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寵姫の手紙と王の決意

 ある日、書斎の本棚を漁っていると、その片隅で埃を被っていた硯箱がふと目についた。それを手に取った王は表面の彫細工をなぞるように撫でる。

 これに入れて寵姫に贈った紙は――王にとっては不本意にも――その本分を全うした、ということはそれらを入れていた硯箱も最初で最後の役目を終えたということだ。


「ん? なんだ?」

 空の箱と知りながらも何となく硯の蓋を持ち上げてみれば、底にあるはずのないものがの字を描いて横たわっていた。


 王が取り出したのは、二つに折られただけの色褪せた紙。

 その間から小さな白い押し花が、ぱらぱらと滑り落ちた。


 考えなくともわかる。どちらも王が渡したものではない――、どきりと跳ねた心臓と、ぐるぐる期待と否定が追いかけっこする頭を落ち着かせるために、一つ一つ足元に舞った花を丁寧に摘まみ上げて集めた。


 花を硯箱に戻した王は深い息を一つ吐く。

 そして緊張の面持ちで、紙を広げた。


『 あなたへ、


  私は過去の生活を、特別幸せとも不幸とも、気楽とも不便とも思わない。

  けれど、私はこの境遇に生まれたことにこそ感謝したことが三度ある。


  一度目はお伽話として聞いていた獅子王に逢えたこと。

  二度目は私自身を必要としてくれる人に逢えたこと。

  三度目は本来なら縁のない人と家族になれたこと。


  どれもあなたにとっては他愛もないただの成り行きだったのでしょうけど、

  死にたくないと思うくらいには、楽しい時間を私は寵姫として過ごした。


  もしもあなたが王でなかったら、私はきっとあなたと出逢っていない。

  けれどあなたが王でなかったら、私はもっとあなたと共に生きられた。

    

                              さようなら 』


 感謝しているようでその実責めているような短い手紙。

 王への愛の言葉どころかありがとうの一言すらないそれ。


 それでも、気付けば読み終えた王の片頬を、かすかに熱を帯びた水滴が音もなく伝っていた。


 初めて形を成した最愛の女の心の欠片。それに触れ、歓喜とも喪失感ともとれる、けれどそんな単純なものではない何かに喉元を握られたような感覚に王は立ち尽くす。


 もしも自分との関係が変わることが寵姫にとっても辛いものであったなら、簡単ではなかったはずの覚悟を決めた女に、寵姫にするように闇雲にちょっかいをかけるのは、王にとっては禁断症状を防ぐ塩分補給と同意でも、乳母にとっては見えない傷に塩を塗り込まれているだけなのかもしれないと、今更ながらに考える。


 その日、寵姫の死から数年以上が経ってようやく、王は庭の片隅にある墓に初めて向き合った。


 石切り場で適当に拾ってきたような石を、それっぽく上角を丸くして地面に突き刺しただけ。死者の名や生没年の代わりに、「死した寵姫はそれでもあなた達を見守っています」と彫られている。


 ペットの墓でももう少し見栄えがしそうなものだが。まあ、あの女のこと、弔うというよりも王宮の者たちが“寵姫の死”を忘れないようにと庭に置いたのだろうから、これでも十分なのかもしれない。ただこの場合の寵姫の死とは、死んだ寵姫のことを忘れないようにではなく、寵姫が死んだ事実を忘れないようにという意味だ。


「父上、何ですか、それは?」

「お前を産んだ女に、遅くなったが冥土の土産をくれてやろうと思ってな」


 物珍しそうに様子を窺いに来た王子の目の前で墓前に供えられたのは、王が寵姫に約束を渡し、寵姫が最初で最後の気持ちを王へ残した硯箱。

 今その中には、折られもせずに入れられた紙が一枚。


『俺がお前のところに行くまで待て』


 たった一言。

 宛名も送り主の名前もなく、ただそれだけが書かれていたが、本人に伝わったかどうか、王は知らない。


*****


 またある日、王は国の端っこにあるブライヤー卿の墓を訪れた。

 見渡す限りこれといったものは何もなく、対岸に睨みを利かすように張り出た絶壁の先。謀反人として処罰されたとはいえ、功績しかないような国の要だった男の墓所には似つかわしくないが、他ならぬ王が「ウォガールを裏切ろうとした者を王侯貴族の集合墓地に入れるとでも? ブライヤー家すらももうない。野ざらしで十分だ。しかしそれでも墓をと言うならここに」と問答無用で決めた。


 当然寒々とした終の寝床を見ても、不憫に思う感情や罪悪感は微塵も湧かない。


 しかし別に王はブライヤーを嫌ってはいなかった。もちろん、間違っても好きではない。ただあの男が心底苦手で、できるなら一生関わり合いになりたくなかっただけだ。


 恩義ある育ての親にもかける情けがないのかと、王宮勤めの肝を冷やすどころか凍らせるに至った獅子王のブライヤー卿への一連の処遇だが、どれもそうしてくれとかつて生前にブライヤー自身が望んだからそうしたまで。


 墓に関しては、まさにここ・・で、だ。

 何十年と前のことだがよく覚えている。


 いつまで荒ぶる獅子王が必要なのかと問うた若かりし頃の王に、ブライヤー卿は少し考える素振りを見せた。


「そうですねぇ、ずっと怖い思いをしていると、それがどんなに恐ろしいことでも慣れてしまうのが人ですから、適度に眠っていただいてもかまいませんが、王である限り、ここぞと言う時には吠えてもらわなければいけませんね。こう、『目を瞑った獅子がしばらく動かない、あ、きっと寝てるな』と人々の気が緩んだ時を見計らって、飛び起きてくれれば最高です。もちろん歯向かう者があれば、いつでも即座に噛み殺す必要がありますが、そうこう何年もしていれば、自ずと舞台を降りる時期はわかるでしょう」


 杖を小脇に挟んだブライヤーは胸の前で開いた両手の指の腹を揃え、親指以外を離し、またくっつけるという仕草を何度も繰り返す。


「まあ、獅子王など殿下一代のものですから。――商売上手、愚か者、乱暴者ときては、貴方の次の王こそ大変ですねぇ。適当な商売相手は残らず既に腹の中、愚かであれば腹の中を虫に食い荒らされ、恐怖に潰される時代が長くなれば人は反乱に駆り立てられる」


 このままいけば三人のウォガール王に仕えるだろうブライヤー卿は、商売上手と評した祖父王が交渉術や駆け引きを駆使して国土を大幅に広げたのにも一役買っている。


「そうそう、別に私が没した後でもいいのですが、王が腑抜けて耄碌する前にあの国だけは潰しておいて下さいね。その後なら好きに止めていただいてもかまいませんよ」


 ブライヤーの顎が指す隣国とは文字通り隣り合わせているが、陸続きかというととても微妙だ。二国は底なしのような断崖絶壁に区切られており、弓を射れば矢は届くが跳躍した馬の蹄は到底届かないため、国を潰すほどの戦をするには別の国々を経由して軍隊を進める必要がある。


 いかに怖い獅子王を仕立て上げても、それ相応の理由がなければ何万という軍隊を通す国はないだろう。もしそこから自分の懐目指して攻め込まれでもしたら目も当てられない。

 それとも、それすら見てみぬふりをさせるほど諸国を震え上がらせる存在になれということだろうか。


「……どうしてだ?」

「あの妄執に囚われたじじいめは、身に余る栄光を夢見るきらいがありますが、なまじ王として狡賢い知恵と忍耐があるだけに始末に負えない。うちの陛下くらいの暗愚であれば放っておけば済むのですがね。あの男は唯一私に辛酸をなめさせた男、末代呪うのすら手緩いほど忌々しい。どうせ遅かれ早かれ向こうから仕掛けてきますよ。いい人ほど早く死ぬといいますから、あの男の首が落ちる所をこの目で見られないことだけが心残りです」


「ならせめてこの場所に死んだお前を埋めてやろう」

 お前に比べたら人類ほとんどいい人だと思った王が、素知らぬ顔で代々のブライヤー卿が眠る王家の墓地には入れんと冗談で返すと、ブライヤーは「願ってもないですね、約束ですよ」と微笑んだ。

 

 そんな話をしていた時には夢にも思わなかったが、戦を長引かせたくなかった王はここを起点に常識を覆した。隣国との間を隔てる、絶望的な深さの崖を別働隊に命からがら下らせ、自然の加護があると警備の手薄だった向こうの岩壁をこれまた命の限りよじ登らせた。そこから兵力のほとんどを前線に送り無防備に近かった王都を落して戦の勝敗を覆せないものにした。


 あれほど毛嫌いしていた老王率いる国の落日は見えずとも、トドメの一矢を送り出せたのだから、これ以上ない良い手向けになったものだと笑う王は短く喉を鳴らす。


「――まったくもって不本意だが、お前の望みなど叶え尽くした。時代ももうそろそろ獅子王を舞台から降ろすだろう。まあ、お前の言葉通り、息子は王位を継げば苦労しそうだがな。しかし―心の底から悔やまれてならないが―あれは獅子王の皮を被ったブライヤー卿のようなもの、なんとでもするだろう」


 獅子王の不興を買った男の墓を訪れる者は滅多にいないのだろう。ブライヤーが眠る場所は手入れされないために、数年と経たずに緑に覆われ、立てられた墓石の文字すら読めなくなって久しい。

 やはり平坦な場所か螺旋を描くように伸びられる方が、まっすぐ真上を目指すよりもフィリーアの育ちは早いらしい。森を抜け、開けた所にある崖の上に遺体を埋めた時には茶色い土しかなかったのだが、まるで墓の前に最初の種が落ちたかのように、そこを出発点にだんだんと若い蔓葉が伸び、十数年経った今では遥か手前の森の傍まで広がっている。


 立ち去りかけた王は、墓石を覆い隠す蔓に小さな小さな蕾を見つけ、思い出したとばかりに口を開いた。

「――ああ、そういえば、いつかお前と眺めたフィリーアは、気が遠くなるほどの月日をかけて屋上に辿り着き、王の元まで届いたぞ」

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