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一世一代のプロポーズ

 その日の王宮は、夜が明ける前から上へ下へと走りまわる侍女で慌ただしく、ものものしい警備が敷かれていた。


 大陸の覇権を握るウォガール唯一の王子が十八歳の誕生日を迎えたこの日ばかりは、王宮だけでなく王都中が活気に溢れ、国民は老若男女を問わず、何十年かぶりの慶事を思い思いの方法で祝っている。

 昼過ぎに厳かな鐘の音が響けば、いつもなら王宮に聞こえるはずのない民の声が、歓声となって遠くからでも届くだろう。


 玉座を離れ、そこから数段の階段をゆっくりと下りた。息子とすれ違う際にその肩を叩き、一言、「お前が無事成人し、これほど嬉しいことはない、ありがとう」と呟く。

 すると苦笑した息子はなんでもないことのように肩を竦め、王が下りてきた方向へと足を進める。

 その凛々しくも頼もしい姿を誇らしく思いながら見送り、自身と同じ金髪が陽に煌めき黄金の輝きを増したのを感慨深げに眺めた。


 まだ夕方前だというのに、既に飽きるほど祝杯を飲み干したせいでさすがに頬に赤みが差す。けれどようやく一仕事終えた。

 どこか清々しい表情で、広間の端で配膳を手伝っていた一人の女に向かって手の平を差し出した。

 するとそれまでの会話や仕事もそこそこに、広間にいる人間が一人残らずあちこちで全身を耳にし、横目でこちらの一挙手一投足を見守り出したのが気配で分かり、非常に居心地が悪い。


 先ほどまでは王子の晴れ姿に珍しく目尻に涙を溜めていた乳母だったが、すでにいつもの調子を取り戻していたらしく、一瞬だけ怪訝そうにして、持っていたデザートの盛り合わせを皿ごと目の前の手に載せる。

 ちなみに乳母が知っている通り、王は甘いものと言えば新鮮な果物くらいしか口にしない。


「食べ物をよこせという意味ではない」

 呆れながらもしびれを切らした男は、流れ落ちるほどの蜂蜜がかかった山盛りの焼き菓子を近くのテーブルに置き直すと乳母の腕を取り、手を自身のそれに重ねさせてそのまま歩き出した。


 息子を先頭に、誤魔化そうともせずに背後をぞろぞろとついてくる人波はこの際どうでもいい。

 野次馬がいようがいなかろうが、どの道数分後には獅子王としてのプライドがへし折れるのに変わりはないのだと開き直る。


「この十余年、俺はよく耐えたと思わぬか?」

「何のことかわかりません。陛下はいつも好き勝手なさっていたでしょう?」

「だが、お前が困ると、本当に望むモノには手を出さなかったろう? 特にここ数年は触れもしなかった」


 我慢していたとの言葉に何故か不服そうに口を尖がらせたため、囁きには否定も肯定も得られぬままだったが、庭に、寵姫の墓の前に連れ出した息子の乳母をしげしげと改めて見る。


 なんだかんだと二十年近い年月が流れた。

 さすがにお互い出逢った頃のままというわけにはいかない。

 特に初花前の少女から母へと変わった女は、――戸籍上は本当に違う人間であり、その雰囲気は――別人のよう。

 けれどまだまだ花も咲き誇る三十代半ば。この世の誰よりも美しく愛しいと男の心を掴んで離さない。もともと無いようで「あ、あるか」と見つけていた可愛らしさよりも、その内面に相応しい成熟した色香のほうが際立つようになった気がする。


 これに出したくても出せない手を見る度に、何が大陸の覇者たる獅子王かと、自分で自分を嗤った過去の数年をざっと振り返る。

 しかし、それも今日までと願いたい――。


 そう碧い瞳に祈りを込めた男は前触れもなく乳母の前に跪き、あろうことか――胸よりも下に下げる必要など生まれてこのかたただの一度もなく――至高の冠を抱いてきた額を土につけた。

 その瞬間、世界の時間が止まったかのように辺りはぴたりと静まり返る。誰かが息を吸うのに失敗した音が聞こえると、怒涛の如きざわめきが起こった。


「乳母よ、共に俺と残りの人生を生きてくれ」


 なりふり構わず手に入れた勅命でもって女が生きると決めた人生を、自分のために曲げてくれと頼むのだ。それなりの誠意と覚悟を見せるのに、矜持と身分が国一番高い男が家臣の目の前でする土下座はもってこいのはず。

 もちろん、出逢った日には、まさかこんな醜態を晒してでも手に入れたい存在になるとは思ってもみなかったが。


 人の目など関係ないと、地にこすりつける額をどんなに汚そうとも、乳母に懇願するその頭から――今朝式典のために載せた――王冠が転げ落ちることはない。

 王位を示す冠は昼過ぎに成人したばかりの王子へと、つつがなく受け継がれた。


 そう――土下座する男はもはや王ではない。しかし確かに今朝まで王であった者、今は上王の位にある。

 至高の地位を誇る男のなりふり構わぬ覚悟に、周囲では祈るように手を組む者、傍らの伴侶を抱き寄せる者や拳を握って乳母の色よい返事を今か今かと待つ者たちがいたが、無情にも目を伏せた彼女は首を横に振る。


 あぁ……という絶望の呟きがいくつも聞こえ、さすがに泣きそうな表情になった元王が歪んだ顔を上げ、固唾を呑んで見守っていた周囲の者の肩が落胆のために落とされていたその時――、


「やり直してください」

 膝を曲げ求婚者の瞳を覗き込んだ乳母はその男の手に己の指を重ねた。


「乳母ではなく、出逢った頃の私も含めて、私を望んでくれるというのであれば、私の本当の名を呼んでください」

「それは……しかし……当たるまで言い続けろということか?」


 寵姫は名を持たず、乳母として使っていた名前も適当に付けたものだ。男にはまったく心当たりがない。

「そうですね。それもいいでしょう。私の名など、先の王がお好きだと言った花程度には、ありふれたものかもしれませんから」


 そう言われて男は思い出す。いつか何気なく草花を褒め、その花を好きだと言った時、その花にたとえた寵姫がどこか嬉しそうだったことを。

 そしてそれは彼女が残した名無しの手紙にも添えられていた。


 だとしたら――、何年も前から彼女に愛されていたように感じる嬉しさに、彼の心が巣立つ雛鳥の如く軽くなり、けれど待ち受ける未来への期待に踊る胸で心臓がどくどくと鼓動を重くする。


 歓びに震えそうになる声をなんとか整え、跪く男は改めて背筋を伸ばす。

「フィリーア。残りの人生を妻として共に過ごし、死した後も俺の隣で眠ってくれ。頼む」


「その名の私は、当然寵姫でもなければ、乳母でもなくなりますが、それでも、戸籍すらないただの私でいいのですか?」

「お前が丸ごと手に入るなら、望んだ以上だ」

 既に破顔している男は、早く早くと急かさんばかりに熱っぽくフィリーアを見つめる。

 

 獅子だ猫だと思っていたのに、これではまるで「待て」を覚えた仔犬みたい、とでも言いたげなフィリーアの目元と口元がふっと緩んだ。


「では喜んで、レオ――私の旦那さま」


 その名の花が綻ぶ時に朝露を零したかのように目頭を輝かせ、けれどすぐに満面の笑顔になったフィリーアは、歓声に包まれながら夫となる男の頬に口付けた。



*****



 冷酷非情の覇者として歴史に名を遺した獅子王が、大なり小なり頭を下げて頼みごとをしたのは後にも先にも、生涯の半分を連れ添った妻にのみだったという。

 若くしてウォガールを大陸一の大国として不動の存在たらしめた偉業を成し遂げながら、早々に譲位し隠居した後は、国の片隅にあるあばら家で、妻と二人土にまみれて畑を耕し、獣を狩って暮らしたとか暮らさなかったとか。


 ――三十年足らずの短い治世でありながら、獅子王レオンハルトについて語る書物は多い。しかし彼のプロポーズが衆人環視の中での土下座であったことだけは、あえて史実に残されず、残されなかった理由は、どうか聞かずにおいてあげてほしい。

                                                                       完

                  

ここまで拙い文章におつき合いしてくださったみなさま、ありがとうございます。

なんか山なし谷なし尻すぼみな感がありますが、一応この20話で本編完結です。


力不足は否めませんが、せめて私の頭の外でもわかる話になっていればなぁと…、欲張るなら「まあまあだな」「微妙だった」「ここは変えたほうがいい」など何かしらの感想をもってもらえたら励みになります。


もし興味がありましたら、これに続く小話や番外編も読んでみてください。

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