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盲目の夜明け-ジルベルト=フラル=トゥルヌミール-

 夜は嫌いだ。

 夢を見るとき、それは必ず悪夢だったから。夢の終わりを僕は知っていた。それはどうしようもなくバッドエンドだ。

 僕たちを助けた少女は濁流の底へ。

 僕たちが求めた関係は血塗れの部屋に。

 僕に憧れた妹は行方をくらまし。

 僕に救われた少年の灯は燃え尽きた。

 混濁に沈む意識の中、最後まで苦しみ続け、幸福だったはずの未来を想った少年の最期。

 眠るたびに、それを夢に見た。




 ジルベルト=フラル=トゥルヌミール――親しみをこめてジルと呼ばれる――彼が生まれてから、5年ほどの時がたった。

 ジルは天才の名をほしいままにしていた。言葉を話すことこそまだおぼつかないようであったが、あらゆる学問に適性を示し、特に数学・物理学の分野では類稀なる才能を誇示していた。

 だが、彼には悩みがあった。

(なぜだ……)

 彼は目を覚ましてから寝るまでずっと、ある一つの悩みに頭を悩ませていた。

(なんで僕はこんなところにいるんだ)

 その思考はアネモスの言葉――ミール語ではない。それは遠い異世界で日本語と呼ばれる言葉で編まれた思考だ。

(なんで『加波慎』の思考は死んでいないんだ……!)

 ジルベルト=フラル=トゥルヌミールは、加波慎の生まれ変わりであった。あの日、命を落とした彼は、こうして世界に舞い戻ってきた。

 始めは何が何だかわからなかった。自分がおぎゃあおぎゃあと泣きわめきながら、自分が何を見ているのかもわからなかった。

 何が起こっているのかわかって、ひたすらに泣きわめいてからしばらく。

 彼はもう理解することを諦めていた。ただひたすらに自分の運命を恨み、迷い、呪いながら。




「ジル、今日は人に会いに行くぞ」

 ドミニク=ダリエ=トゥルヌミールは、ジルの父親である公爵はある日唐突に彼に言った。

「人?」

「そうだ、今のアネモス王陛下だ」

 ドミニクとジルはその日、公務で王城に来ていた。だから、そういうこともあるかもしれないと覚悟はしていた。

 彼はトゥルヌミールという名が何を意味するのか、5才でありながらそれを正確に把握していた。それは「加波慎」という経験があればそうむずかしいことではなかったからだ。彼はただ、ミール語を「日本語」と照らし合わせる術を身につけ、ミール語での会話を覚えてしまいさえすればよかった。

 それだけで人は彼を褒め称えた。


『さすがジル、天才だな』


 そう言われるごとに苦虫を噛み潰すような彼の表情には、誰も気づかなかった。

「そうですか」

 だから彼は、淡々と答えた。トゥルヌミールの名に恥じない行動をしてさえいれば、たとえ多少愚かであってもいいと気づいたのは最近だった。それ以来彼は知的な活動をできる限り抑えるようにしている。

「あぁ、それと次期女王陛下にも会ってもらう」

「次期、女王……?」

 ドミニクは「ああ、お前はまだ知らなかったか」と少し表情を崩すと、廊下の突き当たりに、まだあまり目立たないように飾ってある肖像画を指さして言った。

「次期女王陛下、現王女であらせられる、クレア=ネスタ・ラサ=アネモスさまだ」

 その肖像画を見ただけで、彼の胸がどくんと高鳴った。息が切れ、心臓が早鐘のように鳴り響いている。どくん、どくん。

「……」

 彼はそれを父に悟られまいと、必死で平静を装った。一度深呼吸をし、父に向き直る。

 ドミニクはそのしぐさを、息子が早く王女に会いたがっていると勘違いしたのか、「おお、そうか。じゃあ急がなくっちゃなぁ」と言って、彼の手を引いて歩き出す。

 その手の先に、どうしようもなく不安を掲げた顔をする自分の息子がいることには、――気づかない。




 二人が入ったのは王座のある場所ではなく、やや広めの会議室のようなスペースだった。あくまでこれは非公式な会合であるのがわかる。彼は、本題は公務ではなく、彼と王女を引き合わせようということなのだとわかった。

 わかってしまったから、逃げられなかった。

 クレア王女は、今年で12になる。まだ幼くはあるが、4つ下のシリル王子の面倒を見ながら勉強を積み重ねる努力家でもあった。

「クレア様は次期女王だからな、勉強を押し付けるこちらも心苦しいんだが頑張ってもらわねばならん。だからお前も、クレア様とは仲良くしてやってくれ」

「……うん」

 彼はそう答えるのが精一杯だった。胸の中に潜む恐怖に、「そんなはずはない」と叫ぶ加波慎が今にも出てきてしまいそうだった。なにが起こっているのか、彼自身も全くわかっていないのに、それでも「会ってしまったらまずい」と彼の中の加波慎が叫ぶのだ。

『もう嫌だ』と。

『許してくれ』と。

『助けてくれ』と。

 だが、彼のトゥルヌミールという名が、それを許さない。彼はもはや、鳥籠の中で死を待つだけの存在に等しいと自覚していた。

 ゴンゴンと扉をノックする音が聞こえる。

「入るぞ」

 彼は見る。すでに何度かの面識がある国王陛下を。

 彼は見る。彼が引き連れる、美しい王女を。

 彼は視る。クレア王女の前世は、『吉良咲月』だと。

 彼はそこでようやく悟る。たとえ死しても、この世界に安息などないということを。

「あぁ……、ああぁあ……」

 彼はふらふらと壁に寄り掛かると、嗚咽するように顔を手で覆い、崩れ落ちる。困惑する父や国王などとうに見えていなかった。彼の――加波慎の視界には、ただ苛つくように慎を睥睨する吉良咲月の姿しかない。

「……あぁ」

 許されないのだと、そう思って。


 彼は自分の両の目を、そのまま抉り出した。


 彼の世界は、そのまま闇へと落ちていく。

 彼の心は誰にも理解されないまま冷えて固まり、やがて美しい陶磁の人形となった。


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