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絶望の夜-加波慎-

 悠が死んで、5年近くの月日が流れていた。

 あの頃感じた自由への強い渇望も、たったこれだけの年月を過ごしているだけで枯渇した。僕は僕を縛る鎖を探しながら、ただ凡庸に生きているだけの人間となっていた。

 僕こと加波慎は一浪して医学部に入った。どうして医学部を選んだのか、今となっては覚えていない。もしかしたら誰かを救いたかったのかもしれない。でも、救いたかった相手が思い出せなかった。

 宝城柚希? ――いや、彼女はどうやっても救いようがなかった。

 倉橋真澄? ――いや、彼は何も悪いところなんてなかった。

 吉良咲月? ――いや、彼女は僕では救えなかった。

 椎名悠? ――いや、彼は僕のために死んだ。

 結局僕は誰も救えていないのだ。救えているという自惚れに溺れて、大事なものを失ってしまったピエロに過ぎないんだ。

 後悔を抱えながらもぼんやりと生きていれば、僕にとって苦と思えることは何もなかった。たとえ夜中に飛び起きたとしても、日中背後に気配を感じたとしても、僕は膝を抱きながらぶるぶる震えて黙っていれば過ぎ去っていった。そんな僕を心配する人間もまたいなかった。僕に友人と言える人間がいなくなってからもう6年近くも立つし、そうなってしまった以上は仕方なかった。


 最近僕は、死ぬための方法について考えている。

 あれほど死にたいという強烈な欲求から意地を通して逃れたというのに、僕の心に焼き付いたそれはじくじくと痛みを発するのだ。

「ねぇ慎、死んでみたいと思わない?」

 柚希の声がする。

「なぁ慎、お前もこっちに来いよ」

 真澄の声がする。

「ねぇ慎、死んでよ」

 咲月の声がする。

「慎、俺と――」

 悠の声がする。

 僕の心は死にたがっている。僕の心は死者の声となって、昼となく夜となく僕の耳に囁きかける。

 僕の心が日に日に疲弊しているのは、いくら鈍感になったとはいえ気づいていた。

 それが理由なのか、気づけば僕は精神医学を専攻していた。


「さっすがだな慎! また学年1位かよ!」

「何言ってんのよ真澄、慎が1位なんていつものことじゃない!」

「……慎、おめでと」

「……な、何よ。アタシは何も言わないわよ」

 どれだけテストの点が良くても、賑やかだったのころの声はもうない。

 僕は優秀だが近寄りがたい、と噂されていた。きっと、あのころには想像もできなかった姿。

 義務感のようにこのポーズをとるのも、本当はもうやめてしまいたかった。なまじ優秀だっただけに、優秀でない僕は僕ではないという視線がそれなりにあるのだ。そんな視線に対してすら、「多少変わってはしまったけれど、加波慎は加波慎ですよ」とアピールしなければ、息苦しい世界が待っているだけだっただろう。

 ――いや、そもそもこの世界そのものが息苦しいのだった。

 あの友人たちはもういない。僕に友人ができることももうないだろう。

 だから、僕は死ぬ方法を探していた。彼らのもとに行けるかどうかは知らないが、僕が死ねば彼らと同じにはなれる。柚希や悠は嫌がるだろうなと思うと、少しだけ心が痛んだ。でも、やめるわけにはいかない。

 自殺は却下だ。それはどんな方法であれ、柚希にも悠にも顔向けができない最低な手段だ。

 僕は、自死以外の方法で向こうへ行かなければならない。

 そういう方法の中で思いつくのは災害や犯罪の被害に遭うこと、事故に遭うこと、病気で死ぬこと、老衰で死ぬこと。パッと思いつくのはこのあたりだろうか。

 老衰や病気、災害の被害に遭うなどは、できるかどうかいぜんに、いつになるかわからない恐怖が待っているから、これも却下。

 だから僕は犯罪被害か事故に巻き込まれなければならない。医療実験中の事故、交通事故……。犯罪に遭うことは、治安のいいこの街ではなかなかに難しいだろうから、交通事故に巻き込まれるのが最も簡単だろう。難しいのは承知だけど、それ以上の選択肢は見当たらない。

 僕は、以前にもまして出歩くようになった。それを僕が少しずつ回復しているからと両親は喜んだけれど、それを聞いている方は複雑な心境だった。僕は生きるために出歩くのではなく、死ぬために出歩いているのだから。


 いいシチュエーション探しは難航していた。

 数か月以上もかけて街を歩いていたものの、自死ではなく、明確に何らかの意図をもって交通事故に遭って死ねるシチュエーションというのはなかなかに難しい。

 王道なもので言うと、猫や子供を助けるためにというのがあるけれど、そもそも子供にそんな危ない道を通らせる親などあまりいないし、轢かれたら死んでしまうような道に小動物はやってこない。

 あとは純粋に事故に巻き込まれる場合だけれど、そのような道は都市計画の時点で排除されてしまうことが多いのだ。

 あとは、ひたすらに幸運を祈って徘徊を続けるしかない。

「はやく」

 ■■■■が耳元で囁く。誰の声だっただろう。

「はやく」

 ■■■■が耳元で囁く。誰の声だっただろう。

「はやく」

 ■■■■が耳元で囁く。誰の声だっただろう。

「はやく」

 ■■■■が耳元で囁く。誰の声だっただろう。

 聞き覚えのある声すら、記憶から零れ落ちていく。早く、早くしなくては。

 そうしなければ、きっと僕は大切な友人のことすら忘れてしまうから。


「……ん、し……」

 いつの間に寝入ってしまったのだろうか、気づくと僕の体はどこかに横たわっていた。

「……! ……慎!」

「……あ」

「気づいたか、慎!」

 ぼんやりと視線を動かす。こうやって名前を呼ばれたのはいつ振りだろう。

「慎、大丈夫か慎」

「……冬哉か、大丈夫だよ」

 こうやって下の名前を呼んでくれる数少ない友人、来実冬哉は僕の様子にほっと胸を撫で下ろす。

「まったく、お前のお袋さんから慎が帰ってこないのよって連絡受けたときは何があったかと思ったぜ」

「……すまないね、疲れていたからか、眠ってしまっていたみたいだ」

「バス待ちにしたって時間が遅すぎるだろうに……」

 そう、僕はバスの待合室のベンチで眠っていた。出かけた帰りにバスを利用して、待ち時間で本を読もうとしたのがよくなかったらしい。

 こうして自分の疲れを管理できずに眠ってしまうこともここ最近では少なくなかった。

「おい、とりあえず車に乗れ、帰るぞ」

「……いや、僕はバスで帰るよ」

「あぁ? 疲れて眠りこけるくらいなんだろ、さっさと帰って布団に入りやがれってんだ」

「いや、少し寝たからか、調子も大分よくなった。それに、せっかくの一人旅を途中で終わらせてしまうのも癪だしね」

 嘘だ。体調はここずっとよくなんてなってないし、そもそもバスで帰る気もない。

 でも少し強い口調で言ったのが功を奏したのか、冬哉は忌々しげに舌打ちする。

「本当お前はそういうところ変わらないよな。人が心配してようが、自分で決めたところはなんだって自分で抱え込みたがる」

「悪いね、性分なんだ」

「はぁ……、仕方ないな」

 冬哉はガリガリと頭を掻きながら、立ち上がる。

「知夏も心配なんでな。お前と口論している暇はないんだ」

「あぁ、知夏ちゃんはまだ……?」

「あぁ、精神科医にも見せたが、よくなるかはわからないそうだ」

 ずいぶん前から、冬哉の妹――来実知夏が精神の均衡を危うくしているというのは聞いていた。初めは神社仏閣をふらふらと徘徊するだけだったようだが、今では引きこもり、突発的に奇声を上げたり飛び出したりといった奇行を繰り返しているらしい。

 今から思えば彼女がおかしくなった理由も、僕にあったのではないかなと思ってしまう。被害妄想であれ現実であれ、そう思ってしまった以上は僕は彼女に対しても罪を背負っていかなければならない。ごめん、知夏ちゃん。

「……そう、じゃあ早く行ってあげるといい。僕なんかと関わっている暇はないんだろう?」

「……慎なんかじゃねえよ、友人だろ」

 彼の言葉は、どうしてこう胸に突き刺さるのだろうか。

 冬哉は「気を付けて帰れよ」と言い残すと、待合室傍に止めてあった自家用車に乗り込んで帰って行った。

「さて……」

 冬哉は両親に連絡するだろうから、あんまりグズグズもしていられない。さっさと歩いて帰ることにしよう。

 そう思っていた。


 それは唐突に僕の前にやってきた。

 見通しの悪い交差点。その向こう側から、見知った顔が駆けてくる。

 左側からは、夜遅い時間で人がいないからか、スピードを上げたミニバン。

 このままいけば、彼女は確実に轢かれるだろう。

「はやく」

 僕の耳元で、囁くような声がする。

「だめだ」

 僕の脳内で、警鐘を鳴らす声がする。

 突如として生まれたこのシチュエーションに、素早く僕の体は反応した。


 僕は笑顔のまま彼女(来実知夏)を突き飛ばした。


 来実兄妹には悪いことをしたかな、そう思いながら、僕の意識は白んでいった。


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