乳母の思う寵姫の事情
「さて、お前は寵姫についてどう思う?」
乳母が座る真向いのソファに背を預け、片肘をついた王は脚を組む。
「……これは殿下の教育方針に関する話をする場ではございませんでしたか?」
そういう名目で呼び出していた乳母の視線と声は、目の前の芳香漂う紅茶でさえ口元に運べば凍らせてしまえそうな冷たさ。
好き放題王子の部屋を引っ掻き回したのを、どうもまだ根に持っていそうだ。
「そのための質問だ。あれの育て方は、母と呼ばれることなく無念の内になくなった寵姫の意向に沿いたい。しかし、どのような息子に育ってほしいと願うかは、母親の事情によって変わるだろ」
微塵も悪びれずに胸を張り、筋が通っていそうでいない論理を述べる王に、乳母は隙あらば舌打ちしそうな雰囲気だ。もちろん見た目には背筋を伸ばし悠然と構える熟練の乳母然とした表情なのだが、こう、なんというか「また余計なことを」とか思っていそうな、そんな気がする。
目に見える態度と乳母の仮面に覆われた心のギャップが、事ある毎にちらつくのがなんとも歯がゆい。
「今更どうすれば知ることができると言うので……、…………何でございますか?」
穴が開きそうなほどブラウンの双眸を注視する無表情の王に、さすがに少々戸惑ったのか気後れしたように乳母が問いかけるので、待っていたとばかりに不満解消に乗り出す。
「息子の世話を一任するお前とは気が置けないつきあいをしていくのだ、堅っ苦しい敬語は今後一切やめろ。歯に衣も着せんでかまわん」
素直に聞き入れるかどうかは賭けの部分もあるが、王直々の命令であれば乳母として従うという口実には十分だ。
あとはなし崩し的に寵姫の時のような距離感になれば儲けもの。
口を開きかけた乳母が「事情などないかもしれません」とでも言いたげだったので、王は先回りで否定するのを否定する。
「いいや、腹立たしいことに、寵姫には最後までこの俺にすら言えないことがあった。……誰も知らんが、寵姫はブライヤーのボロ屋敷で見つけた。どう考えても二人は繋がっている。ブライヤーは一言の相談もなく自身を処刑台送りにし、そして寵姫にも死んでも嫌だという事があったらしい。――お前はどんな事情が隠されていたと思う?」
「私にお聞きになられてもお答えできかねます」
そう言うと思っていた。
寵姫の死後現れた乳母が知っているわけもなく、仮に知っていたところで、寵姫が言えなかったのと同様に、嘘を吐く代わりに口を胡桃のように閉ざすのが関の山だ。
だが寵姫の時と性格が変わっていないのなら、口実さえ与えれば情報は引き出せる。
もしそのための信頼度を一から上げ直せと言われたら、お手上げだが…。
「堅苦しい態度をとるなと命じたはずだ。俺は寵姫がブライヤーの娘だったのではないかと思うが」
「死人に口なしですよ。もう誰にもわかりません」
「だが、冷酷非道な獅子王は死者すら鞭打ち、死してなお恨み言を吐かせるそうだ」
挑むように、吐くまでは逃がさんとまた目を合わせる。
「もう王の頭で思いつくことなど考えつくした。寵姫は色々残しているだろう? 乳母なら母親と同じようなもの、他の誰とも違う見方ができるのではないか? 憶測でも作り話でも、納得できる何かがなければ寵姫の死を素直に受け入れられん。このままでは思い余って誰かを監禁し身代わりにしてしまいそうだ。……それが息子の母親代わりならより気分が出るかもしれん」
溜息と共に、あながち冗談でもなく少々物騒な本音を零す王がやれやれと首を振れば、「ではご寵姫がブライヤー卿の隠されたご息女だったとして話を作りましょう」と乳母は観念したのか、溜めこんでいた胸のつかえのごとき息を吐いた。
「もしかしたら、長年隣国はブライヤー卿を籠絡しようとあの手この手を尽くしたのかもしれません。それこそ王に対するかの如く」
「例えば女で弱みを探る、探れなければ弱みを作ろうとしたのだな?」
「獅子王が現れるまではブライヤー卿さえいなければ、ウォガールなど脂の乗り切った動きの遅い豚のようなもの、近隣諸国のいい餌食だったはず。陛下がこのほど滅ぼした国は、卿を籠絡または失脚させようと女性たちを送り込んだ、けれど卿はその思惑を躱し続けた、ということにしましょう」
濃褐色の視線で「ここまではいいですか?」と聞かれたので、静かに頷きを返す。
「まあ、奴ならそんな見え透いた手には引っかからんだろうな。ではどうなった?」
「送り込まれた才色兼備の一人がご寵姫の祖母にあたるとしましょう。例えば、物のように自身を扱う母国の言いなりになるのは癪だとさっさと標的以外の人と家庭を持ち、そのまま何十年と毒も棘も見せずに社交界に咲く綺麗な花であり続けたとします。この方もブライヤー卿の陥落を期待された才覚の持ち主なのですから、自力で卿の目を欺いたか、害のなさ故目を付けられる機会がなかったのでしょう。けれど、何の因果かそれが災いし、彼女の娘が卿と出会ってしまい、二人がお互いの立場を知った時には時すでに遅く、子供が生まれてしまった、としたら?」
「そういうこともあるかもしれんな」
じじいめ、よりによって娘か孫ほど年の離れた女に惚れて逆上せたのか、と王の目は生暖かい。
「その頃にブライヤー卿は自分亡き後も隣国を足止めできるよう、獅子王を思いついたのでしょう。ご寵姫の母は隣国から娘を隠すために逃げた先で、“不慮の事故”にでも遇い亡くなったのかもしれません。この時一緒に死んだと思われた赤子を、卿は両国から隠すために間者であった女性に育てさせ、機が熟せば自身は謀反人の濡れ衣を着てブライヤー家からも娘を解き放った。――本人も証人も、もはやすべてが墓の中、殿下の母親がどんな血を引いているかなど、誰にも蒸し返すことはもう不可能。殿下はあくまで陛下の子です」
「何故そこまでして寵姫の素性は隠された?」
「そうですねぇ、隣国が戦争の火種にする恐れがあるから、かしら。寵姫の祖母が隣国の王家に縁のある者とすれば、素性を偽る怪しい女の娘というのも相まって、娶ればさすがにブライヤー卿でも立場が悪くなる。母国には裏切り者として吊るされ、隣国には誘拐犯の恥知らずとでもでっち上げられ剣を突き立てられたかもしれません」
ブライヤーなら「妻子に用があるならここまで来い」と嬉々として受けて立ちそうだが、やはりその背で庇うべき存在がか弱い女子供であれば、賭けの褒美にはしたくないと思ったのだろうか。
「何よりブライヤー卿の孫子はこの国の王家に連なる者です。本筋の王族が皆死ねば、遅かれ早かれ彼の血筋が玉座に据えられたでしょう。前王には近しい血縁者は陛下しかおられませんでしたから。そうなればウォガール王の血縁となった隣国が、政に疎い女王か幼い王を助けるという名目で合法的にこの国を乗っ取れる。その子はどちらの血も引いているのですから、血を重んじるウォガールにはもってこいの生贄でしょう。……まあ、そうなると殿下も同じく利用されかねないのですが、ご寵姫亡き今、ただの言いがかりにしかなりませんね。発案者の老王も国ごと陛下に倒されましたので、もう大丈夫ですけど」
その言葉通り安堵のためか、長年独りで抱えた荷を下ろせたせいのか、乳母の肩に入っていた力が抜けたように思えた。
「よくぞ何年も寵姫の素性が露見しなかったものだ」
「いいえ、彼女が寵姫となる前の素性や隣国の血を引いていることは、証明するものがなかっただけで、隣国にはとっくにばれていたんじゃないでしょうか。いくら情報収集に長けた者でも、誰かに情報を盗まれます。昔どこかのすばらしい御仁が言っていたではないですか、“お前が覗く穴の向こう側からも、誰かが同じように覗いているぞ”と」
「そう、であったか?」
なんとも身も蓋もない言葉だが、引用したのがもしかしなくともアレなら、その解釈としては高尚さどころか意味合いが桁違いに違う。
「とにかく、身内にウォガールの次期王位継承者がいるなら、追い詰められた国は一発大逆転を目論んで、存在しない母親の戸籍代わりに獅子王の首を、となりますね。国民ほとんどを屍に変えてでも貴方の首を討ち取れば、それを掲げた隣国の老王は意気揚々と玄孫に会いにこの王宮に乗り込んで来たでしょう。……だから陛下が連れてきた女は元から存在してはいけない、王の母などには死んでもなってはいけなかった者。そんな秘密なら墓まで隠しに行くのも当然じゃないですか? ――そういう事情があったのかもしれないと想像だけならできます」
一縷の望みをかけていた伝家の宝刀がここぞという時になくなったのだ、戦の終盤があのようになし崩しだったはずだと、王は今更ながらに老王の最後を嘲笑う。
「もしそうなら寵姫が自身の境遇に気づいたのは王宮に来た後だな?」
「事前に知っていれば、獅子王と暮らすなど鼻で嗤って切り捨てられていたでしょうね」
ふん、と鼻を鳴らした王は乳母の想像する寵姫の境遇に似たりよったりの少女に心当たりがあった。
「脚色は悪くない出来だが、大筋はどこかで読んだ話だな」
「そうでしょうね、陛下がどうしてもと言うので、『トゲトゲ男爵と仔猫シリーズ待望の番外編 時には名もなき少女のために』からネタを拝借しました」
「そう、それだっ」
「な、なに……が?」
はたと手を打つ王の勢いに、びっくり顔の乳母はどこか年相応に見える。
何故か読もうとする意欲が削られる絵本の番外編主人公――あの孤児が自分のことで父親がブライヤーだとどのようにして寵姫が気づいたのかはさておき、それならあの夜の寵姫のように塞ぎ込みたくもなるだろう。
俺ならブライヤーが父親だというだけで、儚い人生だったと順風満帆な未来は諦める。
「この前探していたのはその本だ」
「猫男爵なんて本編にも出てきませんけど?」
「まあ……、それはもういい。――本編はどんな話だ?」
「簡単にまとめると、心優しいトゲトゲ男爵の手助けで百獣の王になる仔猫の奮闘記です」
心優しいというのは子ども相手の詐欺にしてもお粗末だが、ソーン・ブライヤー卿が獅子王を育成する過程を本にしたのだろうから、寵姫がお伽噺に聞いたというのもこれだろう。
「…………そのまんまだな」
「そのまんまです」
どこかすっきりとした様子で微笑むこの女が自身の素性を知った時、獅子王の子を産んでもなんとかなると楽観的に考えたのか、それともリスクを負ってでも引き返したくないと思ったのか、聞くのは野暮だなと王は数秒目を瞑る。
「お前も知っての通り、王に始まり、宰相や近衛長官、この国の中枢ほとんど全てにブライヤーの息がかかっている。売らずともウォガールなど好きに動かせた奴が、何のために自作自演の汚名を被ったかわからなかったが、そうだとしたら納得できる」
「……あくまで絵本を参考にした私の想像なので、事実かどうかは話が別ですよ」
「それはわかっている。だが、もしそれが当たらずとも近ければ、知らぬこととはいえ、――息子は母の故国を滅ぼした父と、俺を罵るだろうか?」
「さあ、先ほどの話で考えるならご寵姫と彼女の母はウォガール生まれのウォガール育ちでしょうし、敗戦国の王族が他国に降嫁することはよくあることです。そうでしょう?」
まさに亡き父王が考えなしに攻め滅ぼした小国の生き残りであった母に、胎にいる時から恨み言を聞かされて育った王は複雑な心境になる。
「その子供が自身の境遇を嘆くかどうかは本人次第。意外と母を呪縛から解き放った父と、誇りに思うかもしれません」
「そうか、俺はあれが無事成人してくれさえすれば、もうそれ以上は望まん。――おっと、本題を忘れるところだった。では乳母の思う寵姫はどんな息子に育てたかったのだろうな」
「そうですね、どんな事情があったにせよ、元気に外で遊び常識と道理をわきまえるしぶとい子に育つなら十分なのでは?」




