最期の夜-椎名悠-
自分のせいではないとはわかっていた。だけど、一度こうして殻にこもってしまってからというもの、僕は自分がどんどんと弱々しい生き物になっていくのを自覚せずにはいられなかった。
一度でも外に出れば、僕はきっと「よかった」と声をかけられるだろう。誰も「お前のせいだ」なんて言いっこない。そんなことはわかっていた。だけど、わかっていることとその一歩を踏み出すことができるということは、全くの別物なのだ。
だから僕はこうして部屋から出られずにいるまま、それでも迫りくる恐怖と戦わなければならなかった。
だって言うだろう? 二度あることは。
だから今日この日、こうしてこの時が来たことを、僕は少しも不思議がらなかった。それどころか、終わりの見えない恐怖が終わったことに、安堵さえしてしまったのだ。そしてそのことで、心の中から湧き上がる棘がちくりと僕を痛みつける。
それは、仁菜が僕の前から姿を消してから8か月余り。もうすぐ、春の足音が聞こえそうな時期になっていた。
そう、僕はノックの音で目覚めたのだ。入ってきた母は僕に戸惑いながら、一通の便箋を差し出した。
『慎へ』
切手のない封筒には、震える字でそう書かれていた。
『慎へ
慎が……、この手紙を読んでるってことは、認めたくないけれど、俺はもう死んでしまっているんだろうね。
とても悔しいし、とても悲しいよ。
俺は、今の慎を置いて逝きたくなんかない。こんな俺は、きっと地獄に落ちるだろう。
聞いたよ。宝城が死んだこと。倉橋と吉良が死んだこと。
俺は……、倉橋と吉良は、正直いなくなろうがどうなろうがどうでもいいと思っていたんだ。
あの二人はきっと慎のそばにいるだけで、慎を苦しめてしまうから。
慎は自分の心を隠すのがうまいから、あの二人と一緒にいるだけで傷ついてしまうから。
本当は、死ぬ時も慎に迷惑が掛からない方法で死んでほしかったんだけどね。
……いや、ごめん慎。こんなことを書くつもりじゃなかったんだ。
宝城が死んだのは残念だったし、悲しかった。
その頃には俺はもうこんな状況だったから、慎を救ってくれるのは宝城しかいなかったんだ。
宝城は吉良を、そして慎を救ったんだと聞いた。
それが間違いではなかったと、俺は思いたい。
俺は慎に幸せになってほしかった。
でも、きっとこれじゃあ慎を不幸にしてしまうだけだ。
だから慎に一つだけお願いするよ。
生きてくれ。
俺が死んでも、きっと生きていてくれ。
それはきっと宝城も望んでいたことだ。宝城も俺も、慎には幸せになってほしかった。
いつか俺と、宝城と、あの二人が死んだ苦しみを乗り越えられるぐらい長く生きて、幸せになってくれ。
俺が慎にできることなんてこれくらいだけど、慎がいつか生きていてよかったと思えることを願っている。
俺が先に逝くことで、慎が悲しまないことを祈っている。
この手紙が届く時期が春であることを祈りながら
椎名悠』
手紙はそう長くはなかった。
ただ、後半になるにつれ歪んでいく文字と、涙がにじんだ痕が、僕にそれをすらすらと読むことを阻んでいた。
それは、仁菜が僕の前から姿を消してから8か月余り。もうすぐ、春の足音が聞こえそうな時期になっていた。
悠は、冬の厳しさが残る春先に生まれた彼は、18の誕生日も迎えることができなかった。
「うぁ――、ああ……、あ」
悠は一体、どんな気持ちでこれを書いたのだろうか。それは僕には想像することさえできなかった。
涙はもう干からびてしまったのだろうか。僕の口から出る嗚咽だけが、ひどくむなしく聞こえる。泣きたくても、友人の死を悼みたいと思っているときでさえも、この瞳から涙を流すことは許されないのだろうか。
僕はひどい人間だ。
友人の女の子に命を救われ、それが原因で幼馴染の二人を亡くしてしまった。出来のいい妹にも見放された。その上、別の友人に生きろと言われているのに、だというのにどうしてこんなにも僕は死にたいなどと思ってしまっているのだろうか。
僕はひどい人間だ。
こんなひどい人間が、まだ生き恥を晒そうとしている。だけど、もはやそれを止めてくれる人間もいなかった。
僕は、自由を手に入れたのだろうか。
それは甘美な響きを持っていた。それがかなしいものであることにも、僕は気が付いていた。でも手に取らずにはいられなかった。
ゆっくりと僕は体を起こす。しばらくまともに動いていなかった体は、ギシギシとうめき声を上げる。
きっとひどい目に遭うだろう。それでも僕は、悠の遺言にあらがうことはできなかった。自由という名の果実を食べたいという誘惑にあらがうことはできなかった。
立ち上がると、しっかりと体をほぐす。途中で何度か転びそうになる。でも、僕は生きなければならない。
胃の中のものが逆流して、なにもかにも吐きだしてしまいそうだった。入っているのはきっと胃液だけだろうと思って、ぐっとこらえる。
久しぶりに部屋の扉を開けた僕は、どこにだって行けそうだった。