第三章 二人の“天才”
潜水艦『鳳翔』、メインブリッジ。そこにはUの字型に並べられた固定椅子に座り、素人目には訳がわからない計器と睨み合うクルーたちがいる。そのクルーたちの背中を見張るかのような高所には、艦長の特等席である大型座席が据えられていた。
そして、そこにでっぷりとした腰を降ろしていた庄野少佐は、
「――それは困る!」
なんとも、覇気のない顔で声を大きくしていた。
「そうは言われても……」
それに、ヒメコは困ったようにして体を縮み込ませている。
「大尉が女子供に甘いところがあるのは承知していたが、亡命者の尋問を保留するなど前代未聞だ! 何故それを看過したのかね、音羽君!」
声は仰々しくしつつも、八の字に垂れた眉毛のせいで迫力に欠ける庄野少佐の顔は、どこか恐ろしさに乏しい。
「私が大尉に意見なんてできる訳がないじゃないですか……! 文句なら艦長が直接言ってくださいよ……!」
そのためか、ヒメコは割と容易に反論する。
本来なら、准尉が少佐に意見するなど恐れおいことなのだが、
「い、いや、私はなんと言うか、大尉が苦手なのだ……」
庄野少佐だけは、その限りではなかった。ヒメコの言ったことに対し、情けない言い回しで言葉を返している。
「最初は私の艦に水龍戦隊きっての“天才”が来ると喜んだが、あんな扱いの難しい男とは思わなんだ。上官相手にも物怖じしないでズケズケと言ってくるし、やけに迫力もある。できれば面と向かいたくないのだよ」
この庄野少佐は竜太郎に対し、内心怯えていた。大半の人間は自分の階級に遜ってくるのに対し、彼にはそれがまるでないからだ。
実際、降格などをちらつかせてもまるで動じず、今度はそういった脅迫をしてきたことに対して不服申し立てをしてくるような男。それが浦島竜太郎という人間であり、庄野少佐はとことん苦手な人間としていた。
「……だから、君だけが頼りなのだよ、音羽君。君は大尉とは訓練生時代からの付き合いだろう? 彼に意見できるとしたら、この艦では君だけだ」
「い、いえ、しかしですね……」
そんな庄野少佐のこの物言いに、ヒメコはほとほと困り果てる。
確かに、ヒメコと竜太郎は付き合いが長い。互いに訓練生だった時分から今に至るまで、パートナーとしてことにあたってきたからだ。ヒメコ自身がこの艦に所属しているのも、竜太郎が配属されているからというのが最大の理由である。
そういったことも考慮すれば、竜太郎へ一番意見がしやすいのはヒメコに他ならないだろう。まして、階級差をものともせずに反抗的な態度を取る竜太郎であれば、下手に階級が高い人間よりも、ヒメコの口から言う方が効率も良い。それは確かに正論だ。
「だから、とりあえず、君の口からもう一度言ってみてくれ。この海域から竜宮までは半日ほど掛かる。それまでに尋問を再開できればいいから」
庄野少佐はすがるような目でヒメコにそう言うと、すぐに軍帽を深く被り直して顔を隠してしまった。まるで、返しの言葉を受け付けないとでも言うように。
「…………聞き入れてくれる保証はありませんからね」
結局、ヒメコもそれに折れた。そも、自分自身も竜太郎の対応には意義があるのだから、再び意見すること自体は吝かではない。ただ、それを聞きいれる竜太郎でないことを知っていたヒメコは、それが徒労になるだろうとも思っていた。
「私だって、君にそこまで求めるつもりはないよ……」
庄野少佐も、薄々察しがついているのだろう。座席へ沈み込むように浅く座ると、顰め面でため息を吐き出す。
「……それで、件の大尉と少女は今、なにをしているのかね?」
しばらくの沈黙の後、庄野少佐は思い出したようにヒメコに聞いてくる。
ヒメコはそう聞かれると、少し考えた後で答えた。
「……直接聞いた訳ではありませんが、大尉の性格からして恐らく――」
時を同じくして、鳳龍特別休憩室。
ここも船員食堂と同じく、意図的に開放的な内装を施した施設だ。おおよそ潜水艦の中とは思えないほど広い室内には、足の底が埋まってしまうかのような厚手のカーペットが引かれ、軍艦に備え付けられているとは思えないような西洋風の椅子とソファ、そして丸いテーブルが設置されている。船員たちが潜水艦内でも充実した休憩を行えるよう、考慮されつくした造りだ。
「へぇ。うちの潜水艦とは大違いね、こんなスペースまであるなんて。確かに、性能面だけ考慮すれば無駄なスペースだけど、長距離航海を考えれば、こういう場所も必要になる訳ね」
そんな休憩室の中を見回しながら、ライは感心したように一人頷いている。その口ぶりは立派な一技術者のものだ。
「そうだな。技術者の目から見れば、確かにこんな場所は無駄だろう。でも、俺たちみたいに実地で働く人間には、こういうのが数少ない癒しだ。性能を理由に取っ払われたら、それこそかなわないよ」
実際、竜太郎もこの場所はよく利用する。というよりは、任務中以外、竜太郎はここか自室で昼寝をするのがライフワークだ。
竜太郎はライに向かって適当な椅子でくつろぐよう手で促すと、室内の脇に設置された壁埋め込み式のキッチンに歩み寄り、そのコーヒーメーカーへ手を掛ける。
「コーヒーは飲むだろ? なにか注文はあるか?」
インスタントのコーヒーカプセルの入った箱を引き出しながら、竜太郎はライにコーヒーの好みを聞く。
ライは一番上等そうなソファへ一人独占するように座り込みながら、
「久しぶりにカフェモカが飲みたいから、あるならそれで。ないならアメリカンをとことん甘くして。砂糖とミルクマシマシで」
と、偉そうに答えた。
「ん……」
竜太郎はそれに後ろ向きのまま手を振って了承すると、カフェモカのカプセルと、ブラックコーヒーのカプセルを取り出し、コーヒーメーカーに放り込む。
そして、それぞれを金属製のカップに注ぐと、ライの元に運んだ。
「ほら、カフェモカ」
「ありがと」
「甘いのが好きなのか?」
「嫌いな女がいると思う?」
「それもそうだ。……正直、気がしれないが」
コーヒーを渡しながら、たわいない会話を挟みつつ、竜太郎も適当な椅子に腰掛ける。
ちなみに、竜太郎は甘いものが苦手だ。どちらかと言えば、辛いものや苦いものといった刺激的な味のものを好んでいる。いわずもがな、カフェモカのような甘ったるいものは好きではない。
二人は同時にコーヒーを啜る。ライは甘いカフェモカを飲んで口元を緩ませ、竜太郎はブラックコーヒーの苦さに眉間へ皺を寄せた。
「……不味いなら飲まなきゃいいのに」
それを見たライが、半笑いで言ってくる。
「この不味さがいいんだよ。それに、甘いコーヒーを飲むと眠くなる」
竜太郎は相かわらず眠気眼を擦りながら、ブラックコーヒーを口に含み、落ちようとする目蓋を必死に持ち上げる。
「そんな様で監視役なんか勤まるの? あのうるさい子こと変わったら?」
ウトウトとする竜太郎に心配になったのか、監視されているはずの本人から、そんな提案が出された。
「君とヒメコの相性が最悪だってことくらいはわかる。それに、その戦水服のヤバさも知ってる以上、他のやつには任せられない。……まあ、脱いでくれるなら考えるんだが」
竜太郎は小さく欠伸しながら、そう言ってライの反応を窺った。できることなら、未だにライの身を包む赤い戦水服を早々に取り上げたい、というのが本音だからだ。そうすれば、自分もこの分厚くて動きづらい戦水服を着ないで済む。そういう打算もある。
しかし、ライはそれに舌を出す。
「や~よ。私はまだあなたを信用した訳ではないんだから、脱ぐ気はないわ」
両腕で自分の体を抱きしめながら、ライは拒む。その態度はどうも竜太郎を茶化しているらしく、“脱ぐ”という言葉を嫌に強調している。
「その誤解を生むような言い方はやめてくれ。ここは狭い潜水艦の中だ。お互い、変な誤解を生むと真っ当な生活は送れなくなる」
竜太郎は真顔でそれをやめるように言う。ライの冗談に対して欠片も愉快さは感じず、ぴしゃりと咎めた。
「……つまんない男ね」
それに興を削がれたのか、ライもつまらなそうに態度を冷やし、むくれた子供のようにコーヒーを口に運ぶ。
「だから、そう言ったじゃあないか。ユーモアやウィットは俺に期待しないでくれ」
竜太郎もコーヒーカップを傾ける。
その後、暫し二人は無言で休息するが、カップが空になった所で、竜太郎はなにげなく口を開く。
「……所で、その戦水服だが。それに関しては質問してもいいのか?」
先程戦った時から気になっていた、ライの戦闘服についてだ。
「気になるの?」
「そりゃあな。俺も戦水士だ。多少なりとも興味はある」
興味がある。そう言う言い方をした竜太郎だが、実際は興味というより『脅威』という方が正しい。
(この戦水服の出回ってる数が一着や二着じゃないとしたら、竜宮は終わりだろうしな)
海中での戦いは戦水士に依存することが多い現状、あれだけ圧倒的な性能の戦水服が量産されていようものなら、最新型の迅雷すら数が揃っていない竜宮の敗戦は必至だ。
竜太郎は末端の兵士とはいえ、そういった心配は当然ながら頭に浮かぶ。そうでなくとも、最前線に立たされるのは自分のような戦水士なのだから、内心、気が気ではない。
「……ご心配なく。この戦水服はワンオフよ。コンペにすら出してないわ」
そんな竜太郎の考えを見透かしてか、ライは竜太郎の欲しかった答えを正確に述べてくる。
「コンペ? ……ああ、君は技術者だったか」
「そ。この子も本来なら次世代機の審査会に出展するつもりだったんだけど……“ちょっと”ね」
「……亡命は“ちょっと”とは言わない」
「ふふっ、そうね」
どうやらライは次世代主力戦水服のプロトタイプを持ちだして亡命してきたようだ。その態度に違わず、不敵な行動をしている。
「でも、実際に審査会に出ていたら、間違いなくマスプロダクションを決定していたでしょうね。この子、優秀だから」
ライはそう言って、自らの着込んだ戦水服を撫ぜる。自身の造り上げた戦水服に、相当な自信があるようだ。
「大した自信だな。……まあ、わからなくもない」
しかし、竜太郎にはその気持ちがわかる。事実、迅雷と比べても天と地ほどもある性能差だ。ニライカナイの現在の主力機と比べても、その差は同様だろう。量産化の決定は時間の問題だったはずだ。
「でしょ? この子には私の開発した技術のすべてを詰め込んでいるもの、そこらの戦水服と比べてもらっちゃ困るわ!」
ライは機嫌をよくして語る。
「ほう? ……どう比べ物にならないんだ?」
それに漬け込み、竜太郎はちょっとした探りを入れる。直接聞くよりは、こうした方が戦水服のことを聞きやすいと思ったからだ。尋問されることを渋っているライに対しては、こうした方がスムーズに進むだろうと考える。
「そうねぇ……まず最大の違いは動力ね!」
その思惑通り、ライは自慢でもするかのように、嬉々として語り出す。
「動力?」
「そうよ。……あなたの戦水服の動力はリチウムバッテリー式のエンジンよね?」
「あ、ああ。圧縮リチウムの内蔵式のはずだが?」
迅雷の動力源はリチウムバッテリーを用いた凡庸なモーターエンジンだ。電力のみを使用する単純な構造のため、戦水服にも取り付けられるほどに小型化している。これは戦水服だけでなく。様々なものに採用されている汎用性のあるものだ。
「……ふん」
しかし、ライはそれを聞くと鼻で笑い、
「この子の動力にはプラズマエンジンを使ってるの。リチウムバッテリーに溜めるような普通の電力とは、出力の桁が違うわ!」
誇張するように胸を張り、自らの戦水服を誇る。
「プラズマエンジンて……まさかプラズマそのものを動力にしているのか!?」
「そうよ。……なにかおかしいかしら?」
「……安定しないって聞いていたからな。それに小型化や耐久性にも問題があるって……」
プラズマを動力源にするという発想は昔からあるものだが、実用化に至ったのは極一部の例だけだ。もちろん、計算上捻出できる性能こそ他の動力の比ではないが、それだけ実用化が難しい技術と言われている。
最大の問題は出力調整の難しさだ。貯蓄していた電力を配給すれば出力が上がるリチウムバッデリーエンジンとは違い、その都度に新しいプラズマを発生させて動力に当てなければならないのがプラズマエンジン。必要な動力をいつでも引き出せる電力式のエンジンに比べ、プラズマエンジンは出力の増減、および維持が難しい。そのせいで、実用化にも量産化にも向かないと言われている。
また、複雑な機構故に小型化が難しく、僅かな不具合でもプラズマが発生しなくなるために求められる耐久性のハードルが高い。仮に実現したとしても、コスト面で運用には程遠いという認識がされている。
「それを……確立させたのか? 戦水服に搭載できるレベルで?」
竜太郎は懐疑的な目をライに向ける。
「言ったでしょ。私は“天才”だって」
が、ライはそれにまったく物おじせず、慢心的な目で返した。
「……なるほど、それなら確かに“天才”だ」
それが嘘を言っている目でないことは竜太郎にもわかった。多少驚きを感じたのは事実だが、間もなく納得する。
「じゃあ、あの撃ちだしてきたプラズマも?」
そして、すぐに興味の対象を変える。今度はライが手元から撃ち出してきた、あの青い雷についてだ。
「ああ。あれは過剰状態のプラズマを緊急排出するための機構よ。本来は攻撃用じゃないんだけど、使ってみたら案外打撃力が高くてね。だから、あなたで実験しようとしたって訳」
ライはそんな風にあっけらかんと答える。
「……打撃力なんてもんじゃ推し量れないだろう、あれは。直撃したら骨も残らないと思うが?」
そんなライに、竜太郎は少しだけ嫌味を吐く。一歩間違えば死んでいたのだから、竜太郎でなくとも文句の一つは言っただろう。むしろ、竜太郎以外なら怒り狂っている所だ。
「貴重なご意見ありがとね」
それを、ライは舌を出しながら往なす。これもまた、竜太郎以外なら平手打ちの一つでも飛んできそうな態度だ。
「……ま、いいけど。こんな仕事してるんだ、いつ死んでも文句なんか言えないし」
が、竜太郎は冷ややかだった。戦水士は殺されかけたことに恨み辛みを言えるような立場ではないことを十分に理解している。それに、元々感情起伏に乏しい竜太郎には、一々憤ることにすら面倒を感じていた。
「優しい……とは少し違うわね。生に興味がないみたい。あなた、まるで死人よ?」
ライは余りにそっけない竜太郎の態度に、心配そうな顔を向けてくる。彼女の目にも、竜太郎は異常に見えたようだ。
「酷いな、俺だって好んで死にたい訳じゃあない。――ただ、見苦しく生きるのはゴメンだってだけさ」
それに、竜太郎は口角を上げて答える。無感情だった目の色も、少しだけ変えて見せた。
「……そんな顔もできたのね」
一瞬だが、竜太郎の顔が十七歳の青年相応に戻る。それを見て、ライは驚いたような、少し安心したかのような。呆けた表情を浮かべた。
そして、しばらく竜太郎の顔を見つめていたかと思うと、
「……ねぇ、今度は私から質問させてよ」
今度はライから質問が飛んでくる。
「質問? ……まあ、俺個人で答えられる範囲なら」
竜太郎は表情を真顔に戻しながら、それに了承する。もちろん拒否することも可能であり、本来なら軍人としてそうするべきだろうが、それにこだわる竜太郎でもなかった。
「……で、なにが聞きたい? 言っておくが、軍規に禁じられていることは言えないぞ」
了承こそした竜太郎だが、前もってそう断りを入れる。一応は軍属の人間なので、言えないことも相応にあるからだ。主に、水龍戦隊の保有戦力や兵器の性能に関すること、これらは情報漏えい罪にあたると軍規に定められている。さすがにそれをして牢屋に放り込まれるのは、竜太郎としてもゴメンだ。
「大丈夫。私が聞きたいのはあなたのことだから」
しかし、竜太郎の意に反し、ライからはこんな言葉が帰ってきた。
「俺の……?」
これに、竜太郎も不意を撃たれる。自分のことを聞きたいと言われたのは、人生で初に近いことだったからだ。
「俺のなにが聞きたいってんだ? 人に話せるような身の上じゃあないぞ?」
「いいから、話してよ。自己紹介くらいできるでしょ?」
困惑する竜太郎に対し、ライはせがむようにそう言うと、空のカップを手の内でもてあそびながら、黙って耳を傾けだす。
(……まあ、渋るようなことでもないか)
想定外の質問だったことは間違いないが、特別不都合なものでもない。それに、自分はライのことを散々質問したのだから、それでは不公平だろう。そう思い、竜太郎も話し出す。
「……浦島竜太郎、水龍戦隊所属戦水士。階級は大尉だ」
とりあえず、所属と階級を述べる竜太郎。軍人としては当たり障りのない自己紹介だ。
「大尉? ……そういえばそんな風に呼ばれてたわね。その年で大尉だなんて、ひょっとしてあなたも“天才”なのかしら」
ライは同類を見つけたかのような、嬉々とした目で聞いてくる。
「まさか。俺はそんなんじゃないよ。ただ、他の連中より海が好きってだけさ」
竜太郎はらしくもない謙遜をする。実際、自分が優れているという認識は竜太郎にはない。ただ、他の戦水士が“海を愛していない”と思うことはある。自分が優秀というより、周りがなっていないという認識だ。
「ふぅん? 周りが凡夫ばかりだから、相対的に自分の立場が高いと?」
ライは嫌みたらしい笑みを浮かべてそう言ってくる。
「……他の奴らには黙っていてくれよ?」
竜太郎は遠回しにだが肯定する。正直に言えば、自分のような凡人にすら及ばない他の戦水士を見下している、そういう部分が多少なりともあった。そういった人間が先輩面で嫌みを言ってくることも何度か経験していたので、毛嫌いしている面もある。
努力さえすれば、自分のような人間を凌駕することなど難しくないはず。そう思っていたからこそ、竜太郎は他の戦水士に対して失望していた
「ええ、わかったわ。――じゃあ、次は……」
ライは竜太郎の頼みを聞き入れると、早々に次の質問を考え出す。
少しの沈黙の後、ライは二~三度ほど竜太郎の顔を見直した後、少し声色を変えて聞いてくる。
「…………あなたの好みは?」
その話し方は、半分は冗談、もう半分は真剣といった、複雑な表情からのものだった。
「好み? ……サンゴや貝殻、熱帯魚。食べ物ならライスカレーと昆布の握り飯。もっと言えば、海かな」
好みと聞かれ、竜太郎は思い当たる限りの“好きなもの”を羅列する。
「……そうじゃないわよ」
それに、ライは呆れたような半目で視線を向けてきた。
「じゃあなんだ?」
「好みって言ったら普通は“女”でしょう! あなた、他の男とそう言う話しないの?」
「ええ? ……そんなこと言われてもな」
正直にいてしまえば、ない。そもそも、竜太郎には友人と呼べる存在が皆無だ。そう言う俗な会話を交わすことも同様である。
「――ほんっとにつまらない男ね、あなた!」
そんな竜太郎がよほど芋臭く思えたのだろう。ライは苛立ち混じりに呆れている。
「そりゃ……申し訳ない」
ライのあんまりといった顔に、竜太郎は思わずあやまってしまう。
「……で?」
しかし、その謝罪にライは耳をほとんど貸さず、話を推し進めてくる。
「でって……?」
「まだ答えが返ってきていないでしょ? 女の好みはって言ってんの」
「ああ。……そうだな」
再びのその質問に、竜太郎は少し考える。元からして女性と関わることに乏しい竜太郎からすれば、好みと聞かれてもピンとこない。年頃の男子なのだから、それはそれで異常だ。
ただ、
「…………まあ、強いて言うなら大和撫子ってやつじゃあないかな? 着物の似合う」
まったく思い当たらない訳でもなかった。
直接見たことこそほとんどないものの、雑誌やポスターなどで見る着物姿の女性には、竜太郎とて目を引かれることがある。かなり健全な意味でだが、それでも、竜太郎の“好み”というにはそれが当てはまるだろう。
しかし、それを聞いたライはというと、酷く苦々しい顔をする。
「……なんだ? 俺の好みはそんなにおかしいか?」
竜太郎も、それははっきりと見て取れた。なんでそんな顔をされたのか、まったくわからず、すぐに問う。
すると、
「……ねぇ。私って、着物が似合う女に見える?」
ライは引きつった顔で言ってくる。
「似合わんな。絶対に」
それを、竜太郎はバッサリと切って落とした。
それを聞いたライは、一層、表情を引きずらせる。
ライの容姿は長い赤毛に焼けた肌、とてもじゃないが着物は似合わないだろう。どちらかと言えば日本人離れしている容姿なのだから、着物よりはドレスの方が似合う風体だ。
「――あんたねぇ!」
ライは不機嫌にかかとで床を叩くと、竜太郎を睨み付けてくる。
「仮にも女の子に好みを聞かれて、相手と真逆な人間を上げるってどういう了見よ! 無神経にも程があるんじゃないの!?」
よく通った声を荒げながら、ライは地団駄でも踏みかねない勢いで不満をあらわにする。
「…………ああ」
(そうか。こういう場合は、世辞でも相手みたいなのが好みだっていう方がいいのか。……面倒くせぇ)
それを受けて、ようやく竜太郎も自分が例に欠いたことを自覚する。とはいっても、それに深刻になるような性格でもないが。
「謝ったほうがいいのか?」
「当然でしょ」
「……どうしても?」
「なによ! 嫌なの!?」
「…………正直」
悪いとは思う。思うが、正直に話して謝るというのも、竜太郎としては納得がいかない。竜太郎もまた、不満をあらわにした。
ライはというと、それに声も出ないような様子で歯を食いしばり、射ぬくような鋭い視線を竜太郎へ投げ掛けている。
そうやって二人が互いに不機嫌な顔を突き合わせていると、不意にアラームが鳴り、艦内放送が流れだした。
『――浦島大尉は至急ブリッジへ参上してください。繰り返します。浦島大尉は至急ブリッジまで――』
内容は、竜太郎への招集命令だ。声の主はヒメコ。どうやら休憩時間も終わり、職務に復帰したらしい。
「……なんだ?」
しかし、竜太郎はこの呼び出しに違和感を覚える。
通常でも艦内放送で人員の呼び出しを行うことはあるが、その場合はアラームを挟むことはない。アラームの使用は緊急を表しているため、これを挟んで呼び出しを行うということは、相当の事態に直面していることを示している。
こんな形で呼び出されることなど、竜太郎も初めての経験だ。ただ、なにかよくないことが起きたことだけは間違いないだろう。
「なんかあったな、これは。――ライ。悪いが付いて来てくれ」
竜太郎はライに声を掛けた上で、椅子から立ち上がる。そして、ついてくるように手招きした。
本来ならブリッジに無関係な人間を連れて行く訳にはいかないが、監視している立場上、監視対象を放り出して行く訳にもいかず、仕方なく同行を求める。
「……わかったわ」
それを受けて、ライもソファから立ち上がろうとするが、何故かやけに冷静だ。不意の呼び出しに竜太郎すら早っているというのに、まるで予期していたように落ち着き払っている。
そして、
「…………早いわね」
ライは立ち上がる間際、擦れるほど小さい声で呟いた。
(……なにが早いんだか)
それを竜太郎は聞き逃さなかった。その態度と合わせて不穏な言葉を耳にし、ひしひしと嫌な予感を感じ取る。
ライに対する警戒心もそれまで以上に強めながら、竜太郎はブリッジへと急いだ。
※
潜水艦『鳳龍』、ブリッジ。
「どうだ、反応は?」
「ありません。相変わらず、本艦と同速で追走しています」
搭載ソナーのモニターの前で、ヒメコを始めとする操艦クルーが数人と、艦長の庄野少佐がなにやら寄り集まっていた。
「――ヒメコ!」
そこに、竜太郎も到着する。ブリッジの入り口でもある自動開閉式のハッチを潜りながら、入って早々ヒメコの名前を呼び上げた。
「大尉、こっちです!」
それに、モニターと向かい合っていたヒメコが手を挙げながら応答する。
が、竜太郎の後ろから入ってきたライの姿を見て、顔を顰めた。
「大尉!? そいつを連れてきたんですか!?」
どうやら、ライをブリッジに連れて来たことへ不満があるらしい。
「一人歩きさせる訳にもいかないだろう」
竜太郎はそれに一言で返すと、ヒメコの元に歩み寄る。
ライもそれに追従した。しかし、その途中でヒメコに向けて舌を出す。
「あっ!」
「……なんだ?」
「……なんでもありません!」
それは後ろで起こったこと、竜太郎には認知できない。ただ、ヒメコは間違いなく不機嫌さを増したらしく、憎たらしげにライを睨み付ける。そして、ライはそれに悠々と笑みを浮かべていた。
竜太郎はそれに気が付かぬまま、庄野少佐の横へ並ぶ。
「それで、少佐。なにかありましたか?」
「うむ。これを見てくれたまえ」
竜太郎が尋ねると、庄野少佐はモニターの端も端、画面が途切れている一角を指差す。
そこには薄らと、しかし、確かになにかの影が揺らいでいた。
「……これは?」
「ヒメコ君の見立てでは、潜水艦だとのことだ」
「確かなのか、ヒメコ」
竜太郎は庄野少佐の言葉に耳を傾けつつ、ヒメコに確認を取る。
「はい。ソナーの完全感知範囲のギリギリなので艦種までは特定できませんが、間違いありません。百メートル級潜水艦かと思われます」
ヒメコはモニターへ視線を戻しつつ、答える。
「百メートル級か……」
この時点で、竜太郎の脳裏にはいくつかの可能性が浮かぶ。百メートル級の潜水艦など、かなり限られた艦種だからだ。あり得るとすれば、大型の輸送艦か、もしくは戦闘を前提とした軍用艦の二通りだ。
それらを鑑みて、思い浮かぶ可能性は、
(たまたま民間の輸送船と航路が重なったか、もしくは、ニライカナイの連中がちょっかいを出してきたのか)
この二つである。同じ水龍戦隊の艦船ということもまったくありえなくはないが、水龍戦隊の軍規には『相互の潜水艦は不必要な接近を禁ず』というものがある。敵性艦との誤認による同士討ちを避けるためのものだ。それを考えれば、連絡もなくこちらの警戒領域に入り込んだりはしないはず。よって、友軍の可能性は排除していいだろう。
となれば、モニターに映るこの影は、敵性の潜水艦である可能性が濃厚だということだ。
「……で、実際、この影はどんな動きをしているんだ?」
竜太郎は少し身構えながら、ヒメコの後ろに立つ。
「はい。この影は先程からこちらの感知領域のギリギリを行ったり来たりしているようです。方角は五時方向。速度は同速。……つい先程、こちらの速度を僅かに上げてみたんですが、向こうも同様に加速。付かず離れず追ってきます」
ヒメコはモニターを睨み、そこから伸びたヘッドフォンを片耳に押し当てながら、その影の行動をこと細かく報告してくれる。
「なら、やっぱりニライカナイの連中だろうな。……やる気満々だ」
この動きが、明らかに戦闘を意識した動きだと竜太郎にはわかる。五時方向に付いているのは、この艦から機雷などを撒かれた際に回避しやすくするため。同じ速さで追走するのは、いつでも射線を合わせて攻撃に移れるようにするためだ。この影の動きは、そういったことを念頭に置いた動きをしている。
「しかし、向こうは“気付かれていることに気付いていません”。どうやら、こちらのソナーの感知領域を誤認しているようです」
ヒメコは相手の動向に気を払いながら、そんなことを言ってくる。
「そうだな。鳳龍のソナーが最新式だとは思っていないんだろう。おおかた、まだ範囲に入っていないと高を括ってるんだな」
鳳龍に搭載されているソナーは、ここ最近に竜宮の開発した最新型のものだ。旧来の潜水艦に搭載されているものに比べ、感知範囲は一回りほど広くなっている。恐らく、相手は感知範囲のギリギリ外側を航行しているつもりなのだろう。そういったことも、この動きから想像できる。
「ということは、機を見計らっているということだ。……じきに手を出して来るな、これは。――操舵手! 回頭準備!」
竜太郎はブリッジの中央、操船用のハンドルに就いている操舵手へ声を掛ける。
操舵手はそれに片手を挙げて答えた。
「た、大尉! まさか戦闘になるのではないのだろうな!?」
すると、庄野少佐が狼狽した様子で竜太郎に顔を突き交わしてくる。
「そりゃ、なりますよ」
竜太郎は一歩引いて顔を遠ざけると、さも当然のように答える。
「バカな! 戦闘は極力回避するのが水龍戦隊の総意だ! まずは逃げ切ることを前提に行動すべき――」
「百メートル級の戦闘用艦から、大型艦の鳳龍がどうやって逃げ切るんです? どう考えたって向こうのが早いでしょう?」
「それは……そうかもしれないが、やるだけやってみても損はなかろう?」
「いいえ、損です。逃げ切れないとわかっている相手に、進んで背中を見せるなんてリスキーすぎます。少なくとも、こちらも回頭すべきです」
逃げ切れないなら戦いに備えるべきだという主張の竜太郎と、逃げ切れるかもしれないという考えを捨てきれない庄野少佐の意見は対立する。
「た……大尉……」
ヒメコを始めとした周囲のクルーは、それに息を飲み、只々傍観している。仮にも大尉と少佐の問答、口を挟める者がいないのだ。
――と、思いきや、
「――四十ノット」
後ろに控えていたライが、突如として口を開いた。
竜太郎と庄野少佐、延いては他のクルーたちも驚き、振り返る。
「……なんだって?」
驚き固まる面々を代表し、竜太郎が尋ねる。
「ニライカナイで百メートル級の戦闘用艦と言えば『黒島級』だけど、それなら大体そのくらいの速度が出るわ。最新型の『来間』なら、最大船速は四十四ノットよ。……参考になった?」
ライはそう言って、竜太郎に微笑んでくる。
「……ああ、すごく。ありがとう、ライ」
竜太郎は柄にもなく、素直に礼を言う。
それも当然だ。敵艦の最大船速の情報など、軍人なら喉から手が出るほど欲しい情報なのだから、それを聞かされれば、礼の一つは述べるのが良識というものだ。
しかし、それと同時に心配になるのが、
「だがなライ、それを言ってしまっていいのか? 今、君は仲間の情報を売り渡したようなものなんだぞ?」
と、いうことである。
これに、ライは吹き出す。
「ふふっ、それを亡命者の私に言う? まあ、確かにこれで私は立派な裏切り者。捕まればどんな目に会されるかわかったものじゃあないけど……」
そして、そう言いながら竜太郎に目を向け、
「……ここまでしたんだもの。あなたが守ってくれるんでしょう?」
などと言ってくる。
「……そうだな。それだけ有力な情報の提供者なら、軍人として確実に保護しなけりゃいけない」
竜太郎も、それを肯定した。
そして、すぐに庄野少佐へ向き直る。
「しかし、困りましたね少佐殿。向こうはこちらより十ノット以上も早い。これは逃げ切るのは不可能だと思いますが?」
「……むぐ」
これに、庄野少佐は言葉を詰まらせた。
鳳龍の最大船速は約三十ノットほど。とても四十ノットの潜水艦から逃げ切れるような速度ではない。必然的に、追撃を受けるのは確定と言える。
つまりは、庄野少佐の言い分が真っ向から否定されたということだ。
庄野少佐は恥辱と悔しさからか、顔を赤くして肩を震わせている。
「まあ、なんにせよ、我々は奴らとことを構える必要があるということです」
そんな庄野少佐を尻目に、竜太郎は身を翻し、ブリッジから退出しようとする。
「ま、待て! どこに行くのかね大尉!?」
それを、庄野少佐が慌てて引き留めようとする。
しかし、竜太郎は足を止めず、ライについてくるよう目配せしながら、
「私の持ち場は“ここ”ではありません。私は私の持ち場に就きます。あとは少佐殿に任せますよ」
そう言ってハッチを潜り、ブリッジを後にする。
「……意外と仕事熱心なのね」
それを見たライも、肩を竦めてからそれに続き退出する。
それを唖然として見送らざるを得なかった庄野少佐は、歯噛みしながら地団駄を踏んだ。
「――なんて奴だ! 好き放題言って勝手に出ていくなど、無責任にも程がある!」
怒り心頭する庄野少佐。本来ならばここの指揮官は庄野少佐なのだから、竜太郎に対して責任を問うのはお門違いなのだが、心情的には仕方のない憤りだろう。それだけ、竜太郎の態度と言動はふてぶてしく、腹立たしいものだった。
だが、その顔色はすぐに小心者のそれに代わる。
「く……この艦は“処女航海”なのだぞ? 我々だって……。実戦など、できる訳が……」
そう言って、庄野少佐は力なく項垂れる。
「…………大尉……」
その後方では、竜太郎の出ていったハッチを不安げに見つめる、ヒメコの姿があった。
※
竜太郎はブリッジから出たその足で、水圧調整室の前まで来ていた。
竜太郎はその水圧調整室の前にあるロッカーの一つを開き、中からシーズガンのマガジンを取り出すと、左太もものホルスターに差し込む。
「……出るの?」
その様子を見て、後ろからついてきていたライが尋ねてくる。
「そりゃあ、戦水士の俺が出ない訳にはいかないよ。向こうも戦水士を出してくるかもしれないしな」
潜水艦というものは、戦水士には基本的に無力だ。懐に潜り込まれれば、後は成す術がない。故に、戦水士には戦水士を当てる以外、迎撃策がない。戦闘が予測される以上、竜太郎の出撃は必須なことだと言える。
竜太郎はライの言葉に適当に応えつつ、今度は戦水服用の交換用バッテリーを取り出す。
竜太郎はつい先程まで海に出ていた。そのため、今着ている戦水服の充電量は枯渇しかけている。このまま出る訳にもいかず、バッテリーの再充電をする時間もないため、バッテリーそのものを交換する必要があった。
「ライ。悪いが、バッテリーを交換してくれないか? 背中のスクリューの下だ」
竜太郎はそう言って、巨大な乾電池のような形のバッテリーをライに渡す。
「え、ええ。……ここね」
ライは戸惑いつつもそれを受け取り、竜太郎が言った場所に手を掛ける。
そこには丁度電池式のおもちゃの取り換え口のようなものが付いており、中には同じ型のバッテリーが入っている。
ライがそれの交換作業を始めると同時に、会話は再開する。
「ねえ、他に戦水士はいないの? 誰もここに集まっていないみたいだけど?」
「ああ、いない。鳳龍にいる戦水士は俺だけだ」
「……これだけ大きな潜水艦に?」
「この艦は進水したばかりの新造艦なんだ。しかも、まだ人員の配備だって完了していない。……今回だって、この艦の航行試験を兼ねた演習だったんだ。どいつもこいつも新米のクルーばかりさ」
他愛ない会話をするような雰囲気の中で、二人の間では重大な会話が繰り広げられる。
この鳳龍は竜太郎の言う通り、つい一か月前に進水式を終えたばかりの真新しい潜水艦だ。今回はその試験航海に当たるもの。それに伴い、人員配備も進められているが、経験豊富な人材の配備は間に合っておらず、艦長以外は水龍戦隊に配属したての新米ばかりという状況だ。
無論、絶対数の少ない戦水士の配備もまるで間に合っておらず、今のところは竜太郎しか戦水士が所属していない。そんなあり様である。
「正直言うと、こんなことは俺だって想定外さ。こんなに竜宮に近い海域で戦闘に巻き込まれるなんて、誰も想像できやしない。じゃなきゃ、上の連中だってこんな素人ばかりの配備で演習命令なんか出さないだろうよ。……君の救助だって、たまたま近くにいたってだけでうちに回されたんだから、まあ、貧乏くじだな」
少々愚痴っぽくなりながら、竜太郎は持っていたヘルメットを腰に吊り下げていたヘルメットをかぶる。最初は何の反応もなく暗転していたヘルメットだが、じきに電源が入り、視界映像が映し出された。
それと同時に、ライが正面に回り込んでくる。
「おわったわよ」
そう言いながら、ライは交換済みのバッテリーを振って竜太郎に見せびらかす。
「ご苦労さん」
竜太郎はそのバッテリーを奪い取るようにして手に取ると、そのままロッカーの中に放り込む。
「…………なぁ。今追っていている奴ら、君が目当てなんだろう?」
そして、しばらく沈黙した後、竜太郎は改めて口を開いた。
「……やっぱり、そう思うわよね」
それに、ライは気まずそうにして答えた。後ろで手を組み、俯き気味に顔を顰めている。
「そりゃそうさ。庄野少佐たちはそこまで気が回るほどの余裕はないみたいだったが、普通に考えれば、こんな海域でニライカナイと遭遇戦になること自体が不自然すぎる。それに、君は初めて会った時、俺のことを“追手”と勘違いしていただろう? つまり、君を追いかけている存在がいるということだ」
そんなことを言いつつ、竜太郎はまた別のロッカーを開ける。
そこには、一見するとスティンガーのような見た目の火器が入っていた。
これは『シーランサー』と呼ばれる簡易魚雷発射装置だ。丁度人間の腕くらいの小型魚雷を発射できる特殊な火器で、その取り回しこそ悪いものの、海中でも距離による威力減退がない優良な武器だ。特に潜水艦への攻撃を鑑みた場合、これ以上の攻撃手段は現在のところ存在しない。
無論、ライの着ている戦水服のプラズマ放出装置を除いて、の話だが。
竜太郎はそのシーランサーを担ぎながら、話を続ける。
「流石は天才、亡命一つとっても難儀みたいだな。まあ、“そんなもの”を造り上げるような人材、俺だって放っては置かないだろうが……」
と、竜太郎はライの戦水服を一瞥し、軽く一息吐いて呆れる。
「そのしわ寄せが俺らに来るとはねぇ。……いやぁまったく、散々な金曜日だ」
そして、愚痴を溢しながら、水圧調整室への梯子に足を掛けた。戦水服のパワーアシストがあるとはいえ、戦水服自体とシーランサーの重さのせいでかなりふらつきながら、ゆっくり体を下に降ろし始める。
「……そんなに不服なら、私を差し出せばいいじゃない。それで厄介ごととはおさらばよ?」
そんな竜太郎に、ライはそんなことを言ってきた。口調こそ少しふざけた感じだが、自分なりに迷惑を掛けていることを承知しているのか、その話している表情の曇り具合から多少なりの悔恨が窺える。
――が、そんなライの心情など一縷も汲まず、
「ふははっ! ……面白いな、それ」
竜太郎は少しだけ吹き出して笑う。それも、かなりわざとらしく。
「なるほど、なるほど。己の命惜しさに、命辛々助けを求めて来たうら若き乙女を、敵性集団に明け渡す、か。まるで三流映画に出てくる人間のクズじゃないか、見る分にはさぞ面白いだろうよ」
竜太郎はそう皮肉たっぷりにその提案を笑い、
「――だが、俺は遠慮しておくよ。死んだ婆ちゃんに顔向けできん。女には優しくしろって言う遺言でね」
そして、一蹴して水圧調整室に入る。
「な、なによそれ……」
その様子を、ライは戸惑った表情で見送っている。
「俺はお婆ちゃん子なんだよ! 生まれつき両親には恵まれなくてね!」
水圧調整室の中から、竜太郎は叫ぶようにして外のライに呼び掛ける。
「まあ、そういうことだから、素直に世話になっておけ! 安心しろとまでは言わないが、なんとか竜宮までは送り届けるさ!」
この言葉を最後に、竜太郎は水圧調整室のハッチを閉じる。
その瞬間、外にいたライの顔がかなり驚いていた様子だったが、竜太郎は歯牙にも掛けず閉じ切り、ハンドルロックを掛けた。