海賊とアジトの秘密
広い海原の中に打ちそびれた釘の様に細長い島影が見える。角度が変われば一枚の壁のようにそこに起立して見える。何故こんな場所に、そんな形で島があるのか。
近くに寄ってみると殊更不自然さを感じさせた。島の全長は三キロ程度に及び、それがストンと切り立った断崖絶壁に囲まれている。海上から島の上部は窺い知れず、何処から上陸するのか見当もつかない。
そう思いながら島を一周する頃、絶壁に大きな亀裂が見えて来る。暗く口を開けたそれは魔物の口のようにも見え、事情を知らなければ早々に立ち去る選択肢が優先されるであろう情景だ。
内部へ至る岩の亀裂を勇気を振り絞って潜ると、明らかに人の手の入った建造物がある事が知れる。大きく岩盤がくり抜かれた内部は港になっており、亀裂よりもさらに高い天井の一角には、大きなレリーフが彫られていた。ドラゴンだろうか、背に翼、顔には目が四つあるように描かれたそれが示すものが何であるか。初めて見た時は大して気にも留めなかったが、今の私たちはその答えを知っている。そして、それがそこにある意味を、新たに知る事になる。此処がどんな経緯で建造されたのか、人知の及ばない不思議さと不気味さの正体を知る事になる。
内部の港には、停泊する二隻の船があった。海賊船エリザベート号。商船アナスタシア号。もうお分かりだろう。此処は昨今巷を賑わす死神の海賊団、死弾ことヴィカーリオ海賊団のアジトだ。
「この様な光景、想像が出来ましょうか」
アナスタシア号とエリザベート号の後に続いて巨大なクラゲの魔物を引き連れた小型クラーケンのルナー氏が感嘆の声を上げた。その横に並ぶ息子のサチくんも目を輝かせて港の中をキョロキョロと見回している。
「周囲の海底に強力な結界が施されておると思えば、なるほどこう言う事でござったか」
「何だって?」
不思議に思って聞き返した船長ラースの言葉に、ルナー氏はそれこそ意外だと言う風に口を開いた。
「この島の周囲一帯には何やら強力な結界が張られておりますぞ。これは闇の者の関与が伺える。それほど大きなものです」
近隣の海域まで海底を進んでいた彼は、海底に強大な結界があるのを見たと言う。この一帯の海域は潮の流れが複雑なのはそれに起因するのだろうか。
「へぇ……それのおかげでアジトが見つからねぇってんなら御の字じゃねぇか」
な!と暢気に笑ったラースに渋い顔を向け、航海士としても責を追う私は、静かにこの場所への正確な航路図を描き止めようと心に決めたのである。
ヴィカーリオ海賊団におよそ一年前に仲間になった二人(と、若干名の奴隷を強奪して引き入れた新しい水夫たち)が初めてアジトの港へ上陸する。出迎えに集まった海賊の家族たちがルナー氏の巨体に目を丸めて驚き、しかし事前に話を通してあった為、すぐにそれは歓迎へと変わった。
そうして新しい仲間を歓迎する宴が開かれたのが三日前。すっかり打ち解けたルナー氏が大工衆と共に船底の整備や補強、補修をする傍ら、海賊水夫たちは各々の家族と共に過ごし、一人やもめは陸に上がって干からびようとしていた。
アジトの港に造られた石の長い階段を上って島の地上に上がると、小さな集落がある。奴隷商から現物支給だと言って託された奴隷、男女合わせて五十名強。女は船に乗せられないと言う海賊王アランの掟に従い、彼女たちは島で働かせる事にした。同じく船酔いが激しくて使えない男奴隷に村で農業をさせている。
奴隷たちはアジトの村を作り上げる中で同じ境遇の者同士、多くが『出来上がって』行った。そうして女たちは海賊水夫の妻として夫たちの帰りを待っている。我々ヴィカーリオ海賊団が他の海賊団と決定的に違うのは、妻子持ちの水夫が多い点が上げられるだろう。故に彼らは禁欲的で誠実。誠実ゆえに、長とも言える船長ラースタチカの命令や考えに従順だ。元奴隷と言う点もそれを増徴させたのだろう。妻子を持ち、家族を慈しむ反面、海賊として殺戮を行う事に躊躇いは無い。
そんな二面性を持つのは彼らだけではない。アジトに戻ってくれば船長を始め重役に就く我々も少しだけ肩から荷を下ろせる。洋上で冷酷に殺戮を行う我々も、陸に上がればただの干物。水夫には農業が分からないし、大工仕事も手伝えない。ただ干からびるだけだ。
副船長として、海賊団の財務担当として、航海士としても仕事をする私、エトワール=オーヴァンも、アジトに戻れば少しだけゆっくりとくつろぐ事が出来る。溜まっていた書類の始末をようやくつけて、しかし今度は暇を持て余し干からびる者が居る横で、アジトに帰って来たからこそ忙しなく働いている者も居る。
船医のマルトは薬の調合に追われているし、調理班の長ジョンシューは島の収穫物を吟味して、女たちと献立会議を連日行っている。前述したように大工衆は普段出来ない船体の整備に精を出し、技術隊・クラーガ隊は、アジトに残しておいた『宿題』の片付けに取り掛かっていた。
港から地上に上がる階段の一番下、隠すように続く階下への階段の先に小さな部屋があった。そこに残る魔法道具などの残骸、そして幾冊もの手記。それを技術隊長メーヴォさんが調べ上げ、自身も持つ不思議な瞳の民『蝕の瞳の民』に関連するものだと言う事を突き止めていた。
「精が出ますね」
縦長の島の地下は日が当たらず、海が近い分ひんやりとしていて涼しい。涼みに来たわけではないが、作業中のクラーガ隊に声をかける。何やら隊長を中心に額を寄せ合っている。
私の声に振り返ったメーヴォさんが、埃で曇った眼鏡の奥に、光る目を湛えて此方を見た。いつ見ても美しい目だこと。
「……エトワールさん!丁度良かった、コールは何処にいますか?何処か日の当たらない場所で、彼に話を聞きたいんです」
動揺が言葉にしっかり現れて、メーヴォさんは一息で捲くし立て、身を乗り出してその蝕の瞳をキラキラと輝かせる。何か吉報が聞けそうです。
メーヴォさんの一声でヴィカーリオ海賊団の情報屋、魔族のレヴくんが呼び出され、その影の中にいつも身を隠している吸血鬼コールさんが顔を見せた。太陽光を苦手とするコールさんが影の外へと出られるようにと、港に停泊しているエリザベート号の船長室を借りて、メーヴォさんがいくつかの手記をコールさんに見せて確認を取っている。船長室には私とメーヴォさん、レヴくんとコールさんが顔を揃えました。
「コール、この手記の文字は読めるか?」
「……中々達筆な事で。彼の方たちの言葉は聞いて覚えていたところがありますので、読むのは難しいですね」
「そうか……僕が解説するから、その事実関係を確認したい。エトワールさん、ラースを呼んでもらえますか?あとマルトとジョンも。蝕の民の武器を預けてある彼らにも聞いた貰いたい話です」
「分かりました。呼んで来ましょう」
「ぼくも行きます」
二人が手記の確認をする間に、レヴ君にはラースを探してもらい、居場所の大体知れている船医マルトと料理長ジョンを探しに私は集落へと足を向けた。長く続く階段に飽き飽きしつつ、上がる息に胸を押さえた。
集落の小さな病院と、酒場で二人を見つけて確保し、ジョンが集落の女たちと作っていた揚げた丸いドーナツと紅茶と共に船長室へと戻る。程なくラースとレヴ君も合流し、船長室はいつもの作戦会議と同様に、人でぎゅうぎゅうになった。
「差し入れじゃ!みんなで食うとくれ」
丸いドーナツを頬張りつつ、皆が机に座る二人へと視線を向ける。
「で、なんぞ面白い話が聞けるんか?」
「蝕の民について、また何か分かったんですか」
「お?例の宿題が終わったって所か、メーヴォ」
「ああ、今コールに確認した」
船長室の机の上に手記を並べ、メーヴォさんとコールさんがふうと息を吐いた。コールさんは相変わらずのミイラ顔だが、より顔色が優れないように感じた。
「この施設が、かつて蝕の民によって造られたと言う事は、あそこにあるレリーフの存在で明確な訳だが……蝕の民の力だけじゃなかったみたいだ」
「まさか、私が眠った後にこんな事をされていたなんて」
溜息混じりにコールさんが何処か残念そうな声をあげた。
「この施設は、コールの前の主……つまりレヴの祖母に当たる魔族の協力の下、建造された隠れ家だったんだ」
「お婆さまが関わっていたんですか!」
「そうか!それでルナーのおっさんが言ってた結界ってのが周囲にあったんだな?」
「そう言うことだ。ジェイソン氏は嵐の時に偶然この島を見つけたと言っていた。恐らく嵐で海底の結界に揺らぎが生じて見つける事が出来たんだろう」
では二回目以降、何故この島に辿り着けたのだろうか。結界の揺らぎだけだったのだろうか。
「あと、要因を挙げるとすれば……。なあ、レヴ。ラースは君の事をいつも的確に認識していたと言う話だったが、ジェイソン氏にも良く見つかったりはしなかったか?」
メーヴォさんの指摘に、口を丸く開けてレヴくんが確かにそうです、と感嘆の声をあげた。
「そうです、ジェイソンさんも比較的ですが、ぼくのことを知覚出来ていました」
「魔族と人の間には波長の合う者と合わない者が居るそうなんだ。大抵はその波長が合わないものなんだが、時々波長の合うものがいる。感のいいやつって居るだろう?そう言うのは魔族とも波長が合いやすいって話がある。多分、それだ」
メーヴォさんが言うには、ジェイソン氏とラースはレヴくんの一族と波長が合う人間で、結界の干渉が薄かったのだろうと推測した。
「レヴの祖母はマリーベルと言ったな。彼女の下でその技術を発揮した蝕の民がいたそうだ。蝕の民の技術と、魔族の力を合わせてこの一帯にあった無人島をこの形に整形した、らしい」
広げた手記をなぞりながら、メーヴォさんは悪い冗談を言うように苦笑しながら話す。
元々この島はもう一回り大きくて、この辺りは島の中心の山だった場所。それをこんな形に削ってしまったらしい。島の地下の日の当たらない内部に居住区になる部屋と港を建造し、周囲の海底に強大な結界を張った。一つの魔族の一党がそれほどの事を仕出かしたのだから、相当な理由があったのだろう。メーヴォさんが残された手記から読み取った情報をそう纏めた。
「その理由については、私がいくつか昔話と一緒にお話しましょう」
ドーナツは辞退しつつ、紅茶で喉を潤したコールさんが、その老人の様にカラカラの口で、しかし滑らかな口調で話した。
「およそ四百年前。マリーベル様はとある一派との戦いを余儀なくされました。私はその戦いの後期に参戦致しました……その前に、少し私の話をしましょう」
かちゃ、とカップを置いて、コールさんは自身の生い立ちについて語った。
「私は生まれながらの吸血鬼ではありません。ドラクロア卿の名と共に、先代よりこの力を授かりました」
「吸血鬼は繁殖しないと言うのは本当なんですね」
「そうです、マルト。貴方ならご存知では?吸血鬼がどう増えるか」
「……その名の通り、吸血で増える」
それです、とコールは手を翻した。その手で自身の口元を開いて見せ、その上の歯に並ぶ鋭い牙を見せた。
「我々の牙には毒があり、その毒が吸血鬼を伝染させます。故に、我々は死体から血を頂くか、完全に血を吸い尽くし殺します」
そうでない場合は皮膚を傷つけて舐めるようにして血を飲む。彼らの唾液には傷を治癒する作用がある。死体が上がると街で騒ぎになる為、基本的には傷をつけて舐めて血を飲み、傷を残さないようにする。吸われた人間は貧血になるが日常生活に支障は出ない。
「ドラクロアの毒は高位吸血鬼の毒です。安易にグールや出来損ないの吸血鬼を生み出す毒とは一線を画します。適応者でなければ、いくら純潔であろうと死に至ります。牙を使い、血を残して毒を伝染させるのは、仲間を増やす時だけ。先代ドラクロア卿は、マリーベル様の下から故あって離れなければいけませんでした。後継者をお探しだった先代によって、私は吸血鬼にして頂いたのです」
学生だった。天文学と言う当時から人気のない学問に傾倒し、星の瞬きをつぶさに観察したいと願う奇妙な若者だった。
「出会いは偶然です。たまたま旅先の、あの魔女の館のあった観光地の港で、私は先代に出会いました。何か波長が合った……私が適合するであろうと先代は見抜いておられた。星の瞬きを眺め続けたいとお話をしたところ、その願いをかなえてやると、父上は仰った」
先代と呼んでいたそれを父上、とコールさんが口にし、何処かその視線が望郷の光を湛えた途端、ふん、とラースが鼻を鳴らした。
「で、吸血鬼になる代わりに、そのマリーベルに仕えろと、そう条件を出されたって所か」
「流石です、船長殿。吸血鬼になり、マリーベル様の下にお仕えすることになった私に課せられた仕事は、戦です」
「コールが戦っていた相手って、つまりそれは」
レヴくんが恐る恐る口に出した名前は、私は直接対峙した訳ではない、恐ろしい敵の名前。
「……薔薇十字教会。それが私に課せられた殲滅すべき敵の名です」
部屋の中に居た者が、全員固唾を飲んだ。特にラース、メーヴォさん、マルトが深く溜息を吐いた。
「思い出すのもおっかないです。つまりマリーベルさんと共に戦った蝕の民が使った武器……私が預かるコルノアリエーソがそれだと?」
「恐らくそうだ。手記にその名前の記述がある。一緒にオーストカプリコーノが揃っていればと嘆いていた」
奇妙な縁だ。メーヴォさんを中心に、蝕の民が私たちの周りに繋がる連鎖をずっと昔から紡いでいた。そんな事すら考えてしまう。
「では、改めて薔薇十字教会に関して私が知っている事をお話しましょう」
その前に紅茶のお代わりを頂けますか、とコールがジョンへとカップを差し出す。手の中ですっかり覚めてしまった紅茶を飲み干し、私にもお代わりを、とカップを差し出した。
「薔薇十字教会は一人の聖女を讃える為の集団です。教会と称し、人々を救うと謳い信者を増やしました。しかしその聖女シャルロットこそが元凶。聖女なんてのは真っ赤な嘘。彼女は、マリーベル様の下女として人間界に左遷された魔族でした」
語られる事実に驚愕と同時になるほどと納得する話だった。魔族マリーベルと聖女シャルロットの抗争の真実が語られた。
下女シャルロットは能力が低く、しかし出世欲の強い女だった。彼女は人間界でならば自分が力持つ存在であれると確信し、人の信者を集め注目されたいと願った愚かな女だった。彼女はマリーベルが人体を材料に練成する『魂篭めの玉』を盗み出し、それを元に魔力を増強、更に自らに忠誠を誓った人間に魔力を注ぎ与え、異形の者へと改造したそうだ。
「そうして薔薇十字教会は徐々に力を手に入れます。しかし信仰とは脆いもので、人を異形の者に変えるだけではすぐに人々は飽きてしまいます。力を与えられても、それを振るう機会が無ければ持ち腐れですからね」
「……せやから、マリーベルはんたち魔族や、その下に付く吸血鬼を『敵』にして戦を起こしたんやな?それで勝てばマリーベルはんの玉を盗み出した件も無かった事に出来よる」
こくり、とジョンの言葉にコールさんが深く頷く。はぁ、っと大きく溜息を吐いたマルトが理解し難いという顔で苦言を口にする。
「宗教戦争と言うものは古くから大小問わず、絶えず続いているものですが、そうやって戦争が始まるのだと思うと、酷く愚かな話ですね」
まったくですとコールも苦笑し、紅茶を一口含む。洞窟の港の中に打ち寄せる波の音と、地上ではしゃぐ子供たちの声が微かに響ている。此処は何て平和なんだろう。
「マリーベル様に仕えていた父上……先代ドラクロア卿は、あの観光地の港町一帯を人に成りすまして治める領主でした。彼もやはり先々代から土地と能力を引き継いだ元人間です。土地の人間を愛し、故に土地の人間が争いに巻き込まれる事を嫌った。あの港町の他にいくつも土地を買い、マリーベル様の隠れ家を作りました。大きな船を持ち、各地と貿易をして財を成し、それの殆どをマリーベル様が人間界で暗躍するために投資しました。貿易先で滞在する別荘と言えば、各地に土地を持っても怪しまれる事はなかったそうです」
なるほどなぁ、とラースが悪巧みをする顔でにやりと笑う。そう言う資産運用の仕方は真似しないで頂きたいものです。何しろ元手がかかり過ぎる。
そうして各地に少数精鋭の部隊配置をするマリーベルとドラクロア卿のその反面、出奔下女が元となった薔薇十字教会は母体が曖昧。幹部となる異形の戦人を中心に、各地を点々としながら『吸血鬼退治』を名目に活動、信者を増やして行った。しかし力の源である『魂篭めの玉』は盗品で数に限りがある。新たな玉の入手と共に、自分が本当の聖女になる為の悪に、マリーベルたちを人々の敵に仕立て上げた。
「シャルロットによって生み出された異形の戦人たちと、父上とその部下たちが幾度も交戦しました。相手の戦法を分析し、どう戦えばいいか父上たちは略式化しました。私が吸血鬼になり、父上から戦い方を学んだのは抗争の終盤。敵も大分戦力を失っていました。しかし決定的に止めを刺す方法、聖なる力を扱う事は我々では出来ません。気が付けば抗争は人々の与り知らぬ水面下で長期化を辿り、百年に及びました」
「そこで力を貸したのが……」
「はい。蝕の民の一人の僧侶だったと記憶しています。私も会った事は数度程度です」
各地に飛び火した抗争の中、コルノアリエーソを携えた蝕の民の僧侶の参戦。どうして彼がそうなるに至ったのかは分からないが、彼はマリーベルと先代ドラクロア卿と共に薔薇十字教会との抗争終結に尽力した。
「彼が戦に参加したのはほんの十年程度ですが、そこで一気に我々の勝利が決まりました。浄化の槍の威力は我々ですら畏怖したものです」
宣戦布告をしたにも関わらず、聖女シャルロットは巡業の名目で各地を転々とし足取りをくらませた。当然だろう。元主の魔族が本気で自分たちを滅せようと迫るのだ。自分の魔力を増強させてくれる玉もその頃になれば残り僅か。信者たちが偶然にも撃退に成功し、奇跡でも起こさなければ姿をくらまして然るべきだ。
「闇の力を得て異形の者と成り果てたその口で、闇の者の排除を謳う。薔薇十字教会の者たちは聖女シャルロットを盲信し過ぎた。闇の者が人々の心に悪を運ぶ。馬鹿馬鹿しいにも程があります。善悪を決めるのは後の歴史。戦いに勝ち続けた者を歴史は勝者と呼び、善と讃えるのです」
しかし遂に聖女は魔女に追い詰められ、その胸に浄化の槍を突き立てられた。最期は魔女の放った炎に焼かれて絶命した。
「でも、それで終わりじゃなかった。そうですねコール」
ええ、と同意したコールは、またカップに口を付けた。話すと口が渇きますね、とミイラが話すようで滑稽さがある。
「聖女シャルロットが討たれても、信者たちは諦めなかった。各地に散り散りになっていた彼らは、聖女シャルロットの復活を信じて布教活動と闇の者の討伐を続けました。しかし、残党を討つにも、抗争が長くなり過ぎたのです」
先代ドラクロア卿は聖女シャルロットの没を見ぬ間に、マリーベルの元を去った。コール自身も決戦の場に居合わせた訳ではない。ドラクロア卿として、土地の領主としての役目を果たしていた。しかしドラクロア卿は戦に明け暮れた為に領主として没落し、後に残ったのはあの屋敷のみだったそうだ。
ドラクロア卿の後ろ盾がなくなった為、新しい拠点の確保が必要になったのだ。
「当然です。コルノアリエーソの登場で我々が優勢になった。抗争最後の十年間は終結の為に彼方此方に出向いたのです。その間領主としての仕事をろくに行えなかった。人の時間で十年もあれば、その権力が衰えて当然です」
父上は政治や領主としての仕事を教えてはくれませんでしたから、とコールが苦笑する。笑った拍子に顔の皮膚が破れてしまいそうだ。
ドラクロア卿の跡取りが病で急死したと嘘吹き、コールは棺桶の中で眠りました。それがあの絵画の中の亜空間。ほとぼりが冷めた頃にマリーベルが迎えに来るからと、しばしの休息のつもりが、気が付けば四百年もそのまま眠り続けてしまった。
「これだけの施設を作り、残党狩りに追われていらっしゃったのでしょう。当時からご実家からの催促もあったように思えますし、私の事をお忘れになるのも分かります。結果的にですが、レヴ様をお寄越し下さった。こうして旅が出来て、私は幸せ者です」
にっこりと笑うコールが、私からは以上です、と話を締めくくった。
この土地にそんな因果があったとは、と皆口々に語り合いながら船長室を後にした。薔薇十字教会の残党は未だ世界の何処かに潜んでいて、対峙する機会があるかも知れない。その脅威に相対する覚悟をする準備が必要だ。
蝕の民の武器フールモサジターリオを任されている現状、この先に障害が立ち塞がるのは避けて通れない道だろう。
一人船長室に残り、私は船尾楼の換気をした。篭った空気が洞窟内のひんやりした空気に入れ替わる。
メーヴォさんは再び地下室の探索。ラースはそれを面白がって見物に。コールさんは話し過ぎましたと船倉に置いた棺桶で仮眠。レヴくんは情報屋へ使役便を飛ばすと集落へ。ジョンとマルトも自分の仕事の続きをする為に集落へと戻った。
アジトにいる間は財務会計の仕事もほぼ無く、水夫たちへの支持を出さなくても大丈夫。副船長の仕事はしばしお休みだ。
うーん、と伸びをして、ラースが普段使っているベッドに転がる。船を譲り受けた当時から使い込まれたベッドだが、上等なベッドは心地よく私の体を受け止めた。そのまま昼寝でもしようかと逡巡した意識が、控えめなノックの音で引き戻された。
「あの、エトワールさん、こちらですか?」
船長室の戸を開けて顔を覗かせたのは、技術隊副隊長のカルムだった。兎の獣人の彼は、長い髪と人当たりの良さそうな顔の男だ。戦闘にもなれば甲板で各種指示を出す、状況判断の的確さではピカイチの優秀な人材だ。
「おや、どうしました?」
寝そべったまま下の者と話すほど私は尊大ではない。体を起こし、ベッドに腰掛けて私はカルムを迎えた。
「お休みのところでしたか、すみません」
「大丈夫、むしろ暇をしていたところです」
「あの、ジェイソンさんから、言伝を頼まれました。目を通して、船長にも打診して欲しいそうです」
直接船長であるラースに渡さず、副船長ある私を介する案件。あまり良くない件なのは明白だ。直談判するには恐ろしい。しかし船長ラースの逆鱗に触れず、やんわりとそれを提示出来る信頼が私に置かれているのも事実だ。
「分かりました、確認して、私から言っておきます」
船内の嘆願書もやはり私が一度仲介する。短気なラースには直接任せられない仕事の一つだ。
受け取った紙束にさっと目を通すと、脱退希望の旨が綴られた紙面が飛び込んで来た。
「……なるほど」
確かにこれは直接申し出るには、元奴隷の彼らからすれば踏ん切りのつかない案件だろう。同じ元奴隷と言う境遇のカルムも、この書面を見てしまったのだろう。何とも居心地の悪そうな顔をしている。
「……貴方が心配する事はありませんよカルム。よく読んで見なさい。彼らは妻が妊娠したから陸で暮らしたいとか、ジェイソン氏の商売の暖簾分けで海賊から足を洗いたいと、そう言う話です」
言って紙束から数枚をカルムに渡してみせる。
「大丈夫、脱退に必要な違約金を支払って余りある分け前を彼らには支払って来ましたし、此処で学んだ彼らなら陸でも十分生活出来ます」
「……あぁ、本当だ。よかった」
海賊団に愛想を尽かしたとか、そんな事ではないかと気を揉んでいたのであろうカルムは、仲間の真意を目にしてほっと息を吐いた。
「みんな、陸でも、大丈夫ですよね」
「私が貴方たちに読み書きや算数を教えましたよね。ジェイソン氏の仕事振りを習って一人前になったんです。大丈夫、彼らは巣立って行くだけです」
私の言葉にやっと顔を綻ばせたカルムが、無邪気に笑った。なんだ、可愛い顔で笑うじゃないか。
「ラース船長も、わかってくれますよね。少し人手不足になるけど、また奴隷船の人々を助ければ良いんですもんね」
そうそう。余計な心配はしなくて良いんですよ。ラースもメーヴォさんと言う相棒を得てから、随分丸くなったんです。下っ端水夫の入れ替えくらい、そこまで目くじらを立てはしないでしょう。
「あの、エトワール副船長も、連日の書類整理でお疲れでしょう?アジトにいる間は、ゆっくり休んで下さい!じゃ、隊長の所に戻ります」
ぱぁっと花の咲くように笑ったカルムは、労いの言葉を置いて船尾楼から退出した。……彼、何で私が書類の始末をしていたのを知ってるんだ?
花のように笑った男の顔が脳裏にチラついて離れなかった。
第二話 ・おわり