番外編 ~Welcome to My World~②
”Welcome to my world.” 誰から誰への言葉なのかは、みなさんのご想像にお任せします。
妻と娘を砂糖漬けの果実に蜂蜜をかけるよりも甘やかすのに忙しい私の父は、かつて獅子王と呼ばれていた……人の影武者で、先王譲位の際にもう用済みだからと、人目につかず静かに暮らせるよう辺境のボロ屋敷に母と一緒に引っ越して来たらしい。
優しい父は見た目と目つき以外まったくもって怖くないけど、子供ながらに影武者だって信じてました。十五才になった今も信じてます。だってお祭りの時に近くの村で飾られていた現国王の絵姿にそっくりなんだもの。そりゃ年齢が同じくらいなら、息子に瓜二つという前国王の影武者にも抜擢されるってもんでしょう。
ちなみに私がそっくりの母は現国王の乳母だったこともあるって言うから、話の信憑性は上がる。
そんな二人に半月ほど前朝靄漂う戸口で見送られ、遂にやってきました、花の王都。一番近くの村にも数日かかる田舎の出では、見るもの聞くもの全てが目新しくキラキラ輝いて見え、通りを埋め尽くす人の数なんて地方の一年分のお祭りを足しても負けているじゃないかってくらいに溢れている。
物見遊山と社会勉強を兼ねて三年間王都で自由にさせてと両親を説き伏せたものの、知り合いのいない都会には住むところも仕事の当てもまったくない。
けれど、とりあえず王城に行くと言った時、そこで働く人や偉い人に会ったらまず見せなさいと母がくれた紙と困った時に仕える魔法の言葉があるから、王城勤めの人たちも田舎者の粗相には目を瞑ってくれるだろうと思っている。おかげで生まれて初めての王都でありながら、私を悩ませる不安は今夜の宿探しでうまく値切れるかどうかくらい。
手持ちの小遣いではいつまでも観光客ではいられないけれど王城には仕事が山ほどあるだろうし、私は乳母だった母にそっくりなんだもの、誰か覚えている人がいて懐かしいと雇ってくれるかもしれないじゃない。あわよくばそのまま住み込みで……なんて、自分でも世間知らずな短絡的思考だと思いつつも、なんとかなりそうな気になっていた。
独り慣れない都会でまったくの希望なしではさすがに心が折れそうになる。最初くらい気楽にしていないと! という大口叩いて出て来た手前早々に逃げ帰るわけにもいかない小心者の浅知恵。だけどきっと母なら「その図太さや良し」と褒めてくれる。
たとえ王城での就職活動が気持ちよく空振りに終わったとしても一度は自国の王城の中を見てみたいし、両親の知り合いで小さい頃私を可愛がってくれていたコノエちゃんにも久しぶりに会いたいと、宣言通り王都に着いたその日の内に、遠目にも立派なお城へと足を運んだ。
コノエちゃんは引退後も後進の教育係になっていて今も王城勤めらしく、もしかしたら彼の口利きで王宮にも入れるかもしれない、なんて思ったのは、さすがに夢を見過ぎただろうか。
――はい、確実に、夢の中で妄想でもしていたのでしょう。コノエちゃんの本名を知らないということを、王城に辿り着いた今の今まで忘れていました。
がっくりと項垂れるアルヴェルが手をついて支えにしている堅牢な石壁には、ぽかりと口を開いた無駄に大きな門扉。その左右には槍を持った屈強な兵たちが立ち、出入りする人波に睨みを利かせている。
大陸一の強国であるウォガールのお城は大きい。城壁の傍からではその高さと中の敷地の広さ故か、遠くからだとすぐ近くに並んで見えていた建物群の端も見えないほど。
両親によると王城の中は門塀によってさらに王宮と呼ばれる王の家と国の主要機関が立ち並ぶ行政区画を分けていて、通行の際の警備が厳しいのはやはり王宮への門らしい。ちなみに後宮は王宮のさらに奥まった所で、身分の高い貴族であっても足を踏み入れることがないというが、そこは私には一生縁のない所だろうから、別に見られずとも構わない。
絶対に見ておきたいのはあくまで王城。
……ここの兵たちだって、こんなに来城者がひっきりなしなんだもの、いちいち誰がどこに行く許可証を持ってるかなんてチェックしてないわよね。
行けるところまで行ってみようと腹を括ったアルヴェルが行政エリアに用があるらしい一般人の人波に混ざり、何食わぬ顔で――許可証のごとく母お手製の手紙を掲げながら――外門をくぐろうとすると、どのようにしてかはともかく、目ざとく気づいた門番に槍を喉元に突きつけられ、周りの人を押し流すようにして寄せられた壁際で「入城許可は?」と訊ねられる。
あちゃぁ、ばれちゃった、と思いつつも、懲りないアルヴェルは駄目元覚悟で「私は国王陛下の元乳母の娘で、これを」と、先ほどまで握り締めていた『私はもう乳母ではありませんが、みなさんとどのように仲良くしていたか、昨日のことのように覚えていますよ? 甘やかせとは頼みませんが、娘に余計なことは吹き込むのだけはやめて下さいね。よろしくお願いします。フィリーア』と書かれている紙を門番に手渡す。
読み終えるタイミングを見計らい「ね、怪しい者じゃないです。ちゃんと今からでも入城手続きしますから、罰金とかは勘弁して下さい」と口を開こうとする暇もなく、紙にちらりと目をやった若い兵士は「これは――」と驚いた顔をして詰所らしき建物にすっ飛んで行き、すぐに上司だろう厳つい男の人たちを数人伴って戻って来るのが目に入った。
やっぱり怪しい奴めと尋問とかされるのかも、怖いだろうけど、せめて痛くないといいなとさすがに諦め、もしかして早くも魔法の言葉に頼る羽目になるのかもと天を仰ぐアルヴェルは母の教えを反芻する。
母直伝の不思議な魔法の言葉は『そんな言動であなた…………の親とか、上の人とか後悔しないのかしら』なので、言うだけなら簡単そうだ。
しかしもったいぶった間の取り方が重要らしく、その上、詠唱時には意味ありげに逸らせた目を細めて唇の端だけでくすりと笑みを浮かべること、と決まりが付くので初めて使うとなればこんな状況でなくとも緊張する。
本番で噛まないようにと、アルヴェルが口の中で魔法の言葉を繰り返し呟いていると、昇進してもなお勤勉なのか、ほぼ走るような早足でやって来た男たちはしげしげと不法侵入を試みた少女を眺める。
ふと揃いも揃って体力有り余っていそうな健康そのものの体つきでありながら、それをどうやって維持しているのかと心配になる血色なのに気づいたアルヴェルが首を傾げると、壮年の男たちは心なしかさらに顔色を失った。
「ま、間違いない。どうぞ……」
それだけ呟くと唇がくっついたように黙ってしまったおじさんの内の一人に、取り出しやすいようにと封筒にも入れていない――傍目にはただの紙切れの――手紙を献上品のように返され、まるで王侯貴族にでもするような恭しい態度でお偉いさん用らしき別門へと通された。
――引退しても恐るべし乳母の影響力!?
さすが現国王を育てただけあると感心するアルヴェルが、きれいに舗装された通路の端を少し歩いていけば、王城ではなく王宮に直通で行けるようになっていたらしく、生活感溢れる業務に携わる人たちが行き来しているのに出くわした。
若い使用人や衛兵たちに遠巻きにされ、不思議そうな視線を投げかけられるアルヴェルは一人腕組みをしてうんうんと頷く。
それもそうでしょう。だって見るからに“ザ・一般庶民”の私が“これぞ、おのぼりさん”という風体で王宮の中を挙動不審に闊歩してるんですから、そりゃあ、唖然とびっくりしますよね。
ただ何故か、窓から身を乗り出したりすれ違って二度見してきたりする年嵩の人には、化け物にでも遭遇したみたいな目で怯まれるのは解し難く、正直、どちらの反応にしても声を掛けづらい。
「ひっ、ご寵、いや乳あっ、フィリーア殿……」とか言って身を竦めた、見るからに身分の高そうなおじいさんに、このチャンスを逃がしてなるものかと母譲りのブラウンの瞳を輝かせたアルヴェルが「母を知ってるんですね」と声を掛けようとすると、「下賤な身で貴族様に話しかけるなんぞ無礼な」と怒られるどころか悲鳴を上げて逃げられたのは、本当になんでだろう。
ポケットに手を差し込みつつも、母の手紙を取り出す暇もなかった。
この際母を知らない人に自分が不審者扱いされても仕方ないと、手近に居た人を捕まえて事情を話せば、あれよあれよと身体検査もされずに、ウォガール国国王陛下の御前に文字通り貢物みたいに担ぎ出された。しかも案内されたのは謁見広間とかではなく、陛下の私室エリアにあるらしき一室。
「ほう、本当に母親そっくりに育ったものだな。父親がよくぞ手放したものだ。――ふっ、二人並んで王城一周でもすれば、そこここでまたとない面白い顔で腹の底から笑える悲鳴を上げる者が何人いることか」
最後の半分は意味がわかりませんが、楽しそうに笑う陛下は年や雰囲気こそ違えど、見れば見るほど父そっくりで、まるで過去にでもやって来たみたい。
その若返りの薬でも飲んだみたいに同じ顔をごちゃまぜの感情のままに歪めて、往生際が悪いと睨む母の横で泣きそうになりながら、こちらが居た堪れなくなるほどの哀愁を背負って湿っぽく見送ってくれましたと言ってみたい。……さすがに不敬罪に問われかねないので口が裂けても言いませんけど。
教えておけば大いに陛下を喜ばせたなどとは知らないアルヴェルは、見るからに一級品のソファにお尻をむずむずさせつつも居住まいを正す。
「ええと、三年間王都で好きにしていいと約束を取り付けたので、母の古巣で私でもできるお仕事があればなぁ、なんて、思い付きでやってきたんです。すみません」
「そうか、ならうちの息子の嫁に来ないか?」
「へぁ?」
「ちょっと、陛下っ、それはダメです!!」
「なぜだ? どうせ止めるだろうと、僕の嫁にとは言ってない」
「当たり前でしょう!!!」
陛下の後ろに控える金髪碧眼のひょろいおじさんに賛成ですね、だって私はどちらかというと年上好きです。
それに父と結婚すると言っていた頃の私なら陛下にお嫁にして下さいと飛びつきかねませんが、そうしない程度には少しばかり大人になり過ぎました。
あと、やっぱり自分の旦那様に他にも奥さんがいるのは耐えられません。どこかの獅子王みたいに、たくさん奥さんがいながら一途を装って次々ちょっかいを出す女性をかえるなんてもっての外。
ご寵姫の死を知ってから日を空けずに「乳母なら母親と同じようなもの」とでも言うようにさんざん息子の乳母に手を出そうとし、挙句の果てには余生を過ごすのには別の女性を選んだなんて。
その点、何年経っても母さん一筋、見てるこっちが当てられるくらいのいちゃつきぶりを発揮する父さんは、獅子王に顔は似てても白米の粒に残った胚芽ほどの文句もなく、まさに理想の旦那様。
「では仕方ない、息子の乳母……はもういるから、遊び相手になってくれ」
にっこり笑う陛下につられ、笑顔になったアルヴェルは願ってもないと頷いた。
善は急げとばかりに、さっそく君の部屋に案内しようと陛下が侍女を呼ぶ。
退出前にぺこりと頭を下げたアルヴェルの背中で扉が閉まると、にこりとしていた陛下の善人然とした顔が、世紀の悪党も度胆を抜かれる黒い笑顔ににやりと変わった。
「どこに出しても恥じない婿候補を用意しろ、いや、とりあえずは強面親爺に『娘さんを下さい』と言える度胸か無謀さがある独身男ならば及第点だ。素行や性格に問題があったところで、どうせ後々一瞬で矯正されるだろうからな。――で、そいつらにアレを一年以内に口説き落とさせろ」
「そんな勇者はたぶん大陸にはいないでしょうが、陛下は何を考えて……いえ、それが何であれ、絶対に碌なことじゃないんで、ダメですよ。陛下の乳母に言いつけますからね」
三十半ばを越えた立派な王への諌言とはとても思えない言葉など、聞こえていない風の陛下は焦る乳兄弟には見向きもせずに嬉々として指折り数える。
「今あれは十五。すぐに娘を産めば、その子が十五・六になる頃、僕の息子はまだ二十代。十分イケる。叔母との結婚には渋る者がいても、従姉妹となら問題ないな。ついでにアルヴェルの旦那を当主に据えてブライヤー家を復活させれば国も安泰で言う事ないか、家紋をび・みょ~うに変えればオッケーだろうし、母上がちょうど良いものを持っていた気がする、うん」
もうこれ以上は譲歩せんと、指にひっかけた上着を振り振り鼻歌混じりで部屋を出ていく陛下の姿が扉の向こうに消えると、我に返った涙目の中年男は情けなくも、泣けるものなら泣きたいと言わんばかりに人々の同情を誘う声を振りまきながら追いすがった。
「ちょっ、陛下あああぁぁぁぁー……」
その後暇さえあれば壁に向かってブツブツと、「母上になんと言われるか……、いやそれよりも、妻そっくりの娘をどこぞの男の嫁にやるなど考えたこともなさそうな義父上――と呼ぼうと息を吸うだけで剣を突きつけてくる獅子王――に今度こそ殺される。しかし止めれば陛下にひと思いに殺って下さいと懇願したくなるほど末代までイビリ倒され……」と刻一刻とやつれていく宰相の姿が見られた。
アルヴェルが結婚したいと思う相手を見つけてしまうと、まるで骨と皮だけの干物と化した彼は「ああ、宰相ってやっぱり王家に振り回されて心身が疲弊するまで苦労する人のことなんだなぁ。いつの時代になっても私には到底勤まらん」と日向で茶をすする王宮の年寄り連中をしみじみさせたとか。
こんな調子で王の右腕となる昇進を押し付け合い、他こそがと手を下げまくった古参の貴族たちを押しのけて、ことごとく胃痛や精神病に倒れた前任の後を継ぐために年若い王の乳兄弟が宰相に立ったというのも、あながち冗談ではないかもしれない。
けれどそんな彼も一回り以上若い可愛いお嫁さんがもらえそうなので、この上ない果報者だろう。
娘が生まれたと思ったら、なんといつの間にか乳兄弟(宰相)とくっつきました。自分でびっくりです。




