表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

決別の夜-加波仁菜-

 お姉ちゃんたちが死んでから、お兄ちゃんは変わってしまった。

 柚希お姉ちゃんが死んだあとから、お兄ちゃんはずっとふさぎ込んでいたけれど、真澄お兄ちゃんと咲月お姉ちゃんが死んでからはまともに食事すらとらないようになってしまった。

「慎は――、……ダメそうだな」

 そう言ったのは冬哉さん。あの日から、相談相手がいなくなってしまった私のために、ちょくちょくこの家に来てくれている。

 吉良咲月と倉橋真澄の葬式は、ともに家族葬として執り行われた。対外的にはお互いを殺めあった幼馴染の家ということもあり、センセーショナルなこの事件はすぐにマスコミの格好の餌食になってしまったから、それ以外にどうしようもなかった。

 当然、取材の対象は加波慎、そして彼が引きこもる原因となった宝城柚希にまで及んだ。一部では真澄お兄ちゃんと咲月お姉ちゃんの死をお兄ちゃんのせいにしている報道すら見受けられた。

 執拗な取材は1か月ほどもした今ではずいぶんと落ち着いてきているけれど、今でも学校周辺にはたまにカメラを見かけるし、それを見るだけで身構えてしまうようになった。

 ……私は加波慎の妹として幾度も取材を強要されそうになったから、対応は慣れたものなのだけど。

 お兄ちゃんはあれ以来、人の声――特に怒声――を恐れるようになった。

 無理もないと思う。お兄ちゃんにとってはもはや、人の囁くような声ですら自分を苛む影口のように思えているのだろうから。

 でも、それはもう――私の知っているお兄ちゃんではなかった。

「あいつらにも困ったもんだ」

 冬哉さんは言う。

 あいつら――そういう時は決まってお兄ちゃん、真澄お兄ちゃん、咲月お姉ちゃん、柚希お姉ちゃんと、それから椎名悠さんを指しているらしい。

「……そうですね」

 答える私の表情は暗い。椎名さんの事は詳しく知らないけれど、最近は体調を崩してずっと臥せっているらしい。お兄ちゃんとの交流もほとんど絶たれてしまっている。

 結局、お兄ちゃんのいたグループは全員が全員お兄ちゃんを傷つける結果になってしまっていた。

 柚希お姉ちゃんはお兄ちゃんに後を託して逝き、真澄お兄ちゃんと咲月お姉ちゃんは喧嘩しあったまま一緒に死んでしまった。助けになるはずの椎名さんは病床だ。

「……どうしたらいいんでしょう」

「……わからん。正直なところ、慎がここまで凹むとは思っていなかった」

 それが私と冬哉さんの共通認識だ。

 加波慎は超人で、完璧で、完成された人間だった。誰もがこんな終わりを想像していなかった。

 逆にいえば、こうした期待がお兄ちゃんを苦しめていたというのも事実なのだと思う。加害者はあの4人だけではない。きっと私たちもそうなのだ。お兄ちゃん自身もまた、自覚と自負を持ってそれを演じてきたのだろうと、そう思う。

「……」

「……」

 冷め切ったカップに曇らせた顔を落としながら、私たちは沈黙する。

 それは私たちの諦めに近い感覚だった。

 私たちは学生だ。どれだけ近くにお兄ちゃんという人間がいたとしても、学生である以上不可能なことはたくさんあった。お兄ちゃんがいない今、その数は飛躍的に増えていた。

「……」

「……」

 冬哉さんが目頭を揉んだ。

 最近彼はそのしぐさを繰り返す。こうして議論が煮詰まってきたときに、まるで自分としてはもう意見がないとでも言うかのように。

「私たちにできることはもう、ないんでしょうか」

 私が問えば、冬哉さんはまた目頭を揉む。

「わからない……」

 彼の声は初めて会ったころに比べてずいぶんトーンが落ちている。彼ももうこの状況が限界なのかもしれない。

 冬哉さんの妹の様子がおかしくなったのも、つい最近らしい。

 彼女はふらふらと神社や仏閣、教会に行ってはぶつぶつと何かを言いながら熱心に祈っているのだ。私も冬哉さんの相談を受けてからその様子を何度か見ていた。

 傍から見れば、お兄ちゃんよりも性質が悪い。

「知夏も、どうしてああなってしまったのか全然わからないんだ……。妹の考えもわからない自分が、慎の考えを見通せるとは到底思えない。ならなおさら、どうすればいいかも思いつかないよ……」

 言葉に力はなく、その目線は私の方を見ない。

 私も、もはや冬哉さんの方を見ることはできなかった。彼が私の力になれないように、私も彼の力にはなれないからだ。

 ――端的にいえば、私たちの同盟はすでに破綻していた。

 だから、どうしようもなく迫ってくる結末の足音に怯えているしかできなかったのだ……。




 私たちの同盟が実質的に役割を失くしてから3週間近くがたっていた。

 私と冬哉さんの集まりは頻度も内容も薄っぺらくなっていた。

 わずか2~30分、図書室や喫茶店で集まって「お兄ちゃんは――」「……千夏もだ」と、同じようなことを報告しあうだけ。それ以外はほとんど話すことすらなくなってしまっていた。

 私は一度、椎名さんの家も訪れてみていた。

 彼の家族が言うことには、今までであれば簡単に治るようなことが、どうしても治らないのだという。お兄ちゃんの話や冬哉さんの話では椎名さんはお兄ちゃんに依存していたらしいから、ここでもやっぱりお兄ちゃんと繋がる。

 ある意味で、お互いに支えあっていたお兄ちゃんと椎名さんは、今ではお互いにお互いを傷つけあう仲になってしまったのだ。お互いがそれを全く望んでいないにもかかわらず、悪循環はどこまでも止まっていかない。

 そしてそれは、私たちも同じだった。


 ――どこかで、この悪循環を止めなければいけない。


「……私」

「ん?」

 近況報告以外を話すのは久しぶりだ。緊張で喉がからからする。でも、これは結局どこかでやらなければいけないことだったのだ。

「私、お兄ちゃんと絶縁する」

「――」

 冬哉さんは、呆然とした顔をしていた。

「な、何を言って……!」

「本気。もうあんなお兄ちゃんはお兄ちゃんじゃない」

 激昂しかける冬哉さんを制して、私は出来るだけ淡々と語るように気を付ける。

「もうね、あれはお兄ちゃんじゃないわ。だから私は、お兄ちゃんの事を見捨てるの。冬哉さんも、もうお兄ちゃんの事を考えなくてもいいわ」

「な、何を言ってるんだ……」

「冬哉さんは千夏ちゃんのことを考えてればいいって言ったのよ」

「もう私にはお兄ちゃんを助けようとする気がない。だから、お兄ちゃんを助けるためのこの会ももう意味がないわ」

「……」

「ごめんなさい」

 冬哉さんは黙っていた。目頭を揉んで、これからどうするかを考えているようだった。

 やがて彼は黙って席を立つと玄関から出て行った。そう、それでいいのだ。

 お兄ちゃんの事で、これ以上傷つく人が増える必要なんてない。

 冬哉さんは、知夏ちゃんの事だけなら何とかなるだろう。

 私も、知夏ちゃんのことを忘れれば、お兄ちゃんの事を諦められればどうにかなるだろう。

 これで、お兄ちゃんから始まった不幸を、ここで食い止められると思う。そうでなければだめだ。

 だから、私はお兄ちゃんに言いに行くんだ。今までのすべてを捨ててしまう言葉を。お兄ちゃんをより深く傷つけるであろう言葉を。

 そうあることで、みんなが幸せであるために。

 私は2階に上がると、お兄ちゃんの――兄の部屋の扉をノックした。返事はない。でもお兄ちゃんはいるだろう。

 だから、私は息を吸って、そして言った。


「さようなら、お兄ちゃん」






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ