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水没世界のマーリーン  作者: 蟒蛇大山
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序章

 浦島竜太郎は微睡んでいた。遥か天上から差し込んでくる青い光は、太陽が海水のステンドグラス越しにもたらしてくれる月明かりにも似た優しい光。そして、海中に漂う竜太郎の体は、揺りかごの中にでもいるかのように、心地よく流されている。

「――海はいいなぁ……」

そんな条件が揃っているからか、竜太郎は心地よい眠気に苛まれていた。

 深度千メートルの海中、そんな場所で居眠ることができるのは、すべて竜太郎が身にまとっている“戦水服”のおかげだろう。

『ロ号戦水服・迅雷』。竜太郎が所属する海底都市『竜宮』、その治安維持部隊『水龍戦隊』が正式採用している潜水服だ。

 戦水服には、深海の圧力にも屈しない強固な装甲と、酸素ボンベを必要としない溶水酸素吸収システム『CFCコバルト・ファイバー・システム』、そして、極めつけに脳波コントロールが可能な背部と両足部のスクリューが搭載されている。主要なものだけでもこれだけの機能が備わっているのだから、そんなものを着ていれば、まず溺れるようなことはない。

竜太郎自身、これが海中での戦闘用のものでさえなければ、酷く気に入っていただろうと確信していた。

 竜太郎は海が大好きだ。海中の魚が泳ぐのを見るのが好きだし、海底に広がるサンゴ礁を眺めるのも好きだ。温厚な性格のイルカやクジラと並行して泳ぐのもたまらなく好きだし、海中を駆ける潜水艦にもロマンを感じて大好きだ。

 だからこそ、この戦水服も大好きになっていた“かもしれない”と考えている。

まるで人魚のように海中を自在に泳ぐことのできるこの戦水服、何故戦闘用にしてしまったのか、竜太郎は製作者を恨んで止まなかった。

竜太郎は戦闘用として作られた経緯を持つ、この戦水服が好きではない。そして、そうあれかしと作り上げた製作者たちはもっと嫌いだった。

『――大尉? …………大尉! また任務中に寝ていましたね!?』

 そして、海中にいると決まって耳にする、この喧しい声も大嫌いだ。

「…………いいところだったのに」

『大尉、今は任務中です! 上にばれたら大目玉ですよ!?』

「そうがなるなよ、ヒメコ。少しぼうっとしていただけじゃあないか。君が黙っていりゃバレはしないさ」

 竜太郎は細目を開けながら、戦水服の通信機越しにくる声に主に、腑抜けた声で返事を返す。

『わ……私は大尉のために言ってるんですよ!? なのにそんな……』

 彼女は音羽ヒメコ。竜太郎のパートナーだ。ここから少し離れたところで、オペレーターとして竜太郎のサポートに回っている。しっかり者の性格で、マイペースな竜太郎の良き相棒だ。

 ただし、どこか竜太郎に甘いところがあり、

「知ってるよ。いつも感謝してる。……だからさ、頼むよ」

『えっ……? あ、はい。……わかりました、上には通信障害による遅延と言っておきます。でも、今回で最後ですからね』

 このように、簡単に言いくるめられてしまうところがある。つまり、ヒメコは竜太郎に対して好意的だということだ。

ヒメコの階級は准尉だが、竜太郎とは上司と部下という関係というより、どちらかといえば学校の先輩と後輩のような関係に近い。歳も一つしか変わらないので、かなり親しい間柄でもある。

 もちろん、竜太郎としてもヒメコは嫌いではない。あくまで喧しい声が苦手なだけで、彼女自身は信頼も信用もしている。好きか嫌いかで言えば 、間違いなく“好き”の類に分類される人物だ。

「いつも悪いな、ヒメコ」

 “いつも通り”にヒメコを言いくるめた竜太郎は、呑気に海中で背伸びする。分厚い戦水服を着ているからか、ほとんど体は伸ばせなかったが、眠気を覚ますには十分だった。

「……っと! じゃあ、お仕事をするとしますか。降格や自宅謹慎だとかは別にいいとして、減給は流石に困るからな」

 竜太郎はなにごともなかったように、戦水服のスクリューを起動させて海中を進み出した。スクリューから出る水泡に応じ、竜太郎の体は徐々に加速、直に海中の小魚と並走できる程度の速度まで上がった。

 ヒメコも言ったように、竜太郎は任務中だ。本来なら居眠りなど職務怠慢で懲罰ものだが、竜太郎は毎回なにかと理由をつけてごまかしている。一応は“軍隊”に所属しているはずではあったが、『水龍戦隊』はどこか緩んだところがあるのか、竜太郎は懲罰を受けたことが一度もなかった。故に、こんなことは日常茶飯事だった。正直、褒められたものではないのだろう。

 しかし、竜太郎は若干十七歳にして“大尉”という階級だ。不真面目で、時間があれば寝てばかりいる若造が、だ。この事実からも、水龍戦隊がどれだけヌルイ組織かがうかがい知れる。

 とはいえ、もちろんのこと、竜太郎がそんな階級にいるのにもしっかり理由はある。

戦水服による海中での機動は、脳波コントロールによるスクリューに依存するということは前述の通りだ。しかし、それを実行するには、着用者が常に脳波を安定させるだけの冷静さを保持することが求められる。いわば精神面が優れている必要があるのだ。

何故かというと、海中、それも深海ともなると、その潜水中、熟練のダイバーでもパニックを起こしてしまう場合があるからだ。それだけ、海中は過酷な環境ということでもある。一度パニック状態に陥ってしまえば、脳波コントロールなどできたものではない。故に、戦水服の着用者には何事にも動じない鋼の精神が求められる。

そういった面では、竜太郎は非常に優秀だった。性格がマイペース、悪く言えば無神経な竜太郎は、一言で言えば“図太い性格”だ。プレッシャーを感じることがほとんどなく、動揺や混乱とは、ほぼ無縁である。

そんな竜太郎だからこそ、戦水服を着て実働に当たる『戦水士マーリーン』として優秀と認められ、大尉の位を与えられている。そのせいで年長者の戦水士からの風当たりは悪いが、竜太郎はそれを気にすることはない。言ってしまえば、そういう性格だからこそ“大尉”になったのだから。

『大尉、今回の任務、寝ぼけて忘れていないでしょうね?』

「わかってる。昨日、巡回の潜水艇が拾ったSOS信号の調査だろ?」

『はい。旧東京都墨田区海域において、未登録の潜水艇からと思われるSOS信号を感知しました。大尉にはその調査、および、生存者の救助に当たってもらいます』

 かつて東京と呼ばれた場所、そこはもう深海へと変貌していた。

 東京だけではない。日本全土はもちろん、中国、アメリカ、オーストラリア、今はそのすべてが海に沈んでしまっている。今、この地球は真の意味で『水の星』となっていた。

 世界がこうなってしまった理由は、未だ明らかにされていない。年代的には千年ほど前らしいが、わかっているのはそれだけだ。専門家の憶測では、地球温暖化による海水の上昇や、地殻変動による大陸の沈下、といった説があるが、それもあくまで仮説にすぎない。

 とにもかくにも、人間が生活圏である地上を失ったことには変わりない。竜太郎たちは今、“そういう世界”で生きているのだ。

「任務は了解した。……しかし、なんで“戦闘装備”なんだ? 今朝までは救助装備で当たるはずだったんだろ?」

 竜太郎は任務を再確認すると、疑問を呈する。

 竜太郎の戦水服には、右太股のホルスターに水中用銃『シーズガン』、腰の後ろには海中での白兵戦用に鉈状へと形を変えられた『プラズマ溶断機』がマウントされていた。

この装備は出発直前に受け渡されたものだ。明らかな“戦闘”を前提とした装備に、竜太郎は不穏な空気を感じている。何故SOS反応の調査にこの装備なのか、聞かずにはいられなかった。

 そう聞くと、少し間が開いた後、声のトーンを落としてヒメコが言う。

『……なんでも、その潜水艇は“ニライカナイ”のものである疑いがあるそうで』

「えっ? ……マジか」

 それを聞いて、竜太郎は顔を顰める。

『ニライカナイ』。それは竜太郎たちが住む『竜宮』と同様、海底に作られた都市型のコロニーだ。竜宮と同様、日本人を祖先としている人間たちが暮らしている。

 しかし、問題はそのニライカナイと竜宮が、限りなく敵対に近い関係であることだ。

 百年以上前になるが、ニライカナイでは大規模な食糧難が発生したことがあった。食料生産量に制限がある海底都市、そこで起きた食糧難、そうなってしまえば、人間が取ることは二つに一つ、“口減らし”か“略奪”だ。

――そして、ニライカナイの住民たちは後者を選んだ。

幸か不幸か、竜宮は食糧生産が安定している海底都市だ。水耕栽培による大規模な海底農園施設を有し、牛や豚の細胞を培養した人口精肉の生産も上手くいっている。それがニライカナイに目をつけられたのだろう。両都市の位置関係が比較的近かったことも災いした。

こうして始まったのが、『竜神戦争』と呼ばれる海中戦争である。

開戦当初、この戦争は潜水艦同士の艦体戦が主だったが、そもそも、所有している資源に限界がある海底都市は、建造できる潜水艦の数にも限りがあり、この戦闘形式は早々に排他されることとなる。

そうした経緯もあり、新しく考案された戦闘方法が、海中機動歩兵による歩兵戦、つまり『戦水士』である。この構想は竜宮もニライカナイも共通していたのか、戦水服の開発も同時期に始まり、戦水服、そして戦水士の戦線投入もほぼ同時だった。

これにより、両都市の戦闘主体は戦水士同士による海中戦へと移り変わる。ちなみに、水龍戦隊が結成されたのもその当時だった。

両都市の所持する軍事力は互角だった。戦水服の性能も、使用されている技術系統こそ異なるものの、ほぼ五分五分であり、戦線は限りなく拮抗状態に陥っていた。

しかし、結局のところ、資源に限界がある両都市は、間もなく戦争状態を維持できなくなり、『竜宮が食料を定期的に提供する』ということを条件に、終戦協定が締結された。

一見、これは竜宮が敗北したようにも見える。しかし、その実はニライカナイの食糧配給の蛇口を竜宮側が握ったということであり、実際は竜宮がニライカナイの生命与奪権を握った結果となっている。現在もその関係性は続いており、食糧自給率が低いニライカナイは、竜宮の配給により住民の飢えを防いでいるのが現状だ。

そういった経緯もあり、両都市の間柄は険悪だ。事実、水龍戦隊とニライカナイ海軍は現在でも、各海域で小競り合いを起こしている。その度に竜宮は食料配給の停止をちらつかせては圧力を掛け、ニライカナイはそれを条約の非履行だと非難し、再度、戦争の再開をちらつかせて圧力を掛け返す。そんな不毛な報復が、軍事面、政治面で繰り返されている。

「じゃあ、今回のSOS信号も、ニライカナイのやつらの罠だと?」

『その可能性はあります。ですから、大尉には戦闘装備をするよう、上から達しがありました』

「……はぁ。困ったもんだな。下手したら戦闘になるかもしれないのかよ」

 竜太郎は海が好きだ。出来ることなら海を血で汚したくはない。そんな思いがある。

 そもそも竜太郎が戦水士を志したのも、海を汚す連中を許せなかったからだ。そんな奴がいるのであれば、一人残らず海から叩き出してやりたい。それが水龍戦隊への志望理由だった。

 だというのに、水龍戦隊にいれば自分の手で海を汚す必要がある。その矛盾に気づいたのはつい最近だった。

(嫌になるね。気持ちよく海を泳ぐために戦水士になったのに、戦水服を着て海に出る時が一番気が重い……)

 そんな竜太郎は陰鬱として、海中を進んでいった。

海は竜太郎の心情を汲んでか、凪のように静かにそれを見送っている。


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