すっきりしたところでいいかげんほのぼのしたいと思いまして
「殿下がいないわっ、何があったの!?」
血相を変えて寝室から飛び出して来た乳母は、普段の礼儀正しさなどかなぐり捨てた。王子の私室のドアを警固する同僚の首根っこを掴み、その筋骨隆々とした身体をこれでもかと揺する。
「お、落ち着け、陛下がお連れになっただけだ」
「あのバカ、こんな時間に何のよからぬことを……」
獅子王の行動を碌でもないと決めてかかる様子に護衛は苦笑しながらも乳母の暴言を聞き流し、猛烈な勢いで駆けていく彼女の背を見送る。
寝支度のため解いていた髪を靡かせながらも、その走り方に若干の優雅さが窺えるのが、乳母が一安心した証拠かもしれない。
「なに考えてるのっ?」
ノックもなしに声を荒げて王の寝室に侵入してきた乳母の剣幕に、王の寝台に潜り込んでいた王子は布団の端を掴んで固まり、王は待ちくたびれたとばかりに笑みを零す。
「ああ、殿下を怒っているのではないですよ。こちらのあんぽんたんに聞いているのです」
「そうそう、その調子だ。――戦の事後処理も終わり、やっとゆっくりできるのだ、久しぶりに家族と寝ようと思ってな」
「だったらそう事前に伝えて下されば良かったでしょう。まだ殿下は寝支度を整えてないんです」
「寝間着ならそこに用意してある、ここで着替えさせて眠らせればいいだろう。それとも乳母が王子の世話に場所を選ぶのか?」
「…………殿下が寝付いたら私はお暇しますからね」
「もちろん、お前の好きにしろ」
息子をダシに餌を作れば、ホイホイ釣られてくれるから愛嬌がある。
喜ぶ王の目の前で、乳母は手早く王子の服を着替えさせると、寝台の傍に椅子を持ってくる。不思議そうに見上げる王子を、横になり頬杖をつく王の隣に寝かせ、その胸を優しく撫でるがなかなか子どもは眠ろうとせず、終いにはぐずり始めた。
抱きかかえてあやせばうとうとするが、布団に寝かそうとすると途端に目を見開き、喚くか乳母の髪を引っ張って離さない。まるで眠ったが最後、獅子の口元に置き去りにされるのがわかっているとでも言いたげな必死さだ。
さすがどこからどう見ても我が息子。
嫌われるのを覚悟で殺気を醸して睨みつけ、寝かせないよう小細工しなくても済みそうだと、漁夫の利を歓迎する王の唇は弧を描く。
「乳母にしては悪戦苦闘しているな」
「ボス獅子の隣で初めて眠るのは、仔ライオンでも警戒するんじゃないですか?」
「ふん、ではいつも通りの方法で安心させて寝かせればよかろう。言っておくが、王子は今夜からここで寝るし、俺は寝台を譲らんぞ」
いつもの、というのは乳母が王子の寝室で同じ布団に入って休んでいることを言う。
どう考えても、寵姫が乳母として残った理由――は自分であると思いたい……かろうじて三割くらいはそうであってほしいが、実際の動機――の最たるものは息子の存在だろう。そうでなければ宰相たち以下の嘆願など簡単に聞き入れられたはずがない。
で、あれば、王子大事の乳母にとっては王子の隣で寝ろと言われるのは、止めろと言われるよりも断然良いだろう。しかし、彼女は眉を顰めた。
「……何故王ともあろう方のベッドが使用人のものより狭いのです?」
大人が――特に片方が王のように大柄であれば――二人並べるかどうかも怪しい寝台は、王の寝室に不似合極まりない。
今まで敢えて触れないでいたようだが、やはりそこに混じれと言われた乳母としては言及せずにはいられなかったらしい。
「先の戦で出費したから、節約できるところを削っただけだ」
「は、」
王の言い分を鼻で笑い飛ばした乳母は納得いかない表情ながらも、とりあえず王子を寝かそうと抱っこしたままの恰好で狭いベッドの端で横に――なろうとしたのだろうが、彼女が布団に左肩を預ける直前に王が腕を差し込み、二本目の腕も彼女の腰に巻きつけ、ぐいっと寝台の中央に引き寄せる。
「落ちる」
「――――っ……」
王子を挟んで抱きしめられているのだと気づいた乳母は、言葉にならない声を上げた。王子を起こさぬようその腕の中で身じろぎするが、それで王の力に敵うわけもない。
そうこうして渋々抵抗を諦めた乳母の腕の中で子供がぐっすり眠ってしまう頃には、乳母もほとんど夢の世界に旅立っている。
王は愛しそうに瞼の下りた女の髪を梳くと、緩くカーブする毛先を指先に絡ませて唇に手繰り寄せた。
「ただいま、我が妻よ」
それからは何だかんだで三人は毎晩王の寝室で眠るようになる。ベッドは王子の成長と共に横幅を徐々に増やしたが、それでも王はあの手この手で乳母の身を引き寄せた。そのため翌朝目覚めた彼女に小言を言われるというのが、大陸の覇者と畏れられる獅子王の新しい日課になった。
そんなある朝、普段なら起きて食事を済ませているはずの時刻になっても朝寝を貪る王と乳母を起こしたのは、窮屈な寝床から抜け出そうとする無邪気な王子。
その気配に起き上がろうとした王は、「しー、今日は少し寝坊しましょう」という囁きが腕の中でしたにもかかわらず、喜び勇んでしまったがために緩めようとしていた腕に思わず力を込めてしまった。
「ぁ……」
「…………起きてるなら、起きましょう」
*****
「――そして、二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。…………気に入りませんでしたか?」
ある晩、乳母が王子にどこにでもあるような、男女がハッピーエンドで幕を閉じるお伽話をベッドで聞かせると、王子は最後のお決まりのフレーズに浮かない顔をした。
「ううん……、でも、ちちうえ独り……」
幼いながらに父親の寂しさを慮る利発な王子に、乳母は頭を撫でながらにっこりと笑う。
「その代わり殿下がお傍におります。それに心配なさらずとも、今も昔も陛下には別の家で待っている美しい姫君がわんさかおります」
王子が「そうなの?」と少し羨望に眼を輝かせて首を傾げた時、「ふん、奴らがそんな辛抱強く待つものか」と不機嫌そうな声が割り込んだ。
「あら、お帰りなさいませ。そう思うなら今夜どなたかにお顔を見せに行ってみればよろしかったのに」
執務を終えてまっすぐ寝室に戻って来た王は、母と息子が並んでうつ伏せになっているベッドに向かって、至極真面目な顔で顎をしゃくる。
「何故必要なものがここに揃っていて、わざわざ会いたくもない女の部屋で寝なければならん。ほら、ちょっとだけ詰めろ」
そう言う間にも王は誰の手も借りずに服を脱ぎ、柔らかい素材のズボンに履き替えると、温められていた布団に潜り込んだ。
*****
王子がさらに大きくなりお伽噺も添い寝も卒業した頃には、さすがに王も乳母に同衾を説き伏せることはできなかった。
それでも何かとちょっかいをかけ続けるあたり可愛げがあると、十にならない息子にさえ王は温かく見守られるようになっている。
暇を作っては文字通り乳母の尻を追い回している様子からは、冷酷非情な獅子王と呼ばれる威厳や畏怖は感じられない。むしろ体が大きいだけの無愛想な猫が全く相手にされないのに業を煮やし、必死に取り入ろうとして擦り寄るよう。たまに獅子の凶暴性を覗かせても、乳母の手にかかればすぐにマタタビを嗅がされた猫に早変わり。城内安全・無害息災とばかりに王宮勤めの者達には喜ばれてさえいる。
引退した元宰相が何かの折に王宮にやってくれば、平穏無事な様子に緩くなった涙腺からは何度でも涙が零れるくらいだ。
そして今日も今日とて、茶の時間に王子の部屋に現れた王は乳母に向かって指を伸ばした。
「爪を切れ」
「それは侍女か理容師の仕事です。乳母は殿下のお世話が仕事で、陛下の相手ではございません」
「では俺がこいつの爪を切ろう、で、手持無沙汰になったお前が俺のを切れ」
「何ですかその屁理屈は」
「お前はどうだ、おもしろそうだと思わんか?」
「父上が僕の爪を?」
「そうとも、王に爪を切らせた王子などお前だけだ、断れば二度目はないぞ」
「乳母――」
純粋な期待にきらきらする瞳に見つめられた乳母は「……仕方ないですね」と溜息を吐き、手入れ用の道具を取りに行った。
しかしいざ王に握られれば、爪切り用の鋏にしてはごつい作りとはいえ、まるでままごとの裁縫道具箱に入っている小さなそれで、ふざけているようにしか見えず王子ははたと疑問を零す。
「ですが、父上は、その、初めてでしょう?」
「ははは、安心しろ、初めてではない。寵姫の爪を切ってやったことがある。あの時に要領を掴んだ」
この頃にはなんとなく二人の関係を悟っている王子がちろりと乳母を盗み見れば、不安そうな視線に気付いた彼女は苦笑を漏らす。
「……間違っても王子の指の肉を削がないで下さいね」
何気なく乳母の指を窺う王子は、彼女の左の薬指の先、爪の傍にうっすらとした切り傷らしき痕を見つけた。
「お、お願いします」
びくびくしながらも覚悟を決めた王子は絨毯に座る父王の膝の間に収まって指を差し出す。
王は鋏の片刃をナイフのように滑らせ、断面は滑らかに、けれど実に不揃いに爪を切った。しかし王子の指がどれも無事であったため、むしろ二人はその出来栄えに感心するように顔を見合わせる。
「さあ、次は俺のだ、働け。そしてお前はとっとと勉強に戻れ」
王であるが故に許される不遜な態度で乳母を手招きし、王子にはさっさと机に戻れと手の甲で促す。
渋々近づいて来た乳母を王子と同じく脚の間に座らせた王は、彼女を背後から抱きしめるようにして腕を差し出した。
乳母が王の手を取ると、分厚く硬いはずの爪がスイスイとリズム良く、いとも簡単に整えられていく。
思った以上に早く終わってしまいそうな予感に王の身体が無意識に傾いだ。
「ちょっと、後ろに倒れたら切りにくいでしょう。少なくとも私を巻き込まないで下さい」
「暴れる子供の爪も切る乳母なら寝転んだ大人の爪など後ろ手でも切れるだろう?」
「……切れるわけないでしょうが」
「そうか、ではじっとしておこう」
聞き分けよく身を起こすと今度は胸と腹を乳母の背に、そして喉元を右肩に預けた王は幸せそうに目を閉じる。
「…………後ろから伸し掛かられても切りにくいのですが」
口では邪魔だと言う乳母も、決して払い除けようとはせずに、王の爪を手入れする手元のスピードを少し緩めた。
それでも整えるのは十本しかない指の爪。あっという間に切り終えてしまう。
「陛下、終わりましたよ。……陛下?」
そう声をかけられても乳母を後ろから抱え込んだ王は「寝ている王を起こすな」と微動だにしない。
ここまで堂々とした狸根入りもそうそうないだろう。
「ちょっと、誰かに見られたらどうするんですか、放して下さい」
「……王が乳母に手を出してはならん決まりなどない」
乳母、何も知らないはずの僕にばっちり見られています。父上、もう少しましな切り返しでなければただの節操なしにしか聞こえません。背後の様子が気になって勉強に集中できない王子が、いちゃつく両親に対してこんなことを思っていたとかいないとか。
すったもんだの末なんとか王から解放された乳母は、茶器を片付けに行った調理場で、かつて――仕事のほとんどを世話する本人に取られ実際はほぼお目付け役に徹していた――寵姫付だった侍女を見つけ、ぷりぷりと愚痴をこぼした。
「もう、あの人はいつもいつも、何を考えてるんだか」
「嫌だ、やめろと心の底から乳母殿が言わないからですよ」
「……殿下がお喜びする事を乳母が止める権限はないですので」
「ふふ、なんだかんだ言っても乳母殿は陛下を甘やかしていますよね」
珍しくバツが悪そうな口調をからかうように侍女が茶化せば、乳母はすっと目を細めた。
「気を付けます。――次からは容赦なく厳しくしましょう」
「ひっ……やめてください」
何かを決意するように真剣な声音で立ち上がろうとする乳母の腕を、息つく間もなく座ったままの侍女が引っぱったため乳母は中腰の格好で首を捻る。
「そんなことになったら、私は陛下に物理的に首を切られてしまいます。いえ、それだけで済む保障もありませんっ。やめてくださいね、絶対!!」
目に見えて震えあがった侍女に、はいはいと乳母は呆れ顔で頷いた。
「……今のはやめるのをやめて下さいというのであって、決して陛下を甘やかすのをやめろという意味ではないですよ? わかってます!? ほん……っとーうに、わかってますかっ!?」
ちょくちょく牙を剥く獅子王の恐怖はいつまで経っても慣れないものらしく、真っ青になって戦慄く侍女はしばらくの間あまりの剣幕にたじろぐ乳母の腕に縋りついた。
ほのぼの…してるのでしょうか?サブタイトルに偽り有だと思った方すみません!
ほのぼのって難しい…




