裁きの守護者:壱
どうやら、また誰か死んだらしい。叫びのような耳を切り裂くような低い声質の断末魔が聞
こえた。それがその証拠である。
僕はというと、その毎日至らんばかりに聞こえるその声をBGMにして、生前に好きだっ
た無名のマイナーなバンドの曲を鼻唄を歌っていた。暇で仕方ないこの小さな牢獄での歌声
は、囚人たちにとっては唯一の憩いであってほしいとは思うのだが、なにしろ鉄格子とすか
すかとした金属質の安い壁のおかげで金属を震わせて届く音色はごう、ぼうとした低いんだ
か高いんだか分からない奇妙な音色にしか聞こえない。
「おい、隣人。今日も騒音にしか聞こえないんだが」
「うるさい。お前に無名バンドの良さが分かってたまるか」
「無名の時点で下手くそじゃねェか、そのバンド」
「歌はうまいはずだ。……多分」
押され気味になりながら、僕は隣人の話をどうにかこうにか受け流す。
隣人は、文字通り僕の部屋の右隣に住む男のことだ。隣人の顔を僕は見たことがない。な
にしろ、僕がこの牢獄にやってくる前から隣人はいたし、この部屋ではみんな顔をあわせな
い近所付き合いの悪い大型の安価マンションのようなものだったからでもある。
さて、ここがどこだか分かる人などあまりいないだろう。『刑務所』と応えるヤツがいる
んだろうが、それは不正解である。
ここは死人たちが集う待ち人の宿『オルフェイス』である。別名『償いの待ち人』。
そのように、僕らはもう既に世間の人々が言う『この世』にはいないのであって、いわゆ
る『あの世』だとか『天界』だとかいうところにいる。
何故僕が死んでしまったのか、そのことについては話したくもないし長くなるので口をつ
ぐんでおきます。面倒なので。
話を引き戻すと、この「オルフェイス」は生物が死んだ後に必ず入れられる小さな「待ち
部屋」である。
そして屍はこの世界では「この世」の秩序を守る存在であるらしく、「正」やら「反」な
どの役割を果たすのだそうだ。
正直言ってわけが分からないのではあるが、それはオルフェイスを出られれば分かるのだ
ろう。隣人がたしか数ヶ月前にそう言っていた。でも時間の感覚があまりにも狂っているた
めにその「数ヶ月前」という言葉は定かではないが。
そうしていると、ふいに誰かが僕の前で足を止めた。そいつは白装束を身にまとっており、
フードで覆われてその顔は見えないが白い柔そうな肌が天使を思わせた。
(そういえば天使っているかもな。僕死んでるし)
僕はそういった都合のよさそうな考えを一瞬だけ振りまいていると、相手は僕の顔をじぃ、
と見た。どきりとした少しの緊張感と戸惑いが脳裏に浮かんだ。
「……これが『裁き』の役割を担う者の顔か……」
「はい?」
相手は僕の顔を見ておいて、呆れ返ったような深いため息をついた。
「品もないし、威厳さもないし、弱そうだし、優柔不断そうだし、もう最悪だな」
「はぁっ!?」
何をいきなり言うんだこいつはっ!
唖然としていると、その白装束は手首にぶら下がった古い鍵を取り出して僕の牢獄の鍵を
開けた。鍵を開けた後、そいつは僕の手を引っ張って外へと連れ出した。
「来なさい。お前は役割を担うことになったのだから」
ぽかんと口を開けている僕はなんて間抜けな顔をしているのだろう。白装束はまたため息
をついて目の前でパン、と手を叩いた。
すると、ブンッと視界が歪んだ。そして一瞬にしてその視界は見慣れたものではなくなり、
綺麗な礼拝堂のような場所に来ていた。
ぼうっとしていると白装束が背中を叩いてきた。
「ほら! ぼーっとしてないでさっさと前に出なさい! ここは神聖な場所なんだから」
「はぁ……」
言われるがままにおずおずと前に進んだ。前方にはマリア像と教壇があり、マリア像の周
辺には装飾の施されたきらびやかな硝子が虹色を帯びて輝いていた。横方面を見ると、教会
のシンボルのステンドグラスが数枚張られ、周辺を明るく色のある日光が照らしていた。
教壇の前に立つと、白装束が声を張り上げた。
「ラオル様! 新たな『役割』をお連れしました!」
すると、マリア像からすうと人間が浮かび上がった。その女性は教壇の前に降り立ち、僕
の顔を見て微笑んだ。
……今日は何でこんなに他人に顔を見られなきゃならない。
そう考えていると、女性――――ラオルは白装束に顔を向けた。
「ご苦労だった。下がってよい」
「はい!」
白装束は早々にその場を立ち去っていった。
「さて、あなたの『役割』ですが……。『裁き』の役割を担っていただきましょう。『死神』
として、人々を幸福へと導くのです」
わけの分からないことを聞いていると、僕は何だか意識が薄れるような感覚に襲われた。
ぼやけるような、眠たいようなものに。
「心配は要りません。目が覚めれば、あなたを助けてくれる方がいるでしょう。どうか、神
のご加護があることを……」
(神様じゃないのか? あの人……)
その考えを終わらせて、僕は静かに眠りこけた。