青の羽飾りを盛った緑の三角帽子を被った金髪の美丈夫が港の桟橋へと佇んでいた。
「……まじかよ」
「今はなんとお呼びすれば良いかな、船長殿」
凛と張った弓の弦の様な声がラースを呼ぶ。
「……此方こそ、なんとお呼びすれば?名乗るならばそちらからが妥当では?」
畏まった口調でラースが返せば、男は帽子を取り、美しい金髪を靡かせながら名乗りを上げた。
「翠鳥海賊団船長、バラキア=キングフィッシャーだ。争うつもりは無い。話があって来たのだ」
真正面から来た。その力強い視線、態度に、この港一帯に既に彼の息が掛かっているのだと確信させるものがあった。
「ご機嫌麗しゅう、バラキア船長。此方は死弾海賊団船長ラースタチカ=フェルディナンド=ヴィカーリオだ。久々の再会に立ち話もなんだ。何処か良い場所を用意したいところだな」
「ならば『例の話』が分かる者を何人か連れ立ったくれるか?良い宿を紹介しよう」
マジかよ、とラースが口元に引き攣った笑いを浮かべた。五大海賊などとご大層な括りで語られるようになり、そのつもりで通り名の『死弾』で名乗ったくせに、いざ名のある海賊と対等にやり合おうとなると若干尻込みするのがこの男だ。その薄っぺらな演技を本物の覇気に変えられるようになって欲しいものだ。
肘でその腕を突いて、ほら、と促せば、ふうっと息を吐いて、ラースはバラキアへと「少し待ってくれ」と返事をした。
『例の話』と言うのは間違いなく『蝕の民の遺物』に関しての話が通じる者の事を指している。そうなれば必然的に蝕の民の末裔である僕は参加。蝕の民の武器を預けてある副船長エトワールさん、船医マルト、料理長ジョンも参加だ。そしてラースと、計五人で押しかける事になってしまった。
指定された宿は一階にカフェがあり、上流階級の奥様方が午後のお茶の時間を楽しむような、海賊には明らかに場違い感漂う宿で、通された部屋もこれから晩餐会でも開こうかと言う豪奢な部屋だった。ぞろぞろと海賊が押しかけるには居た堪れない。
そんな雰囲気すらも纏って様になるバラキア船長は、流石エルフ族と言う風格を漂わせていた。座ってくれ、と言われて用意された円卓に座った。
「大所帯になって申し訳ないねぇ」
「いいや、むしろ助かる。特に料理長ジョンシュー殿。貸しがある上に、今回話をしたかったのは貴殿だ」
直々に指名され、しかし大物を前にしてもジョンは相変わらず、料理以外の事には無頓着そうな態度で構えていた。
「バラキアはんに言われるような話があったかのう。メーヴォの旦那には、蝕の民の保存食の作り方は改めて聞いたんでな、貸しを作った覚えも、とんと思いつかんで」
「件の無人島で、貴殿が居なければ俺は成果を持ち得なかった。あれは貸しに相当する。今回は更に貴殿に貸しを作りたい」
「……あんさんやて、ええかん(良い加減に)腕の立つ料理人やないか。それが何をワシに頼ろうっちゅうんじゃ」
二人が言葉を交わす間に、翠鳥海賊団の水夫だろうか、これまた顔立ちの良い騎士風の男が、慣れた手付きで僕らに紅茶を注いで回った。花のそれに似た紅茶の香りが部屋を包む。
「あの島でギルベルト老氏の最期の晩餐を作り上げた貴殿にしか頼めない案件だ」
「ほう、あの爺さんの関係っちゅう事かいな」
「……なあ、メーヴォ。ギルベルトって誰だっけ」
ぼそぼそと横に居たラースが僕に耳打ちした。殺されかけた相手の名前を忘れるな。
「以前無人島で翠鳥と鉢合わせた時に、お前が眠りの魔法を掛けられた、あの死体の爺さんだよ」
「……あ、あぁー……」
その名を聞いてぞわりと背筋に冷たいものが走る。あの時はラースのために必死だったから考えが至らなかったが、以前翠鳥と無人島で解決した『最期の晩餐を作れ』と言う難問の出題主、海洋学者ギルベルト。あれは所謂『幽霊』だったな、と思うとぞっとする。
「貴殿たちも知っての通り、水面下で各国が蝕の民について調べまわっている。生き字引が居る死弾は兎も角、世界的に見れば有力な情報は乏しいのが現状だが、ギルベルト老氏の研究が見直されている。かなりの資料は紛失しているが、僅かに現存する手記があると調査をしている」
「……で、ギルベルトの爺さんの身内かなんかがここいらにおって、何ぞ情報を聞き出せんと苦戦しとるっちゅうとこけ?」
ご名答だ、と溜息を吐いてバラキアは手元のカップに口をつけた。
バラキアの行った調査で、コスタペンニーネにギルベルトの血縁者が移り住んだ事が分かり、その移住先まで割り出した。しかしいざ面会を希望すると言って訪れたが、ギルベルト老氏についての話はしたくないと突っぱねられたそうだ。
「ギルベルトの孫に当たる人物がこの街に住んでいます。彼らギルベルト老氏の家族は、老氏が犯罪を犯した事で追われる様に北のフレイスブレイユからコスタに移り住んだ。それを今でも恨んでいるようなのだ」
先も言ったが、とバラキアは続ける。
長く続く各国家間の冷戦を打破するため、たった一団の海賊が手にしたと言う、古代人の失われた技術を血眼で調査している。ギルベルト老氏はかつて『蝕の民』についてを調べ上げ、蝕の民の末裔とも接触をしている。しかしその当時の研究は価値を認められず破棄された上、老氏は気を違え凶行に及んだ。結果としてその家族は土地を追われた訳だが、今となっては失われた研究の数々に注目が集まっている。
「もし僅かでも手記の様なものがあれば言い値で買い上げ、老氏の名誉回復も約束したい。そう言ったところで、中々簡単にハイそうですか、といかないのが人間の複雑なところだ」
組んだ手の甲に顎を置いた気だるげな姿勢まで様になるバラキアを眺めつつ、ちらりとジョンへ視線を移す。此方は此方で、また複雑な顔をしている。かつて自分が料理を作り、それを口にして満足したと逝った幽霊の、今度は家族が出て来た。どう料理してやろうか、いいやしかし面倒臭い。そんな顔だ。
「……で、バラキアはんはもう手ぇも足も出ぇへんと」
「正直、俺たち翠鳥海賊団の後ろにアウリッツと言う国家が控えているのは、ギルベルト老氏のご家族も察しているのだろう。国は違えど、祖父を裏切った組織に属する俺たちにこれ以上の干渉は無理だろう」
バラキアの深い溜息が部屋の中を落胆の空気に染める。
「で、俺たちの……ってかジョンの出番って事ね」
カラッとしたラースの声がその空気を割った。その言葉を待っていたと言わんばかりに、バラキアが傍に控えていた水夫に合図する。
「報酬は入手出来たギルベルト氏の手記だ。好きにしてくれ。ただ、出来れば土産話を聞かせて欲しい。酒の席は用意する」
長い耳のホワイトエルフと思わしき水夫が、綺麗に折り畳まれた紙をラースの手元にそっと滑らせた。受け取ったそれをラースが確認し、小さく頷くと足元の影にそれを落とした。
「コイツを調べろ。明日には行くと言付けろ。あと、夕食には帰れ。酒場で一杯やるぞ」
メモを受け取った影はしゅるりと部屋から這い出した。宿の外に待機させていた魔族の情報屋レヴにメモを託し、ラースは視線を下げもせずに命を出した。それを見つつ、バラキアが口元をほんの少し上げた。秘密裏に二人も屋敷の外に控えさせていた事はお咎めなしで終われそうだ。
ではお開きにしようか、と言うところで、一人ジョンが歩を止めて部屋の奥へと振り返った。視線の先でバラキアを捕らえる。
「バラキアはん」
「なんだ、ジョンシュー殿」
「あんさん、アウリッツの本国で料理屋やっとるっちゅう話やないか」
バラキア船長はアウリッツの私掠船船長であり、国仕えの仕事がなければアウリッツ本国で料理店を営んでいると噂がある。
「こんだけワシらを贔屓にしてくれるんや。いつか貸切で店のもん全部食わせてもらうわ」
「……そうだな、売り上げに貢献してもらおうか。精々金を溜めてご来店願えるかな」
ジョンは何を察しているのだろう。そしてバラキアは何処まで困っていて、何処まで余裕を持っているんだろうか。何故死弾に肩入れするのだろうか。何故僕らを頼ってまで穏便に済ませようとするのだろう。
コスタペンニーネ国内で、アウリッツの私掠船が騒動を起こしたとなれば確かに国際問題に発展するだろう。しかしその反面、港の者たちに手を回すだけの事はしている。海賊船が二隻も停泊して穏便に済ませられるなんて聞いた事が無い。
彼が何を知り、何を求め、何を僕らに見ているのだろうか。ホワイトエルフでもダークエルフでもなく、エルフ族の頂点に立つハイエルフではないかと噂されるこの男も、海神ニコラス同様にその裏が見えず、ただ不気味さを覚える。
そんな僕の逡巡を知る由もなく、ただ真っ直ぐに、しかしその裏すらも見透かしているように、ジョンがカラッと笑った。
「そん時はワシのヘソクリから船の衆に奢りやからな。今から貯金せなあかんわ。楽しみにしとくで」
翌日、晴れの多いコスタペンニーネ特有の湿度の低い晴れの日。
レヴに調べてもらったギルベルト老氏の家族が住む家は、港町の大通りから少し外れた住宅街の一角にあった。昼過ぎに向かうと伝えましたと言うレヴに従い、船長ラース、蝕の民の末裔である僕メーヴォ、そして料理長ジョンがその家の前に立った。ジョンが何やら大きめの麻の袋を担いで来ている姿に少し驚いた。
一番前に立ったラースが家の扉をノックする。僅かに中から物音がして、それから躊躇われがちに扉が開いた。
「此方は海洋学者ギルベルト=コーエンのご家族のお宅で間違いないか?」
一般人からすれば威圧的に聞こえるであろう程度には真面目にラースが出て来た家主に問うた。
「ひいっ……え、えぇ、そうです、そうですよ……っ」
ビクリと肩を揺らせたのは、あの無人島で晩餐の最期に見た小柄な老人に面影のある、小人族の中年だった。小柄な体躯にも関わらず細く痩せている印象のある男だ。小人族は総じて丸い印象の体躯をしているのだが、彼がこれまでどれほど苦労してきたのか垣間見える細さだった。
「此方からの用件は分かってるな。話を聞かせてもらうぞ」
問答無用、と言う口調と睨みで善良な一般市民を恐喝しようと言うのだ、この海賊船長は。
「あんたら、が、噂の死弾、か……ほ、本当に、爺さんの最期を見届けたって……」
「話す気があるならさっさと場所を移すか家ん中に入れろ」
イライラしたラースの一喝に、ひぇ、と声を上げて男が扉の奥へと引っ込んだ。チッと舌打ちを落としてラースが慇懃無礼にドカドカと足音を鳴らしながら家に上がり込んだ。僕らも自然とそれに従う。最後に一拍置いて扉が閉まると、男はテーブルの影に一人隠れていた。
「ギルベルトのお孫さんだっけ?コーエンさんよ。さっさと話すかどうにかしてもらって良いか?殺しちまったらこっちが困るんだ、殺りゃあしねぇよ」
恐る恐る顔を出した男が「約束しろよ」と念を押してから、椅子に落ち着いた。僕らは勝手にテーブルから椅子を拝借し、少しだけ距離を取って腰掛けた。
「で、まずはコーエンさんよ。アンタの爺さんが残した研究資料ってのは此処にあるってんで間違いないな?」
痩せこけた小人族はゴブリンの様な目をぎょろりと剥いた。図星か、分かりやすい。
「何だってそいつを売るなり何なりしねぇんだ?爺さんの名誉も回復するってぇ話だろ。あのバラキアに恩を売っとけば元の土地に帰る事も出来たろうによ」
「……そんな簡単な話な分けあるか!」
そこで初めてコーエンは声を荒げた。
「ヘンテコな研究に明け暮れた挙句、人殺しをして、残された俺たちがどれだけ苦労したと思ってんだ。親父はそれで気を止んで死んじまったんだぞ!」
「チッ」
思わず鼻の頭に皺を寄せた上に大きく舌打ちまでしてしまった。僕のその行動に驚いたのはラースの方だった。
「何だよメーヴォ。突然」
「見ろよ、これが殺人鬼に殺されずに生き残った家族ってヤツさ。僕はこう言う言い訳の的にされるのが心底嫌でね。だから皆殺しにしてやったんだ」
あぁ、と察したラースが感嘆の声を上げた。
「家族が罪を犯したからと残された家族が何故か非難の的になる、そして気を病む。家族であっただけの事で、何故的外れな言及を受けなければならないのか、本当に分からないよ。腹立たしい」
それを理由に自分が不幸であると罵られるのもまた頭に来る。同じ釜の飯を食おうが、血を分けた者であろうと、個として別物なのだからそこに因果関係はあれど、責任問題などない。
「そいつを乗り越えられないから、先に進めず停滞する。だから人は弱いって話だぜメーヴォ。精神的強者ばっかりじゃ神様も供物も世界からいらなくなっちまう」
「気狂いの海賊め……」
ぼそりと言ったコーエンの言葉に僕らは全員カチンと来たのだけれど、一番最初に動いたのは意外にもジョンだった。
ダン、とテーブルに一振りの剣が突き刺さる。ひぇっと悲鳴を上げたコーエンに詰め寄ったジョンが、その強面を存分に発揮して睨みを利かせた。って言うかジョン、その剣は丁重に扱ってくれ。
「そんでぇ、貴さん結局何がしたいんや?爺さんの名誉回復け?金でもにゃあなら何が欲しいんじゃ?今更なにぉされても死んだ親父は帰ぇって来んってか?だから貴さんは停滞しちょるて言うてんのや」
顔を真っ青にしたコーエンがガチガチと歯を鳴らして縮こまった。穏便に行こうと言うのが難しかったんだ、こんな矮小な人間相手に僕らが下手に出る必要だってない。しかし、それを良しとしなかったのはやはり意外にも、と言うかやっぱりジョンだった。
「ワシらはバラキアはんにお膳立てまでされて此処に来とんのや。バラキアはんの顔を立てて穏便に済まそうって話をしとるんじゃ。貴さんの要求は何なんじゃ!」
今にもテーブルに付き立てた剣で、今にも切り掛からんばかりの剣幕で捲くし立てたジョンの勢いに、完全に飲まれたコーエンはゆるゆると口を開いた。
「……わ、分かってんだよ。爺さんの事はどうしようもなかったって……けどな、恨みばっかり聞かされて、借金まで作って移住して、苦労して、それでも爺さんの事ばっかり考えて、気を病んじまった上に自殺して、全部俺に残して親父は逝っちまった……お袋もとっくに家を捨てちまった。爺さんの遺品だけが残って、それを今更価値ある物だって言われても、俺はどうしたら良いかわかんねぇんだよ!」
「進みゃあ良いだけの事じゃ、アホタレが」
木材と鉄が摺れる音を残して、ジョンがテーブルから剣を抜いた。
「見とれ、これが爺さんが残したモンの真価や」
ヒュン、と鍔の無い剣が空を切る。海洋学者ギルベルトが蝕の民から譲り受け、そしてその力の強さに中てられた魔剣、オーストカプリコーノ。それと持参していた麻の袋を手に、ジョンは台所を借りる、と言って勝手に家の奥へと姿を消した。
「おい、コーエンさんよ」
愉快な観劇を終えた顔のラースが、コーエンへと不敵な笑みを向けた。
「良いもんが食えるぜ。アンタの止まり続けた薄っぺらで味気ねぇ人生をひっくり返す晩餐だ」
ジョンがキッチンへ姿を消して程なく、小さな家の中にはブイヨンの良い香りが充満し、独特の香りが漂って来た。昼飯を食べてきたばかりだと言うのに、ぐうっと腹に来る。沈黙の室内で時折小さく吐き出される溜息が大きく響く。ああ、良い香りだ、腹が空く。
「船長、メーヴォの旦那。あんさんらも食うけ?」
「おお、貰うもらう」
「僕も食べるぞ」
お裾分けを頂く事を約束し、待つ事程なく。
「お待っとうさん、特製ベーコンのボルシチが出来たで」
家にあったものだろう、端の欠けたスープ皿に独特の赤のスープが盛られてテーブルへと運ばれて来た。僕らの分は器が無かったためか、ブリキ製のカップに注がれて運ばれて来た。具材のゴロゴロと入ったスープは、航海中に僕らも良く口にするそれだった。一見すると変哲も無いベーコンのボルシチだ。
「……確かに、コイツはフレイスブレイユの、俺たちが住んでいた地域で良く食べられる物だ。けれど、こんなもので」
「良いから食えっちゅうとるんじゃ!冷めてまうやろ!」
ひぇっと声を上げたコーエンが恐る恐るスプーンを手に、スープをかき混ぜる。僕らは何を考える間も無く、その一口目を口にしていた。
ブイヨンが効いたボルシチは、外の暑さも忘れるほどにどっしりとした旨味が口に広がる。しかし添えられたサワークリームとレモンがさっぱりと舌を洗っていくのがまた美味い。よく煮られたニンジンやジャガイモ、ベーコンも蕩ける程にほろほろと口の中で崩れる。
「んー流石ジョンだなぁ」
「はぁー……美味しい」
僕らが感嘆の声を上げたところで、コーエンが納得行かないと言う顔で「何故だ」と吐き出した。
「確かに美味い。美味いけど、変哲も無いスープだ。こんなもので、何が変わるってんだ」
思わず僕はラースと顔を見合わせてしまった。どう事情を話そうか、面倒だから任せる、と僕らは表情だけで会話した。
「なあアンタ、虎鯨って食った事あるか?」
「……何の話だ?……虎鯨って、猛毒のあるヤツだろ……あんなの、食える訳無いだろ」
「嘘吐け、今食ったじゃん」
はぁ?と声を上げたコーエンが目を丸くしてラースと手元のスープを交互に見返した。嘘だ、と小さく呟く声がした。
「嘘じゃにゃあ。そいつはワシと仲間が一年掛けて試行錯誤した末に作った虎鯨のベーコンや」
船医マルトとジョンが、昨年からずっと研究していた猛毒持ちの虎鯨の調理法。やっとある症状について特効薬の調合が出来たと思った途端、今度はジョンがその調合を応用し、赤身から毒を抜く調理法を作り上げた。竜髭草をほんの僅か混ぜたハーブなどの漬け汁に漬け込み燻すと、虎鯨の赤身は普通に調理して食べられるベーコンへと姿を変えた。
「ワシら死弾海賊団はな、そこのメーヴォの旦那の、蝕の民の血にみぃんな引っ張られて、みぃんな成長して前進しとんのや」
ジョンのその言葉に、コーエンは更に目を丸めて僕を見た。此処では隠す必要も無いので、僕は変装眼鏡を取って、蝕の瞳をコーエンに見せた。幻術石の効果範囲が消え、僕の瞳が光っただろう。
「蝕の……金冠日蝕の、真円の瞳……アンタが、蝕眼のメーヴォ……」
「蝕の民が不幸を呼ぶ民だの、貴さんの爺さんが不幸になった原因だとか思っとるんやろうけどな、そんな事はあらへん。蝕の民は仲間と信じたモンを押し上げてくれる幸運の存在や。ただその運を掴むか掴まんか、それは相対したワシらの問題ッちゅう事や」
ああ、と呟いたコーエンは、全身から力が抜けてしまったよう椅子に背を預けた。
「一応バラキアから聞いてんじゃねぇの?爺さんの顛末をよ」
ラースに言葉を投げ掛けられ、コーエンはスープを見ながら、はあっと深く溜息を吐いた。
「……そうか、あの海賊が言っていたのは、本当だったのか」
ぽつりと口にしたコーエンがふらりと立ち上がると、台所の更に奥へと姿を消した。大丈夫か?とその背を視線で追うと、ラースが小さく「平気さ」と言った。
ガタガタと何かを動かす音の後、コーエンは小さなトランクを大事そうに抱えて戻って来た。それか。
「爺さんの研究資料の残りだ。持って行ってくれ」
早いところ渡せば良いものを、手間取らせる、とは口にせず飲み込んだ。
「代金は?」
「……いらない。美味い飯を食わせてもらった。鍋に残ってる分は貰っても良いんだろ?」
ようけ食え、とジョンがカラッと笑うと、コーエンが僅かに苦笑で返し、ラースへとトランクを手渡した。
「なるほど、確かに美味い」
二日後の夜、バラキアが再び例の宿へと僕らを呼び出した。是非事の顛末を肴に酒を飲もうと、約束の通り宴を開いてくれたのだ。両船の一般水夫たちは揃って別の酒場を貸し切って騒いでいる。両船長と一部の役職たちが高級宿の一室へと顔を合わせ、やはりお互いの料理人が作った料理に舌鼓を打った。
此方からはコーエンを説得するに至った特製ベーコンのボルシチと、ヴィカーリオ海賊団定番の大きな海老と魚の香草焼きなどが並んだ。
「虎鯨の中毒治療法が確立されたと学会が騒いでいたが、匿名投稿の主は死弾の船医だったか。得心が行く」
えへへ、と照れたマルトが、自分の前に置かれたスープに口をつける。その顔が美味しい、と笑顔になる。
「コーエン氏はそちらに研究資料を開示したそうだな。何か面白い事が書いてあったか?」
面白いものなんて話じゃない。正直に言えばこの場に来る事も惜しいくらいに、調べ尽くしてまだ足りないほど、その研究結果は興味深いものだった。
「周到に準備をする必要がありますが、蝕の民の原点を探る事が出来そうですよ」
「それは、世界の覇権を覆す重要な話になるぞ」
静かにバラキアは僕へと鋭い視線を寄越した。既に生け捕りで手配書が回る僕と、高額な賞金がかかる死弾の面々への警告だ。単なる海賊家業に収まらない力に近付いている。それがどう言う意味を持つのか、分かっているのか、と。
「バラキア船長。心配には及びません」
僕の発言に、バラキア他一同が手を止めた。相変わらず死弾の面々は手を止めず、食器を鳴らしている。
「僕はこのヴィカーリオ海賊団でのみこの力を行使する。どの国にも属さず、僕らは僕らの稼ぎの為に力を欲し、力を有し、行使するんです」
ただ少しばかり無能で無力な人間が飽和寸前のこの世界から消えるだけです、と付け加えれば、バラキアは不敵に口元を歪めた。
「だからお前たちは喰えないと言うのだ。あまり国を敵に回すな。俺たちと戦り合う日が近くなるぞ」
「おいおい、バラキア船長よ。そいつは俺たちにとっちゃ褒め言葉だぜ。世界が俺たちに平伏すようになる、俺は次の海賊王になるぜ。だからこそ今のウチに恩を売っておこうって算段だろ?」
翠鳥側から提供されていたチキンレッグに喰らい付きながら、ラースが挑発するように笑い返した。まったく、喧嘩っ早いことだ。
しかしそんな挑発には乗らないだろうと思っていたところで、バラキアがニヤリと笑った。嫌な予感がする。思わず僕は腰に下げた武器に手をかけた。
「言うなラースタチカ船長。ならば此処で決着を着けるか?」
「ほぉー、俺の早撃ちに勝てると思うか?」
「そんな野蛮な事はこの席に相応しくない。レビー、ナイアッド」
バラキアの横に座っていた部下の二人が「はい」と返事と共に立ち上がって、それに続き如何にもボスが降臨したぞと言わんばかりにバラキアが立ち上がった。
「ラースタチカ船長、そしてジョンシュー殿!俺と料理対決だ!材料はこの宿の厨房に用意してある。審判はこの場にいる残りの全員だ!」
何て事を言い出したこの男は!すっとこどっこいにも程がある!
「面白れぇ!その勝負買うちゃる!レヴよ、酒場に行って料理衆呼んでこいや!」
「え?あ、はい!」
慌てたレヴがコールと共にバタバタと宴会の席を立った。はぁ、と深く溜息を吐くエトワールさんが、手元のワイングラスを勢い良く空けた。
「よぉし、死弾が誇る料理人の力を見せてやれ!」
「任せちょけ船長!」
此方ではマルトが「胃薬が必要になりますね」と苦笑する。
「……酒場の水夫たちも呼んできた方が良かったんじゃないか?」
早いところ船に戻ってギルベルト氏の手記を読み解きたかったが、酔っ払いたちの暴挙で今夜は長くなりそうだ。
『あるじ様、食べすぎには注意ですぞ』
『食べ過ぎずに済めば良いけどな……』
左耳に止まる従者鉄鳥と、こっそり今夜生き延びる術を模索する僕なのであった。
三章三話・おわり