陛下の「なんだ、あれは」①
なんだかんだと仲良くしてるだけの話です。
小話みたいなものですので時系列は前後し出しますが、あまり気にせず読んでいただくか、読み飛ばしていただければ助かります。
乳母が王子を連れて野外実習と遠足を兼ねたキャンプに行くと聞きつけた王は、乳母に同行を頼まれていた腕利きらしい近衛兵を押しのけて、その護衛役を買って出た。
鞄一つと王子を抱っこしただけの身軽な乳母と相乗りして来た王は、その他諸々は現地に別の者が運んでいるのだと思っていたのだが、手つかずの自然以外何もない。
事前に下見に来ていたという乳母の背を追い、抜けた森の先には、光る未確認生物でも飛び跳ねているかのように煌めく湖面が広がっている。
が、やはりそれだけ。
「……食料どころか、まさか天幕もないのか」
「これは命からがら逃げねばならない時に生き残るための勉強ですよ。そんなもの抱えて逃げる余裕があるのなら、窮地とは言いません。場所が王家の所有地で今が晩夏、食器と塩と火種があるだけ感謝して下さい」
そう言って最低限必要な食器と火打石が入った鍋、塩入れを取り出した鞄からは、王子のものらしき嵩張る服と毛布しか出てこない。
馬に乗るからと厚手のマントを着てきたのが不幸中の幸いかと天を仰いだ王の耳に、ぼそりと聞こえた「本当なら円を描くよう配置した兵もいらないくらいなのに……堂々と王がついて来るから。まぁ、距離があるからいいですけど」という呟きにさらに呆れかえる。
王侯貴族が暇つぶしに使う狩場と水場は普段から厳重に隔離されているため、不審者が紛れ込む可能性はかなり少ない、が――しかし。
王子が参加する時点で近衛隊が動くだろ、いやいや、そもそも息子はまだ三才と少し、サバイバル実習の意味があるのかと、恨めしそうな乳母に指摘すべきか考えていた王はさっと表情を厳めしく引き締める。
ちょっと待て、まさかこんな状況で男とほぼ二人きりで一夜を過ごそうとしていたのか? 何かあったらどうする? 何かなくともそんな事をしていればその男をどうしていたことか。とりあえず了承したあいつはきな臭い地域の国境警備に回してやる……いや、そろそろ見せしめの時期だから生贄に使うか?
そんな傍迷惑なことを考えている王など気にせず、乳母は物珍しそうにはしゃぐ王子を捕まえ何やら作業を開始していた。
「……で、このような服のほつれから糸をほどき括っていきます。ある程度の長さになったら片方をしなりの良い棒に結び、途中に石を巻きつけ、反対側の先にこのような形の尖った動物や魚の骨をくっつけます。材料が無ければ何かしらの代用品を考えてください。いいですか? いつの世も生き残るためにはアイディアが大切なんですよ。陛下のように魚など串刺して獲ればいいと思っていては、いつかどうにも出来なくなります」
釣り糸を調達する際にボロ布を王子にもみくちゃにされつつも、逞しく生きる心得を覚えておけと幼子に無茶を言う乳母は手際よく釣竿を作り、石をめくって捕まえた虫を即席の釣針に刺して糸先を湖に投げた。
「巧いものだな」
「田舎者は生活の足しを得るために逞しくなければならないのです。森に仕掛けた罠も自信作ですが、まあこの数日で獲物がかかっているかは運ですけど。あっ、働かざる者食うべからずですよ。私たちが森でご飯を探して来る間、陛下はここで火をおこしながら竿の番をしていてくださいね。ある程度しなったら引き上げればいいだけですから。まったく反応がなければ餌を替えてみてください。適当な作りですので釣れなくとも問題ありません。陛下が夕飯抜きになるだけですのでご心配なく」
そう言って王子を連れて茂みの中へと消えて行った乳母は数時間後に戻って来た。手にする鞄には四肢を括られてもなおジタバタ暴れる仔ウサギと、数種類の野草やキノコ、何かの実まで入っている。
「やはり坊主ですね。あの辺りに仕掛けを入れてあるので上げてみてください。とりあえず小さいですがこれをまとめて煮ます。塩味がいいですか? 甘いのがいいですか?」
ベリー類で煮たウサギはまだ百歩譲っても許せるかもしれないが、キノコや山菜がジャム塗れなのはどうなんだと、王は無難な味付けをリクエストした。
適当に混ぜた塩水に切った材料を同時に入れて煮ようとする乳母には、過去に料理の腕前を上げる意欲はなかったようで、たぶん大味に仕上がるだろう。ただウサギの捌き方が手慣れていたため、乾燥させたり塩漬けにしたりといった保存食の造り方ならお手の物な気がする。
まあ何とか食べられるだろうと、仕掛けのものらしい紐を引き上げてみれば、籠の中では手の平の長さくらいの魚が二匹暴れている。
おぉと感心して振り返れば、木の根元で蹲っていた王子が何かを掲げて乳母に駆け寄るのが見え、微笑ましいと思いながら王も成果を報告に向かう。
「こぇも」と舌足らずな王子に差し出された物を見た乳母はすまなそうに眉尻を下げる。
「殿下、そのキノコは食べちゃいけません……ですが、初めて一人で採った物を捨てるのもなんですね、でしたら、(ジュー、トントントン)陛下にあげて下さいなっ――……とうっ、やっぱり魚にあげましょう」
背後に忍び寄って来た気配に気づいた乳母は今まさに王の椀に入れようとしていた、刻んだ炙りキノコを湖に向かって放り投げる。
バシャバシャと我先にと水面が跳ねたかと思えば、すぐに白目を剥いたような魚たちがぷかり、ぷかりと浮かんできた。
「…………」「…………」「…………っ」
「な……、な、なんだ、あれはっ!? それは俺の分のスープだろう? 一体何を食わそうとした?」
「嫌だわ。これなら仕掛けを用意したり釣ったりしなくても済みましたね。さすが殿下、目の付け所が違います」
「おい、無視するな。今舌打ちしなかったか? 何の恨みがある!?」
「あら、何ですか、殿下が陛下に毒キノコを食べさせようとしたとでも?」
「食わそうとしたのはお前だっ。なんだ、何が気に入らなかった、アレかアノ事か、それとも……、いや、どれだ?」
「さあ、何のことだが全くわかりません」
暫く水の上で日光浴をすることとなった魚たちがなんとか黒目を取り戻し、ヨロヨロとした鈍い動きながらも元通り泳げているのがせめてもの救いだ。その内の数匹が意識を取り戻す寸前に、運悪く鳥の餌食になったのは見なかったことにする。
その晩は王が思った通り具材が塩だけでざっと煮られた一品が、串焼きにされた魚とデザートの果物と一緒に並んだ。
それでも今まで食べたどんなものよりも美味いと思ってしまうのが不思議だ。感慨深い食事を終えたのはまだ夕暮れ時であったが、早々に火を焚く木の根元に敷物をして寝る準備をする。
靴下からフードまでが一繋ぎになっているもこもとした寝間着を着せられた王子はその上に厚手の上着を羽織らされ、さらに毛布でくるまれた。
汗ばみそうなほど万全な寝支度を整えた王子を抱っこした乳母がそのまま木に寄りかかろうとするので、王は慌てて大きな身体を乳母と木肌の間に滑り込ませた。
フードを被った王は、膝の上に腰掛ける形になった乳母を抱き込むようにして毛皮のマントで覆う。中でゴソゴソと身動きする乳母は少しでも寒くならないようにと互いの身体が触れる面積を増やして、いつものように王子に諳んじているお伽噺を聞かせ始めた。
さすがに焚き火に当たりながら三人じっと何時間も固まっていれば寒さを感じることはなかったが、それでもひゅーっと吹く夜風に撫でられれば剥き出しの顔や首元は冷える。
王は手近な木の枝を投げ入れ、持ったままの一本で熾火をつつく。まるで舌を伸ばすように火が勢いを増すと炙られていた枝もくべた。
「……寒かったらどこからか毛布を天幕ごと調達してきてもいいんですよ?」
「馬鹿を言え、ここより暖かい場所が他にあるか。――さっさと寝ろ」
辺りは焚き火の灯で身近な範囲がかろうじて照らされている以外は闇と影の世界。ぱちぱちと燃える木が爆ぜる音と水音に混じり、森に潜む虫たちの声が競い合ってでもいるかのようにひっきりなしに響く。
数刻前から王子のものらしき寝息がそこに加わっているのも気づいていた。
「無防備な野営中に寝こけて王子に何かあったらどうするんですか? 明日はお休みをいただいたので、今夜は起きてますよ。陛下こそ寝ればいいじゃないですか」
「俺は火の番をしている。どうしてもと言うなら、ついでに話し相手になってやらんこともないがな」
「乳母と話してもおもしろくないでしょうに」
「それは乳母次第だな」
「そうですか、でしたら……空にも獅子がいるのを知ってます? ほら、あそこ。陛下のようにとても大きく凶暴な獅子で、不死身だったとか。ウォガールではこの時期、獅子の喉元から流星群が見えるらしいので、ひょっとした今夜あたり流れるかもしれませんね」
「そうか、それは楽しみだ」
確かに至る所で煌々と灯が焚かれている王宮に居ては堪能できそうもないなと目を細めた。乳母の指先を見つめるようにして王が見上げる澄んだ夜空には、いつも以上に輝きを増した星々がそこかしこでひしめきあっている。




