0.5話:男女の仲の始まりなんて、こんなもんかもしれない
辺境の片田舎なら王宮に着くまで時間かかるよねと思ってしまったのが悪かったのか、またまた読んで得なのか不明な一話を書いてしまいました…。
スルーかチラ見でもしていただければ、と。
王都からブライヤーの隠れ家までは、選りすぐりの軍馬に必要最低限の休みを与えて飛ばし続ければ七日もかからない。しかし背に跨る人間が一人増え、しかもそれが遠乗りどころか乗馬すら初めての女だと、そう簡単にはいかない。
ただでさえ馬の脚が鈍り、休憩する回数とその時間は否が応にも増える。例え旅を長引かせるくらいなら不眠不休の移動を望むとしても、走り通しの愛馬を労わるのは当然。
それでもできるだけ走行距離を短くしようと、紆余曲折を繰り返して村や町を掠める街道ではなく、可能な限り王都を前に見据えて道なき平原を進み、その直線上にある森や小高い山をつっきっている。
ただここに来るまでにもほぼ獣道のごとき場所があったため、近道が本当に馬のためになっているかは実の所不明だ。
女を拾ってから何度目かの日暮れ時、行き当たった沢で馬に水を飲ませがてら、そろそろ寝る場所を決めるかと辺りを見回していると、茂みの向こうで手招きする人影が目に入った。
「あれ、取って来て」
一体何だと訝しみながら近づいてみれば、頭上の寒々しい枝で揺れる歪な実を指差す小娘。
野宿と味気ない携行食に一言も文句を言わないのがせめてもの救いだと思っていたが、気づいているはずの自分の正体にも素知らぬ顔で、その下先で獅子王をこき使う図太さは歓迎すべきかどうか判断に悩むところだ。
とりあえず折れるとわかっている木に登る気はないが、それでも腹の足しになるかもしれないと、実のなる枝に石やら太い木の棒やらを投げてみる。
何度か物をぶつけ、揺すられた衝撃で落ちてくる実が手を伸ばせば掴めそうになった途端、隣で待ち構えていたはずの女が軽く後ろへ跳んで、ひょいと避けた。
「…………」
誰にも受け取ってもらえず地面に叩きつけられた実は腐りかけていたのか、べしゃりと飛沫を吐き出して王の足元で潰れた。
少し考えてみればこの時期に食べ頃の実があるはずもない。
しかしそれを見て「あ、やっぱり」と呟いた女は、ぶすっとした顔で裾を汚したドロドロ果肉の成れの果てを適当な木の幹に擦りつけて拭う男に向かって、「……食べる?」と半分も原型を留めていない実を指差し悪びれもなく訊く。もちろん「要るか」と睨み返せば、そんな威嚇にもどこ吹く風で怯える素振りもなく軽く肩を竦めただけ。
獅子王が畏怖の対象となるよう仕向けているから当然だが、今ではぼーとしているだけでも意味なくほぼ全ての者に怖がられ、さすがにうんざりしていた。しかしこれほど歯牙にもかけられないとなると、女のふざけた言動にも怒りを覚える前に戸惑う。
腹立たしいことは腹立たしいが、なんというか、まあ、王ではなくただの男として扱われるのも悪くはない。
屋敷を立った後に唯一寄った村付近で、王宮から途中まで追いかけてきていた近衛兵たちに出くわせば儲けものと期待したが、そんな気配は微塵もなかった。
撒いてきた自分のせいでもあるのだが、「このような場合、陛下に何かあっても自業自得です」と淡々と言ってのけそうな近衛長官のこと、追跡など形ばかりで「王都を離れた後は帰城してもかまわん、むしろ放っておけ」と部下に指示していても驚かないと、荷物持ちの調達はすぐに諦めた。
かといって、それで本当に見逃がす奴でもないから、一人や二人監視のために近くに潜ませていそうだ。
即位前から獅子王がふらりと王宮を空けるのは珍しくなく、その度にブライヤーへの報告役を指揮してきた奴にとっては慣れたもの。
さすがにこれは口に出さずとも「若くもないのに、家まで待てずにか弱い乙女と外でなど……、本当に獣ですね」などと書かれた近衛長官の能面顔を想像しただけで舌打ちしたくなると、お互い遅かれ早かれやることやるのはわかっているが男はまだ女に手を出していない。
別に何が何でも今すぐにしたいわけでもなし、恥じらいがないわけではなさそうだが特別隠そうともせず、冷水を含ませた布で晒した肌を拭う女も、そうなるのは帰り着いた先でのことだと深く考えていないはず。
その段になればさすがにこの一風変わった女も年相応に取り乱すのだろうか、……いや、まったく想像できん。恥じらいで逆上せた顔色であれ、熱に溺れた艶姿であれ、あれがじたばたするところを見れるものなら見てみたいと碧い視線はじぃっと視界端の水辺に注がれる。
この小賢しくも飄々とした女を閨で好き放題するのは、例え生傷だらけにされようとも、他の妃どもとよりは夜を楽しめそうだ。
唇の端を持ち上げふっと鼻で笑えば、ぞくりとした悪寒でも走ったのか、向けられる白い背が急に弓なりに反り返る。
だから晩秋の水浴びなど余計なことだと言ったのだと呆れながらも、男の手は無意識に焚き火の勢いを強めた。
*****
この数日で、「顔や評判に似合わず甲斐甲斐しいのね、この男」と少女は何度感じたことだろう。
はっきり名乗らないからと遜ったり下手に出たりせずにいたけれど、それで男が機嫌を害した様子はなく、慣れてしまえば基本装備らしきしかめっ面にも人情の機微が窺える。
わざとらしく人を畏怖させる獅子王の言動は辺境に住んでいても聞き及んでいる。けれど彼自身の本質のイメージはやはり慣れ親しんだ絵本の印象の方が強いこともあり、実物は世に知られる獅子王とは違うのだろうと思っていた。
しかし、送られてきていたリストのメモ書きによれば、身分やお金のある人は高級で美味しいもの以外食べ物と認めず、疲れたり汚れたりするくらいなら替えの利く馬を望んで乗り潰すもので、大抵のことは金や権力にものを言わせる人ばかりに感じ、王ともなれば性格云々の前にそういう価値観が根付いているものだとも思った。
だけどこれでは、本当に普通の人ね。
もっと味なり見た目なりましなものが選び放題でしょうに、一平卒でも嫌がりそうな不人気極まりない野戦食を一番安く機能的だという理由で持ち歩き、近道になりそうな獣道に分け入る時には先頭に立って馬が歩きやすいよう地をならしながら、バッサバッサと好き放題伸びる植物を切り落として道を切り開く労力を厭わない。
単に役立たずと思われているのかもしれないけれど、寝床確保や火起こしなども、何から何まで手慣れた手付きの男がさっさと一人でやってしまうと、頼りになるわと感心するより、楽ができるわと感謝する。
正体を隠すためにあえてそう振舞っているわけでもなさそうなのに、気に障りかけても無体を強いたり立場を笠に着たりもせず、むしろ全然王らしくないと、気付けばちらりちらりと目で男を追っている自分がいる。
思った以上に親近感溢れる男には、最初の日こそ根掘り葉掘り尋問されたが嘘がないとわかったのか、たいして興味がなかったのか、自分の不審な過去など別段気にも留められず、至って関係は良好。
名前の他に身内や顔見知り以上の知り合いさえいないと聞いた男の目に、自分に対する同情や疑いの色がないのは好ましい。
この人のたまの訪れを待って暮らすのは意外と悪くないかもしれない。
ただ男の正体が獅子王だというのはあくまで想像の域で、何の確証もないまま。奥さんと呼ぶ愛人がたくさんいる貴族か金持ちの可能性もあると、一応頭の片隅に留めておいた。
けれど、王都に入ると馬は迷わず王城を目指し、限られた人間のみが通れるらしい王宮エリアへと直接続く門の前に辿り着く。
するとやはりこの男は獅子王で間違いなかったのだと確信することになる。
一目で駿馬とわかる軍馬に乗っているのは、薄汚れた女を連れたこれまた使い古した旅装の男。責任感ある門番が声高に馬上へ槍先を突きつけ制止を促すのも至極当然。
聞えよがしに舌打ちした男がフードを外せば、ぎょっと青ざめた門番は槍を放り投げて平身低頭し、門扉を開くのも忘れて命乞いのようなことをする。同僚らしき、無関係なはずの別の門番たちも道ずれは勘弁とばかりに震え上がった。
「……なんだ?」
肩越しに、目を細め不満げな形に唇を閉じた少女に気づいた男は怪訝そうに眉を寄せる。
「いえ、別に」
獅子王の仮面を被った男がどんな怖い顔をしているのかと、少しワクワクしながらわざわざ身を乗り出し斜め下横から覗きこんだ先には、既に見慣れたいつもの渋面が静かに足元を見下ろしていただけ。不思議そうな顔の方が迫力を増すなどまったくもって期待外れ、「なんだ」はこっちの台詞だと言いたい。
「ではその残念な顔はなんだ?」
「どんな怖い顔で脅してるのかと期待したら、至って普通で、とんだ拍子抜けだわ、と」
さもがっかりと溜息交じりに漏らした少女の呟きに、「いつか必ず泣かせてやる」と獅子王が苦々しげに返すのを耳にした門番たちの仰天と、馬から下りる手助けをする獅子王の姿に「やっぱり優しいわね。ありがと」と、不似合い極まりない形容詞で軽く感謝する真顔の少女を目にした使用人たちの驚愕、そのどちらがより既成観念への破壊力があったのかは数日の内に些細な問題になる。
なかなか本編別視点の話になりません…つ、次こそは!?




