第一章 水没した世界で
竜太郎は目的地である旧東京都黒田区海域へと到着していた。ここ深度も千メートルほどで、戦水服を着用せねば人間が耐えられないような水圧の厳しい環境だ。
唯一人間に都合が良いことと言えば、視界が確保できているということだけだろう。
かつての海であれば、深度千メートルの海中は光も届かない無明の世界だったが、大地がすべて海中に埋もれた今のこの海は、驚くほどに海水の透明度が高い。大地が沈んだことによって、海を濁らせるプランクトンの量が大幅に減ったからだ。
そのおかげで太陽光がこうして届いており、視界だけは明瞭である。竜太郎のような戦水士にとって、これは限りない僥倖だった。
そんな青い光に照らされたかつての東京の街並みは、所々が朽ち果ててはいるものの、その環境の厳しさを忘れさせてくれるほどに幻想的で美しい。
まず目に付くのが、驚くほど高い塔のような建物だ。深度千メートルの海中から見ても、海上まで届いてしまいそうなほどに高い。周りに幾つかある建物もかなり高いはずなのに、これと比べると足元にも及ばない。
ただ、その塔も、周囲の建物も、今はサンゴ礁の温床になっている。色とりどりのサンゴは青い光を浴び、まるで自ら発光しているかのように輝いて見える。
いうなれば、“今”のこの街はサンゴの街と化していた。元は人工物だったビル群も、今はもはや自然に帰りかけているのだろう、周囲の小魚やクラゲたちも、我が物顔でビルの周りを遊泳している。
「任務がなければ、一周り遊泳でもして見たかったな。今度休暇がもらえたら、一人でゆっくり観光しよう」
その見事な景色を前に口惜しさを抱きつつ、竜太郎は街中を進む。
『例のSOS信号は、あの高い塔の麓周辺からです。……気を付けてくださいね、大尉』
途中、ヒメコからこのような通信が入ってくる。最後の方の声色は、オペレーターのものというよりも、ガールフレンドかなにかのそれを思わせる。
「ん? ああ。まあ、俺になんとかできるならそうするよ」
『た、大尉、少しは真面目に――』
「通信終わり」
そんなヒメコの通信に対し、竜太郎はなんともはっきりしない口調で返事をすると、通信を一方的に切断し、巨大な塔へと近づいていく。
巨大な塔に近づけば近づくほど、その姿は竜太郎の視界からはみ出し、全体像が捉えられなくなってゆく。
「……でっかいねぇ。御先祖様もよくやるな」
竜太郎が軽く見上げれば、塔はまるで倒れ込んでくるかのようにそびえ、少し圧倒された。かつてこれを作り上げた自らの祖先を想い、少し感心する。
そんな感傷もそこそこに、竜太郎は塔の根元に視線を移した。
「――頭部カメラ、倍率五倍」
そして、独り言のようにポツリと呟く。
すると、戦水服のヘルメット越しに見えていた視界が一気に狭まり、遥か遠くを見通せるように凝縮される。
戦水服のヘルメットは、高度なテクノロジーの塊だ。脳波をスクリューや通信機に伝達するシステムはもちろん、このような音声認識で、ヘルメットについたカメラの微細な操作も可能なのだ。
戦水服の視界は、ヘルメットの正面に取り付けられたモノアイが、着用者の瞳孔の動きに追従して外界を撮影、ヘルメット内部に映し出すことで伝えられる。今も竜太郎の目にも、カメラ越しに塔の根元が映し出されていた。
「…………おっ?」
その映像の中には、見るからに人工的な色合いの、黄色いなにかが映っている。
「……頭部カメラ、倍率八倍」
それに気付いた竜太郎は、さらにカメラの倍率を上げた。ヘルメットのモノアイからは、急速にズームするカメラ特有の機械音が聞こえる。
高倍率ズームに一度映像が乱れるが、すぐに明確な映像がヘルメット内に投影された。そこには黄色い船体の小型潜水艇が、海底の砂地に横たわっているのが見える。
「小型の潜水艇……SOS信号の出処はあれか?」
竜太郎はそれがこの任務の目標物だと目星を付けると、それに近づいてゆく。
竜太郎が潜水艇の横たわった砂地に近づくと、スクリューによって軽く砂が舞った。濁った視界を嫌った竜太郎は、すぐにスクリューの回転を止め、水中に漂い始める。
そうして潜水艇の真横に取り付いた竜太郎は、一通りその潜水艇を眺める。
それは二人か三人が搭乗するのがやっと、といったところの小さな潜水艇だった。正面は耐圧アクリルがはめ込まれたオープンヴィジョンタイプらしく、軍用潜水艇のような全面鋼鉄張りとは様相が異なる。表面塗装もかなり目立つ、というより、意図的に見栄えを考慮したであろう明るい黄色だ。
「竜宮では見ない型式の潜水艇だ。……でも、見た感じ軍用ではなさそうだし、誰かが遊覧中に遭難しただけか?」
明らかに民間が所有するレベル潜水艇。そう直感した竜太郎は、その船体を無警戒に軽く小突いた。戦水服の固い拳で船体を小突くと、海中でもはっきり聞こえるほど甲高い音が鳴る。
その後、しばらく待ってみた竜太郎だが、特に潜水艇の中から反応はなかった。
「…………反応なしか」
竜太郎は手で海中を煽ぎ、体を真横へスライドさせると、潜水艇の正面に回る。
「誰も……乗っていないのか?」
正面からアクリルガラス越しに潜水艇の中を覗き込んだ竜太郎だったが、そこから見える操縦席には、無人のシートが見えるだけだった。コクピットの奥には長時間の航行に備えての生活スペースがあるようではあったが、そこにも人の気配は感じられない。
「……こいつはおかしいや」
これに、竜太郎は不穏な空気を感じる。SOS信号を出したにもかかわらず無人の潜水艇。それを怪しく思わない訳がなかった。
もちろん、業を煮やした潜水艇の搭乗者が、潜水服かなにかで脱出を試みた可能性もあるのだろう。しかし、それにしては行動が早すぎる。
多少は差があるかもしれないが、SOS信号が拾われてから救助が来るまで、早くても一日、下手をすれば数日は掛かるものだ。つまり、SOS信号を出したのならば、二日か三日はその場に留まるのが普通だと言える。しびれを切らすにしても余りに早々すぎる、少なくとも竜太郎にはそう思えた。
(……まさか、本当に罠?)
一瞬、そんなことが脳裏に過る竜太郎。
――そんな風に考察を重ねようとした竜太郎の視界に、突如、一筋の青い光が走った。
「ん? なん――だ!?」
竜太郎は思考を重ねるのを一度止め、目の前にあるその蒼い光の線に意識を向ける。
その瞬間、“それ”がなんなのかわかった竜太郎は、自分の言葉が口から出しきられるより早く、腰元のプラズマ溶断機を左手で抜き取り、起動させながら後ろに振り返った。
丁度、竜太郎のプラズマ溶断機が青白いプラズマを発生させながら構えた矢先に、そのプラズマの刃にもう一対のプラズマの刃が重ねられる。
二つのプラズマ溶断機。それによって発生したプラズマは互いに反発し合い、擬似的な鍔迫り合いを構築していた。優しい光に包まれていたはずの海中が、今は雷が走っているかのような苛烈な閃光に上塗りされている。
そして、その激しい光の向こうでは、“真紅の戦水服”を着た何者かが、手にしているプラズマ溶断機を押し付けてきていた。ハーモニカのように羅列されたプラズマ噴出口からの青い焔は、たとえ堅牢の戦水服と言えども両断する。少し気を抜くだけでも、致命傷に至るだろう。
(く……首がすっ飛ぶところだった。どこのどいつだ、こいつは)
先ほど竜太郎が目にした青い光の正体は、この人物が背後でプラズマ溶断機を起動させた光が、潜水艇のアクリルガラスに反射したものだった。間一髪、振り降ろされたプラズマ溶断機を受け止めた竜太郎は、鍔迫り合いをしたまま相手を見定める。
目の前にいた人物が着込んでいる潜水服は、竜太郎が今まで見たこともないタイプのものだ。明らかに竜太郎の着ている迅雷とは造詣が異なり、一目で竜宮のものとは根本的な技術系統が違うことがわかる。また、迅雷と比べて、その戦水服はかなり細身だ。竜太郎の着ている潜水服が甲冑のような見た目に対し、その真紅の戦水服は金属製のスーツのような造りをしている。頭部のカメラもモノアイではなく、人間のような二つ目だ。一言で言うと、この真紅の戦水服はより人間的で、迅雷よりもはるかに近代的に見える。
ただ、そういった戦力分析よりも、竜太郎を驚かすものがあった。
(……女!?)
その真紅の戦水服には、あからさまな胸の膨らみがあったのだ。つまり、この戦水服は女性用に拵えられているということ。
これが竜太郎を大いに驚かせ、そして困らせた。
「……冗談じゃないな」
竜太郎は鍔迫り合いをしたまま、相手の腹部に蹴りを入れる。
「――!?」
腹部を思い切りけられた相手はくの字に体を折り曲げながら、衝撃で間合いを離してゆく。
すると、竜太郎は間髪入れずスクリュー全機を起動、その場から逃げ出した。
「なにが悲しくて女と殺しあわなきゃならんのだ。悪いが、退散させてもらう」
いきなり攻撃されたのだから、竜太郎も反撃することはできる。所謂、正当防衛というやつだ。しっかりと水龍戦隊の軍規にも定められている、正当な権利でもある。しかし、竜太郎は“こういう性格”だ。法がそれを許しても、自分がそれをよしとしない。女性を殺めることなど“まっぴらごめん”なのだ。
竜太郎は一目散に逃げ出す。追撃されることを踏まえ、上昇はせずに、街中へと逃げ込んだ。傍から見れば、かなり格好の悪い行動だ。
――が、それを平然とやるのが竜太郎という男だった。
(できれば、追っかけてこないでほしいが……)
建ち並ぶサンゴのへばり付いたビルの間を縫うように全速力で移動する竜太郎は、その速度が落ちない程度に後ろを伺う。
「……げ」
その視線の向こうでは、案の定、あの赤い戦水服の女が追走してきていた。しかも、竜太郎よりもはるかに速い遊泳速度で、だ。
(こりゃ参った。迅雷より早いのか、あの赤いのは)
竜太郎は緊張と焦燥から、思わず生唾を飲む。
竜太郎の着用している戦水服『迅雷』は、高い機動力から水龍戦隊に採用された戦水服だ。だというのに、今、竜太郎の背後から迫る赤い戦水服は、迅雷よりはるかに速い。それはあの赤い戦水服が、迅雷よりも遥かに高性能であることを証明していた。
(あの細っこい戦水服で、どうしてそんな出力が出るんだか。……なんにせよ、追い付かれるね、このままじゃ)
竜太郎は目測した赤い戦水服の速度から、このままでは間もなく追い付かれることを察する。海底の建築物を利用して撒くことも考えた竜太郎だったが、直進速度だけでなく、小回りでもあの赤い戦水服の方が迅雷よりも良好であることは、その細身な見た目から考察できる。
つまり、このままならば、もう一合交えることが不可避であるということだ。
(…………仕方ないな)
竜太郎は右太股のホルスターにある、シーズガンに手を掛ける。
先程対面した際に一通り観察していた竜太郎には、あの女が銃器の類を持っていないことを見抜いていた。
(向こうに飛び道具がないなら、銃があるこっちに分がある。女を撃つなんて反吐が出るが、あれも戦水服なら一発くらいは耐えるだろう)
戦水服は水圧に耐えることができるよう、かなり強固に作られるのが一般的だ。延いては、遠距離からの銃撃、それも海中であるならば、数発程度は耐える公算が高いもの。見るからに細身のあの赤い戦水服でも、この海域の水圧に耐えている以上、堅牢さは確保しているはずだと、竜太郎は高を括る。
(命中するにしろ、しないにしろ、それで逃げ帰ってくれればよし。……それでも向かって来るなら……“やる”しかないか)
竜太郎はただでさえ薄い戦水服内部の空気を大きく吸うと、意を決してシーズガンを抜き、後ろに振り向く。
シーズガンは水中での使用を前提として開発された特殊な銃だ。見た目はサブマシンガンのようだが、その銃口はかなり大きい。水中をジャイロしながら進む特殊弾頭を使用するからだ。その特質上、見た目に反し連射は利かない。いうなれば、巨大化させたハンドガンのようなものだ。
「なるべく当たってくれるなよ」
竜太郎は迫りくる女にシーズガンの照準を合わせ、引き金に力を入れる。
「――!?」
これを見た女の方も、多少の反応が見て取れた。僅かだが、確かに速力を落とす。
その次の瞬間、竜太郎のシーズガンから、橙色に熱を帯びた弾丸が発射された。水中とはいえ大口径の銃弾の発射に、強烈な衝撃が竜太郎の手に伝わってくる。
シーズガンの弾丸は水中に螺旋上の軌跡を残しながら、真っ直ぐ女の方へと突き進んでゆく。海中であっても威力があるそのシーズガンは、生身の人間ならば命中部分が吹き飛ぶような代物。そんな弾丸が、女の細い体へと迫る。
しかし、赤い戦水服の女は、椅子に座った美女がそうするように足を交差させると、自らもその弾丸を同じように、ジャイロ回転を始めた。
回転する女の体は、螺旋階段を真横に昇るような、独特の軌道を取る。
(バレルロール!?)
戦水士として訓練を受けている竜太郎には、それが、戦水士が海中戦で行う機動術、『バレルロール』であると瞬時にわかる。足を細く束ねるその体勢から、別名『マーメイドロール』とも呼ばれている。
そんな螺旋状に機動する赤い戦水服の女。その螺旋の中心を、竜太郎の放った弾丸は空しく通り過ぎてゆく。
バレルロールとはこの通り、回避運動に用いられる運動だ。左右上下からはもちろん、正面からの攻撃にも対応できる、回避において万能性の高いマーニューバである。
しかし、
「それをやるか、“実戦”で!」
それは難易度が高い機動術でもあった。竜太郎もそれをやり遂げた女に対し、驚きと感心を抱く。
バレルロールは戦水士の訓練課程で誰でも習うが、使いこなせる人間はほとんど居ない。竜太郎自身も訓練では何度か成功させているが、正直、失敗することの方が多い。もちろん、実戦で使おうなどとは考えもしない。
「やるやる!」
だからこそ、竜太郎は素直に感心したのだ。
(しかし参った。食い付かれるぞ)
それを実戦で使った女の度胸と技術に尊敬すら抱く竜太郎だが、その事実が自分にとって不都合なことも、また痛感していた。
銃撃の反動で足の止まった自分、最小限の回避運動で直進してくる相手、それから導かれる結論は、
「――!」
「そら来た!」
再度の白兵戦だった。女と竜太郎のプラズマ溶断機が、再び十字を結ぶ。
(だぁかぁらぁ! 女と殺し合いはゴメンだって!)
竜太郎は再び距離を取ろうと、また蹴りを見舞う体制に入る。
しかし、今度はそれよりも早く、女の方が先に蹴りを放ってきた。それも、足についたスクリューで十分すぎるほど加速された、綺麗な“回し蹴り”だ。
(――カラテ!?)
その動きを目の当たりした竜太郎には、女が明らかに格闘技を習得していることがわかる。そして、その動きがニライカナイの人間が好んで習得する、『カラテ』の動きであることも。
しかし、それがわかったからといって、直後の結末が変わるわけではなかった。
それは見事に竜太郎の横面を捉える。まるで鎖鉄球で殴りつけるかのような衝撃が、容赦なく竜太郎の頭を跳ね飛ばした。
その衝撃で脳内が揺さぶられたのか、竜太郎のスクリューは意図せず起動し、近くにあった建物の壁に向かい、誤って駆け出してしまう。
「――んお!?」
竜太郎は回し蹴りの受けた直後にもかかわらず、哀れにも壁に自ら衝突してしまった。サンゴがこびり付いた壁は竜太郎が衝突すると、宝石の破片でもばら撒くかのように、周囲の海水を色とりどりに染める。
ただでさえ揺らいでいた竜太郎の視界は、その瞬間に暗転した。時間にして一秒もなかっただろうが、竜太郎はその瞬間、確かに気を失う。
「…………寝てたか!?」
すぐに竜太郎の意識は戻ったが、まだ衝撃に自らが揺らいでいることが、竜太郎自身も自覚できる。
この場合、常人なら取り乱していただろうが、
(おお……参った参った。気絶なんかしたのは生まれて初めてじゃないだろうか)
竜太郎は至って冷静だった。というより、それが竜太郎の才能であり、だからこそ戦水士として評価を受けているのだから、ある意味では当然とも言える。
竜太郎は頭を振って視界を正すと、速やかに現状の把握に努めようと、再び女に視線を向ける。
「……えっ?」
すると、その視線の先には、何故か握った拳を向けている女の姿があった。
一見、竜太郎にはその行動の意味が分からなかった。仮に自分が女の立場であれば、手にしているプラズマ溶断機で止めを刺そうと、肉迫を試みていたはずだ。しかし、女は間合いを取ったまま、拳を差し向けるようにして立ち止まっていた。
その意味不明な行動に、竜太郎は呆然とする。
――次の瞬間までは。
竜太郎が呆然としていた矢先、女が向けていた拳の甲が突然せり上がる。せり上がった甲の部分には、なにやら小さな空洞のようなものが開いていた。
それは間もなく、青く煌めき始める。
「――まさか!?」
竜太郎は“それ”が如何なる目的で存在しているのか、直感する。その直感に脳波が連動したのか、迅雷のスクリューが一斉に動きだし、竜太郎の体を急上昇させる。
それと同時か少し遅れて、赤い戦水服の甲から青白い閃光が走った。
それは竜太郎が直前までいた場所に直撃すると、その壁を溶解し、大穴を開ける。そうしてできた穴の周りは赤く熱を帯び、多大な熱量が撃ちつけられたことを物語っていた。
「――!?」
女は竜太郎が回避したことを確認すると、戦水服の上からでもはっきりわかるほど驚いている。まさか、これ程まで早く竜太郎が行動できるとは思っていなかったのだろう。追撃することもなく、狼狽した様子で上昇した竜太郎を見つめている。
しかし、そんな女の動揺など、比でないほどに竜太郎も狼狽していた。
(プラズマ化させた酸素を撃ちだしてきのか!?)
その青白い光が、酸素をプラズマ変換した時の特有のものであることを、竜太郎は知っていた。しかし、プラズマを“撃ちだす技術”、それに関しては全くの初見だった。
確かに、そういう“発想”があることは竜太郎も知っている。だが、それはあくまでSF小説などに限って存在するもの。少なくとも、今現在には存在し得ない、架空の存在である。
――と、この瞬間まで思っていた。
現実として、今、竜太郎の前では“それ”が存在している。それを目の当たりにした竜太郎は、僅かな高揚と、並々ならぬ驚愕、そして、絶望感にも似た戦慄を感じていた。
「冗談じゃない!」
竜太郎は間髪を置かず、女に急接近を計る。
女もそれを受けて正気に戻ったのか、先ほどのプラズマ発射装置を向けようとする。
――が、
「それは流石に困る!」
竜太郎はプラズマ溶断機の腹で女の腕を払い、射出装置の矛先を逸らす。
「――!?」
女はそれを受け、“驚く”。
その直後、再び青い閃光が竜太郎の体の側面を通り過ぎていった。強烈な電磁波を纏ったプラズマのせいか、一瞬、カメラの映像にノイズが走る。
しかし、竜太郎はそれに動じず、女に組み付こうとする。
(こんなものを持ってる奴を相手に、間合いなんか取ってられるか! ――なんとかして抑え込む!)
俗にいう『プラズマ砲』、そんな代物を相手に、銃撃戦、ましてや背を向けての逃走など自殺行為に等しい。もはや、竜太郎に取れる手段など、この女を組み伏せる以外なかった。
(迅雷のパワーアシストに頼ることになるが、信じるしかない!)
戦水服には補助的な役割として、パワーアシストが付属している。本来は重量のある戦水服を着たままで歩行などを行うためのものだが、一応、百キロ近い鉄塊を片手で持ち上げる程度のことは可能で、こと白兵戦において、プラズマ溶断機に次いで重要な機能だ。
竜太郎は女の両腕を掴みとると、そのパワーアシスト機能を頼りに、力任せに抑えつけようとする。
しかし、女もそれに抵抗する。同じくパワーアシストを起動させたのだろう、女性的なフォルムからは想像できないような膂力で抗ってくる。
その手に伝わる感触から、竜太郎は察する、
(――ああ、ダメだな、これは)
頼りにしていたパワーアシスト、それすらも迅雷が及んでいないことに。
(これだけ細身ならあるいは、と、思ったんだがなぁ……。ニライカナイの新型なんだろうが、まったくとんでもないもんとやり合っちまった……)
こういった状況でも、竜太郎は冷静だ。冷静に、冷静に、冷静に。
――自分の敗北を確信する。
それに違わず、女はしがみ付く子供の手を振りほどくかのように、竜太郎の手からあっさりと逃れた。あれだけ竜太郎が必死に詰めた間合いが、いともたやすく開けられてゆく。
大体五メートルほどだろうか。距離が開くと、女はすぐに握った拳を、再び竜太郎の方へと差し向けてくる。
(……はぁ。まあ、仕方ないか。俺の葬式はヒメコ辺りがやってくれるだろう)
それに対し、竜太郎はもう心中では抗おうとしない。一応はシーズガンの銃口を女に差し向けるが、あくまでそれは格好だけだ。死に際に戦水士が無抵抗だなど、余りに情けない。そういう感情から取った“見栄”である。
(……痛いんだろうな、あれ)
竜太郎は苦々しい表情で、歯を食いしばり、目を固く瞑る。襲い来るのだろう身を焼く雷に備え、自分なりに覚悟を決める。
「…………」
しかし、女はそれを撃とうとせず、静かに腕を下げた。
「……ん? ……おいおい、なんだよ?」
竜太郎はそれに拍子抜けし、自らもシーズガンの銃口を真上に向けた。自分もそうしなければ、なんとなく卑怯な気がしてだ。
すると、女の戦水服のヘルメットから、糸のように細い赤い線が伸びてくる。
(……赤外線通信?)
そして、それが竜太郎のヘルメットに届くと、その女のものと思われる声が通信機越しに伝わってきた。
『――何故、腕を切り落とさなかったの?』
伝わってきた声は女性というより、少女のそれに近いものだった。通信機越しのくぐもった音質でも、声の主が相当に若いことがわかる。
「……腕?」
しかし、竜太郎はそれに特別驚かない。それよりも質問の内容を聞き返した。
それに、もう一度質問が飛んでくる。
『そうよ。本当なら、さっき、私の腕は切り落とされていたはず。……なんで溶断機を起動させずに打ち払ったの?』
どうやらこの女、もとい少女は、先ほど竜太郎がプラズマの射出口である腕を叩きはらった時、何故そのまま切断してしまわなかったのかが疑問らしい。
確かに、あの時、竜太郎がプラズマ溶断機を起動したまま少女の腕を薙いでいれば、厄介なプラズマの射出口ごと、その片腕を切り落としていただろう。致命傷となるかはさておき、その時点で勝負の大勢は決していたかもしれない。
命のやり取りをしているのだから、普通ならそれをしない理由はないのだろう。少女の疑問ももっともだった。
しかし、竜太郎は、
「ええ? そりゃあ、女の腕を切り落とす訳にはいかないじゃないか、普通」
こう即答する。一切の迷う素振りなく、だ。
『…………え?』
「んっ?」
『……あ…………え?』
この竜太郎の答えに、会話は不自然な間が開く。どうも少女は言葉を失っているようだ。
「…………えっ、おかしいか?」
しびれを切らした竜太郎が、素っ頓狂な声で話し掛ける。
少女もそれにようやく返答してくる。
『……私たちは殺し合いをしていたわよね?』
「ん? いやいや、君はそうかもしれないが、俺は殺そうなんて思っちゃいないよ。そもそも、女殺しは俺の主義じゃないし……」
『殺されかけてたのに?』
「……うん? いや、だって、女とわかっていて殺したりなんかしたら、俺は首を吊らないといけないじゃないか。そんなの嫌だもの」
竜太郎はさも当然のように言い放つ。傍から見れば、この異常な主張を、だ。
この思想、かなり極端な考えだが、元々は男性であれば誰でも多少は持つ考え方、『女性への尊重』からくるものだ。
ただ、普通の人間ならば、自らの切羽が詰まった時、それを考える余裕はない。だから、他の男ならば『殺されようとしている』ことが、女性を討つ理由になりえるだろう。
――が、竜太郎に限っては、それが当てはまらなかった。
竜太郎は動揺や混乱とは無縁の人間。それはある意味で病気と言える。そんな人間だから、“自分を見失えない”。一度持った“道徳心”は、死ぬまで、否、死して尚“無視できない”のだ。いかなる時も、己が冷静であるがために。
単純に、自分と女性を両天秤に掛けた時、どちらに傾くのか、竜太郎はその結果を理解している、完全に自己完結してしまっているのだ。
『……バカじゃないの?』
少女からは辛辣な言葉が返ってくる。
「えっ? なんで? 君だって、幼い子供や女性を故意に傷つけたりはしないだろう? 俺だって“同じ”さ」
それに対し、竜太郎は本気で意味が分かっていない。自分が間違っているなど、欠片も思っていないからだ。むしろ、自分の主張を否定する、この少女の正気の方を疑っている。あまつさえ、“同じ”と言う言葉を使ってまで。
『…………あはっ!』
これに、少女は吹き出すように笑い始める。
『あっははははは! あなた、とんでもない狂人ね! あなたみたいな人、すごく“希少”よ?』
そして、少女は両手を上げる。それは降伏を表す、いわゆる『ホールドアップ』だ。
『あなたみたいな狂人、もったいなくてとても殺せないわ。……それに、どうやら追手という訳でもないみたい』
そして、甘く囁くような声で、一言、差し向けてくる。
『――降参よ』