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獅子の懐で羽を休める小鳥

 二日と続けて同じ女の部屋を訪れたことのない王が、半年間一日も欠かさず夜と朝を共にする寵姫ともなれば、庭を一緒に散歩くらいするし、王宮に住み始めてもうすぐ一年という頃には、頑なに口を噤んでいた寵姫も辺境の屋敷での生活についてぽつりぽつりと話すようになる。

 

 振り返ってみれば驚くほどに、寵姫とは実にさまざまな話題について語ったものだ。


 寵姫の海のように広い知識は底なし沼のように深く、必要以上に説明する手間もなければ、耳を傾ける王を飽きさせることもなかった。

 なにより気まぐれに授ける国内外の情勢に関する情報は、まるで第三第四の目と耳で得て来たかのように正確で、ブライヤー卿――の才覚には遠く及ばないが、彼――の後釜ですら舌を巻くほどだ。


 王宮に入るや別人のように立ち居振る舞いや言葉遣いを改め、あばら家で素の状態に会っている王を唖然とさせた寵姫は、怜悧で強かなことこの上ない。

 獅子王の威光など借りようともせずに、自身の利用価値をちらつかせ、さっさと王宮での居場所を確保してしまった。


 最近では背に腹を替えられなくなった男どもが助言を求めてやって来るようになり、奴らに嫉妬しているなどと邪推されないよう、それとなく牽制しなければならなくなった王にとっては、手のかからない寵姫というのもたまには愚痴をこぼしたくなる。


「もったいぶらずに全部教えてやれ」

 そして俺の手間を減らせと暗に仄めかせば、散歩中に立ち止まった寵姫は得意そうに手を腰に当て、王を見上げる。 


「ダメですよ、持ってる手札は小出しにしないと。お友達じゃないんですから、私がすっからかんだとわかったら、いざという時に助けてもらえないかもしれないでしょう? いくら怖ーい王のお気に入りでも、馬の骨が古参の家臣に混じって生きるのは、そんなに簡単なことじゃないんです」


 無邪気な寵姫の笑顔が誰かを彷彿とさせた。


「そ、それにしても、お前はよくよく世界を知っている女だな」

 ぞくっと背筋を這った悪寒を追い払うように、僅かに身震いした王が珍しく称賛すれば、褒められたはずの寵姫は両腕を垂らして顔を曇らせる。


「それは私の才知ではありません。ウォガール屈指の作曲家が卵から孵した野鳥の羽をもぎ、お前はカナリアだから飛ぶより歌えと数えきれない譜面を与え、大陸随一の歌い手が世話をしながらその鳥を調教したようなものなのです」

「だからどうした、その者達はひ弱な雛鳥を天敵から守り、巣立った後も一人で生き抜く術を与えたのだろう。結果、そのカナリアもどきは腹を空かせた獅子ですら眠らせる。――誰の思惑であれ、お前ができることに違いはない」


 鱗でも落ちたようにぱちくりと目を瞬かせた寵姫は、見晴らしの良くなったのだろう瞳を細めて、ほんの少しだけ唇の両端を持ち上げた。

「そう、かもしれません。あの屋敷で私の世話をしてくれたのは、社交界の花として何十年も名を馳せたおばあさんでした。そして物心がつく前から、父らしき人に書庫が立つほどの書物を与えられ、国内外の情勢をお伽話に私は育ったのです。――確かに、彼女たちは亡くなるまでに、自分の世話ができるくらいの分別を私に下さいました」


「ウォガール屈指の作曲家とは、いや、父とはブライヤー卿のことか?」

「…………」


 常になく昔話に饒舌でも、家族や身元に関しての質問にはそうだとも違うともいつも通り答えないだろうと思った通り、口が波打つ貝のように唇を引き結んだ寵姫は曖昧な笑みで首を傾ける。

 苦笑した王は悪かったと言うかのように寵姫の頭をくしゃりと撫でると、細いうなじにかかる後れ毛に指を絡めて何事もなかった体で話を続けた。

「…先ほどの口ぶりではお前にできないことなどなさそうだな」


 王につられて気を取り直したのか、首を左右に振る寵姫は歩みを再開した。

「実践して身体に馴染ませなければ意味のない知識もあるでしょう。例えば座学で教わっていても、それだけではダンスはできません。誰かと踊ったことなどありませんし」

「では今度の宴ででも踊ってやろう」

「いいえ、私は正規の側妃ですらないのですから、規模や招待客に関わらず、何年経とうがパーティーなどにはいっさい出席しません。王の背後に要らぬ火種は撒かないことです」


 生まれて初めて申し出た誘いを、にべもなく背中で断られ、「側妃たちがあの手この手で得ようとする誘いを突っぱねるとは身の程知らずめ、決して残念などとは思っておらん。まあ、数年以上傍に留まるつもりなら今は良しとするか」と自分で自分を宥めつつも、やはりどこか後ろ髪を引かれる。そんな王の視界の端で、ひっそりと庭の片隅に自生する花がその存在を主張するように風に揺れた。


「フィリーア」


「えっ――?」

 何気なくその名を呟けば、糸で引かれたように振り向いた寵姫は目を見開いた顔を王に向ける。


「何をそんなに驚く?」

「だって、王が……、いえ……」


「血に飢えた獅子王でもあの花の名くらい知っている」

 そうは言ってみたが、自分の口から花の名前が出れば、それだけで誰もが寵姫のように仰天するのだろうなと自嘲する。

 実際他の花など有名どころで名前を聞いたことや見たことがあっても、いまいちどれがどれか違いがわからない。


 しかし至る所で目にする花だということと、国旗の獅子の首輪は実はフィリーアだという説もあるくらいなのだ。どんなに花と無縁でも、嫌でも覚える。


 食い入るように王を見つめる寵姫は、傍目にも明らかな逡巡と葛藤の後、珍しく言いよどんだ言葉を振り払うように、なんでもないと頭を振った。


「それで、あの花がどうしたのですか?」

「……壁すら彩る花フィリーアであれば、王の隣にあっても誰も気にもとめんと言おうとしたのだ」

「そんな他の華に霞んでしまう雑草と踊ったところで、王は楽しくもないでしょうに」


「そうとも限らん。ありふれたものという、いくつもある別名通り、あれは大陸中で咲くありきたりな花だが、俺は嫌いではない。いや、野であろうが王宮だろうが、どこででも己の棘を頼りに居場所を広げ、あれは自力で咲く、むしろ――」


「フィリーアが……お好きなのですか?」


「ああ、好きなのだろうな」

 続けるはずだった言葉を一瞬早く寵姫に掠め取られたが、それで答えが変わるわけではなく、言おうとしたままを伝えれば「獅子王でも花を愛でるのですねえ」と寵姫は我が事のように微笑む。


 もはや寵姫を無下に扱う者は――王が許しはしないが――逆恨みに狂った妃とその親族くらいのもの。宴に出ようものなら即座に人に囲まれ、ひっそりとした壁の花には決してなれないだろうが、それでもフィリーアの逞しい生き方は咲く場所(戸籍)を求めてその身を獅子に喰わせた女に似合いだ。

「――ふ、言い得て妙だったな、どんな場所でも独りでに芽吹き蕾をつけるのだから、まさに誰の助けもなく王宮に根を張ったお前のような花だ」


「そう、でしょうか、寵姫である間は無理ですが、……できるのであれば、私もフィリーアとして生きてみたいものです」

 

 その言葉通り、寵姫という立場は他に類例がなく、言うなれば庭師が丹精と交配を重ねて咲かせた希少な一株にこそふさわしく、まさにフィリーアとは真逆な生き方だ。

 そっくりと言った舌の根も乾かぬ内に矛盾が生まれかけた瞬間、王の左腕に寵姫の両腕が絡まるが、その瞳が焦がれるように注がれるのは遠く、果てしないどこか。


 ああ、そうか、土壌の良し悪しなどフィリーアには関係なかったな。

 寵姫の棘は獅子王すら絡め取るのに、一旦種を残せば、フィリーアのごとく他に生きる場所を求めるのかもしれない。


 ふっ――と、まるでそう思い至った王の心を代弁するかのように日が陰る。

 

 もし今隣で寄り添う寵姫が、王宮を去った後の日々に想いを馳せているのなら、平凡なフィリーアの生き方など一生しなければいいと、王は自分の胸に顔を埋めさせるように寵姫の肩を抱き寄せた。

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